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三月の章
花摘会 -1-
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大広間の両脇に存在する二つの広間は、妙な静けさに包まれていた。
男子部側校舎の広間には男子部三年の生徒たちが。女子部側校舎の広間には、当然のことながら女子部三年の生徒たちがいる。それぞれ二百名近い人数が集まっているにも関わらず、皆が皆、緊張のために呼吸さえ殺しているような状況だ。
バトラーとマスターのための椅子がそれぞれに用意されており、彼らは広間の左右に分かれて、向かい合うような形で座っていた。
時計の針が午前一〇時を示したところで、校舎内に重々しい鐘の音が鳴る。その鐘の音を合図に、広間の脇に控えていた松宮が中央へと進み出た。
「只今より、花摘会を開始いたします。はじめに、形式上、指名を受けたバトラーの学籍番号順に読み上げさせていただきますことをお許しください。ご芳名を呼ばれた方々は、中央まで出てきていただきますようお願いいたします」
案内はマスターに対してもしているため、松宮の口調はいつもよりも丁寧なものだ。
「この場でバトラーが持つ花を主人となる方にお渡しすることで花摘の契約が結ばれます。契約を結んだ方々は、共に大広間へとご移動ください。正午より、大広間で続けて忠誠の儀を執り行います」
そこまでの形式的な説明を終え、松宮は手に持っていたスクロールを掲げ持ち、そこに記されている名前を読み上げ始めた。
マスターたちはすでに、昨夜のナイトウォークの後、花摘会で指名する生徒の名を記載して提出している。そのほとんどは指名が被らないように調整が済んでいるため、進行は実にスムーズだ。
名前を呼ばれたバトラーは皆一様に喜びを押し隠し、中央へと進んでいくのが印象的であった。いっぽう、学籍番号順で自分の名前が呼ばれず飛ばされた者もおり、彼らは深くため息をついて顔を覆う。
そうして、数名の花摘の契約が済んだころ。
「白石祐介」
松宮に呼ばれ、白石は立ち上がると広間の中央へと進む。白石の顔には、他の生徒たちにあるような緊張も、喜びもない。自分を指名する者の存在がわかりきっているため、ただリラックスしていた。
「アルバート・ブラウン様」
同時に呼ばれたアルバートもまた、いつも通りの読めない表情だ。
彼らは広間の両側から進み出て、中央で顔を合わせる。
「アルバート様、どうぞこちらをお受け取りください」
無言のアルバートに対し、白石は自身の胸ポケットにさしていた白薔薇を手に取ると、胸に片手を当てながら頭を下げ、恭しく薔薇をアルバートへと差し出す。
アルバートは何も言わず、その薔薇を受け取った。周囲からは儀礼的な拍手が送られる。白石が頭をあげて姿勢を正すと、自身を真っ直ぐに見つめ続けていたアルバートと視線が合う。
「さ、大広間へと向かいましょう」
白石がそう促した瞬間。アルバートは両腕を広げ、白石をぎゅうっと強く抱きしめた。
「はぁっ? アルバート様?」
「ようやく手に入れた」
突然の主の行動に思わず素っ頓狂な声をあげてしまう白石に対し、アルバートは真剣そのものだ。ようやく念願が叶ったというアルバートの様子に、周囲からは笑いと、同時に先ほどよりもよっぽど大きな拍手が沸く。
「良かったなー、アルバート!」
「末長くお幸せに!」
アルバートのことをよく知るクラスメイトたちからはそんな祝福の声までも飛び、まるで結婚式のようである。
「わかった、わかりましたから、ほら、早く行きますよ」
