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第四章 『S級の恋慕事情』

62.『S級の恋慕事情:ルリの場合』

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「……はぁ。私ってほんと」

 性格が悪いなぁと、つくづく思う。
 ヒスイは望んでいるわけではないのに、困らせているのがわかっているのに、その優しさに甘えてしまう。

 一度それで喧嘩にまでなっていると言うのに。
 そして、ヒスイなりに答えを出してくれたと言うのに。

 全く、自分の浅ましさが嫌になる。
 諦めが悪いのは美点でもあるが、同時に欠点でもあるのだ。
 そして今回は、思いっきり後者に傾いている。

「そうは言っても、好きなら仕方ないんじゃないの?」

「……ん」

「あたしはやっぱりもう一度話すべきだと思うなー」

 一度結論の出た話だ。自分が納得できないからって掘り返してしまったら、ヒスイの思いを無下にすることになる。

 なんて、今の私が言えたことではないか。

「それにしても、まさか『白夜』さんがおにーさんのこと好きだとはね……」

「……そんな意外?」

「意外っていうか、『白夜』さんのこと全然知らなかったからさ」

 こうして私の話を聞いてくれているのは、B級冒険者のイヴだ。
 元々はヒスイの知り合いで、恩のある彼に会うためにこの街に来たという。

 本当はもうグローシティに帰っている頃だったが、存外この街の居心地が良くて滞在期間を延長しているとか。

 この前ギルドで偶然会った時、向こうから話しかけてきてくれた。双子の妹であるネスには相変わらず怖がられているようだが、イヴはこうして友達になってくれたのだ。

 今日は、イヴを呼び出して悩みをぶちまけている。

「……っていうか、ルリって呼んで」

「いいの?」

「……ん。友達だから」

 S級ということもあり、どうしても一歩引いて接せられがちだが、せめて友達にくらいは名前で呼ばれたいものだ。
 ……恥ずかしい話だけど、友達は少ないから。

 それはそれとして、問題はヒスイのことだ。
 ヒスイとしては、私とこれ以上の関係になるつもりはないのかもしれない。
 だけど、私は未練がましくアピールしてしまう。

 一度は控えようと思った時もあったが、最近の私は特に露骨だ。

 原因はふたつある。
 ひとつは、魔王軍七星バエルとの戦いだ。

 あの戦いはギリギリだった。
 ヒスイが覚醒したから勝てたものの、あの丸い部屋で初めてバエルと出会った時は死を覚悟した。

 それと同時に、いかにヒスイと言えども危うい橋を渡っていることを強く実感した。
 何かの間違いで、呆気なく死んでしまうかもしれないのだと。

 それに気付けば、一度塞き止めた私の気持ちが溢れてくるのは当然だった。
 後悔だけは、したくなかった。

 もうひとつは、『剣聖』の存在だ。
 ヒスイが『剣聖』に特別な感情を抱いているのは知っている。
 それは慕情なのか、はたまた別の何かなのかは分からない。

 たったひとつ分かっていることがあるとすれば、その気持ちは私に向けたものとは違う何かだと言うことだけ。
 そして、どうやら私へ向けた気持ちは異性への恋愛感情ではないらしい。

