万人の災厄を愛して

三石成

文字の大きさ
上 下
3 / 36
第一章 竹林の家

一 予兆

しおりを挟む
 家から半刻ほど馬を駆り続けると、ようやく近くの村に辿りつく。

 この『松柏しょうはくホ』と呼ばれている村は、漁業を主な生業としながら、他の地からの物流もあり、賑わう漁村である。村へ入っただけで、特有の潮の香りが漂ってくる。通りを行き交う人々の声や生活の音に満ちていて、活気があった。

 村中心部の市へと差しかかると、藤は鹿毛から降りて手綱を引き始める。

「あら藤さん、ちょっと寄っていってよ、良い魚が上がっているわよ」

「今日もお米はうちで買っていってね」

「藤さん、お酒は足りているの? おまけいっぱいするわ」

 藤の姿を見て、さっそくあちこちから声がかかる。市で物を売っているのは大半が女で、食料品においては、買いに来るのも大多数が女だ。そんな中で、一人買い出しに来る若い男の藤は珍しい。その上、彼はいつも清潔な身なりをしていて見目好く、女たち皆に礼儀正しいので、ここではかなりの人気を誇っている。

 外行きの微笑みを浮かべた姿からは、先程まで彼が男に組み敷かれていたとは、とても想像できない。

「おはようございます、椿つばきさん。良い魚って何ですか?」

「ほらこれ、姫鯛よ。味がとってもいいの。今日は藤さんが来るだろうからって、とっておいたんだから」

 呼び込みにつられて魚屋へ向かう。示されたのは、桶に入った赤い魚だ。新鮮さは、澄み切った大きな目を見ればすぐにわかる。

「ああ、良さそうだ。ではいただきます。あと、いつものように干物をいくつか見繕ってください」

「はいよ、まいどあり」

 藤はおよそ五日に一回の頻度で、この村まで買い出しに来る。新鮮な魚はその日のうちに食べてしまい、後は干物の魚が主な食事だ。魚を包んでもらっている間、袂に手を入れ財布を出した藤は、村の中の微かな違和感に気づいた。

「今日は見慣れない人が多いですね」

 いつもはほぼ女しかいない市だが、今日は男の姿もちらほらと見かける。けれども男たちの様子からいって、買い物をしに来たというわけではない。彼らの表情は険しく、商品ではなく、通りを歩く人々の方を観察している。

「おとといの夜に、強盗殺人があったのよ」

 馴染みの魚屋である椿の言葉に、藤は軽く眉を寄せた。この村は治安が良く、いさかいごともほとんど起こらない。そんな村の中での強盗殺人とは、おおごとだ。

「それは物騒ですね。どなたが亡くなったのですか」

しまっていう大工さんよ。知り合いだったかしら?」

 藤は首を振る。だが、これは嘘だった。

 他言無用を頼み、藤と浄の今住んでいる家を建ててくれたのが、他ならぬ嶋である。まさかここで聞くことになるとは思わなかった名前に、無意識に藤の瞬きの回数が増える。だが椿は藤の戸惑いに勘づいた様子もなく、話を続けた。

「嶋さんもあんまり愛想がいいお方じゃなかったようだからね、知り合いも少ないみたい。まあでも、強盗殺人なんて起こったものだから、昨日から松柏の人たちが犯人を探してくれているのよ」

 「なるほど」と藤は頷いた。噂話をしながらも手は動かし続けていた椿から、品物を受け取って代金を支払う。

 この世は表向き、帝が司る朝廷が治めていることになっている。しかし実際は、「松柏」「六堂りくどう」「白虎びゃっこ」という各々独自の武力を持つ三つの組織が、勢力を争いながら各地を取り仕切っているのだ。

 ここ松柏ホは、松柏組が治める五番目の村という意味である。朝廷から与えられている昔ながらの「鳴海村なるみむら」という地名があるが、今はそんな名前で呼ぶ人間は誰もいない。

 名目上の話をすれば、武力組織は不当に村々を支配下に置き、民から金品をせしめているぞくということになる。

 だがしかし、組は警察としての機能を持ち、日頃から治水や道の整備なども行い、有事の際には民を守る。いっぽうで、朝廷は一〇〇年も前から政治を放棄し、都に閉じこもって贅の限りを尽くしている。

