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第四章 『S級の恋慕事情』
67.『結果オーライ』
しおりを挟むふたりとも、ってのはダメですかね。
そんな戯言を吐いたこともあったが、それは現実のものになるはずがないと認識してこその妄言だ。
どこまでも二択であるはずのこの問題は、強欲に両方を拾い上げることなど出来はしない――はずなのだ。
例えば俺の知り合いに、「冒険者を引退した後は、女を侍らせて肉欲のまま溺れてーぜ」なんて願望を口にするB級冒険者がいる。
だがそいつは、夢の実現のために綿密な計画を立ててはいないし、それをモチベーションに冒険者を続けているわけでもないだろう。
なぜなら、それが実現不可能な夢物語であることを理解しながら口に出しているからだ。
あるいは、故郷に病気の母を残した冒険者がいたとする。その人は「本当は、お母さんの面倒を見ながら冒険者をやれたらいいのに」と言うだろう。
母の介抱も、金の工面も、同時に行えたならいいのに――と。
現実的に考えてできるはずもないことを、口にする。
つまり――二択は、どこまでいっても二択なのだ。
どちらかを選べば、どちらかを諦めなくてはならない。
それが世の常であり、条理なのだから。
「ルリ、お話をしましょう。そちらに座ってください」
「――う、ん」
ならば、今俺の手元にあるのは、不条理だ。
世の理から逸脱した、理不尽そのものだ。
――ルリは、どんな気持ちでここにいるんだろう。
その涙と一緒に、どんな心を零したのだろう。
俺は、何を言えばいいのだろう。
「勝手な真似をしてすみません、ヒスイ。それからルリも。しかし――ヒスイ。正直な気持ちを教えて欲しいのです」
「――――」
「――ルリのことを、どう思っていますか?」
そうして問いは、繰り返される。
俺が心の奥に閉じ込め、固く鍵をかけた想いを、こじ開けるために。
「おれ、は……」
無意識に、視線がルリを捉える。
枕で顔の下半分を隠したルリは、俺と目が合うとピクリと肩を跳ねさせ、気まずそうに潤んだ目線を外した。
ルリの前で、さっきの問答をもう一度やれというのか。
俺にとっても、ルリにとっても、あまりに残酷すぎる状況を無理矢理作り出すとは、タマユラらしくもない。
どんな真意でこの場を作り出したのだ。
なんの意味があって、俺にルリを傷つけさせる。
「……ひ、ヒスイ、私に遠慮しなくていいか、ら」
ついには目も合わせなくなったルリが、たどたどしく言葉を紡いだ。
たった一言なのに、痛いほどにルリの気持ちが流れ込んでくる。
その震える声は、俺が一番聞きたくないルリの声だった。
「ヒスイ、本当のことを教えてください。ルリのことを、どう思っているのですか」
三度、タマユラに問われて。
誤魔化すことも、逃げることもできない。
否、してはいけない。
本当の気持ちを、捨てられずに鍵をかけるしかなかった想いを、もう一度自分のものとして認めるしかない。
――直感。あるいは、本心。
その瞬間にはわからずとも、振り返ってみれば案外答えは簡単に見つかる。
俺が最初に思ったことこそが、直感であり本心なのだ。
理屈に悩むよりも先に、自然に口をついた言葉。それこそが、本当の意味での本心であるはずなのだ。
『……ふたりとも、ってのはダメですかね』
――俺の、本心。
現実的でないと、切り捨てた本心。
「俺は――」
「――――」
ルリが体を強ばらせたのが見えた。
枕を強く握り、歯も食いしばってるかもしれない。
俺の次の言葉を聞きたくないのだろう。でも、聞かないわけにもいかない。
そんなルリの心中を考えれば、本当に俺の身勝手さが浮き彫りになる。
そんな思いをさせないために、パーティを組んだのにな。
もう二度と、裏切られる気持ちを味わせたくないから。
やっぱり、無理だ。誤魔化せない。
ルリを目の前にすると、体の奥からふつふつと湧き上がるものを感じる。
「俺は――。ごめん! すごい勝手なこと言うけど、許してくれ!」
「――ヒス、イ?」
カチコチに固まったこの部屋の空気を切り裂くように、俺は場違いな叫び声をあげた。
ルリとタマユラが目を丸くしている。さすがのタマユラでも、このテンションは予想出来なかったのだろう。
「俺、ふたりとも好きだ! タマユラもルリも、丸ごと俺のものにしたい! それくらい好きだ!」
「――ぇ」
ぶっちゃけ、やけくそである。
こんなことを言うつもりはなかった。
王国では一夫多妻は一般的ではない、という話は再三踏まえたものであるが、裏を返せば皆無ではないのだ。
咎められているわけでもなければ、後ろめたい行いでもない。
ただ、当人同士が納得していればいいというだけ。
唯一にして最大のネックとなりうるのは、その当人同士の納得というのがかなり稀有な例だということか。
そりゃ、誰だって一人の愛をひとり占めしたいものだからね。
しかしこと今回においては、タマユラ曰くその問題は既に解決済みらしい。
