克死院

三石成

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第四章 疼痛を伴う真実

終章 続・真白の部屋

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 俺は、すべてが漂白されたような真白の部屋にいた。

 目の前には銀のトレーと食器が置かれ、その上にはステーキが乗っている。別の場所で目にすればなんてこともないステーキを見つめながら、フォークを握る俺の手は、いつまで経っても震えていた。 


 一週間前。

 迎えにきたヘリコプターで克死院を脱出した俺たちは、詳細不明の建物の屋上に降り立った。そして、現在自分のいる建物がどこにあり、何をするためのものであるかを認識する前に待ち構えていた職員に囲まれ、この部屋に一人で隔離されたのだった。

 いまの俺には、他の二人がどう処遇されているのかはわからない。ただ彼らの身を案じるしかなく、二人が無事でいるのかという不安は、常につきまとっていた。

 『人を死なせる方法』については、三人をまとめて社会へ解放するという条件の元、この部屋に入れられた直後に話してしまっていた。克死院から持ってきたビデオカメラも渡してある。話せばすぐに解放されるのかと思っていたが、それからすでに一週間が経過している。

 克死院で着ていた入院着から、清潔そのものである白い服に着替え、複雑骨折をした右腕は適切な処置を受けた。味は薄いが食事は提供されているし、部屋は適温に保たれ、身の安全は保証されている。

 しかしこの部屋にいて、ひとときも気が休まることがない。トドメがこの、意味ありげに提供されたステーキだ。

 フォークを握りしめて、どれくらいの時間が経過しただろうか。

 不意に、俺の目の前にいた白衣の女性が吹き出した。視線を上げて見ると、彼女は心底おかしそうに腹を抱えて笑っていた。

「すまないすまない、いや、ブラックジョークが過ぎたかな。実は、君の提供してくれた情報は真実であるという確認が取れてね。あの発想は、克死という未曾有の災害に対する、世界の技術は大きく進歩させるよ。本当にありがとう。これで晴れて、君たちは自由の身になる。私は今日、そのことを伝えにきたんだ。

 それと、心配しなくとも、それは牛の肉だよ。本当にただのステーキさ。拘束が長引いた礼だとでも思って、ぜひ最後に食べていってくれたまえ」

「いらない、と言ったら?」

「どうしてだい? 私たちからのせめてものお詫びだよ。せっかく用意したんだから、食べていってほしいな」

 女性が笑う。その笑顔に凄みのようなものを感じて、俺は拒否権がないことを知る。もう一度フォークを握りしめてから、意を決して食べ始めた。

 肉質はやや硬いものの、女性の言うように、ただの牛肉のような、気がする。見た目通りにデミグラスソースがかかっており、味は悪くない。

 俺が苦虫を噛み潰したような表情でステーキとパンを食べている間、女性は一人、勝手に喋り続ける。

「この後の話なんだけれどもね。君にはここを出る前に、克死に関わるすべてのことにおいて、秘密を守るという誓約書にサインしてもらう。社会に不安や、要らぬ混乱を与えられては困るからね。

 それに付随してだが、本来の君たちはもう克死状態になり克死院に入っていることになっているから、新たな戸籍を発行させてもらった。ということは当然ながら、元の両親やら知り合いやらに、会いにいったりすることも禁止だ。『園上陸玖』というのが君の新しい名前だからね」

「園上?」

 それは、俺たちをヘリコプターで迎えにきた男の名前だったはずだが。

「そう、あの園上さんの戸籍を借りてね。甥ってことにしておいたよ。すでに園上さんの弟さんは亡くなっているそうだから、何のしがらみもなくて、ちょうどいいだろう。ちなみに聖くんとゆめちゃんは、君の弟と妹ってことになってるから。

 家もこの近くにマンションの一室を用意してある。それと、ここ数日の拘束の慰謝料と黙秘の対価を込めて、一人二〇〇万円を渡して君たちを送り出すよ。こちらで用意した家に関しても、出て行きたければ出ていってもらっても構わないから、あとは好きにしてくれたまえよ」

 女性はそこまで説明しきると、一仕事終えたとばかりに、深く息を漏らした。懐から鍵と小さな紙を取り出し、テーブルの上に置く。紙には地図のようなものがプリントされている。様子からするに、それが彼らが用意してくれたという家の場所と鍵なのだろう。

 話のとおりであるとするならば、至れり尽くせりの対応だ。

 俺が何とかステーキの最後の一切れを嚥下したところで、白衣の女性はテーブルの上に両手を組んで肘をつき、俺の顔をじっと見つめた。

「くれぐれも、他言無用で頼むよ」

 彼女の黒い瞳は、どこか青みがかっている。『もし外部の者に何か情報を漏らしたら、どうなるかわかっているな』という、裏に隠された脅しを隠しもしない一言。それが、彼女からの最後の言葉だった。


 細々とした書類へのサインや身支度を済ませると、真白の部屋から徒歩で外に出ることを許された。俺は一人でエレベーターを降り、一階に出る。目の前にはエントランスが見えた。