 ならば、ヒスイが『剣聖』に向けるそれが――と考えてしまうのも、当然だった。

 そして今、『剣聖』は私たちと共に暮らしている。
 近衛兵団長という立場を捨ててまで、ヒスイの元へやってきた。

 その焦りから『剣聖』への接し方が硬化してしまうあたり、私も子供だということか。

 あぁ、それともうひとつ。
 ヒスイにとって、『剣聖』は年上で私は年下だ。
 彼が年下に興味のないタイプだった場合、やはり私の恋慕が叶うことは無いだろう。

「……はぁ。自分が嫌になる」

「恋って大変なんだね。あたしにはまだ分かんないや」

「……それくらいの方が、苦しくないかも」

「そうかな。でも恋するルリさんを見て、なんかいいなぁって思うよ」

 いいものだろうか。
 ヒスイを好きになったことに後悔などないし、共に過ごせる時間は幸せでもある。
 だけどこの苦しさは、渦中にいないとわからないものだ。

「で、ルリさんはどうしたいの?」

 どうしたいとは、また無責任な問いだと思うけど。
 どうしたい、か。

 一番はもちろん、ヒスイと結ばれたい。
 ヒスイと想い合いたい。好きと言われたい。

 だけど、冷静になって考えれば、今一番やりたいことは。やらなければいけないことは。

「……『剣聖』と仲良くしたい」

 これしかないだろう。
 無意識に冷たい態度を取ってしまったり、素っ気なくしてしまったり。
 そのせいでパーティ全体の雰囲気が悪化したりするのは、一番よくない。

 しかも、もうすぐそうなりかけそうな雰囲気がある。
 主に、『剣聖』がギクシャクし始めたのだ。
 間違いなく私のせいだろう。なおさら、自己嫌悪が強くなる。

 勘違いしないで欲しいが、私は『剣聖』のことを嫌ってるわけでも、敵視しているわけでもない。
 ただこう、恋敵への接し方がわからなくて、戸惑っているのだ。

「え、タマユラさんもおにーさんのこと好きなの?」

「……多分」

「そりゃ、ちょっとマズいかもなぁ……」

 あまり表には出さないが、私にはわかる。
 時折、ヒスイを見つめる『剣聖』の顔が、私と同じなのだ。
 あれは、ヒスイに恋をしている者の顔だろう。

 それにしても、

「……何がマズいの?」

「あぁ、いや……その、おにーさん、もしかしたらタマユラさんのこと好きかも……」

「――!? え、な、なんで!?」

 心臓が跳ねる。
 会話の流れからして、それは異性としてという意味だろう。
 薄々、そうなのではと思ってはいた。
 だけど、こうして他人の口からも聞けば、信憑性はぐっと高まってしまう。敗北の足音が聞こえる。

