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最終章 『歩いてきた道程を』
84.『リドートの町』
しおりを挟むもう陽も傾き始めていた頃に、その町並みは飛び込んできた。
セドニーシティはもちろん、グローシティにも遠く及ばないほどの、小さな町だ。
もちろんそこに蔑する意図は含まれておらず、むしろこういう場所にこそ、心温まる人情なんかが溢れている――なんて相場が決まっているわけで。
「リドートの町……よさげじゃん」
「よさげですね」
控えめな建物が落とす仄暗い影を、控えめな明かりが薄ぼんやりと照らしている。
なんというか、素朴だ。
この町こそが本日の目的地であり、旅の初日における休息地、リドート。
たった一晩を越すための縁ではあるが、中々いい場所なようで安心した。
村というほど質素ではなく、かといって観光地になれるほどの名所もない。
そんな、人が生きるだけのこの町は、休息にはもってこいと言えるだろう。
「といっても、休息が必要なほど疲れてないけどね」
「……私、寝てただけ」
「いやでも、なんだかんだ起きてたじゃん」
盗賊という邪魔が入ったせいで、ルリのまぶたはしっかりと開いたままこの町に辿り着いた。
ルリの睡眠時間は精々2時間弱といったところで、俺としては大いに二度寝をかましてくれてよかったのだが、お世辞にも寝心地がいいとは言えない馬車の中で眠り直すのは困難なようだった。
そんなわけで、ルリの寝不足は解消されることなく夜が来てしまったということになる。
ぜひ、この町の宿で存分に爆睡して欲しいものだ。
「おや、旅の御方。ここはリドートの町です。馬宿はすぐそちら。宿は通りの突き当たりを右、冒険者ギルドは突き当たりを左。冒険に必要な道具は、ギルドで取り扱っております」
「これはご丁寧にどうも」
町の入口、吹けば飛びそうな門の前で声をかけてきたのは、ボロっちい槍を立てて佇む若い男性だ。
風貌で察しはつくが、ここで検問を行っているのだろう。
外からやってきた人間の素性や目的と問い質し、怪しい者がいれば追い返す――そんな役割の男性だろうが、見るからに部外者の俺たちは無条件で歓迎されているようだった。
ちょっとばかし疑念が浮かぶものの、歓迎されるのは悪いことではない。
デカい馬車に高そうな装備を携えた俺たちだ。
都市の重役とでも判断してくれたのだろうと思えば、不思議な対応というほどでもない。
事実俺たちはS級冒険者で、少なくともセドニーシティには重宝されているので、その予想も遠からずといったところか。
俺たちはあっさり門を通り抜け、案内を頼りに馬車を停め、宿に向かった。
「明日は馬車で寝泊まりする予定です。出発を急ぐ必要もないでしょうから、今夜はゆっくり寝ましょう」
あの簡易的な説明でも充分なほど、宿はすぐに見つかった。
そんなに広い町ではないとわかってはいたが、実際に町の中に入ってみるとその印象はなおさら強くなるばかりだ。
それもそのはず、立ち並ぶ建築の大半が民家であり、休息地としての役割はこの一角でほぼ完結している。
外の人に向ける顔はこの通りで全て。あとは、町民の生活があるのみ。ハリボテのような不格好さを感じるというのが、正直な印象だ。
ただし、それと居心地の良さは相反しない。
リドートの町は、「ハリボテ? だからなんだ」と言わんばかりの堂々たる振る舞いで、俺たちを歓迎してくれている。
「ギルドに行けば酒場くらいはあるでしょうから、今夜の夕食はそこで食べましょうか」
「……ん」
「あ、俺ちょっとギルドに用事あるからさ。先に行って待ってるよ」
と、まるで今思い立ったように、自然に申し出る。
そう、俺はギルドに野暮用があるのだ。
無論この町に知り合いがいるわけでもないので、ギルドからの呼び出しではない。
だが、大事な大事な用事だ。
俺が個人的に、ひとりでギルドに行かなければならないとある事情が――。
「ヒスイ」
「うん?」
「したのですね? 忘れ物」
「……うん」
タマユラには勝てなかったよ。
まさかこんなにすぐにバレるなんて、よっぽど俺の信用は薄いのだろうか。そんなに忘れ物してそうに見えたのだろうか。
なんか、最近タマユラが……お姉さんというよりお母さんに見えてきた。口に出したら怒られそうだが。
ともあれ、俺はギルドに忘れ物を買いに行かなければならない。
■
宿に向かったタマユラたちと一旦別れ、俺は目的の場所に来ていた。