 こうして建物の中を歩いてみると、俺が拘束されていたのはいたって普通のビルだった。オフィスビルというよりは、むしろ市役所などの公的な機関を思わせる。建物には相応に古さを感じるので、以前は別の用途に使われていた建物を克死対策に転用しているのかもしれない。

 俺のいた階ではほとんどの職員が白衣姿だったが、他の階を見てみると、スーツ姿などの一般的な服装の者も多く出入りしている。

 そしていまは俺自身、普通の服を着ていた。ブルーのネルシャツ・アイボリーのチノパン・靴下・コンバース。これからはすべて、部屋を出るときに支給されたものだ。外気温を考慮してか、ダウンジャケットまで用意されていた。こうしてまともな格好を身につけると、ようやく現実に戻ってきたような気がする。

 入り口に近づき、ガラス張りの向こうの景色を見て、俺の頬は自然と緩んだ。

 自動ドアが開く。冷えた風が吹き抜け、体を竦ませる。

「陸玖さん!」

 喜色に満ちた声が俺を呼んだ。駆け寄ってくるゆめちゃんを、背を屈め、左腕を広げて抱き留める。一週間ぶりの再会はなによりも嬉しい。両腕が使えていたら、そのまま抱き上げたかったところだ。

「よぉ、陸玖。怪我の具合はどうだ。うっかりヤツらに右腕改造されてねぇか」

 出入り口脇のコンクリートブロック塀にもたれかかっていた聖もまた、そう声をかけてくる。いつもどおりの彼らしい言葉だが、その声には喜びと安堵の感情が隠れている。

「大丈夫だよ、ただ普通の治療をされただけ。二人とも、無事で本当に良かった」

 ひとしきりゆめちゃんを抱きしめてから立ち上がり、俺は改めて二人を見た。

 ゆめちゃんはダッフルコートを着ているので分かりにくいが、その下にも彼らから支給された、一般的な少女向けの服を着ているようだ。靄の中で着ていた服よりもしっかりしていることに安堵する。入院着姿でない彼女を目の当たりにするのは、はじめてだ。

 聖は、綺麗にクリーニングされてはいるものの、克死院内で着ていた服装と変わりないものを着ていた。変わっている点と言えば、右目を覆っている包帯が、頭を半分覆うような形で派手になっているくらいである。

 俺の視線に気づいたのか、聖が話し始める。

「おれもついでに手術されてさ。当然右目は戻らねぇけど、治ったら眼帯だけで隠せるようになるらしい」

「そうか、安心した」

「ゆめも特に不自由なく生活はしてたらしいぜ。嫌なことも、酷いこともされてねぇってさ」

 聖の言葉に、ゆめちゃんが大きく頷く。

「もう、帰ってもいいんだよね? おにいちゃんと、陸玖さんと、三人で、一緒に暮らせるんだよね?」

「ああ、そうだよ。俺たち、兄妹になったんだって」

 そう口にしてから、何だか気恥ずかしくなった。しかし、そんな俺の小さな恥ずかしさなど、ゆめちゃんの嬉しそうな表情を見れば、すべてが吹き飛んだ。

「やったー!」

 両手を上げ、飛び跳ねるように喜ぶ姿があまりにも子供らしくて、胸が熱くなる。

「んじゃ、さっそくヤツらが用意してくれたっていう家に、とりあえず行くだけ行ってみようか。オニーチャン?」

 ゆめちゃんの片手を握りながら、聖が俺へと問いかける。

「オニーチャンって言うな」

「だって、おれの兄貴になったんだろ」

「戸籍上はな」

「つれないことを言うなよ、オニーチャン。ゆめだって、おれのことそう呼んでるじゃねぇか」

「ゆめちゃんがお前を呼ぶのははいいよ。でも、聖の口ぶりからは悪意しか感じないんだよ」

 相変わらずの軽口を叩きながら、俺もゆめちゃんの手を握る。ゆめちゃんを間に挟んで、俺たちは歩き出す。

 ビル風が冷たいが、繋いだ手は暖かい。コスパがいいという触れ込みのメーカーのダウンジャケットも、機能を十分に発揮してくれている。入院着という薄着で克死院に閉じ込められていたときを思えば、なにも苦ではなかった。

「聖」

 声を低めて声をかけると、聖は視線だけで俺を見た。

「ステーキ、食べさせられたか?」

 俺からの問いかけに、聖は不敵に口角を上げる。

「ああ、食ったよ。陸玖も、か?」

「食べた。食べないと、出させてもらえそうになかったから」

 一瞬の沈黙。

「さぁて、アレは何の肉だったんだろうな」

 あっけらかんとした聖の言葉に頷く。

 克死院からの脱出には成功したが、依然としてこの世界で人が死ぬことはないし、克死状態はなくなっていない。俺の気がついていなかった社会の混乱は、まだまだ続くだろう。俺たちの新たな生活にも、なにがしかの影響を与えるに違いない。

 俺がもたらした情報により、なにが変わるのか、変わらないのか、俺たちが食べたのがなんの肉だったのか。そんな様々なことが判明するのは、もう少し後になるのかもしれない。

 俺は白い息を吐き出しながら、ただ、自由な冬の青空を見上げたのだった。
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