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第四章 『S級の恋慕事情』

73.『闇夜に溶ける影』

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 心地よい夜風を切りながら、俺たちは賑わう温泉街を駆け抜ける。
 人々はまるでモンスターのことなど気にも留めていないようで、どちらかと言えば焦って走り出した俺たちの方が浮いているらしい。

 とはいえ、俺が焦っている理由はなにもモンスターの出没だけが原因ではない。
 うちの怒れる魔術師が何かしでかさないかという不安も、俺を急き立てる原動力だ。

「ルリのやつ、どこ行ったんだよ……」

 ルリが部屋を出てから、俺たちが呆けていたのはどれくらいだっただろうか。
 数秒か、数十秒か、とにかく長い時間でないことは確かだ。

 彼女は、その僅かな隙に、あっという間に姿をくらました。

「モンスターの気配はこっちからするから、多分間違ってないと思うんだけど……」

「これは、C級程度のモンスターでしょうか。気配から察するに、1体だけではなさそうですね」

 煌々と光る繁華を抜けて、鬱蒼とした森へ。
 つい数十歩先には出店が立ち並んでいるというのに、いきなり線を引かれたように人の気配がなくなる。

 さっきまでの灯りが幻だったと思えるほど、この先は深い闇だった。

「――うわぁああ!」

 と、木々の合間を縫って誰かの叫び声が届いた。
 恐らくはモンスターの討伐に赴いた冒険者だろう。そう遠くはない。

「急ぎましょう」

「あ、タマユラ、ちょっと待って――【灯火】」

 俺が手をかざすと、辺りがぼんやりと温かい灯で照らされる。
 あの温泉街の目に刺さるような輝きとは違う、素朴なものだ。

 例によって、俺が使えるようになった魔法のひとつで、今ここで初めて使用してみた。

 イメージとしては、もう少しばかり強く照らしてくれるかと思ったが――、

「まぁ、充分だろ」

「ええ、だいぶ視界が開けました」

 灯りがないよりは幾分もマシだ。
 この辺りに出没するモンスターは精々C級止まりらしいが、それでも警戒するに越したことはない。

 暗闇というのは、それだけで俺たちが不利になる厄介な要素だ。
 もちろん、モンスターにも夜目が効かない種はいるが、今回のはわざわざ夜の森に現れるくらいだ。よっぽど暗視に自信があるに違いない。

 考えてみれば、先に戦いに出た冒険者は灯りくらいは持っているだろう。視界の確保は夜戦の鉄則だ。
 焦りがあったとはいえ、S級である俺たちの方がうっかり抜けていたなんて、恥ずかしい話である。

 【灯火】は思いつきで使ってみただけだが、最初からこれをあてにしていたことにしよう。なんせ恥ずかしいから。

「――ヒスイ。足音です」

 タマユラが小声で簡潔に状況を伝え、俺はそれにコクリと頷く。一瞬にして場の空気が警戒色で張り詰める。

 何かから走って逃げるような足音が、不揃いに幾つも鳴っている。
 よく耳を澄ませば、荒い呼吸の音まで聞き取ることができた。

 予測するなら、モンスターに追われて逃げ惑う冒険者、といったところだろう。

「――ぐぁああ!」

「――おい、大丈夫か! クソ、立てるか!?」

「待って、灯りよ! 誰かいるの!?」

 切羽詰まった3つの声が、すぐ近くまで来ていた。
 同時に、モンスターの気配も側にあることを感じられる。

「私たちは冒険者です! モンスターがそこにいるのですか!?」

 草木をわけながら、俺たちは声の方向に駆け寄る。
 夜の闇だけでなく、やはり光を遮る木々が索敵の邪魔をしていたようで、その冒険者たちは俺たちのほんの数歩先にいたらしい。

 かきわけた先にいたのは若い男女だ。ひとりは鋭く抉られた背中から、赤い血を滲ませていた。

「助けて! お願い!」

「ええ、助けます。状況を説明していただけますか?」

 俺たちの顔を見るや否や、怯えきった表情でそう叫んだ。
 それは強い恐怖を植え付けられたことは、想像にかたくない。

「見えないモンスターがいるんだ! 灯りも壊されちまって、帰る道もわかんなくって、もう何がなんだか……」

「宿でしたらすぐそちらです。他の冒険者の方は?」

「……わかんねぇ。みんな灯りを壊されて、散り散りになっちまって、その後は……」

「そうですか、わかりました。危険ですので、私たちから離れないでくださいね――【気配感知】」

 タマユラが、感知のスキルを使った。
 俺も、ある程度ならモンスターの気配を感知することはできるが、それでもスキルでの感知には遠く及ばない。

 タマユラであれば、完全にモンスターの位置を掴むことは出来るだろう。
 ただし制限なく行使できるスキルではないので、常時発動状態にさせておくことはできないという。使い時を選ぶ必要があるのだ。

