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第四章 『S級の恋慕事情』
68.『なし崩し的腕自慢大会』
しおりを挟む俺は、朝に弱い。
目を覚ます時は大抵、ぼんやりと夢を見ている中、少しずつ現実が混ざる感覚と共に意識を覚醒させる。
今朝も例に漏れず、ここがまどろみの中なのか現実なのかわからないまま、ふわりと漂ういい匂いを感じていた。
「ヒスイ、目を覚ましましたか?」
「……ヒスイ、おはよう」
甘い声が、俺の両耳をくすぐる。
それは夢見心地という言葉が最も正しいもので、やはり夢と現実の区別がつかない。
ただひとつ言えることは、夢であろうと現実であろうと、ここがこの世の楽園であるということだ。
「……ヒスイ?」
左に寝返りをうつと、黒髪ジト目美少女の頭があった。
俺は無意識に自分の頭を下にずらし、目線を合わせる。
「……ヒスイ、照れるから――ちょっと待って。何狙ってる?」
そしてその白い首筋に目掛け、軽く歯を立てた。
「きゃあっ――ちょ、ヒス……ちょっと、やめ……っ」
必死にじたばたと抵抗を見せるが、覆いかぶさるように固定された俺から逃れることはできない。
はっきりとしない意識の中、俺って首筋に癖があるのかもしれないなぁ、なんて薄らと脳裏をよぎった。
「――やめてってば! 【衝撃波】!」
「うぉぉおお――!?」
意識外の衝撃は勢いよく俺の体を吹っ飛ばし、そこそこしっかり壁に頭をぶつける。
バクバクと音を立てる心臓と、ジンジンと熱を持つ後頭部が、完全に俺の意識を現実に引き戻した。
「薄々そうじゃないかとは思ってたけどやっぱり夢じゃなかった!」
「――はぁ、はぁ。ヒスイ、乙女の首筋はもっと丁重に扱うべき……」
「すみませんでした!」
しかしまぁ、ルリの首筋は妙に色気があるんだよな。
こう言っちゃなんだが、体付きは色気の欠片もないような幼児体型なのに……いや、だからこそなのだろうか。
艶やかな黒髪と、細くて白い首筋の対比が欲望を掻き立てるとか。
なんにせよ、こうしてルリに怒られてちゃ世話ないわな。
これからは遠慮して――と言いたいところなのだが、ルリは反応がいいから、ついからかいたくなってしまう。
それもこれもルリのかわいさが――、
「……楽しそうですね。最初に声をかけた私を放置してイチャつくのは」
「えっ!? いや、あの、そんなつもりはないんですよ、タマユラさん!」
「……イチャついてない。噛み付かれた」
「私は触れられすらしてないんですけどね?」
と、不服そうなタマユラが割って入ってきた。
その笑顔の裏に隠されているのは、静かな怒りであることに、疑いようはなかった。
「怒ってませんよ? 別に怒ってはないんですけどね? 早くも格差を感じ始めたわけでもないんですけどね?」
「すみませんでした!」
「いいでしょう。私を抱きしめれば許してあげます」
「仰せのままに」
寝起きの髪をぴょこんと跳ねさせたタマユラを、自分の胸に迎え入れる。
柔らかさを十分に堪能したところで、タマユラは一歩後ろに下がる。
顔をかすかに赤らめて、微笑みながら言った。
「やっぱりちょっと照れますね」
「俺も、こんなにかわいい女の子と抱き合ってたら、さすがに照れるよ」
「ふふ。ご飯にしましょうか」
「そうだね。ルリもほら、行こう」
「……ん」
そんな優しい日常が、始まった。
■
「――【辻】」
十字に走る残像が、そのモンスターの命の終わりを告げる。
次の瞬間には、綺麗に四等分された【ワームリッチ】の欠片が転がっていた。
「とまぁ、こんな感じでしょうか」
「おお! すげぇ! やっぱり剣技ってのはカッコいいよなぁ」
半日で準備をし、さらに半日で目的地に到着。
俺たちは馬車の中で爆睡してたので、元気が有り余っている。
そんなわけで、依頼がてらに互いの技や戦い方なんかを改めて見せあっている。
