万人の災厄を愛して

三石成

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第一章 竹林の家

三 図面

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 月光に照らされた端正な顔からは、再び表情がなくなっていた。握りしめたままの刀を持ち上げ、その切っ先を号の鼻先へと突きつける。

「浄に人殺しをさせないためにお前を助けたが、わたしはお前のことも許せない」

 思いもよらなかった藤の行動理由を聞き、呆然としていた号は藤を見上げた。

「何がだ」

「何が、だと? 嶋さんは武力を持たぬただの民間人だった。それはお前にだって分かっていたはずだ。護身用の短刀さえも持たぬ者を、お前はできもしない、復讐を遂げたいという身勝手な理由で拷問して、殺したのだ」

 藤の、努めて感情を払拭しようとした顔立ちには、歪んだところが一つもない。けれども、黒曜石のような黒々とした瞳に宿る、明確な怒りは読み取ることができる。

 号はきゅっと眉根を寄せた。

「俺の気持ちが、お前に分かるか。仇を討つと組を出ていったはずの、村の誰よりも優秀だったお前が、その仇に寝返ったと聞かされたんだぞ」

「知ったことか。その話を誰から聞いたのか答えろ。わたしたちが松柏ホの近くにいるという情報は、どうやって得て嶋さんに辿り着いた?」

 号の心の内などは意に介さず、藤は気になっていたことを問う。号は下唇を噛んで押し黙った。

 その反応は藤も想定していた。忍が捕まった後に組の情報を漏らすなど、あってはならないことに決まっている。藤は号のまげをむんずと掴むと、そのまま強く引っ張った。幾本かの髪がぶちぶちと切れた感触がする。

「お前が嶋さんにしたように、わたしたちの村のやり方で拷問して欲しいというのなら、喜んでしてやるが?」

 髪を引っ張られ、持ち上がった頭皮に近い額に、藤は刃を薄く触れさせる。傷ついた皮膚から浮かんだ鮮血が頬を伝い、号の喉から、ヒュウッとか細い息が漏れた。

「やめてくれ、藤」

「わたしは今、どこの組にも所属していない。お前が情報を漏らしたところで、六堂の不利益にもならん。早く吐け」

 藤が変わらぬ声音で問い詰めると、号は僅かに震えた後、口を開き始めた。

「朝廷が、武力組織の討伐計画を企てているという情報が流れた。六堂と白虎はそれに対抗して、今は同盟関係にある。そこで俺は白虎の組員にお前のことを尋ねて、お前が、我らが仇である男と共に逃げたという情報を得たんだ」

「六堂と白虎が同盟だと? ありえない。そんなこと、不可能だ」

 号の言葉に、藤は眉根を寄せた。

 この世の土地は、深く抉れた勾玉に似たような形をしている。勾玉の穴を上に、全体が左側に曲がるように置いたとする。

 穴の部分を朝廷がある都だとして、現在藤たちがいる松柏は穴の左側の部分と、海に浮かぶ多くの島々を支配下に置いている。六堂は穴の右側から丸みに沿った土地を持ち、白虎は下側の残りの部分すべてを掌握している。

 その位置関係的に、血気盛んな白虎が狙うのは、地続きの六堂側の土地が多い。白虎から直接松柏に攻め込むには、海を渡って行く必要があるためだ。

 松柏、六堂、白虎の三組織はそれぞれに対立しているが、特に六堂と白虎の因縁は深い。藤には、その二つの組が同盟を結んだことが信じられなかった。

「朝廷や松柏に察知されてはまずいので表立ってはいないが、事実だ。白虎がお前に、その仇の暗殺を命じていたというのも聞いた」

「わたしが六堂タ出身の忍であると、知られていたのだ」

 藤が事情を口にすると、号は先にそれも聞いていたのか、激しく頷いた。その必死な様子を見て、藤は号の髪から手を離し、ずっと抜き放ったままだった刀を鞘に納めた。

 刃の脅しから開放された号は、少しだけ緊張を和らげながら、言葉を続ける。

「お前たちを向かわせた任務地が松柏ソ近くの集落だから、そのまま松柏の地に潜んでいるだろうと言われた。それで、俺はここまで探しに来たんだ」

「大方、俺と浄の噂でも辿ってきたか……痕跡は残さぬようにしてきたつもりだが。そういえば、お前は情報収集だけは得意だったな」

「へへっ、まあな。お前みたいな色男は探しやすくて助かるぜ」

 どこか自慢気な様子を、藤は睨み据える。

「それで、嶋さんからこの家の情報を記した図面を奪っただろう。どこに隠し持っている」

 今度の問いかけに、号はすぐには答えなかった。ただ、藤が面倒そうにため息をつきながら、再び刀の柄に手をかけるのを見て、慌てて口を開く。

「お前があの男をどうするつもりなのかは分かった。だが俺とお前で、あいつが寝ている今襲えば、復讐を遂げられるのではないか。あいつを殺して、俺と共に六堂へ帰ろう」

 畳み込むような台詞に、藤はゆっくりと目を閉じた。そして、首を振る。

「浄を殺すのは無理だと言っただろう。たとえ千人の刺客が同時に襲ってきても、あいつは全員を返り討ちにする。そういう化け物なのだ」

「そんな馬鹿な」

 藤の誇大表現だと号は笑ったが、藤の顔は真剣そのものだった。ひとしきり笑った後、号の表情が引き攣る。

「藤、いくら仕方ないとは言え、お前はあいつと共に過ごしていて平静でいられるのか。憎くはないのか」

 藤は長い睫毛を重たげに上げ、号を見た。そして、ひどく穏やかな表情で微笑む。

「お前は刀で斬られたら、その刀を恨むのか」

 号は、はっと息を呑む。藤は言葉を続けた。

「浄に人殺しの意思はない。恨むなら、刀を振り下ろした人間の方だ……図面の在り処を言え」

「図面は……ここに来る前に、宿の者に託した。もし俺が子刻になっても戻らねば、用意しておいた手紙と共に六堂へ仕立飛脚を出せと」

 気まずそうに言葉を濁しながら話す号の言葉に、藤は瞠目した。すでに現在時刻は丑刻、図面と手紙は飛脚に託されてしまっている。

 藤はすぐさま踵を返し、厩へ向かって走った。

「藤、もう間に合わんぞ!」

 縛られ放置されたままの号の声が竹林に響いたが、藤の耳には届いていなかった。
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