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第三章 『異形の行進』
55.『スリル満点空の旅』
しおりを挟む俺は、朝が苦手なタイプだ。
血圧が低いのか、目が覚めてからしばらくは動くことが出来ない。
立ち上がることはおろか、目を開けているのさえもしんどいくらいだ。
でも、ぼんやりと意識が覚醒してきた感覚というのはある。薄らと「あぁ、目が覚めたんだなぁ」と思考を巡らせ、少しずつ血が全身を流れるのを感じるのだ。
そんな俺はというと、今まさに意識の覚醒を待っていた。たった今、眠りから目を覚ましたところであろう。
今日は一段と寝覚めが酷く、耳鳴りや頭痛までする。
だが、それだけではない。
暖かな陽の光と、爽やかな風が吹き抜ける。
まるで空を飛んでいるような心地の良さが、俺の全身を包んで――、
「いや、おかしいだろ!」
いかに朝の弱い俺でも、緊急事態を察知した時はその限りではない。
爽やかというには強く叩きつけすぎている風。
それから、この耳鳴りと頭痛は気圧からくるものだろう。
我慢ならずに目を開く。
すると、眼前には一面の真っ白な雲が広がっていた。
俺は、その雲に吸い込まれるように近づいていく。
「うぉおおお! 落ちてる! 落ちてるって! あのクソ神、やりやがった!」
あの悪心の言葉を信じるならば、この世界に直接干渉することはできないはずだ。
ならば、今まさに生身のスカイダイビングを繰り広げているこの状況はどう説明すればいいのか。
俺を絶体絶命の窮地に追い込んで、ほくそ笑んでいるとしか思えない。
「どうするどうするどうするどうする! さすがにこれはレベル関係なしに死ぬ――!」
『――願えばいいのです』
と、あの性悪の言葉を思い出した。
俺のスキルは『レベルに関係するスキルを習得する』というものだから、高所からの落下に絶えられるようなものが手に入るとは考えづらい。
だけど、もうそれに賭けるしかなかった。
「――クソ、願え願え願え願え願え!」
なんでもいいから、このピンチを脱するためのスキルが欲しい。
いやほんと、マジでなんでもいい。とにかく、命が助かりさえすればなんでもいいから――!
『――レベル上限の制限回路が解除されました』
「なんだそれ! ホントにそれ今必要だった!? 多分レベルが1万あっても死ぬと思うよ!?」
推定高度数千メートル。
そんなところから地面に叩きつけられたら、形も残らずに粉砕されるだろう。
悠長にレベルを上げている場合では無いのだ。
1、2分もすれば、俺は再び天に昇ることになる。
『――それに伴い、パッシブスキル【大地からの恵み】の進化を実行します』
「――わかった、信じるから早くしてくれ!」
俺の【万物の慈悲を賜う者】がそれを答えと定めたのなら、もう信じるしかない。俺にはどうすることもできないからね。
だからせめて、なるべく早く終わってくれ。
『――レベルアップしました』
『――レベルアップしました』
『――レベルアップしました』
『――レベルアップしました』
「うるせぇな! 一回にまとめて言ってくれ! さっきよりだいぶ地面近いよ!?」
気付けば、既に雲は見えない。
見渡せば、清々しいほどに青い空と雄大な山々。それから、街のような集合や木々があるようだ。
そろそろ、タイムリミットは近いらしい。
『――レベルアップしました』
『――スキル【重力操作】を獲得しました』
「――それだ!」
レベルアップの特典か、それ以外の要因かはわからない。
だけど、俺が今一番必要なスキルが手に入ったわけだ。
信じてよかった、【万物の慈悲を賜う者】さん。
使ったことのないスキルなので、俺は慎重にそれを行使する。
「――【重力操作】」
発動と同時に、大地に引き寄せられる感覚が止まる。
少しずつ、様子を伺うように込める魔力を増やしていく。
すると、加速し続けてきた俺の体が、何の抵抗を受けたわけでもなく速度をゆるめ、ついにはその場に止まった。
空中でピタリと静止したのだ。
かと思えば、今度は空に引っ張られるように、落ちてきた方向とは逆に加速しはじめた。
世にも珍しい、空に落ちる男である。
「ちょ、逆逆逆逆――! 帰らなくていいから! 空に未練はないから!」
どうやら魔力を込めすぎたことが原因らしいことを察知した俺は、少しずつ魔力をゆるめていく。