「前ね、おにーさんがタマユラさんの名前を、ぼそっと呟いてるの聞いてさ」

「――そ、そうなんだ」

「無意識に名前をこぼすくらいだから、多分……」

 もう確定と言ってもいいだろう。
 ヒスイは、『剣聖』のことが好きなのだ。
 私に勝ち目など、最初からなかったのだ。

 結局、ヒスイにとって私は手のかかる妹枠に収まってしまっているのだろう。
 既にヒスイから告げられていたことだが、急に実感に変わる。背筋を汗が伝う感覚がする。

「あ、でもね、それってルリさんと出会う前の話だから……今は分からないよ?」

「――――」

「案外、ふたりとも大好きだー! なんて思ってたり……なんちって」

 そうか。なら、まだ可能性はあるかもしれない。
 今となっては、ヒスイは『剣聖』より私と過ごした時間の方が長いはず。

 いやでも、会わない時間が恋を育てると聞いたこともあるし――結局、私がいくら考えても答えは出ない。

 もういっそ、本当にふたりとも娶ってくれないだろうか――やっぱり今のなしで。なんかこう、すごく俗物的な発想だった。

 そりゃまぁ、私としては吝かでもないが、ヒスイや『剣聖』がそれを良しとするわけもない。
 一夫多妻という制度は、王国では一般的じゃないのだ。

 それに、できるなら彼の『一番』で『唯一』な存在となりたい気持ちは大いにある。

「ところで、ルリさんはおにーさんのどこが好きなの?」

「――――」

 どこが好き。改めて聞かれると、答えに詰まる質問だ。
 全部好き、なんて返答は求められていないだろう。

 あえていうなら、

「……最初は、変な人だと思った」

「あはは、わかるわかる。あたしへの第一声、拒絶と文句だったもん」

「……その後パーティに誘われて、しつこい人だと思った」

 まだ遠くない過去の話、思い出はスラスラと出てきた。

 しつこくパーティに誘われたこと。
 めんどくさい人だと思ったけど、すごく真っ直ぐな目をしてたこと。
 助けられたこと。優しいお説教をしてくれたこと。

「……それで、優しくて温かい人なんだなって」

「その時に好きになったの?」

「……ううん、その時はまだ。頼りになる、すごい冒険者なんだろうなって思ったくらい」

 なんせ、私からS級最強の称号を奪い去って行った男だ。
 それはもう圧倒的な強さで、どんな時も支えてくれるような正義感溢れる人なんだろうと思った。

 助けられた感謝と、尊敬はあっただろう。
 もしかしたら、既に恋慕もあったかもしれない。

 いや、あった。間違いなく好きだと思ったからこそ、セドニーシティ行きの馬車の中で初めて寄りかかったのだ。
 だけどあの時の慕情と、今の気持ちは少し違う。

 あの日、ヒスイが答えを出してくれた日。
 ヒスイにとってはそんなつもりじゃないかもしれないが、私にとっては振られた日だ。

 キッパリ振られたら諦めようと思っていた。
 事実、実質的には振られたのだ。
 なのに、私の想いは留まるどころか、その日を境にどんどん大きくなっていった。

「……ヒスイは、普通の人なんだって思った」

「普通……かなぁ。ぶっ飛んでると思うけど」

「……私も、完全無欠の超人だと思ってた」

 だけどあの日のヒスイは、私と同じだった。
 情けなくて、弱々しくて、悩み果てた、ただの人だった。

 それを見て、守ってくれる存在から、支え合いたい存在へと変わった。
 ヒスイは、私が思ってるよりもずっと、弱かった。
 そう思うほどに、どんどん彼が愛しくなっていった。

 少しばかり変化した『慕情のかたち』に気付いたのは、割と最近の話ではある。

「……同じ好きだけど違う好き。ヒスイの言ってる意味がわかった」

「崇拝から、愛に変わったって感じ?」

「……多分、そう。あの時の自分は気付いてなかったけど」

 今思えば、早まった真似をしたと思う。
 出会ってから日の浅い私に気持ちを吐露され、無理難題を押し付けられて。
 そんなヒスイを思うと、不憫で仕方がない。

 ただ、あの頃の私は、心のどこかでヒスイを崇拝の対象として見ていたのだろう。
 私を助けてくれて、暗闇から引っ張りあげてくれて。
 そんな英雄像を、私は彼に向けていたのだ。

 だからこそ、理想の彼に私のわがままを押し付けた。
 困りながらも答えを出してくれた彼を見て、本当の彼を知った。

 すると尚更に、私は彼のことが好きになってしまった。
 今度は崇拝対象ではなく、ひとりの男として。
 手を差し伸べてあげたくなる、ただの人間として。

 しかし、遅かった。
 ヒスイが答えを出してくれた後に本気で好きになったところで、そんなのは私の勝手でしかない。
 ヒスイが答えを出してくれたから気付いた慕情は、ヒスイが答えを出してしまったから叶わぬものとなった。

 だからと言って、あっさり諦められるほどに私は大人じゃなかった。
 そんなちぐはぐな感情が入り乱れて、最近の性格が悪い私が爆誕したというわけだ。

「本当におにーさんのことが好きなんだね。よく伝わってくるよ」

「……ん」

「応援はするけど、やっぱり最終的にはルリさんがやらなきゃね」

 その通りだ。相談に乗ってくれるだけでもありがたいが、それ以上はない。
 私ができることを、私がやらなくてはならない。
 後悔をしないために。

「……まずやるべきことは」

「タマユラさんと仲直りじゃない?」

「……別に喧嘩してたわけじゃないけど」

 皆が幸せになる道を探すために、話をしよう。
 無意識に『剣聖』との対話を避けていた私は、昨日に置いてきた。
 これから共に過ごす仲間だし、『剣聖』もヒスイのことを好きなら気持ちを共有した方がいい。

 これからのために、私は家に向かう。
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