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第三章 『異形の行進』

48.『その目がたまらなく――』

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「この世界は誰のものだか分かりますか?」

「……誰のものでもない、だろ」

「あぁ、それは実に優等生の答えですね。しかし、みな薄々は感じているはずです。この世界は人間のものですよ。人間が支配し、人間が統治する。数の増えた魔物は殺し、住むために自然は壊す。ええ、当然です。だって人間は強いのですから。強き者が支配するのは当然のことです」

「――皮肉か? つまり、これからは人間よりも強いお前らが支配する、ということか?」

 ふざけた理論――と切って捨てることも出来ないかもしれない。
 確かに人間は、実に利己的かつ排他的な理由で、他の種を淘汰してきた。
 もう二度と見ることの出来ない景色はいくらでもある。

 だが、別に面白半分でそうしてきたわけじゃない。
 生きるために、住むために、最低限を行使してきた。
 住む場所がありながら、人間憎しの感情のみで理不尽な侵攻を企てるお前らとはやはり違う。

「概ねはおっしゃる通りです。我々が、次世代の支配者となる。人間よりも強いからです。――ただし、例外もある」

「例外……?」

「あなたですよ。あなたは明らかに人間を超越している。あなたであれば、魔王様がお造りになられる新しい世界でも生きていけるでしょう」

「――――」

「魔王軍七星であるアスモデウスを下し、私の最高傑作である素体.46すらも無力化した。あなたでしたら、魔王軍七星の座に着くことも容易いはずだ」

 まさか、本気で勧誘しているのだろうか。
 答えは決まっている。そんなことで靡く理由がない。
 しかし、この場で戦ったところで勝ち目が薄いのも事実。

 ――魔王軍七星バエルのレベルは、700を超えている。

 ここはひとまず軍門に下るふりをして、この場をやり過ごすべきなのではないだろうか。
 そんな考えが脳裏をよぎったものの、いくらふりでもそんな真似はできない。

 S級である以前に、ルリの前でそんな無様を晒したくないという、これまた利己的な理由が大きいが。

「――どうでしょう? 我々と共に来ませんか? 本来であればこのように口説く真似はしないのですが、あなたは魔王様のお気に入りだ。特別ですよ」

「断る」

「――残念だ」

 交渉が決裂すると同時に、目の前が歪む。
 地面を蹴り出す前に大きな次元の歪みに飲み込まれた俺は、少しずつ意識が遠のく。
 クソ、ここまでなのか。この程度しか、俺は出来なかったのか。俺のせいで世界は滅ぶのか。
 ――クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ。

「――あぁ、別に殺しはしませんよ。運が良ければ元の世界に帰れるのではないでしょうか。なんせ、『鏡の世界』の中でもこの部屋は危うい均衡で成り立っていましてね」

「――スイ!」

「――――」

 隣に目をやると、大気に現れた紫色の裂け目にルリが飲み込まれていくところだった。
 きっと俺も、同じようにこの世界から消えていくのだ。

 その後で、本当に運が良ければ元の世界に。
 運が悪ければ、死ぬことも無いまま無限の虚無の中で生き続けることになるのだろう。
 丁度、そこの化け物と似たようなことになる。

「――おや。まだ飲み込まれませんか。あの魔法使いはもういなくなってしまいましたよ? よっぽど世界に好かれているらしい」

「――――」

「選別というわけでもありませんが、ひとつだけお教えしておきましょうか。私はこれから、あなたの街に大量の素体を送り込みます。我々の――魔王様きっての頼みを蹴ってまで帰りたい街だ。精々、足掻くといい」

「――――」

「あれ? フラれちゃった?」

「――これは魔王様! 私としたことが、気付かずに……大変失礼いたしました」

「いいよいいよ。――ふーん。君がヒスイ君か。初めまして、聞こえるかな? 僕は魔王。こう見えて、君の何十倍も歳上なんだ。まぁ、知ってるよね? アスモデウスが喋ってたから」

 俺の脳を活発にさせたのは、この目を覗き込む銀色の瞳だった。
 雪のように白い肌と、透き通るような白髪を揺らす男は、無垢な少年にも見えた。

 魔王――魔王。
 こいつが、魔王か。

 薄れゆく意識の中で、強い執念がその姿を強烈に記憶した。待ってろ、いつか必ずお前を――。

「――あぁ、いいよぉ。その目、その目が――たまらなく愛しい。ふふ、いつか僕を殺しに来てくれるのかな? でもダメ。今の君じゃ、僕には勝てないなー。人間は全員殺すけど、君と君の仲間がどうなるかは、全部君にかかってるんだよ。頑張ってね、ヒスイ君」

「――――」

「抜けられるといいね、亜次元」

 辛気臭いこの部屋に最も似つかわしくない笑顔が、ここで俺が最後に見た景色となった。



「――っ、はぁ!」

 心臓が鳴り止まない。
 あの場でたった一言さえも出せなかった私は、酷い自己嫌悪に陥る。私は、役立たずだった。

 ただ本能が「勝てない」と震え上がってた私より、相手のレベルをはっきりとその目に見ていたヒスイの方が、よっぽど怖かったはずなのに。

 ――戻ったら、ヒスイにお説教されてしまう。
 ――大丈夫、ヒスイはきっとお説教をしてくれる。

 こんなところでいなくなってしまうような人間じゃない。大丈夫、大丈夫だ。

「ヒスイぃ……」

 大丈夫なはずなのに、どうしてこんなに不安なのか。
 どうして、目頭に水が溜まっていくのか。

 ここはどこで、自分は何をするべきか。
 それを考えるよりも、どうしてこんなことを考えてしまうのか。

 大丈夫、大丈夫、大丈夫。
 ヒスイは大丈夫。
 やるべきことを、やらなきゃ。

「ここは……」

 薄暗い場所だ。そして、狭い。
 古い木の匂いが鼻に触れる。
 察するに、物置小屋のような場所にいるらしい。

 手探りで探ると、戸のようなひっかかりを見つけた。
 ゆっくりと開けると、飛び込んできたのは見覚えのないオンボロ家屋の庭だった。

「うおっ! あんた誰だ!? いつからそこに入ってたんだ!?」

 薪を割っている家主らしき人物と、丁度出くわしてしまったようだ。
 とにかく謝るのが正しいとは思ったが、今はそんな時間も惜しかった。

「――ここはどこですか?」

「どこって、俺ん家だよ。どこから入ってきたんだ?」

「――近くに、街はありますか?」

「ここから南に10キロメートルくらい行けばセドニーシティがあるが……馬車も通ってねえし、行くのは中々大変だよ」

 よし、運良くセドニーシティの近くに出られたらしい。
 とにかく、あの街へ戻る。
 そして、ヒスイを待つのだ。

 悔しいが、それしかない。
 ヒスイなしであの男を倒せるほど、私は強くない。
 その間街を守りながら、ただヒスイの帰りを待ち続けるしかない。

「――ありがとうございます」

「ちょっと待て、あんた……行っちまったよ」

 あるいは、ヒスイの方が先に戻っているかもしれない。
 先に飲み込まれたのは私だったが、ヒスイならあっという間に帰ってきていても驚かない。

 待つ。走る。待つ、走り続ける。
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