すると、ついに理想の速さをキープしながら大地に向かって進み始めた。
ふわふわと舞うように落ちる俺は、早くもじれったさを感じている。
「これ……まだ数時間かかるな」
死の危険が無くなったことには安堵したが、こんなペースで落ちていては日が暮れてしまう。
やらなくてはいけないことを考えると、とてもじゃないが待っていられない。
こうなったら、プランはひとつだ。
一旦この【重力操作】を切り、地面スレスレでもう一度使う。落下の衝撃のみを和らげることが出来れば、最速で地に足をつけることができるだろう。
使い慣れないスキルを行き当たりばったりの使い方をするのは正直なところ怖いが、こうも時間がない中では、もはやそうするしかない。
「よし、いくぞ――!」
フッと、込める魔力が0になる。
それと同時に、再びスリル満点の空の旅が始まった。
地面までは20秒といったところか。
15秒経ったところでこのスキルを使えば、無事に無傷で生還することが出来るだろう。
――12、13、14。
「よし、ここだ! ……あれ? ちょっと魔力が足りなかっ――おごぉ!」
勢いは、ゆるみはしたものの殺しきれず。
俺は、無事に地面と熱いキスを交わすこととなった。
歯が欠けていないか心配ではあるものの、まぁなんとか生きている。結果オーライだ、結果オーライ。
「いてて……」
「……ヒスイ!?」
体中にこびりついた土煙を落としていると、聞き馴染みのある声が飛び込んできた。
俺の分析によると、焦り3、心配2、驚き4、呆れ1といったところか。え、なんで呆れてるの?
「――ルリ。無事だったか」
「……ヒスイの方が無事に見えないけど」
大事なパートナーとの再会を思わぬ所で果たし、安堵感が溢れてくる。
ふたりとも生きていられたなら万々歳だ。
「……なんか落ちてくると思ったら、間抜け面だった」
「言い過ぎじゃない!? なんか怒ってる!?」
「……怒ってない。本当に無事でよかった」
ルリは歩幅の狭い足で駆け寄ってくると、俺を抱きしめた。
身長や体格の差を考えると、抱きついてきたと言う方が正しいような気もするが……とにかく、精神的には抱きしめられた感じだ。
本当に、どちらかが死んでいてもおかしくないことがあったのだ。こうしてルリの温かさを感じられているのが何よりの幸福だ。
「再会を喜ぶのはこの辺にして……ルリ、急いでセドニーシティに行かなきゃいけない。バエルたちが攻めてきてるらしいんだ。……っていうか、ここどこ?」
「……セドニーシティから北へ7、8キロメートルのところ。ヒスイなら走ればすぐ着く。……ん」
そう言って、両の腕をこちらに伸ばすルリ。
なんだこれ、握手でもすればいいのかな?
「…………おんぶ」
「……かわいいなぁ、お前」
ルリの身体能力は、そこらの冒険者に比べたら優れている方だろう。
だけど確かに、俺がルリを抱えて全力疾走した方が圧倒的に速い。
それを分かっていて合理的な判断を下したのが3、シンプルにおんぶされたかったのが7かな。
ルリと露骨に目が合わないのも、確信犯である証拠だ。
「しょうがないなぁ、ほら」
「……よいしょ」
「それは俺のセリフだよね?」
ルリに背を向け、腰を落とす。
それを見たルリがちょこちょこ歩いてきて、俺の背中にどっかりと乗っかった。
女の子をおんぶするとなったら、ちょっとばかし気になってしまうところがあるが、ルリに関しては大丈夫だ。
厚手のローブを着ていることもあるし、なにより当たる部位がない。
さて、このまま走り出してもいいんだが――せっかくだ。手に入れた【重力操作】を使って、空から向かった方が速いだろう。
スキルの練習にもなるし。
「……ちょっと待って。さっき落ちてたよね?」
「なぁに、大丈夫だよ。2回目だし、そのための練習でもある」
「……私を実験台にしないでほしい」
「一蓮托生だろ? 大丈夫大丈夫、多分」
魔法の言葉をルリに告げ、俺たちは大空に向かって駆け出した。
目指すはセドニーシティ、超特急だ。
「――ひゃっほぉぉぉぉう!」
「――ぁぁあぁあぁあぁあ!」
ルリと見る初めての景色に、俺は胸が踊る。
一緒に見る景色は、世界中にまだまだたくさんある。
それを守るために今、俺たちは向かうのだ。
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