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幕間『剣の頂』
『剣の頂』
しおりを挟む渓谷。
刺すように冷たい風が叩きつける、人知を超えた大自然のど真ん中。
その中に、女は――女たちはいた。
「まさかこのような辺鄙な場所に集落があったとは……」
「辺鄙で悪かったな! でもここが、剣の頂だ」
故郷の街を旅立って数刻。
見切り発車すぎた自分探しの旅は、隣の小さな街で終わった。あての無い旅路は、実に短いものだった。
なぜなら、そこにこの旅の答えがあったからだ。
灯台もと暗しというかなんというか、ともかく拍子抜けであった。
『剣の頂』と呼ばれる集落がある。
そこには、世界最強を求める剣士が集い、世界最強と呼ばれる剣豪に教えを乞うという。
正直、御伽噺か何かだろうと思っていた。
だって、セドニーにいた時はそんな集落の話など、噂程度も耳に入ったことがなかったから。
隣街で初めて『剣の頂』の情報に触れ、半信半疑で辿り着いたのがこの渓谷の中にある集落だということだ。
いや、それだと少し端折りすぎている。
実際のところは、『剣の頂』の話を初めて聞いてからここに辿り着くまでに相当な苦労をしたのだが、まぁそれはいい。
「で、姉ちゃん名前は?」
「タマユラ。家名は……ここでは必要ないでしょう」
「そうか。まぁ、じいちゃんに会わせてやるよ。あ、ビビってチビるなよ?」
猫目の少女は、私よりも一回りほど背の低い女の子だ。
なのだが、目付きといい体の運び方といい、突き刺さるような鋭さと熟練された重みがある。明らかにその辺のかわいい女の子で済まされる人物ではない。
渓谷の横っ腹に掘られた洞穴に招かれ、一番奥の部屋まで案内される。
無理やり開けたであろう横穴。
いつ崩れるのではないかと心配だったが、案外中は広々しくて快適な作りになっている。
「この先にいるのが、ウチのじいちゃん。大剣豪ディランだ。生半可な覚悟じゃチビって気ぃ失うけど……うん、姉ちゃんなら大丈夫そうだな」
おあいにくさま、覚悟なら済ませてきている。
それこそ生半可な覚悟では、あの人の隣になど立てるわけがないからだ。
大剣豪だって、私は越えていかなければならない。
私が目指すのは――、
「…………おめぇが客人か」
そこに座っていたのは、齢60は過ぎているであろう壮年の男だった。
想像していたよりも小さく、筋肉も少ない。
右の額から頬までに大きな一本の傷があり、その通り道にある右目は機能を失っているようだった。
体つきは小さくても、身体中から溢れる剣気が尋常ではない。
戦闘に縁のない者は気付かないだろう。
私のように、鍛えた者であれば耐えられるだろう。
だが、中途半端な覚悟でこの壮年の男の前に立った者が一体どうなったのか、想像にかたくなかった。
「……私はタマユラ。貴方に剣の指南をお願いしたく参りました」
「外、見たか」
「外?」
「俺の弟子たちだ。毎日毎日何十時間も、必死に剣を振ってるだろう」
この洞穴の外には、多くの剣士が一心不乱に剣を振っていた。
当然、それは見ている。
だけど、なんというか。
私は彼らを見て、言い知れぬ違和感を感じたのだ。
まるで、心が入っていないような。
「30名ほどでしょうか。この剣の頂で鍛錬を重ねる者を見ました」
「あれはな、才のない奴らだ」
「……才のない、ですか」
「あぁ、一生かけて剣を振るっても、俺どころかおめぇ程度にもなれねぇ。そんな可哀想な連中だ」
だから、あの鍛錬には意味を感じなかったのか。
ただ無心で剣を振ってるだけで最強になれるなら、私だってわざわざこんな所に足を運ばない。
でも、彼らは夢を見て剣を振り続ける。
いつか頂を見るんだと。この男を越えるのだと。
そんな未来は来ないのに。
なんと酷で、哀しいことだろう。
「剣の才能ってのは、一目見れば分かる。おめぇは、持ってる女だ。なにより、その腰に差した黄金色の剣。見覚えがあるなぁ」
「……先代より、授けられた物です」
「まぁそんなことはここじゃどうでもいい。気にならねぇか? じゃあ、俺が才を見出した者はどこで何をしてるか」
この場にいる数十名の剣士が才のない者ならば、この男を越えんとする者はどこで何をしているのか。
――私は、どうやって強くなればいいのか。
確かに、私の知りたいことはそれだった。
「全員、死んだよ。剣の頂に辿り着く前に、己の剣が折れちまった。誰も俺には辿り着かねぇんだ。それじゃあ最強になんてなれやしねぇ」
「――」
「おめぇは、何故最強を求める?」
そんなの、決まっている。
いや、その問は、間違っている。
「――私は、最強を目指していません。本物の強さを目の当たりにしたからです。『最強』とは、私の事ではない。ましてや、貴方ですらない」
「――――ほう。ならば尚更だ。なぜここに来た? お前が居るべきなのは本当にここなのか?」
