MAN in MAID 〜メイド服を着た男〜

三石成

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第四章 刺客

「邪魔にしかなっていない」-1-

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「『坊や、お腹が空いているんでしょう。さあ、これをお食べ』

 そう言って、優しいメイドは少年に手にしていたパンを差し出しました。

『しかし、そのパンはあなたのお屋敷で食べられるパンではありませんか。パンがなくなったら、あなたが罰せられてしまいます』

 少年は、ぐーぐーと鳴るお腹を抑えながら首を振りました。けれども優しいメイドは天使のような微笑みを浮かべ、パンをひとつ、少年の手の上にそっと乗せます。

『心配しなくていいのよ。このパンは、私がお夕飯でいただく予定のものなの。私は昼にたくさん食べたから、お腹が空いていないのです。さあ、召し上がれ』

 少年には、手の上の一つのパンが、黄金でできた宝物かのように感じられました。なぜなら少年は、優しいメイドもまた、満足に食事をしていないことを知っていたからです。優しいメイドの主人はとてもケチな男で、使用人たちに与える食事を、とても少なくしていたのでした。しかし、少年はとてもお腹が減っていたので、ありがとう、ありがとうと感謝の言葉を繰り返し、パンを一口食べました」

 エヴァンの執務室に、エマの穏やかな声が響いている。彼女は目を閉じ、ロウから聞いた話を物語として紡いでいる真っ最中だ。

 そんな彼女の言葉の一つ一つを、デスクについているエヴァンが書き綴っていく。

「エマ、ちょっと気になったところがあるんだが、良いか」

「どうかなさいましたか?」

「この『優しいメイドの主人はとてもケチな男で』……という部分はどうだろう。この主人って実際はセルジア領主だからな」

「でもそれが実話ですよ? ロウさんがそうおっしゃっていました。それに、物語にはロウさんの名前も、セルジアの名前も出しませんし。架空の場所の架空の人物ってことになるんですよね?」

「それはそうなんだが、この物語が実話だと判明した時には、自ずとわかってしまう部分ではあるだろう。メイドの主人には触れない方向性でいくことはできないか」

 エヴァンからの打診に、エマは神妙な顔をして考え込む。だが、考え込んだ結果、拳を握って力説する。

「しかし、ここは優しいメイドが、自分も満足に食べていないのに、自分のパンを分けてくれるというところに大きな意味があるんです。主人がケチでないと、メイドが食事を満足に食べていないことの理由がつきません。それに、ここで出すメイドのケチな主人がいるから、後にメイドになりたい少年が出会う主人の素晴らしさが引き立つんですよ。物語として大事なところです」

 エマはそう言い切った後で、言葉を付け足す形でエヴァンを見る。

「もちろん、領主様がこの部分を削除した方が良いとおっしゃるのでしたら、そのようにしていただいて構いませんが」

 エヴァンは仕方がないというように、エマを見つめて笑った。

「いや。ここはこのまま残そう。確かに物語はここがあった方が深みを増すと思うしな。俺はエマを信じるよ」

 エマも嬉しそうに笑う。

 図らずもエヴァンと見つめ合う形になり、そのことに気づいたエマが頬を染めた、そのとき。

 執務室の扉が、前触れもなくバーンっと開いた。

「サプラーイズっ」

 扉の開く音と同時に響く、華やかな女の声。その声の主は、まるでびっくり箱から飛び出してきたかのように、両手を上げて執務室の中へと入ってくる。

 今日はワインレッドの豪奢なドレスを身に纏っている、バイオレットの登場である。

「バイオレット様?」

 エヴァンは驚きの声をあげる。当然、今日バイオレットが邸宅を訪れるなどというアポイントメントはなかった。ましてや、ノックもなく、客の手によって執務室の扉が開かれたのは、エヴァンの人生の中でも初めてのことである。

「いったいどうしてここに……ネイサンはお迎えにあがりませんでしたか」

 エヴァンが問いかけたその時、慌てた様子でネイサンがやってきた。

「申し訳ございません、ご主人様。バイオレット様をお止めすることができず……」

「いっそうエヴァン様にサプライズを楽しんでいただこうと思って、私自らお部屋まで来ましたのよ。驚かれまして?」

「え、ええ。もちろん、驚きました」

 嘘偽りないエヴァンの本音である。それが楽しめたかどうかはさておき。

 バイオレットは満足そうな表情を浮かべ、ずんずんと執務室の中を進んでくる。そして、エマとエヴァンとの間に割り入るようにして、デスクの天板に腰掛けた。

 エヴァンは彼女の尻に敷かれないよう、咄嗟にデスクの上の紙をさっと避難させる。

「なかなか顔をお見せできなくて、お寂しい思いをさせてしまいましたわね? 申し訳ございません。父が、なぜだかエヴァン様に会いにきたがらなくって。だから今日は私だけで来ましたの」

 バイオレットはとぼけて言っているわけではない。先日のイライジャとエヴァンのやり取りを目の当たりにしていてなお、何故父であるイライジャが、エヴァンへ会いに行くことを渋ったのかを理解していなかった。ある意味では天真爛漫とも言える。

「バイオレット様お一人で、リオンからユレイトまでいらしたのですか?」

「リオンとユレイトは隣の領だとはいえ、流石に一人では来られませんわ。メイドのレティシアがついてきてくれたんです」

 バイオレットはデスクの上に乗ったまま、開きっぱなしにしてきた扉を振り向いた。

 エヴァンも首を伸ばし、視界を塞ぐバイオレットの体ごしに扉の方を見る。そこには、メイド服を身に纏い、長い黒髪を三つ編みにした女が、視線を伏せるようにして佇んでいる。彼女の前髪はメイドにしては長く、俯いていると目元が見えない。

「レティシア、ここまで連れてきてくれてありがとう。もう良いわ。外で待っていてちょうだい」

 バイオレットが命ずると、レティシアと呼ばれたメイドは頷きをひとつ。

 エヴァンも吐息を漏らし諦めることにした。

「ネイサンも下がってくれ」

 オロオロとしどおしだったネイサンは深々と頭を下げ、レティシアは無言のまま、廊下へと出る。

 そんなレティシアの独特の雰囲気が気にかかり、エヴァンは彼女の手によって扉が閉められるまで、そちらの方向へと視線を向け続けていた。

 と、エヴァンの視線を再度遮るように、バイオレットが顔を近づける。

「まあ、エヴァン様ったら、こんな変な女を部屋に連れ込んでいると思ったら、今度はレティシアにそんな熱い視線を向けて見せて。私に焼き餅を焼かせようとしていらっしゃるのね? どおりでおかしいと思ったのです」

「変な女、とは誰のことです?」

 バイオレットの言葉についていけず、エヴァンは落ち着いた声のまま問う。

「誰のことって、エヴァン様が私に当てつけるために、連日お部屋に連れ込んでいるこの小太り女のことですわ。火遊びを許すのも良い妻の度量の広さですが、気をつけていただかないと、噂になっておりましてよ?」

 バイオレットは視線をエヴァンに向けたまま答える。彼女は手を伸ばすと、エヴァンの頬をゆっくりと撫で、それから首筋をたどり、鎖骨の辺りまで指を這わせる。その手つきは、見るものにも妙な感情を掻き立てるような怪しいものである。
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