幸せを噛み締めるアルバートに対し、白石は珍しく顔を赤くしていた。ようやくアルバートの腕の拘束から逃れると、半ば主人を引きずるようにして大広間へと移動していく。彼らが去っていった広間は、先ほどより幾分空気の解れたものになっていた。
生徒たちのちょっとした騒動にもいっさいの動揺をしなかった松宮により、また続けて名前が呼ばれていく。
「東條操」
名を呼ばれ、東條はいつもの凜とした様子のまま中央へと進んでいく。けれど、もしここに白石が残っていたとしたら、東條の顔に浮かぶ緊張の表情を読み取れていただろう。
「常陸院宗一郎様。七森明彦様」
東條を指名した者が判明したことにより、主に執事科の席の方から声がざわめいた。続けて明彦の名が呼ばれると、さらに広間全体がどよめく。同時に、椅子の倒れる物音が響いた。
執事科側の奥の席から、水島が立ち上がっていた。彼は呆然とした眼差しを、広間中央へと向かう宗一郎へと向けている。
「宗一郎……?」
水島は呆然とした様子で呟くが、宗一郎が水島へと視線を向けることはない。明彦もまた、水島へと顔を向けることができないていた。
「水島、座りなさい」
様子を見かねて松宮が注意を促すが、水島は思い詰めたような表情のまま走り出し、広間を飛び出していった。宗一郎に指名されなければ自分を指名する者はいないという事実を、もっともわかっているのは彼自身なのだ。
広間のざわめきはいっそう大きくなるが、松宮は咳払いを一つ。
「静粛に願います」
と注意を促すと、しばらく後に落ち着きが戻ってくる。広間にいる者たちの注目は、中央に立つ三人へと戻っていった。
東條は、目の前に並ぶ明彦と宗一郎を見つめた。
「俺の執事は、お前以外に考えられない」
「あの日からずっと、東條にそばにいて欲しかったんだ」
宗一郎がいつも通りの表情で一言告げ、明彦は懇願するように言葉を続ける。
二人からの言葉を聞き、東條は胸にさした白薔薇を手にする。花弁は先が反って満開に、美しく咲き誇る一輪の白薔薇。
一生涯を左右する選択を目前に突きつけられ、しかし東條が思案したのは、ほんの数秒のことだった。
東條は恭しく頭を下げ、薔薇をまっすぐに差し出した。
「宗一郎様。どうか、お受け取りください」
水を打ったように静まり返る広間。その静寂を破ったのは、明彦が脱力するように漏らした息。
「まかせろ」
宗一郎が口角をあげ薔薇を受け取ると、盛大な拍手が送られる。彼らを眺めている者達の間には、特段の驚きはない。この二択を迫られたら、ほとんどの者が宗一郎を選ぶに決まっているからだ。
明彦の表情にも、思い上がっていたとばかりに自嘲の笑いが浮かんでいた。祝福ムードの中、東條はそんな明彦へと視線を向ける。
「明彦様」
東條に名前を呼ばれるが、明彦は彼の顔を見ることを一瞬ためらった。
今宗一郎に並んで立っていることに、羞恥を感じているからだ。しかし、東條からの眼差しを感じ続け、根負けしたように東條を見返す。
正面から視線を交わし、東條は微笑んだ。
「明彦様が求めてくださったのは、執事としての東條ではなく、友人としてのわたくしであると、理解しております。わたくしは、宗一郎様にお仕えいたします。けれど……」
東條はそこで言葉を切ると、意を決したように、続きの言葉を口にした。
「もしこの身に過ぎた願いが許されるのであれば……明彦様を無二の友と、呼ばせてください」
東條の言葉に明彦は驚きに目を瞬き、告げられた内容を理解して、顔を綻ばせる。先ほどの自嘲めいたものではなく、心からの、優しい笑顔だ。
「もちろん。おめでとう、東條」
明彦は、自分でも意外に思うほど、なんのわだかまりもなく祝福の言葉を言うことができた。
「ありがとうございます」
東條は一瞬泣きそうな笑顔を浮かべ、明彦に深々と頭を下げた。宗一郎は東條の肩を軽く叩いて促し、二人は共に大広間へと移動していく。
