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第一章
犯人からの電話 -1-
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青い海を臨む高台に建つ、大きな一軒家。高級住宅街の中でも、爽やかな白壁が目立つその一棟が、今回の誘拐された少女の家だ。
翌朝、俺はビジネスホテル内のサービスは使わず、近くのコンビニおにぎりで朝食を済ませた。もちろん節約のためである。それから一度ミミサキ署に向かい、そこでノラを拾ってここまで共にやってきた。
立派な門をくぐり、玉砂利の敷かれた敷地内に駐車して、共に降りる。頬を撫でる潮風は冷たいが、それでもデンメラより幾分か暖かい気がする。空は青く晴れ渡り、空気も澄んでいる。絶好の捜査日和というやつだろうか。
「今日は犯人から電話があり、そこで一〇〇〇万イェロの、引き渡しの要求を承諾します。それで良いですね?」
玄関へと向かいながら、ノラが改めて俺へと問いかけてきた。
「ああ。犯人が接触してくる機会は増やしたい」
犯人が、昨日ノラが説明してくれた通りの動き方をするのであれば、今日は身代金受け渡しの指示をする電話がかかって来る日だ。
実際に身代金を引き渡す日時は、例年通りだと四日後とのことだし、その間に捜査も進められる。また、サイチによる逆探知にも期待したい。
誘拐された少女のためにも、今日はとりあえず、犯人の言うことに従っておくべきだろう。
俺が快諾すると、ノラはホッとしたように頷いた。彼女は細い指を伸ばし、玄関につけられたチャイムを押す。
家の中で、リンゴーンと実際にベルが鳴っているかのような、重厚な音がしているのが聞こえた。高級住宅はチャイムの音さえも違うのかと、そんなくだらない所に感動を抱く。
程なくして、玄関ドアが開いた。中から出てきたのは、四〇歳代の男性だった。アーガイル柄の入った濃紺のセーターを着ている。表情には不安げな色が浮かんでいるが、その品の良さは十分に伝わってくる。
「おはようございます。こちらは本件の捜査指揮をすることになりました、ツキ・ユージ警部補です。ユージさん、こちらがコン・セラノさんです」
すでに彼と面識があるらしいノラが、早速お互いの紹介をしてくれた。それに合わせて背筋を伸ばし、軽く頭を下げる。
「本庁捜査一課より参りました、ツキ・ユージです。事件解決に全力を尽くします。どうぞよろしくお願いいたします」
捜査にあたる者についている肩書の重さが、被害者家族の励みになることを、俺はよく知っている。
「本庁の方が、捜査してくださるんですね。どうもありがとうございます。リリの父親のセラノです、どうぞ中へ」
「失礼いたします」
促されるまま、家の中へと上がった。
玄関ホールは二階までの吹き抜けになっていて開放感がある。天井に、これまた白いシーリングファンがゆったりと回っているのを見上げて、なるほど生活に随分と余裕がありそうだ、などと思った。
俺たちはそのままリビングへと通された。そこには、ソファに座る女性がいた。落ち着いた色合いの花柄のロングスカートを履いている。様子からいって、被害者の母親だろう。
「妻のミオリです。ミオリ、こちら捜査指揮をしてくださる、刑事のユージさんだ」
「どうぞよろしくお願いいたします」
案の定、セラノがそう紹介をしてくれる。二人並んでみると、絵に描いたような幸せそうな夫婦だ。誘拐された娘のリリも混ざれば、理想的な家族となるに違いない。
勧められるままに、大きな革張りのソファに腰を下ろす。アイヴォリーの生地は滑らかで柔らかく、座るだけでこのソファの価値の高さがわかった。
部屋の中央、ソファの前に設置されたガラス張りのローテーブルの上には、他の場所から持ってきたのであろう、固定電話が置かれている。
「例年、犯人からは昼頃に電話がかかってきます。電話にはスピーカーフォン状態で出ていただきます。犯人からの要求には、全てわかったと返事をして従ってください」
同じように隣に腰かけたノラが、正面のソファに座るコン夫妻に向かって、そう説明した。主には夫妻に向けてだが、俺への説明も含んでいる響きを持っていた。
「娘は……リリは、本当に無事なんでしょうか」
不安げな表情を浮かべたミオリが問いかけてくる。
「はい。この誘拐犯の噂はご存知ですよね。前回もお話しました通り、身代金の要求に応じれば、被害者は擦り傷一つなく帰ってきますよ」
問いに淡々と答えたノラの言葉に、俺は軽い咳払いをした。金さえ払えば誘拐された子供は帰ってきますよ、なんてことは警察の言うことではないだろう。そもそも今回、俺は身代金を犯人に渡す気など、さらさらないのだから。
「犯人を絶対に捕まえ、リリさんを無事にお帰しすることを約束します。ご安心ください。ところで、犯人からの電話があるまで、お話を伺っても宜しいでしょうか。今まで聞かれたことと、重複することもあるかもしれませんが」
