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最終章 『歩いてきた道程を』
86.『運命の被害者』
しおりを挟むほんの出来心だった。
眠気に支配されつつある脳みその、ちょっとした誤作動のようなものだろう。
あるいは、無意識下の違和感とでも呼べばいいだろうか。
どうせなんの意味もないと理解していながら、なぜか当たり前のように動き始めている俺がいる。
なんにせよ、俺はドアを開けて、寒空の下を歩き出したのだった。
■
「うぅ、寒っ」
寝巻きのまま外に出てきたもんだから、充分に寒さを防ぐこともできず、俺の歯はカチカチと音を鳴らしていた。
セドニーシティにいたのはつい今朝のことだったが、朝と夜の気温の違いを踏まえても、さすがにここまで寒くはなかった気がする。
今日になって突然大寒波が襲ったというわけでもないのなら、原因として考えられるのはなんだろうか。
人や建物の数が少ないから、冷たい風が直に身に染みる、とかだろうか。
ともあれ、こんなクソ寒い中にトボトボと歩き始めた門番の男は、一体なにがしたいのかという話である。
「それにしても……本当に静かだな、不自然なくらいに」
この町の存在が不自然そのものというツッコミは置いといて、いくら夜だといってもこの静寂は度が過ぎている。
民家から漏れる談笑も、元気な赤ん坊の泣き声も、仕事が長引いてこんな時間に帰宅する寂しい男の足音も、どこにでもあるはずの日常の音が何も聞こえない。
まるでこの町は、生きていないみたいだ。
表面だけ見れば、あんなにも温かみのある町だったというのに。
「冷えますね、雪でも降りそうだ」
「――――」
その男は、俺たちがこの町に辿り着いた時と同じ場所にいた。
その時と違うのは、冷たい切り株を椅子にして、ひとり座り込んでいたことか。
俺が話しかけたのは、もしかしたらちょっとした気の迷いくらいのものだったかもしれない。
少なくとも、まともな返答を期待して声をかけたのではない。
ただ、静寂の中にぽつりと置かれたふたりは、声をかけ合うのが自然に思えたのだ。
「おや、旅の御方。ここはリドートの町です。馬宿はすぐそちら。宿は通りの突き当たりを右、冒険者ギルドは突き当たりを左。冒険に必要な道具は、ギルドで取り扱っております」
「閉まってますよ、ギルド。こんな時間ですからね」
「――――」
やはり返ってくるのは定型文であって、この人に与えられた全てだ。
一体どんな目的で、何を思ってそうするのか。
そんなことを真面目に考えはしなかったが、せっかくなので改めて思案する。
しかし、いくら頭を捻らせても答えは見つからず、ただ確実なのは「この町の人物は決まった言葉しか発さない」ということのみだ。
「発さない」のか、それとも「発せない」のか、それさえもわからず、俺たちはそれを受け入れるしかない。
そう、思っていたのだが。
「あなたと顔を合わせるのは三回目ですね。すみません、勝手に追いかけて」
「おや、旅の御方。ここはリドートの町です。馬宿はすぐそちら。宿は通りの突き当たりを右、冒険者ギルドは突き当たりを左。冒険に必要な道具は、ギルドで取り扱っております」
「そうですか」
無駄。無駄なのだ。
いくら会話をしようとしても、この町ではそれが通用しない。
この町で関わった人の数は多いってほどじゃないが、この門番の男以外にも、冒険者ギルドの受付嬢、酒場の売子、それから宿の主人まで、その全てが例外なく「同じ言葉を繰り返し発するだけの人形」だった。
いや、生きている人間にかける言葉として、人形という表現は失礼だったかもしれない。
だけど、そう思わせるほどに、生きている人間のそれとはかけ離れていたのだ。
「こんな夜更けに、検問の続きですか? この時間は門も閉まってると聞きましたけど」
「おや、旅の御方。ここはリドートの町です。馬宿はすぐそちら。宿は通りの突き当たりを右、冒険者ギルドは突き当たりを左。冒険に必要な道具は、ギルドで取り扱っております」
まるで魔法仕掛けの人形のように、決められた役割を淡々とこなすだけの存在。
それの集合体がこの町であるならば、ひとつだけ拭えない疑問が生じる。
「俺たちは冒険者なんですけど、アマガサ領に向かっているんですよ。どんな場所なんでしょうね。知ってます?」
「おや、旅の御方。ここはリドートの町です。馬宿はすぐそちら。宿は通りの突き当たりを右、冒険者ギルドは突き当たりを左。冒険に必要な道具は、ギルドで取り扱っております」
「そうだ、名前を教えてくれませんか? 何かの縁だと思って、ほら。俺たち、頻繁にこの町に来ることはできないですし、思い出として」
「おや、旅の御方。ここはリドートの町です。馬宿はすぐそちら。宿は通りの突き当たりを右、冒険者ギルドは突き当たりを左。冒険に必要な道具は、ギルドで取り扱っております」
