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最終章 『歩いてきた道程を』
87.『正義と刃』
しおりを挟む随所で休息を取りつつ、順調に旅は進んだ。
景色に荒地が混じるにつれて、道中で遭遇するモンスターも強くなってはいったが、そのどれもが精々B級止まり。
俺たちの歩みを止めるほどの脅威はそう簡単には現れない。むしろ現れたら困る。
「検問ですね」
人の管理が行き届いていないと思わせる荒野に、見渡す限りのお粗末な柵が立てられている。
その切れ目にいたのは、二人の兵士だ。
見たことの無い兜を被り、自慢げにピカピカの鎧を見せつけて、通行人を待っていた。
「止まれ」
俺たちは言われるがままに馬車を止める。
「これより先はアマガサ領だ。何用でここを通る」
「セドニーシティ冒険者ギルドからの依頼です。未知の黒柱の調査にきました」
「セドニーシティ……? ふむ、冒険者か。その割にはご立派な馬車じゃないか」
その簡潔な質疑に、タマユラが簡潔に答える。
事実、タマユラが述べた以上の目的はない。
この上なく的確に伝えたわけだが、兵士の視線は未だ疑念を孕んでいる。
「けっ、冒険者かよ。未知の黒柱ってあれだろ、最近ロータスじいさんの村に現れたとかいう。ほっときゃいいんだよ、そんなもんよぉ。しょうもないことに金使いやがって、冒険者ギルドってやつは」
「おい、少し黙れ、ブゼル。……すまんな。だがわかるだろ、冒険者にはいい印象を持たない者も多い……こいつもその一人だ。身分を証明できるものはあるか?」
脈絡なく敵意を向けるもう一人の兵士を宥めながらも、その男も俺たちを快く思っていないことは感じ取れた。
この旅の中でタマユラから聞いたことではあるが。
辺境ほど、冒険者に偏見がある者は多いらしい。
というのも、人が少ない辺境では、仕事だって限られているわけで。
そんな中で上流階級とされる職。出世頭だと持て囃されがちなのは、衛兵や護衛などの貴族に仕える仕事だ。
時には命を張って忠誠を尽くす様こそが、周りから一目も二目も置かれる生き様だという。
そんな彼らの誇りである仕事をフラっとやってきた流れ者の冒険者に取られたら、そりゃいい気はしないだろう。
「ふむ。偽りはないようだな。しかしS級が3人ね……それほどまでに切迫しているのか? 私は特に何も聞いていないが」
「それを確かめるために来たのです」
「気取った言い方しやがって、冒険者が。S級だかなんだか知らねぇが、責任感も覚悟もねぇようなお前らに、かける期待もねぇよ」
ブレないというか、頑固というか、とにかく――ブゼルと呼ばれた男は、冒険者を目の敵にしているようだ。
まぁこれも土地柄といえば納得できなくはないし、お互い良い気分で去ることができないのは残念だが、文句をつけるほどのことでもない。
「……覚悟があるの?」
「へ?」
のだが、何を思ったのかうちの魔法使いは、ひょこっと顔を出したかと思えばそのジト目で二人の男を捉えていた。
こういう時に前に出るタイプでもないし、初対面で円滑に会話を進められるタイプでもないのに、ルリは全く臆せずに疑問を投げかける。
「……あなたたちには覚悟があるの?」
「な……なんだよ! 偉そうに口答え――」
「あなたたちには、覚悟があるの?」
三度、同じ問いを口にするルリ。
その問いは、見かけ上は単純かつ簡単なものである。
だが、その瞳に静かに込められた熱を見れば、誰だって言葉に詰まるだろう。
その瞳は、兵士を罰するものではない。
蔑むものでも、鬱憤を孕んだそれでもない。
ただ純粋に、こう聞いているのだ。
――あなたたちには、S級を背負える覚悟があるのか、と。
それは実に冒険者の都合に寄った問いであり、理不尽な疑問であろう。
だって、この人たちは兵士であり、冒険者ではない。
冒険者としての覚悟なんて、最初からあるはずがないのだ。
ましてや、S級なんてのは冒険者の中でも特殊すぎるわけで。
そんなあるはずのない覚悟を、ルリは純粋に問うているのだ。
「……冒険者と一緒にすんじゃねぇ」
