51 / 51
三月の章
花摘会 -2-
しおりを挟む
広間を出た明彦は、校舎内を歩き回った。
そうしてようやく目当ての姿を見つけたのは、広間からは最も遠い校舎の隅の廊下。壁際にはカウチが置かれ、突き当たりに設けられたステンドグラスのはまる窓からは、穏やかな光が差し込んでいる。
足音に気づいて顔を上げた水島は、その瞳に一瞬だけ希望の輝きを宿していた。しかし、明彦の姿を確認するとまた顔を伏せた。その希望を向けられていたのは、当然宗一郎で。その希望は明彦がやってくることで再び潰えたのだ。
彼はカウチの上に靴を履いたままの両足を上げ、体育座りをして足の間の顔を埋めるような体勢をとっていた。
鷹鷲高校ではそうそう見かけることがない、行儀の悪い行いである。
「こんなところにいたんだ。探したよ」
「何しに来たの。慰めとかいいから、消えてくれない?」
顔を埋めたまま発された刺々しい声は、涙に滲んでいる。
明彦は言葉に応えることなく隣に腰掛けた。カウチの座面が沈んだことでそのことを察知した水島は、いっそう体を縮こませる。
「明彦だって、どうせ宗一郎が僕のこと選ばないって、知ってたくせに……本当に、もう、なんにも信じられないっ」
「俺も昨日聞いたんだ。驚いたよ」
「だから何。ここに来たってことは、どうせあんたも東條にフラれたくせに。フラれた者同士慰め合おうってこと? あいにく、あんたと僕じゃ立場が違うの。別の執事を指名して家に帰ればいいあんたと違って。僕は……」
そこまで言い連ねて、水島の声が涙に詰まる。大きくしゃくりあげ、嗚咽が漏れた。
「僕は、僕の家族は……これからどう生活していけばいいのかも、わからない」
それから、子供のような水島の泣き声が廊下に響く。
感情をむき出しにする水島にどう声をかけていいのかわからず、明彦はしばし戸惑った後、水島の肩に腕を回した。
だが、すぐさま水島に腕を振り払われる。顔を上げ、露わになった水島の顔は、涙に濡れている。
「いいからどっか行ってよ!」
「聞いてくれ、水島。俺は、水島を雇いたいと思って探しに来たんだよ」
明彦の言葉に水島は一瞬動きを止め、それから眉を寄せた。水島の顔に怒りの表情が浮かぶが、代わりに涙が引いた。
「東條にフラれたから、仕方なくじゃあお情けで僕を召し抱えてやろうかって? 明彦は他に……塔矢だっけ? 選定をしていた子がいるでしょ。馬鹿にするのもいい加減にして」
「違う!」
水島の声を遮るように、明彦が珍しく声を荒らげる。普段温厚な明彦の上げた声の大きさに、水島は不意を突かれたように口を噤んだ。
「俺は確かに東條を指名した。でも、さっき東條に言われて気づいたんだ。俺は東條に執事になって欲しかったわけじゃない。いや、誰にも俺の執事になんて、なって欲しくなかったんだ」
明彦は怪訝そうな顔をする水島を、正面から見つめる。
「俺は執事としてじゃなく、俺直属の従業員として、水島を雇いたい。哀れみとかお情けとかじゃない。水島の、物事をなんでもはっきり言うところとか、どんな場所でも我を通せるところとか、いるだけでパッと場を明るくしてくれるところとか、すぐに凹むようで何があってもへこたれないところとか、意地っ張りで頑張り屋なところとか、本当にすごいと思っているから。俺の家は長野の田舎で、たった一つのホテルの経営をしているだけだけど。そこで、俺の友達として、俺と一緒に経営を支えていって欲しいんだ」
予想外の言葉に、水島は呆気に取られて口を半開きにし、明彦を見つめる。
「それ……褒めてんの? 貶してんの?」
「感じたことを素直に言っているだけだよ。そもそも、水島は執事なんて向いてないよ。いくら宗一郎に敬語やめろって言われたからって、そんな容赦なく素で接していたのも、ついでに俺にまでタメ口だったのも水島くらいだし。どっちかっていうと世話を焼かれるタイプだろ」
「う、うるさいなぁ。別に素だった訳じゃない、これが僕の、宗一郎と明彦に好かれるための戦略だったんだよ。明彦だってまんまとひっかかってるじゃないか」
いつの間にか、水島の涙は引っ込んでいた。明彦は笑う。
「そうだね。俺は、そうやって元気な水島が好きだ」
直球の明彦の言葉に、今度は水島が狼狽える。
「俺の家は、貴族とは名ばかりで。宗一郎の家と比べたら圧倒的に格下だよ。でも、俺はあのホテルが好きだ。いずれ俺が社長になった時、そばに敏腕副社長として、水島にいて欲しい。どうかな?」
廊下の奥のステンドグラスから差し込む光は、赤、青、緑と複雑な色を透過している。さまざまな色が降り注ぎ、混じり合う空間は、とても綺麗だ。