疑問の正体。それは、ほんの小さな違和感だった。
言われないと気付きすらしないような、些細なものだった。
しかしそんな極小の違和感でも、積もっていけば避けられない疑念となる。
特に、全員が決められた動きしかしない町では、それが浮き彫りになるのは時間の問題だった。
「あなた、普通に話せるんじゃありませんか?」
「――――」
確信があったわけじゃない。
俺をおちょくって遊んでいたのか、なんて憤りを感じているわけでもない。
ただ、この気持ちの悪い違和感を早く潰したいという欲望だけが、俺にこの問いを放たせた。
なぜなら、
「あなただけなんですよ。こっちから話しかけなくても言葉を発した人って」
「――――」
「あと、話しかけるたびに表情が違う人も。あなただけこの町から浮いていて、ちゃんと生きているように見えたんです」
「おや、たびのおかた……」
それでもなお、この町の住民であろうとする男は、すでに馬脚をあらわしていた。
言葉に詰まった時点で、いや、俺の言葉に面食らった時点で、与えられた役割は放棄されているのだ。
もう、「この町の住民」である必要はない。
「……ここは、リオードの町です」
なのに、やはり対話は拒絶された。
そう早とちりしかけた俺に、その男は言葉ではなく、行動で語りかけてきた。
俺に背を向けてすくりと立ち上がり、そのまま町の外へ向かって2、3歩ほど歩いたところで、ゆっくりと振り向いた。
その目は「着いてこい」と言っているものだと、俺はすぐに理解した。
この町で聞いたどの言葉よりも、確かな意思が込められた目だったから。
5分ほど歩いた頃だろうか。
荒れた草原の真ん中、町も小さくなったところで、その男は再び座り込んだ。
今度は椅子になるものがないから、地べたにそのままだ。
「町を出ると余計に寒いですね。風邪でもひきそうだ」
「この辺りは山に囲まれておりますから。空気が冷たいのです」
「やっぱり喋れたんですね」
先ほどまで人形であったはずの男は、やはり人形のふりをした人だった。
だからこそ、新たに湧き出てくる疑問は尽きない。
なぜ、人形で在ったのか。
なぜ、今それを捨てたのか。
なぜ、町の外まで連れ出したのか。
その疑問は恐らく、俺から聞かずとも解消してくれるだろうことは、この男の表情を見れば理解できた。
「……あの町は、狂っています」
絞るように吐き出したのは、そんな重い怨みのこもった一言だった。
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「というと?」
「どこから語ればいいやら……」
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「あなたも、ほかの住民と同じだったと」
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「その違和感に気付いたのは、私だけではありませんでした。何人かの住民が、声を上げたのです。こんなのはおかしい、まるで操られているようだ。目を覚ませ――と」
「そりゃ、住民同士で会話が成り立たなかったらそうなりますよね」
「みなでこの濁流から抜け出そうと、彼らは語りかけました。もっと人間らしく、交わっていこう、と……そしたらあろうことか、運命に縛られた者たちは、彼らの首を刎ね、心臓を刺し、土に埋め始めたのです! なんの躊躇も、感情もなく、ただ淡々と――まるで、『そう決められていた』ように!」
――運命に縛られた者。
詩的な表現とさえ思うが、その言葉の裏にこびりついた事実は、吐き気がするほど醜悪なものだと俺は知っている。
何を隠そう、俺もその『運命に縛られた者』の一人であるからだ。
『あなたが持っている記憶も、書き留められた記録も、ぜーんぶあの日に創られた虚構です』
思い出すのはどうしたって、あの性格が壊滅的な悪神の言葉。
人々に役割を与え、思うように動かしていたのがあの悪意の塊ならば、『自我』を奪った人間を設計していてもおかしくはない。
なんのために、とか。
どうしてそんなことを、とか。
こんなことをする必要があったのか!? とか。
そんな恨みつらみを並べたくなる気持ちはわかるが、アレは人間の常識の範疇では到底理解など及ばない存在だし、考えるだけ無駄なのだ。
――なのだが、鬱陶しいことに俺はあの悪神の考えることに予想がついてしまう。
きっと、奴ならこう言うだろう。
『――だって、面白そうじゃないですか』、と。
あの悪神の手を離れた後もそう在るように創られた、運命の被害者。実験台、あるいは暇つぶしの道具。それがこの町だというのなら、不愉快だが納得のいく話だ。