ギルドは閑散としていて、俺以外の客は誰一人いないほどだ。
タマユラの読み通り酒場は併設してあるし、見たところ営業もしているようだが、肝心の客足はゼロだ。よく潰れないな、なんて失礼なことを考えてしまった。
まぁ俺が心配しても仕方ないし、ひとまずのお目当ては道具屋だ。
客が居ないというのに、それぞれのカウンターにはしっかり一人ずつ受付嬢が立っていて、その無数の視線が俺に集中しているように感じられ、幾許かの気まずさを感じる。
そんな微妙な居心地の悪さを押し殺しながら、俺は道具屋のカウンターの前に立った。
「すみません」
「いらっしゃいませ! こちらは道具屋です。どちらをお求めですか?」
存外、にこやかで優しい笑顔を向けられて、俺の気もほぐれる。
やはりさっきの居心地の悪さは錯覚――というか、客が俺しかいないんだから、その視線が集中するのも当然だろう。
やっぱりこの町は、人の優しさで溢れているのだ。
「えっと……砥石を2つほど。それから羊毛も少々」
「全部で銅貨6枚になります。お買い上げになりますか?」
「はい、お願いします」
「お買い上げありがとうございます」
そう言って、カウンターの下から注文した品が出てくる。
いやぁ、俺としたことが、剣の手入れに必要なセットを忘れるとは。
ぶっちゃけ別に砥石くらいタマユラに貸してもらえばいいのだが、この旅は場合によっては長引く可能性もある。
もしかしたらタマユラと別行動になることだってあるかもしれないので、自分の分を持っておくに越したことはない――というか、持っていて然るべきなのだ。
俺は腰に下げたポーチから革袋を取り出し、銅貨を丁度6枚、カウンターに置いた。
「またのご利用をお待ちしております」
「どうも。あ、そういえば、ここからアマガサ領までの陸路なんですが――」
俺は身を翻してその場から去ろうとして、今度こそ思い立ったようにその人に向き直った。
目的地まではまだ遠いし、アマガサ領までの経路なんて知らない可能性はあるが、一応情報収集はしておくべきだろう。
タマユラに任せておけば着くし――なんてあぐらをかいていては、いつか愛想をつかされてしまうからな。
自分で出来ることは、怠らない。
それこそが長続きの秘訣なのである。
まぁ、半分は自己満足みたいなものだし、この人がアマガサ領までの経路を知らなかったなら、それはそれで仕方ない話だ。
もし知っていたら有難いことに間違いはないが。
そんな俺の問いを受けた受付嬢は、にっこりと笑って――、
「いらっしゃいませ! こちらは道具屋です。どちらをお求めですか?」
「――え?」
俺の予想のどれとも違う答え――数分前の繰り返しを、当たり前のようにしてみせたのだった。
■
「……なんだったんだ、あれ」
結局いくら質問を投げかけても、彼女はあの笑顔を崩すことなく、同じ言葉を繰り返し続けた。
さすがに様子がおかしいと気付いたのは、3つ目の質問を投げかけた時だ。
不審に思った俺が彼女に投げかけたのは、「あなたは女性ですか?」という質問だった。
「はい」か「いいえ」で答えられる単純な質問だというのに、その問いへの答えはこうだ。
「いらっしゃいませ! こちらは道具屋です。どちらをお求めですか?」
なんだろうか。ふざけているのだろうか。舐められているのだろうか。
いや、これは俺の直感でしかないが、あれはそのどれでもなかった。少なくとも、道具屋としての職務を全うしようとはしていた。
しかし、ふざけても舐められてもいないというのなら、あの言動の意味とはなんだろうか。それがどうしてもわからない。
「あの人……」
答えが出ない類のモヤモヤに苛まれながらギルドを出ると、目の前に知っている顔が歩いていた。
先ほど俺たちを通した、門番の男性だ。
丁寧な対応で俺たちを歓迎してくれたのはついさっきの話なので、さすがに既に忘れられていることもないだろうと思い、軽い気持ちで声をかけた。
「こんばんは、先ほどはどうも。お仕事はもう終わりですか?」
「――――」
俺の存在に気がついたその男は、やけに無機質な動きで振り返ると、
「おや、旅の御方。ここはリドートの町です。馬宿はすぐそちら。宿は通りの突き当たりを右、冒険者ギルドは突き当たりを左。冒険に必要な道具は、ギルドで取り扱っております」
そう、にこやかに述べたのだった。
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