「覚悟がないなら、黙ってて。あなたたちの期待も賞賛もいらない。だから邪魔しないで」
「……ちっ」
ルリはその瞳に確かな熱を灯したまま、はっきりと言い切った。
等しく守るべき民のひとりであるはずの男に向かって、「邪魔をするな」と。
そりゃもちろん俺だって思うところはあったが、それでもルリの静かな激情に、俺は呆気に取られるしかなかった。
「悪かった。こいつも悪気があったわけじゃないんだ。こいつの父親は領主に仕える立派な近衛兵だったんだが、冒険者に仕事を取られてね」
「……余計なこと言ってんじゃねぇ、イーモン!」
聞くに、やはり冒険者に個人的な感情があるらしい。
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引くに引けない頑なな部分は、触り合うだけ時間の無駄。お互い、見ている方向がまるで違うのだから。
それを理解すれば、あえて刺激する必要がないことも、必然的に理解できる。
「……だから、なんなの?」
「――――」
――はずなのに、ルリは止まらなかった。
そこを刺激すれば言葉で切りつけ合うだけの泥仕合になることは目に見えているというのに、ルリは止まらなかった。
俺は少しばかり、思い違いをしていたのかもしれない。
ルリの瞳に宿るどこまでも純粋な熱を見て、これはルリの疑問を解消するための問答だと勘違いしていた。
だけど、それは少し違った。
冒険者を侮辱されて、ルリはキレていたのだ。
ちょっとばかし分かりづらいキレ方であっただけで。
「……あなたのお父さんの仕事がなくなったのは、私たちのせいじゃない。八つ当たりの道具に冒険者を使わないで」
「……ルリ」
「誰に向かって覚悟を説いてるかわかってるの? 私の前でヒスイにそんなことを言う人は、私が許さない」
「ルリ、大丈夫だから」
「それに、あなたのお父さんの仕事がなくなったのは、あなたのお父さんより冒険者の方が優秀――」
「――ルリ!」
ついには言ってはいけないことを言おうとしたルリを、その肩を強めに叩いて止める。
それが事実だろうがそうじゃなかろうが、間違いなく最大の火種になることは目に見えている。
俺のためにも怒ってくれていたようで、それに関しては嬉しいことなのだが、そのために他人の心を抉ることは許された行為ではない。
ルリも大分取っ付きやすい子にはなったが、こういうところはまだまだ年相応なのだろう。正す必要がある。
そして、その言葉を浴びかけた二人の顔を見たルリは、自分の過ちに気付くしかなかった。
カッとなった頭も急速に冷えたようで、ルリの目は気まずそうに泳いでいる。
「……ごめんなさい、言い過ぎた」
「……いや、あなた方の言い分が正しい。元をたどれば、こちらの無礼が原因だ。……ブゼル」
「――クソッ! 早く行けよ!」
心に大きなしこりを残しながらも、これ以上の対話が逆効果であることは明白。
そう判断した俺はタマユラに合図を送り、馬車を走らせ――、
「……ご令嬢。あなたは正しい。だが」
「――――」
「正しさとは、必ずしも正義ではない。時に人を傷付ける刃となることを、承知の上で振りかざして頂きたい。……旅の武運を祈っている」
■
無事にアマガサ領に入り、数時間が経つ。
旅は順調で、このまま行けば5日後には目的地に着いていることだろう。
俺たちは、会話のない馬車に、ただ揺られていた。
あの後、ルリにフォローを入れようと話しかけるも、「考えたいことがあるから、ちょっと今はひとりにして」と言われてしまったため、こうして無言の空間となったのだ。
「……私」
数時間ぶりに静寂を切り裂いたのは、ルリの消え入りそうな呟きだった。
「……私、やっぱり性格悪いのかな」
「そんなことないよ」
やはり考え事というのはネガティブなことだったようで、第一声もそんな自責の一言だった。
もちろん、それは否定できる。俺の知る限り、ルリは皆に自慢したいくらいにいい子なのだから。
「……だって、ヒスイだったらあんなこと言わなかったでしょ?」
「まぁ、言わなかっただろうけど……ちょっと癇に障ったのはルリと同じだしね」