なんなら、設計の綻びから一定数の『自我を持った人間』が生まれてくることも織り込み済みで、その対策として『自我を持った住民を殺害する』という設計まで予め組み込んでいた――なんてことも、あの悪神ならば有り得る。
「幸いにも、私が『目覚めた人間』だということは知られておりませんでした。恐れた私は、これまで通りの日常に徹することに決めたのです」
「それは……お辛いでしょうね。でも――出ればいいんじゃありませんか、街を」
なにも、自我が目覚めた後もこの町に留まる理由もないのだ。
確かに、ここは周りに大した街もなく、満足な逃げ場を選ぶことはできないだろう。
だけど、例えば町に立ち寄った冒険者に護衛として付いていくとか、手紙を書いて助けを求めるとか、そういう手段もないことはないはずだ。
だが、
「それは……できないのです」
「できない? どうして?」
「我々は……生きる場所を、定められております。私は門番の役割なので、多少はこうして町の外に出ることも適いますが、ちょうどこの辺りが私の世界の果てになります。これより先へは、例え『目覚めた人間』であっても踏み出すことはできないのです」
「なんだそれ……っ」
悪神の性格の悪さは、俺の予測のさらに上を行っていた。
あの性悪、この世界が自分の手から離れた後は干渉することができないとか言っておいて、『自分の手から離れる前に運命を強要しておく』なんて不埒を平気で行ったわけだ。
それじゃ実質、この世界の住民はいつまでもあの悪神の支配下にあるのと変わらないではないか。
今頃、空の上からその事実を知った俺を見て、ほくそ笑んでいるに違いない。
本当に、頭にくるクソだ、アレは。
しかし今は悪神への怒りよりも、この男への憐情の方が強い。
「それじゃ、あなたが運命から解放されるには……」
「いいのです。今こうして、人間として誰かと関わっている。それだけで報われる思いです。気付いてくれる御方なんて、おりませんでしたから」
そうやって浮かべたのは、この上なく人間らしい表情であった。
哀しみ、強がり、諦め、怒り。
そんな色の笑顔は、この町には似合わないものだった。
それが喜ばしいことであるのか、ただただ不憫であるのか、それは俺には判断することが出来ない。
「じゃあ、せめて――」
■
「……ヒスイ、早く」
「うん、ごめんごめん――よっと。じゃあ、出発しよっか」
急ぎ足で乗り込んだ俺を確認すると、タマユラに指示を出された馬が、ゆっくりと歩き始めた。
結局昨日は眠れなかったので、ルリと変わって今度は俺が寝不足だ。
「……なにしてたの?」
「ちょっとレベル配ってた。300くらい」
「……300!? なにしてるの!? この町からS級冒険者を輩出するつもり!?」
「ヒスイがあまりそういうことをすると、世界の均衡が乱れそうで怖いですが……それほどまでに気に入った方がいたのですか?」
「……うーん。そういうわけでも、ないんだけどね」
俺に出来ることと言えば、これくらいのものだったから。
聞けば、あの門番の男のように自我を持ちながらも、心を殺してあの町に溶け込んでいる人間というのは、ちらほらといるらしい。
上手く擬態してはいるが、同じ『自我のある人間』同士が目を合わせれば、なんとなくわかるという。
俺は、そんな人たちを集めてもらい、レベルという『力』を渡した。
全部でたった8人くらいのものだったが、一人頭40のレベルだ。
それだけあれば、自我の存在がバレて襲われたとしても、自衛するだけの強さにはなるだろう。
そればかりか、力を合わせればあの町を自分たちのものにすることだってできるはずだ。
自我のない人形を淘汰し、あの8人で新たな世代を創れば、『運命』という呪いに縛られていない命が生まれてくる可能性だってある。
無論、それを推奨して渡したわけではない。
あくまで力の使い方を考えるのは自分で、間違った振りかざし方をすれば冒した罪に苦しむのも自分だ。
俺は、『選ぶ』ための力を授けたに過ぎないのだから。
まぁ、それさえも出過ぎた真似だったかもしれないが。
「……でも、大丈夫? 魔王のレベルにはまだ届いてないんでしょ? 他人に配ってる余裕あるの?」
「それに関しては、大丈夫……だと思う。というか、ちょっと思うところがあってね」
「まぁ、ヒスイなりに考えた行動なら、私たちは何も言いませんよ。でしょう、ルリ?」
「……まぁ」
俺の独断で、ふたりに心配をかけてしまっていることに関しては、本当に申し訳ないと思う。
俺の判断を信じてくれるのも、ありがたいなんて言葉じゃ言い表せないほどだ。
だけど、魔王と対峙した時には、俺はやるべきことがある。
これまでの比じゃない想いを、世界をひっくり返すような願いを、心に叫ぶのだ。
「願いなんて胡散臭いもの、俺は嫌い――なんだけどな……」
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