残された明彦は、周囲から向けられる憐れみの眼差しも気にならなかった。ただ席に戻ることなく、広間を出た。
その後は特段の波乱もなく、花摘会は進んでいく。
男子部側校舎の広間には男子部三年の生徒たちが。女子部側校舎の広間には、当然のことながら女子部三年の生徒たちがいる。それぞれ二百名近い人数が集まっているにも関わらず、皆が皆、緊張のために呼吸さえ殺しているような状況だ。
バトラーとマスターのための椅子がそれぞれに用意されており、彼らは広間の左右に分かれて、向かい合うような形で座っていた。
時計の針が午前一〇時を示したところで、校舎内に重々しい鐘の音が鳴る。その鐘の音を合図に、広間の脇に控えていた松宮が中央へと進み出た。
「只今より、花摘会を開始いたします。はじめに、形式上、指名を受けたバトラーの学籍番号順に読み上げさせていただきますことをお許しください。ご芳名を呼ばれた方々は、中央まで出てきていただきますようお願いいたします」
案内はマスターに対してもしているため、松宮の口調はいつもよりも丁寧なものだ。
「この場でバトラーが持つ花を主人となる方にお渡しすることで花摘の契約が結ばれます。契約を結んだ方々は、共に大広間へとご移動ください。正午より、大広間で続けて忠誠の儀を執り行います」
そこまでの形式的な説明を終え、松宮は手に持っていたスクロールを掲げ持ち、そこに記されている名前を読み上げ始めた。
マスターたちはすでに、昨夜のナイトウォークの後、花摘会で指名する生徒の名を記載して提出している。そのほとんどは指名が被らないように調整が済んでいるため、進行は実にスムーズだ。
名前を呼ばれたバトラーは皆一様に喜びを押し隠し、中央へと進んでいくのが印象的であった。いっぽう、学籍番号順で自分の名前が呼ばれず飛ばされた者もおり、彼らは深くため息をついて顔を覆う。
そうして、数名の花摘の契約が済んだころ。
「白石祐介」
松宮に呼ばれ、白石は立ち上がると広間の中央へと進む。白石の顔には、他の生徒たちにあるような緊張も、喜びもない。自分を指名する者の存在がわかりきっているため、ただリラックスしていた。
「アルバート・ブラウン様」
同時に呼ばれたアルバートもまた、いつも通りの読めない表情だ。
彼らは広間の両側から進み出て、中央で顔を合わせる。
「アルバート様、どうぞこちらをお受け取りください」
無言のアルバートに対し、白石は自身の胸ポケットにさしていた白薔薇を手に取ると、胸に片手を当てながら頭を下げ、恭しく薔薇をアルバートへと差し出す。
アルバートは何も言わず、その薔薇を受け取った。周囲からは儀礼的な拍手が送られる。白石が頭をあげて姿勢を正すと、自身を真っ直ぐに見つめ続けていたアルバートと視線が合う。
「さ、大広間へと向かいましょう」
白石がそう促した瞬間。アルバートは両腕を広げ、白石をぎゅうっと強く抱きしめた。
「はぁっ? アルバート様?」
「ようやく手に入れた」
突然の主の行動に思わず素っ頓狂な声をあげてしまう白石に対し、アルバートは真剣そのものだ。ようやく念願が叶ったというアルバートの様子に、周囲からは笑いと、同時に先ほどよりもよっぽど大きな拍手が沸く。
「良かったなー、アルバート!」
「末長くお幸せに!」
アルバートのことをよく知るクラスメイトたちからはそんな祝福の声までも飛び、まるで結婚式のようである。
「わかった、わかりましたから、ほら、早く行きますよ」
幸せを噛み締めるアルバートに対し、白石は珍しく顔を赤くしていた。ようやくアルバートの腕の拘束から逃れると、半ば主人を引きずるようにして大広間へと移動していく。彼らが去っていった広間は、先ほどより幾分空気の解れたものになっていた。
生徒たちのちょっとした騒動にもいっさいの動揺をしなかった松宮により、また続けて名前が呼ばれていく。