話を変えるように、俺は胸ポケットからメモ帳を取り出した。ノラは特に何を構えることもなく、俺の横に座ったままだ。
「はい、構いません」
セラノが答えるのを聞き、聞き取り調査をはじめる。
「娘の、リリさんの年齢は?」
「リリは六歳、小学一年生です」
「リリさんの、最近の姿がわかる写真はございますか?」
セラノが促し、ミオリが戸棚から一枚の写真を出してくる。誕生日会で撮られたものらしく、ホールケーキを前にしてピースサインをしている、髪の長い少女の姿が映っていた。
「こちらの写真はお借りしていても?」
「ええ、構いません」
ありがとうございますと丁寧に礼を告げて、手帳に差し入れる。被害者の写真は、聞き込みの際に必要になる。誘拐が行われた時の彼女の姿を見ていないか、周辺の人々へ聞いて回らねばならない。
「誘拐された日の、リリさんの服装は憶えてらっしゃいますか?」
これに答えたのは、ミオリの方だ。
「ええと、確か……水色のシャツに、焦げ茶のキュロットスカートだったと思います。その上にキャメルのダッフルコートを着ていました。ランドセルは赤です」
「髪型などは?」
「低めの位置で、二つに結んでいきました」
説明を聞きながら、手帳にペンを走らせてざっくりとしたイラストを描き、そこに色の説明を文字で加えていく。これだけの情報があれば聞き込みができそうだ。
「失礼ですが、お二人のご職業は」
次に口を開いたのはセラノ。
「わたしはホテルを三軒経営しています。ミオリは専業主婦です」
「ホテルを三軒経営……ですか、なるほど」
金持ちなのはわかっていたが、貧乏人の想像力を超えていた。思わず微妙な反応をしてしまった俺の様子に、セラノが言葉を続ける。
「ホテルはすべてミミサキ市内にあるものです。この辺りの住民は、やはり観光業で生計を立てている者が多いですね」
「セラノさんがホテル経営をしていることは、有名なことでしょうか」
「有名と言って良いのかはわかりませんが、うちのホテルで働いている従業員はもちろん知っていますし、ホテルについて調べれば、すぐに情報は出てくるでしょう。この辺りの近隣住民も知っている人は多いと思います」
俺は頷きながら続けてメモをとった。一〇〇〇万イェロという、庶民にしては多額の身代金要求に応えられるだけの財力をセラノは持っている。それを知ることは容易だったということだ。
であれば、その情報を得られる者から犯人を絞っていくことは難しいか。ただ、何らかの手がかりになる可能性はある。過去の誘拐での被害者と、その家庭の傾向や属性等も、もっと調べていく必要があるな。
翌朝、俺はビジネスホテル内のサービスは使わず、近くのコンビニおにぎりで朝食を済ませた。もちろん節約のためである。それから一度ミミサキ署に向かい、そこでノラを拾ってここまで共にやってきた。
立派な門をくぐり、玉砂利の敷かれた敷地内に駐車して、共に降りる。頬を撫でる潮風は冷たいが、それでもデンメラより幾分か暖かい気がする。空は青く晴れ渡り、空気も澄んでいる。絶好の捜査日和というやつだろうか。
「今日は犯人から電話があり、そこで一〇〇〇万イェロの、引き渡しの要求を承諾します。それで良いですね?」
玄関へと向かいながら、ノラが改めて俺へと問いかけてきた。
「ああ。犯人が接触してくる機会は増やしたい」
犯人が、昨日ノラが説明してくれた通りの動き方をするのであれば、今日は身代金受け渡しの指示をする電話がかかって来る日だ。
実際に身代金を引き渡す日時は、例年通りだと四日後とのことだし、その間に捜査も進められる。また、サイチによる逆探知にも期待したい。
誘拐された少女のためにも、今日はとりあえず、犯人の言うことに従っておくべきだろう。
俺が快諾すると、ノラはホッとしたように頷いた。彼女は細い指を伸ばし、玄関につけられたチャイムを押す。
家の中で、リンゴーンと実際にベルが鳴っているかのような、重厚な音がしているのが聞こえた。高級住宅はチャイムの音さえも違うのかと、そんなくだらない所に感動を抱く。
程なくして、玄関ドアが開いた。中から出てきたのは、四〇歳代の男性だった。アーガイル柄の入った濃紺のセーターを着ている。表情には不安げな色が浮かんでいるが、その品の良さは十分に伝わってくる。
「おはようございます。こちらは本件の捜査指揮をすることになりました、ツキ・ユージ警部補です。ユージさん、こちらがコン・セラノさんです」
すでに彼と面識があるらしいノラが、早速お互いの紹介をしてくれた。それに合わせて背筋を伸ばし、軽く頭を下げる。
「本庁捜査一課より参りました、ツキ・ユージです。事件解決に全力を尽くします。どうぞよろしくお願いいたします」
捜査にあたる者についている肩書の重さが、被害者家族の励みになることを、俺はよく知っている。
「本庁の方が、捜査してくださるんですね。どうもありがとうございます。リリの父親のセラノです、どうぞ中へ」