じゃあ何が俺を足踏みさせるのかと言えば、やはり好きな人には俺の愛をひとり占めしてもらいたいから。
それと、俺自身、ふたりに均等な愛を注ぐことができる自信が備わってないから。
それから、倫理的に考えて、ふたりを同時に愛することに対して抵抗があったのかもしれない。
いかに当人の間で納得があったとしても、ふたりにとってそれが最善ではないのだろう。
妥協から出た結論なのではないか。そんな先入観もあった。
のだが、もう――そんなことはどうでもいいと思えるほど、目の前のふたりが愛おしかった。
「タマユラ!」
「はっ、はい!」
「好きだ!」
「――わ、私もヒスイが好きです」
あえてもう一度言おう。やけくそである。
ただし、これだけは間違いない。
このふたりを不幸にさせることこそが、最も愚かで恥ずべき行為だと。
そのためだったら俺は、一般論も周囲の目も自分の器も全部うっちゃって、欲望にまみれたすけこましになろう。
俺にたったひとりを愛する甲斐性はなかったが、俺の勝手な美学のために、好いてくれた女の子を泣かせるほど薄情者でもないはずだ。
「――ルリ」
「――はい」
「好きだ」
「――わっ、わた……うぁ、ヒスイぃ……」
何回も見た困り顔のまま、頬の涙も乾かぬうちに、ルリは新しい涙を流し始めた。
それはもう、わんわんと声をあげながら。
しかしそれは、俺が見たくなかったルリの姿とは違う。
むしろ、俺が一番好きなルリだ――という言い方をすると、俺がルリを泣かせたがってるみたいだが。
とにかく、安堵の涙であることだろう。
「ヒスイ。それが、答えですか?」
「うん、俺はふたりとも大好きだ。ふたりともまとめて俺のものになってくれ!」
「いえ、ルリはヒスイのものですが、私はヒスイのものにはなりません。ヒスイが私のものなのです」
「何のこだわり!?」
「冗談です。――喜んでお受けします、ヒスイ」
感無量、という言葉が相応しいだろうか。
悩んでたのが馬鹿らしくなるほどに、単純な答えだ。
単純な答えを出そうと足掻いていた俺の、その想定を遥かに超えて単純だった。
ふたりとも好きで、ふたりとも俺のものにしたい。
考えればそれが理想なのは明白で、だけど現実的ではないと遠ざけていた選択。
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偶然このタイミングでルリとタマユラが仲良くなって、偶然ふたりとも一夫多妻に前向きだった。
そして偶然、先んじてその話をふたりで共有していた。
俺がもし昨日告白していたら、こうはならなかった。
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危うくルリを振るところだったし、本心に鍵をかけたままになるところだったが――あれだな、結果オーライってやつだ。なぁ、ルリ。
「――本当に、好き?」
「うん、好きだよ」
「――本当の本当? 家族として、とかじゃない?」
「ルリとは本当の家族になりたいと思ってる」
「――、ばか。もう、ほんとに……うぇ、うぇえ」
ルリの新たな属性、泣き虫を垣間見た。
なんて、茶化していい立場なのかは分からないけど。
俺が泣かせたわけだし。
それにしても、すっきりした。
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本当にこれでいいのだろうか――いや、これでいいのだ。これで。
「よしよし。ヒスイはルリのものですからねー」
「――タマユラぁ……」
「ま、私のものでもありますが」
こき使われないように気をつけねば。
なんて、そりゃ幸せな未来図だな。
それにしても冷静に考えて……いや、まだ冷静ではないが。
ほんの少しだけ冷静に考えて、あのタマユラとルリが俺のものになるのか。
『剣聖』の名を冠し、S級冒険者の中で随一の知名度を誇るタマユラ。
それから『白夜』の異名を轟かせ、S級モンスターをたった一撃で葬る天才魔術師ルリ。
そのふたりを手篭めにし色欲にまみれる、ぽっと出S級冒険者ヒスイ、それが俺!
……刺されないように気をつけておこう。
「……ヒスイに謝らなくちゃいけないことがある」
と、タマユラに頭を撫でられて落ち着きを取り戻したルリが、言いづらそうに話し始めた。
「うん? どうしたの?」
「……その、あの、その」
「怒らないから言ってみ?」
もはや、ルリの挙動ひとつひとつがたまらない。
そうやってモジモジする姿を見ているだけで、ルリへ怒りを覚えることなどない。そう断言できる。
「……ヒスイの部屋ずっと盗聴してました。ごめんなさい」
「何やってくれてんのお前!?」
「……その、魔法で、こう。……ちょちょいと」
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天才魔術師恐るべしだな。俺のプライバシーはどこに消えたんだよ。何のために部屋分けたか分かってます?