 そして今が、その使い時なことに疑いようはない。

「これは、ゴブリンでしょうか――1、2、3、4……7体はいますね」

「ゴブリンですって!? そんなはず……それに、7体なんていたようには……」

「確かに、透明状態になれるゴブリンってのは聞いたことがないな……タマユラ、そのゴブリンは通常種?」

「いえ、通常種とは少し違うようです。気配から察するに、知恵を持って集団で動いているようですね」

 ゴブリンってのは、モンスターの中でも幅広い種を持つ。
 低級な種ならばE級冒険者パーティであっても難なく倒すことが出来るが、中にはB級相当の種も存在する。

 それに加え、毎年のように新種が発見されており、我々人間はゴブリンになかなか手を焼いているのだ。

 それらを踏まえると、このゴブリンは未確認の種で、群れる知恵と特殊な能力を持った厄介なモンスターだということになる。
 運悪く、この3人には荷が重い相手だったのだろう。

 だが、俺たちならば問題はない。ゴブリンに負けてるようでは魔王に鼻で笑い飛ばされるからな。

「警戒しているようですね。囲まれていますが、仕掛けてくる気配はありません」

「なら先手必勝だ――って言いたいところだけど、俺は完璧に気配を感知できない。タマユラ、やれる?」

「無論です――【薙糸】」

『――ギェァアア!』

 無駄の一切ない美麗な剣さばきでタマユラが一振りすると、けたたましい断末魔と共に、ドサドサと糸が切れたように重いものを投げ出す音がした。

 その数は丁度7つ――俺たちを囲んでいた、四方七方のゴブリン全てが事切れたことを意味する。

 それは瞬きにも満たないような刹那の太刀筋で、相も変わらず誰もを魅了する芸術だった。

「……は、え? お、終わったのか?」

「ええ。今のうちに宿に走ってください。宿には回復術士が常駐してるはずですから、新手が来ないうちに」

「わ、わかった――すまねぇ、助かった! 後で必ず礼はする! あんたも気をつけて!」

 タマユラが宿の方角を指さすと、彼らは男女2人で負傷した仲間を抱えながら走っていった。
 辺りは暗いが、ここから宿までなら問題なく帰れるだろう。

 さて、問題はゴブリンのことだ。
 俺たちは、美しく真っ二つになった死体のひとつに駆け寄り、その造形を確認する。

「これは……体に泥のようなものを塗っていますね。この暗さで、灯りまで壊されたとなると、視認するのは難しいでしょう」

「透明のからくりはそういうことか……ってことは、コイツらがさっき攻めてこなかったのは」

「ヒスイの【灯火】で、闇夜に紛れることが出来なかったからでしょうね。隠れて様子を伺っていた、といったところですか。それと」

「武器を持ってるね。木の枝に伸縮性のある蔦を括りつけただけの簡易なものだけど――」

「例えばこれを投石に使ったら、遠距離からでもカンテラくらいは簡単に壊せてしまいます」

 ただ群れるだけではない、集団の利を活かした戦闘の立ち回り。
 それから、体に泥を塗り闇に溶ける機転。
 その作戦の邪魔になる灯りは、自作の武器を使って破壊する。

 見たところ、元は冒険者の持ち物だったであろう剣を腰に下げている個体もいた。

 これは、明らかにゴブリンの知能を超えている。

 体格は通常種のゴブリンと大差ないし、個の戦闘力という意味でも、剣に頼っているところを見るにそれほど高い方ではないだろう。

 しかし、『知能』というのは一番厄介な武器になり得る。
 そもそもモンスターに戦闘力で後れを取る人間が地上の支配者と成ったのは、他ならぬ『知能』が多種よりも優れていた点が大きい。

 さすがに、ここで人間と比較するのは小胆が過ぎる気もするが――ともかく俺の危険信号は、このゴブリンを放置するべきではないと叫んでいた。

「とにかく、他の冒険者を探そう」

「そうですね。長期戦になるほど、種を知らない冒険者の勝ち筋は潰れていきます」

 遠い未来、このゴブリンと人間の立場が逆転する日が来るなどとは思わないが、それでも目先の危機は待ってくれないし、関係ない。

 これ以上の被害を抑えるために、俺たちは再び走り出した。
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