「失礼いたします」
促されるまま、家の中へと上がった。
玄関ホールは二階までの吹き抜けになっていて開放感がある。天井に、これまた白いシーリングファンがゆったりと回っているのを見上げて、なるほど生活に随分と余裕がありそうだ、などと思った。
俺たちはそのままリビングへと通された。そこには、ソファに座る女性がいた。落ち着いた色合いの花柄のロングスカートを履いている。様子からいって、被害者の母親だろう。
「妻のミオリです。ミオリ、こちら捜査指揮をしてくださる、刑事のユージさんだ」
「どうぞよろしくお願いいたします」
案の定、セラノがそう紹介をしてくれる。二人並んでみると、絵に描いたような幸せそうな夫婦だ。誘拐された娘のリリも混ざれば、理想的な家族となるに違いない。
勧められるままに、大きな革張りのソファに腰を下ろす。アイヴォリーの生地は滑らかで柔らかく、座るだけでこのソファの価値の高さがわかった。
部屋の中央、ソファの前に設置されたガラス張りのローテーブルの上には、他の場所から持ってきたのであろう、固定電話が置かれている。
「例年、犯人からは昼頃に電話がかかってきます。電話にはスピーカーフォン状態で出ていただきます。犯人からの要求には、全てわかったと返事をして従ってください」
同じように隣に腰かけたノラが、正面のソファに座るコン夫妻に向かって、そう説明した。主には夫妻に向けてだが、俺への説明も含んでいる響きを持っていた。
「娘は……リリは、本当に無事なんでしょうか」
不安げな表情を浮かべたミオリが問いかけてくる。
「はい。この誘拐犯の噂はご存知ですよね。前回もお話しました通り、身代金の要求に応じれば、被害者は擦り傷一つなく帰ってきますよ」
問いに淡々と答えたノラの言葉に、俺は軽い咳払いをした。金さえ払えば誘拐された子供は帰ってきますよ、なんてことは警察の言うことではないだろう。そもそも今回、俺は身代金を犯人に渡す気など、さらさらないのだから。
「犯人を絶対に捕まえ、リリさんを無事にお帰しすることを約束します。ご安心ください。ところで、犯人からの電話があるまで、お話を伺っても宜しいでしょうか。今まで聞かれたことと、重複することもあるかもしれませんが」
話を変えるように、俺は胸ポケットからメモ帳を取り出した。ノラは特に何を構えることもなく、俺の横に座ったままだ。
「はい、構いません」
セラノが答えるのを聞き、聞き取り調査をはじめる。
「娘の、リリさんの年齢は?」
「リリは六歳、小学一年生です」
「リリさんの、最近の姿がわかる写真はございますか?」
セラノが促し、ミオリが戸棚から一枚の写真を出してくる。誕生日会で撮られたものらしく、ホールケーキを前にしてピースサインをしている、髪の長い少女の姿が映っていた。
「こちらの写真はお借りしていても?」
「ええ、構いません」
ありがとうございますと丁寧に礼を告げて、手帳に差し入れる。被害者の写真は、聞き込みの際に必要になる。誘拐が行われた時の彼女の姿を見ていないか、周辺の人々へ聞いて回らねばならない。
「誘拐された日の、リリさんの服装は憶えてらっしゃいますか?」
これに答えたのは、ミオリの方だ。
「ええと、確か……水色のシャツに、焦げ茶のキュロットスカートだったと思います。その上にキャメルのダッフルコートを着ていました。ランドセルは赤です」
「髪型などは?」
「低めの位置で、二つに結んでいきました」
説明を聞きながら、手帳にペンを走らせてざっくりとしたイラストを描き、そこに色の説明を文字で加えていく。これだけの情報があれば聞き込みができそうだ。
「失礼ですが、お二人のご職業は」
次に口を開いたのはセラノ。
「わたしはホテルを三軒経営しています。ミオリは専業主婦です」
「ホテルを三軒経営……ですか、なるほど」
金持ちなのはわかっていたが、貧乏人の想像力を超えていた。思わず微妙な反応をしてしまった俺の様子に、セラノが言葉を続ける。
「ホテルはすべてミミサキ市内にあるものです。この辺りの住民は、やはり観光業で生計を立てている者が多いですね」
「セラノさんがホテル経営をしていることは、有名なことでしょうか」
「有名と言って良いのかはわかりませんが、うちのホテルで働いている従業員はもちろん知っていますし、ホテルについて調べれば、すぐに情報は出てくるでしょう。この辺りの近隣住民も知っている人は多いと思います」
俺は頷きながら続けてメモをとった。一〇〇〇万イェロという、庶民にしては多額の身代金要求に応えられるだけの財力をセラノは持っている。それを知ることは容易だったということだ。
であれば、その情報を得られる者から犯人を絞っていくことは難しいか。ただ、何らかの手がかりになる可能性はある。過去の誘拐での被害者と、その家庭の傾向や属性等も、もっと調べていく必要があるな。
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