――まぁいいか。怒られるのを覚悟してビクビクしてるルリかわいいし。
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まぁ、もはや一緒の部屋で寝てはいけない理由もないし、それくらい受け入れるけど、言い出すタイミング間違ってますよ。
と、タマユラが何かに合点がいった様子で口を開いた。
「なるほど。先程ルリを呼びに行った時、事情を話すまでもなく泣いていたのは、既に聞いて――あれ。ルリ、もしかしてこの部屋も盗聴してました?」
「……してない。今日告白するって、ヒスイの独り言を聞いてた。その後で、タマユラの部屋をノックしたのも聞こえてたから」
ルリとしては、あの時点で事実上の敗北宣告を言い渡されていたようなものだったらしい。
どちらかに告白すると決めた俺は、タマユラの部屋のドアを叩いた。ルリは、胸が締め付けられる思いだっただろう。
「そうですか――じゃあ、ルリ」
「――?」
ぺたりと座り込んでいたルリをタマユラが持ち上げる。
タマユラは筋肉質な印象はないが、やはり鍛え上げられているのだろう。もしくは、ルリが軽すぎるのか。後者かもしれないな。
とにかく、タマユラに後ろから抱えあげられたルリが、俺の目の前に運ばれる。
「よいしょ」
「――?」
ルリと目が合う。合わないのが不自然なくらい、すぐ傍にいる。吐息を感じられるほど、すぐ傍に。
突然俺と向かい合って座らされたこの状況を、ルリは理解出来ていないようだ。安心して欲しい。俺も出来てないから。
「ルリ、言いたいことがあるのではないですか?」
「――ぁ。……ヒスイ、好きです」
ただそれだけ言って、ルリは少し俯いて視線を外した。
「あぁもう、ルリはかわいいなぁ!」
「――!?」
その照れた表情も仕草も、全部が愛おしくて、俺は丸ごと包み込むようにルリを正面から抱きしめた。
細い。華奢な体だ。あと、ちっちゃい。いや、身長の話。
それなのに柔らかくて、温かい。
騒がしく主張する鼓動の音は、ルリのものなのか、はたまた俺のものなのか。
どっちでもいいほどに、俺たちは触れ合っていた。
幸せを、分かち合っていた。
互いの熱を感じ、匂いを感じ、音を感じ、命を感じる。
抱きしめるだけで、こんなにも満たされるなんて。
今はなおさらに、ルリの全てが愛おしい。
少し癖のある髪も、そこから伸びる首筋も――、
「……はむ」
「――ぎゃぁあ!」
「ぐぇ!」
なんとなく魔が差して、ルリの首筋を甘噛みした。
聞いたことの無い悲鳴を上げたルリに、俺は突き飛ばされてしまった。
「何するの!? くび……首! なんで噛んだの!?」
「いや、なんか色っぽくて……」
「ヒスイに欲情された……」
喜んでるんだか悲しんでるんだか分からない表情で、ルリはそそくさと離れていった。
俺のルリが遠くにいってしまった。悲しい。
「ヒスイ。次は私の番です」
「タマユラ……失礼します」
催促をうけて、俺はそっとタマユラを抱きしめた。
やはり、温かい。
それにしてもさすがは剣士と言うべきか、体つきはしっかりしているようだ。
それでいてゴツゴツしているようなことはなく、女の子の柔らかさを感じることが出来る。
そして――あるのだ。ルリには無かったものが、あるのだ。
普段は鎧に隠されていたものの、中々のものを持っていたらしい。
こうしてその柔らかさを堪能できるのは世界で俺だけ。
うむ――よきかな。
一応ルリの名誉のために言っておくと、俺はないのもいいと思っている。あるのもいいと思っている。
どっちでもいいわけじゃない。
どっちもいいのだ。
「安心するものですね。こう、好きな人に抱きしめられていると」
「そうだね」
最大級の同意を込めて、俺は人差し指を立てた。
「びゃあ! え!? なんで脇腹をつついたんですか!?」
「意外と脇腹とか弱そうだなと思って……」
「そう思ったならやめて貰えませんか!?」
タマユラは信じられないものを見たように目を見開いている。
こういうテンパった目つきも好きだ。
なにより、こうして3人でふざけ合える時間が嬉しくてたまらない。
さっきまで人生全部を賭けるくらいの勢いで悩んでいたというのに、現金なものだが。
「ふたりとも大好きだー!」
「私もふたりとも大好きです」
「それ、なんか意味変わってこない?」
「……ヒスイ、一緒に寝よ」
「今日は3人で寝るぞー!」
こうして、紆余曲折あった俺の恋路は、一番平和で一番都合のいい結末に終わった。
結局のところ、俺の苦悩は半分程度も反映されることは無かったが、そんなことはもういいのだ。
全員が幸せになる選択を、ルリとタマユラが用意してくれた。
自分で決めるふりしてふたりに寄りかかってしまっているが、元々俺は大した男じゃないわけだし。
これから、ふたりを引っ張っていけるようなヤツになればいいんだ。
未来はきっと、輝いているから。
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