「私には、隣に立って剣を振りたい人がいます。そのためには、剣の頂に辿り着く必要がある。振りたい剣を振るために、全ての剣士を越えなくてはいけない」
「剣じゃ最強には届かないって言うのか……」
そう言って、大剣豪が考え込む。
今の私の言葉は、ともすれば剣への侮辱になる。
この場で切り捨てられても仕方ないほどの暴言だっただろう。
でも、私の言葉に偽りはない。
私が私のために剣を振る。そのために、剣を極める必要があるのだ。
「……男か?」
「――はい」
「……くく。おもしれぇ。俺は、剣こそが最強に至る強さだと信じている! 俺は俺のためにおめぇに剣を教える! おめぇはおめぇのために、この俺を越えてみせろ!」
「……ありがとうございます」
私の想いも無礼も一身に受け止めて、男は――大剣豪ディランは高らかに笑う。
この場所こそが、私が彼の隣に立つための第一歩なのだ。
■
「このトカゲはここら一帯を根城にしている。積極的に殺しはしねぇが……こっちも生きるためだ。博愛主義が行き過ぎて食うに困るのも阿呆らしいだろ?」
「こ、れは……トカゲというか……」
ディランに案内されて向かったのは、集落から数十分ほど歩いた所だ。
人の気配が遠くなるにつれ、少しずつモンスターの数が増えていく。
と思えば、またモンスターの気配が薄くなる。
ここに辿り着いて、その理由が明白になった。
「バーミリオン・ベビー……」
かつての因縁のモンスターが、見渡す限りで十数体ほど羽を休めていた。
こんなのが闊歩していたのでは、大半のモンスターは住みつけないだろう。
「どうした? トカゲの肉は嫌いか?」
「いえ……」
「選り好みしてちゃここじゃ生きられねぇぞ。そうだな――2体だ。狩ってみろ」
「なっ――!?」
1体ですらひとりでは仕留めることが出来なかったモンスターを、2体。
そんなの、無理に決まっている。
こんな無茶な訓練ばかりさせていたら、そりゃ誰も残らないわけだ。
「おめぇよ、剣で一番大事なのはなんだと思う?」
と、突然そんな難題を投げかけられる。
こちらはそれどころではないが、必死に頭を回転させる。
「やはり……才、でしょうか」
「お、わかってんな。その通りだ。残念だが、才のない奴はどれだけ足掻いても強くはなれん」
我ながらいやらしい答えだったが、これは散々身に染みてわかっていることだ。
剣聖という才を持ち、苦難を続けてきた私だから。
「でだ。才ってのは前提だ。これがなけりゃ話にならん。じゃあ、才のある者はどうしたら強くなれる?」
「……技術を、磨けば」
「ハズレだ。技術っていうのも才のひとつだ。特訓の末に誰よりも速く剣を振れるようになった奴でも、完璧なカウンタースキルを持つ者に負ける。技術ってのは、生まれ持ったスキルのことだ」
「――ならば、どうやって」
「心だ。最後に差をつけるのは、己に燃やし続ける心の強さだ。おめぇがどういった経緯でこの場所に辿り着いたかは知らんが……今のおめぇは、ちょっと前のおめぇより遥かに強い心を持ってるんじゃねぇのか?」
私がこの場所に辿り着いた理由。
それは、彼の隣に立つため。
彼の隣で剣を振るため。
悩み、足掻き、彼の前から姿を消してまで強さを求めた。
それも全部、彼の隣に立つために。
強い心で、それを願ったから。
「ほら、やってみろ」
今の私ならば。
過去の私を越える強さがある。
越えたい想いがある。
「――【黎光一閃】!!」
だから、驚くほどすんなりと理解した。
きっと、この一閃はあの日の己を越える一撃だと。
――自分でも知らないうちに、強くなっていたのだと。
――ヒスイ。もう少しだけ、待っていてくれますか?
勝手に飛び出した私を、許してくれますか?
もし、ヒスイにとって私がなんでもない存在でも。
もし、特別な感情を抱いているのが私だけだとしても。
私は、ヒスイの隣に立ちたい。
だから――――、
「……おいおい。いくらなんでも消し炭にしちまったら食えねぇよ」
「――――」
「次の1体はなるべく食える場所を残しておいてくれよ?」
私は、たったひとりでバーミリオン・ベビーを倒したのだ。
きっと今もなお強くなり続けているヒスイにとってはなんでもない事かもしれないけど、こんなことで喜んでいたら笑われちゃうかもしれないけど。
少しだけ、ほんの少しだけ貴方に近付いたことが、今は心から嬉しい。
あ、それと――、
「師範。最後に差をつけるのは心、と仰いましたが……それは間違いですね」
「――なんだ?」
「最後に差をつけるのは、レベルです」
「……そりゃ、元も子もねぇなぁ」
私はもう暫く、強さを求めて足掻こうと思います。
剣聖という肩書きも、S級冒険者という重荷も捨てて、ひたむきに。
大丈夫。ヒスイへの想い――心の強さなら、誰にも負けませんから。
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