水島はためらいながら、胸ポケットの中ですっかりぺちゃんこになった白薔薇を引き抜いた。その萎れた花を見下ろし、吐息を一つ。ぐいっと押しつけるように、薔薇を明彦へと差し出す。
「僕は明彦に、忠誠なんて誓わないから。経営乗っ取られないように、気をつけなよ」
差し出された花と、水島の表情を見比べて。
「はは、それは怖いな。でも、そんな水島だから、俺も頑張れるんだ」
明彦はまた笑って、白薔薇を受け取った。
「これからもよろしくね、水島」
ほぼ同時刻。大広間には、左右の広間から集ってきた生徒たちがその時を待っていた。
白石の前にはアルバートが。
山下の前には尚敬が。
田中の前にはケビンが。
鈴木の前には茉莉花が。
東條の前には宗一郎が。胸に手渡された白薔薇をさし、立っている。
正午を告げる荘厳な鐘が鳴る。
執事たちは片膝を立てて主人の前に跪き、左胸に右手を当て、頭を垂れる。声を揃え、口にする言葉は一つ。
「生涯の忠誠を誓います」
そうしてようやく目当ての姿を見つけたのは、広間からは最も遠い校舎の隅の廊下。壁際にはカウチが置かれ、突き当たりに設けられたステンドグラスのはまる窓からは、穏やかな光が差し込んでいる。
足音に気づいて顔を上げた水島は、その瞳に一瞬だけ希望の輝きを宿していた。しかし、明彦の姿を確認するとまた顔を伏せた。その希望を向けられていたのは、当然宗一郎で。その希望は明彦がやってくることで再び潰えたのだ。
彼はカウチの上に靴を履いたままの両足を上げ、体育座りをして足の間の顔を埋めるような体勢をとっていた。
鷹鷲高校ではそうそう見かけることがない、行儀の悪い行いである。
「こんなところにいたんだ。探したよ」
「何しに来たの。慰めとかいいから、消えてくれない?」
顔を埋めたまま発された刺々しい声は、涙に滲んでいる。
明彦は言葉に応えることなく隣に腰掛けた。カウチの座面が沈んだことでそのことを察知した水島は、いっそう体を縮こませる。
「明彦だって、どうせ宗一郎が僕のこと選ばないって、知ってたくせに……本当に、もう、なんにも信じられないっ」
「俺も昨日聞いたんだ。驚いたよ」
「だから何。ここに来たってことは、どうせあんたも東條にフラれたくせに。フラれた者同士慰め合おうってこと? あいにく、あんたと僕じゃ立場が違うの。別の執事を指名して家に帰ればいいあんたと違って。僕は……」
そこまで言い連ねて、水島の声が涙に詰まる。大きくしゃくりあげ、嗚咽が漏れた。
「僕は、僕の家族は……これからどう生活していけばいいのかも、わからない」
それから、子供のような水島の泣き声が廊下に響く。
感情をむき出しにする水島にどう声をかけていいのかわからず、明彦はしばし戸惑った後、水島の肩に腕を回した。
だが、すぐさま水島に腕を振り払われる。顔を上げ、露わになった水島の顔は、涙に濡れている。
「いいからどっか行ってよ!」
「聞いてくれ、水島。俺は、水島を雇いたいと思って探しに来たんだよ」
明彦の言葉に水島は一瞬動きを止め、それから眉を寄せた。水島の顔に怒りの表情が浮かぶが、代わりに涙が引いた。
「東條にフラれたから、仕方なくじゃあお情けで僕を召し抱えてやろうかって? 明彦は他に……塔矢だっけ? 選定をしていた子がいるでしょ。馬鹿にするのもいい加減にして」
「違う!」
水島の声を遮るように、明彦が珍しく声を荒らげる。普段温厚な明彦の上げた声の大きさに、水島は不意を突かれたように口を噤んだ。
「俺は確かに東條を指名した。でも、さっき東條に言われて気づいたんだ。俺は東條に執事になって欲しかったわけじゃない。いや、誰にも俺の執事になんて、なって欲しくなかったんだ」
明彦は怪訝そうな顔をする水島を、正面から見つめる。
「俺は執事としてじゃなく、俺直属の従業員として、水島を雇いたい。哀れみとかお情けとかじゃない。水島の、物事をなんでもはっきり言うところとか、どんな場所でも我を通せるところとか、いるだけでパッと場を明るくしてくれるところとか、すぐに凹むようで何があってもへこたれないところとか、意地っ張りで頑張り屋なところとか、本当にすごいと思っているから。俺の家は長野の田舎で、たった一つのホテルの経営をしているだけだけど。そこで、俺の友達として、俺と一緒に経営を支えていって欲しいんだ」
予想外の言葉に、水島は呆気に取られて口を半開きにし、明彦を見つめる。
「それ……褒めてんの? 貶してんの?」
「感じたことを素直に言っているだけだよ。そもそも、水島は執事なんて向いてないよ。いくら宗一郎に敬語やめろって言われたからって、そんな容赦なく素で接していたのも、ついでに俺にまでタメ口だったのも水島くらいだし。どっちかっていうと世話を焼かれるタイプだろ」