「東條操」
名を呼ばれ、東條はいつもの凜とした様子のまま中央へと進んでいく。けれど、もしここに白石が残っていたとしたら、東條の顔に浮かぶ緊張の表情を読み取れていただろう。
「常陸院宗一郎様。七森明彦様」
東條を指名した者が判明したことにより、主に執事科の席の方から声がざわめいた。続けて明彦の名が呼ばれると、さらに広間全体がどよめく。同時に、椅子の倒れる物音が響いた。
執事科側の奥の席から、水島が立ち上がっていた。彼は呆然とした眼差しを、広間中央へと向かう宗一郎へと向けている。
「宗一郎……?」
水島は呆然とした様子で呟くが、宗一郎が水島へと視線を向けることはない。明彦もまた、水島へと顔を向けることができないていた。
「水島、座りなさい」
様子を見かねて松宮が注意を促すが、水島は思い詰めたような表情のまま走り出し、広間を飛び出していった。宗一郎に指名されなければ自分を指名する者はいないという事実を、もっともわかっているのは彼自身なのだ。
広間のざわめきはいっそう大きくなるが、松宮は咳払いを一つ。
「静粛に願います」
と注意を促すと、しばらく後に落ち着きが戻ってくる。広間にいる者たちの注目は、中央に立つ三人へと戻っていった。
東條は、目の前に並ぶ明彦と宗一郎を見つめた。
「俺の執事は、お前以外に考えられない」
「あの日からずっと、東條にそばにいて欲しかったんだ」
宗一郎がいつも通りの表情で一言告げ、明彦は懇願するように言葉を続ける。
二人からの言葉を聞き、東條は胸にさした白薔薇を手にする。花弁は先が反って満開に、美しく咲き誇る一輪の白薔薇。
一生涯を左右する選択を目前に突きつけられ、しかし東條が思案したのは、ほんの数秒のことだった。
東條は恭しく頭を下げ、薔薇をまっすぐに差し出した。
「宗一郎様。どうか、お受け取りください」
水を打ったように静まり返る広間。その静寂を破ったのは、明彦が脱力するように漏らした息。
「まかせろ」
宗一郎が口角をあげ薔薇を受け取ると、盛大な拍手が送られる。彼らを眺めている者達の間には、特段の驚きはない。この二択を迫られたら、ほとんどの者が宗一郎を選ぶに決まっているからだ。
明彦の表情にも、思い上がっていたとばかりに自嘲の笑いが浮かんでいた。祝福ムードの中、東條はそんな明彦へと視線を向ける。
「明彦様」
東條に名前を呼ばれるが、明彦は彼の顔を見ることを一瞬ためらった。
今宗一郎に並んで立っていることに、羞恥を感じているからだ。しかし、東條からの眼差しを感じ続け、根負けしたように東條を見返す。
正面から視線を交わし、東條は微笑んだ。
「明彦様が求めてくださったのは、執事としての東條ではなく、友人としてのわたくしであると、理解しております。わたくしは、宗一郎様にお仕えいたします。けれど……」
東條はそこで言葉を切ると、意を決したように、続きの言葉を口にした。
「もしこの身に過ぎた願いが許されるのであれば……明彦様を無二の友と、呼ばせてください」
東條の言葉に明彦は驚きに目を瞬き、告げられた内容を理解して、顔を綻ばせる。先ほどの自嘲めいたものではなく、心からの、優しい笑顔だ。
「もちろん。おめでとう、東條」
明彦は、自分でも意外に思うほど、なんのわだかまりもなく祝福の言葉を言うことができた。
「ありがとうございます」
東條は一瞬泣きそうな笑顔を浮かべ、明彦に深々と頭を下げた。宗一郎は東條の肩を軽く叩いて促し、二人は共に大広間へと移動していく。
残された明彦は、周囲から向けられる憐れみの眼差しも気にならなかった。ただ席に戻ることなく、広間を出た。
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