トップバッターはタマユラ。
さすがは『剣聖』というべきか、彼女の剣さばきは世界でも有数の美しさだろう。
圧倒的な剣の正確さ、鋭さに加え、華やかさまでも併せ持った芸術。そう評することができる、洗練された剣技であった。
いかにレベルの高い俺であっても、この剣さばきばかりは真似することが出来ないだろう。小手先だけの技術ではないのだ。
「さすがはタマユラ、剣を持たせたら世界一だね」
「いえ、そんなことは……ふふ。ありがとうございます」
「…………次は私が行く」
次に立ち上がったのはルリだ。
自分よりも大きい杖を握りしめて、ローブを風になびかせる。
こう見ると魔術師ごっこ中のちびっ子にしか見えないが、その認識は大いに間違いである。
何を隠そう、こう見えて世界最強の魔術師なのだから。
「――悠久に閉じ込められし、偉大なる天華の精霊よ。今こそ凍空の下に舞い降りん」
言葉ひとつ紡ぐたびに、底無しの魔力がルリに集中していくのがわかる。
そしてこれは、その圧倒的な力に任せた単純な暴力ではない。
むしろ、鋭い氷の刃のように研ぎ澄まされた膨大な魔力が、ルリの手元に圧縮されていく。
そして俺は、なんだか息苦しいような、体が重たいような、そんな感覚に苛まれる。
これは、大気中の魔力濃度が低下している時に起きる現象だ。
まさかルリは――自分が有している魔力だけでなく、大気中の魔力さえも取り込んだ魔法を発動させようとしているのか。
「玉塵に穿て――【垂氷刃】」
詠唱を終えると同時に、魔力の塊が飛んで行った感覚はあった。
しかしそのあまりの速さに、目で追うことはおろか、何が起きたのかすら察知できない。
どうやらタマユラも同じようだった。
ただ理解できるのは、ルリの魔法が色んな意味でぶっ飛んでいるということ。
「……どう?」
ドヤ顔で帰ってきたルリにかける言葉がわからない。
とりあえず褒めておけばいいのだろうか。
「えっと、すごいね。あの……魔力の塊をぶん投げるみたいな魔法?」
「……見てなかったの?」
どうやら選択をミスったらしい。
そんな単純なものではなかったようだ。
「すみません。私ではルリの魔法を視認することすら出来なかったようです」
「……あれは、目に見えない薄さの氷刃を、目に止まらない速さで繰り出す魔法」
目に見えないんじゃねぇか。
ならわかるはずないよね? ルリさんもしかして天然ですか?
それともあれか、「この程度を視認できないようでは、おぬしもまだまだよのう」みたいな煽りか?
ちくしょう。何も言い返せねぇ。
「――はぁ。ルリには敵いませんね。いくら剣速を極めても、あの領域には辿り着けません」
「……得意分野の違いだから。接近戦では魔術師は剣士に敵わない」
それでもタマユラを感服させるには十分だったようだ。
もちろん俺だってあんな魔法を使えたりはしないわけだし。
どこまでいっても、『最強の魔術師』という称号はルリのものだった。
「じゃあ、ヒスイの番ですね」
俺の強みとはなんだろうか。
ふたりよりちょっとばかしレベルが高い俺の強みとは。
剣の技量はタマユラに敵わないし、魔法の腕もルリには及ばない。
確かに、俺が全力で力を込めて剣を振れば、タマユラの一撃を凌駕する威力を出すことは出来るだろう。
しかし、レベルでは敵の動きを読めないし、弱点を1ミリの誤差もなく両断することはできない。
ルリと同じ威力の魔法は撃てても、機転を利かせた魔法の使い方はできない。
レベルが高いだけでは埋まらない、技術と経験の差というものがあるのだ。
ならば、俺の強みとは。
「……ヒスイ?」
「――あぁ、ちょっと行ってくるよ」
このなし崩し的な腕自慢大会で、俺がふたりに見せるべきものは。
俺は剣を置いて、【ワームリッチ】の元へ歩みを進めた。
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