「……でも、ヒスイはそうやって自分で線引きができる。私はできない。だから、私は」
「いや、それ……」
性格が悪い、というより。
知らないだけなのではないだろうか。
人との接し方とか、距離感の掴み方とか、言ってはいけないことのラインを見分ける能力とか、そういうことを覚える機会が今までなかったから。
言ってしまえば、ルリの伸び代なのではないか、と思う。
知らないことを、いきなり一発でできる奴なんていないだろう。
いや、中にはいるかもしれないが、それはそいつがただの天才なだけだ。
俺のような人間からすると、初めてすることが上手くいく方が珍しい。
何度も失敗して、最終的に覚えればよし。それが凡人の常なのだ。
いや、ルリを凡人扱いするのはいささか問題がある気もするが――少なくとも、人間関係という意味では平凡な子なのだ、ルリは。
「ルリ。私も失敗しますよ」
「タマユラ……?」
ルリに何と言い聞かせようか迷っているところで、俺よりも先にその答えを出したのはタマユラだった。
お姉さん属性持ちのタマユラから出る言葉の説得力は凄い。
こうなれば、俺の出る幕もないかもしれない。
「あと、性格がいいとも言えません」
「いや、タマユラは性格いいだろ……」
「そこ、静かに」
タマユラの性格が悪かったら、世の中にいる人間のほぼ全てはドブのような性格になってしまうだろ、なんてツッコミはさておき。
タマユラがルリに何を伝えるのか、それは俺も興味がある。
ぶっちゃけ、俺も自分の内面で悩んでいる人間なので、あわよくば俺にも刺さるような言葉な気がするのだ。
「完璧に性格のいい人なんて、存在しないのかもしれません。人間誰しも、多かれ少なかれ利己的で独善的な思想はあるものです」
「……そう言われても」
「ま、そんな話はどうでもよくてですね」
「えぇ!?」
タマユラらしからぬ話の切り方に、つい素っ頓狂な声を上げてしまった。
さぞ徳の高いお話が始まるかと思えば、そんなことはどうでもいいという。
ならば、タマユラが本当に伝えたかったこととは――、
「私、ルリのちょっと子どもっぽいところ、好きですよ?」
「……でも、そのせいで」
「なら、人に迷惑がかかる部分だけ直しましょう」
「……そんな、上っ面だけじゃ」
「いいのですよ。だって――ルリの思い描く『完璧で性格のいいルリ』は、多分私の好きなルリじゃなくなっちゃいますから」
『完璧で性格のいいルリ』。
例えば、こんな感じだろうか。
ちびっ子とからかっても、わがままなところをいじっても、『よいのですよ、オホホホホ』とか言って美麗に笑って流すような――。
「それはルリじゃねぇ!」
なんなら完璧でもねぇ。
というか、俺にとって完璧なルリというのは、今ここにいるルリそのものだった。
そりゃ、事実人を傷つけたわけだし、言わなくていいことを言ってしまうような迂闊さもあるが、それは俺の中で減点対象にはならない。
誠に勝手ながら、惚れた女フィルターも込みの話だ。
「なんというかさ、S級冒険者ってもっと勝手でいいのかもしれないな。いざって時には助けてやる! だからゴチャゴチャ言うな! って感じで」
「それもアリかもしれませんが、ヒスイには出来ないでしょうね」
「よくご存知で」
「……というかさ」
「うん?」
俺たちは、少しだけ表情の晴れたルリに向き直る。
これで多少なりとも気が楽になってくれたならよかった。その功績はほとんどタマユラのものだが。
ほら見ろ、珍しく笑顔なんか浮かべちゃって――、
「……今、やっぱり遠回しに私のこと性格悪いって言った?」
「タマユラが言いました」
「ちょっ」
『完璧で性格のいいルリ』はルリじゃない。
逆説的に、今のルリは『不完全で性格の悪いルリ』ってことに――、
「いやほら、『性格がいい』の対義語は必ずしも『性格が悪い』じゃありませんから。だから、ね? ルリ、怖いです。ちょっと……ルリ、笑顔が怖い――!」
ルリが言うほど怒ってるわけではなく、ただの照れ隠しだったことが判明するのは、タマユラが謝り倒した後だった。
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