「う、うるさいなぁ。別に素だった訳じゃない、これが僕の、宗一郎と明彦に好かれるための戦略だったんだよ。明彦だってまんまとひっかかってるじゃないか」
いつの間にか、水島の涙は引っ込んでいた。明彦は笑う。
「そうだね。俺は、そうやって元気な水島が好きだ」
直球の明彦の言葉に、今度は水島が狼狽える。
「俺の家は、貴族とは名ばかりで。宗一郎の家と比べたら圧倒的に格下だよ。でも、俺はあのホテルが好きだ。いずれ俺が社長になった時、そばに敏腕副社長として、水島にいて欲しい。どうかな?」
廊下の奥のステンドグラスから差し込む光は、赤、青、緑と複雑な色を透過している。さまざまな色が降り注ぎ、混じり合う空間は、とても綺麗だ。
水島はためらいながら、胸ポケットの中ですっかりぺちゃんこになった白薔薇を引き抜いた。その萎れた花を見下ろし、吐息を一つ。ぐいっと押しつけるように、薔薇を明彦へと差し出す。
「僕は明彦に、忠誠なんて誓わないから。経営乗っ取られないように、気をつけなよ」
差し出された花と、水島の表情を見比べて。
「はは、それは怖いな。でも、そんな水島だから、俺も頑張れるんだ」
明彦はまた笑って、白薔薇を受け取った。
「これからもよろしくね、水島」
ほぼ同時刻。大広間には、左右の広間から集ってきた生徒たちがその時を待っていた。
白石の前にはアルバートが。
山下の前には尚敬が。
田中の前にはケビンが。
鈴木の前には茉莉花が。
東條の前には宗一郎が。胸に手渡された白薔薇をさし、立っている。
正午を告げる荘厳な鐘が鳴る。
執事たちは片膝を立てて主人の前に跪き、左胸に右手を当て、頭を垂れる。声を揃え、口にする言葉は一つ。
「生涯の忠誠を誓います」
0
お気に入りに追加
11
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件
遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。
一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた!
宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!?
※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

切り札の男
古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。
ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。
理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。
そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。
その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。
彼はその挑発に乗ってしまうが……
小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。


体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
個人的にめちゃくちゃどストライクな作品を執筆してくださり、ありがとうございます…!!
執事、主従関係のワードがありながらもbのlまで届くか届かないかの絶妙な境界!!
とても好きでございます。ありがとうございます。
世界観に引き込まれイッキミしてしまったー!(〃ω〃)
もはや東條氏の「〜様」のセリフだけでもうっ!
萌えはげできそう…しかし悔いはない!!
東條氏と明彦様の主従verも見てみたいななんて贅沢は断じて!考えておりません。
長文失礼いたしました。
初めて感想を書く緊張と熱量も相まって書き終わった今、頭真っ白でございます。
そんなことはさておき
改めまして完結おめでとうございます。
素晴らしい作り手の方の作品を拝見でき嬉しく思います。
今日からまた一日頑張って息吸っていけます!
すんばらしい作品を、ありがとうございましたん!
ボロロさん
とても熱量のある感想を頂きましてありがとうございます。
すごく嬉しいです。
作者自身主従関係がものすごく好きなので、共感していただけて光栄の極みです。
東條と明彦は今後良い友人関係を築いていくんだろうと思っていますが、卒業後に一日主従交換とかやっていたら楽しそうですよね。
続編もいつか書けたら良いな……と思いつつ。
改めまして、感想本当にありがとうございました。