 組への上納金と朝廷への年貢、その両者に苦しめられた民の怒りは、武力組織ではなく朝廷へ向いている。

 民からすれば、自分たちには何もしてくれないにも関わらず、年貢だけを要求してくる朝廷の方を嫌うのは当然の摂理だ。

「早く犯人が捕まってくれたら安心できるんだけれど。藤さんも確か村の外れの方に住んでいるのよね、気をつけてね?」

 椿の言葉に、藤は曖昧に微笑み、「ありがとうございます」と感謝を述べて店を後にした。藤の住んでいる場所は、殺されたと噂の嶋以外、誰も知らないのだ。

 その後もあちこちの店に寄り、米や野菜、酒に調味料、油と必要な食料と必需品の買い物を続け、品物を鹿毛につけた籠へ入れていく。

 普段であれば、藤は買い物を終えると、真っ直ぐに来た道を戻って家へ帰る。だが今日は鹿毛を引き、村の中を通っている川辺の方へと向かった。

 護岸に沿って歩いていくと、次第に松柏組らしき男たちの姿が増えてきた。

 藤は、道端で独楽こまを回して遊んでいた少年へ声をかける。少年の身なりからいって、そう貧しい家の子でもなさそうだと踏んだ。

「坊、ちょっとここで、わたしの馬の番をしてくれないか。四半刻も経たずに帰ってくるから」

「馬を見ていれば良いの?」

 問いかけに頷き、藤は少年の手に四文銭を二枚乗せる。

「そうだ。馬を受け取りに来る時、倍払う」

 少年はキラキラと瞳を輝かせて四文銭を見ると、大きく頷いた。たいした金額ではないが、少年にとっては十分な駄賃だ。

 藤は少年に鹿毛の手綱を握らせると、人波の中へと紛れていく。

 向かったのは、嶋の家である。製材所の横に構えた大きな一軒家へとさしかかると、その玄関前に男が一人、見張りで立っているのが見えた。勝手口の方にも一人立っている影がある。事件が起きた家を、松柏組が警備しているのだ。

 藤はそれを、家の方へは視線を向けずに視界の端で確認する。そうして、立ち止まることなくそのまま通り過ぎた。少し大回りをして通りを抜け、嶋の家の側面にあたる路地に身を滑り込ませる。

 人々の視界から遮られた空間に入った途端、藤は地面を蹴った。常人ならざる跳躍力で一階の軒に手をかけると、さしたる苦労もなく体を持ち上げる。地面の上を走るのと変わりない様子で軒の上を伝い、ためらうことなく二階の窓から中へと侵入する。

 板張りの床の上へ降り立って、しばらく耳を澄ませた。外の通りの喧騒が聞こえるばかりで、内部から物音はしていなかった。中には誰もいないようだ。

 足音をたてずに家の中を歩き、探索をはじめる。二階の様子を見て回るが、変わった所はない。強盗殺人と言われていたが、家の中が物色された様子もないのが、変わっているといえば変わっている。

 階段を降りて一階へ着くと、そこでようやく、藤の鋭い嗅覚が血の匂いを捕らえた。匂いに導かれるまま向かったのは、玄関に繋がる土間から、すぐ横の部屋だった。

 慎重に障子を開き、藤は眉を寄せた。部屋の中には、一般人であれば目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。天井にまで飛び散った血飛沫に、畳の上に落ちた幾本もの頭髪と、なにかの肉片。

 嶋の遺体はすでに運び出された後だが、遺体がなくとも、ここで何が行われたのかは予想できる。物盗りのために人を殺しただけでは、このような惨状にはならない。

 藤はさらに部屋の中へと入っていく。部屋の中へ散った血は乾いている。血の跡が襖の引き手についているのを見つけ開くと、奥にはもう一つの部屋があった。

 奥の部屋は先程のような惨状ではないが、畳の上に点々と血の跡が続いている。藤にはその跡が、血に濡れた刀を下ろした状態で、持って歩いたために落ちた血痕であることが分かる。

 血痕の続く先へと向かい、重々しい金具が打ち付けられた箪笥の前に立つ。そして、一つだけ開かれたままの、ひきだしの中を覗き込んだ。

 そこには、嶋が手がけた様々な家の図面や、所在等が書かれた紙がしまわれていた。彼の几帳面な性格を象徴するように、それぞれの紙には家ごとに番号が振られている。

 紙の束を捲っていた藤の手が止まる。

 二四番の家の情報が、失われていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

すべてを奪われた英雄は、

さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。 隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。 それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。 すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。

【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。

桜月夜
BL
 前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。  思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

博愛主義の成れの果て

135
BL
子宮持ちで子供が産める侯爵家嫡男の俺の婚約者は、博愛主義者だ。 俺と同じように子宮持ちの令息にだって優しくしてしまう男。 そんな婚約を白紙にしたところ、元婚約者がおかしくなりはじめた……。

そんなの真実じゃない

イヌノカニ
BL
引きこもって四年、生きていてもしょうがないと感じた主人公は身の周りの整理し始める。自分の部屋に溢れる幼馴染との思い出を見て、どんなパソコンやスマホよりも自分の事を知っているのは幼馴染だと気付く。どうにかして彼から自分に関する記憶を消したいと思った主人公は偶然見た広告の人を意のままに操れるというお香を手に幼馴染に会いに行くが———? 彼は本当に俺の知っている彼なのだろうか。 ============== 人の証言と記憶の曖昧さをテーマに書いたので、ハッキリとせずに終わります。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

処理中です...