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一月の章
初詣 -1-
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鷹鷲高校にテレビはない。
寮の自室に私費で置いているマスターは多いが、各人の部屋はもちろんプライベートスペースにあたる。バトラーが自由に使用できるテレビは校内に一つもなかった。
もしテレビをつければ、「あけましておめでとうございます」の挨拶とともに、晴れがましい特番が朝から晩まで放送されているころだ。だがそういった世俗とつながる機器もなく、時間が過ぎるのを淡々と待っていれば、年末年始もただの一日。付近に寺がないのもあり、除夜の鐘さえ学校内には届かなかった。寮に残る東條は、大晦日さえなんの感慨もなく過ごし、夜の一一時には床についていた。
華やかなクリスマスパーティが終わってから、九日間が経過した。
今日は一月三日の朝。冬季休暇に入り、敷地内はどこも静まり返っている。
東條は目覚まし時計などもなく自然と目覚めると、ベッドから体を起こし、軽く伸びをした。ベッドサイドに置いている懐中時計を手にして文字盤を見ると、針は朝の七時半を示している。普段よりはずっと遅い目覚めだ。
体の芯から冷えてくるような寒さの中、懐中時計をポケットに滑らせる。パジャマの上にパーカーをはおり、靴を履いて部屋から出る。向かったのはシャワールームだ。そこにある洗面所で歯を磨き、顔を洗い、髪を整えたら、再度部屋に戻って服を着替える。
ワイシャツの上にピーコックブルーのセーターを着て、コーデュロイのパンツを履く。年中寮で暮らしているが、制服を着ていないというだけでリラックスできる。
寮の中でもキャメルのダッフルコートを着込んでから、文庫本を片手に部屋を後にした。そのまま食堂へと向かう。
普段は廊下を含めてどこでも適温に保たれている寮内だが、休暇中はその空調も抑えられている。人気がないというのも相まって、寮内はコートが必要なほどに冷えていた。
当然のことながら、朝食を食べるために食堂へ向かった。しかしながら、長期休暇中の今は、料理が提供されるわけではない。通常時であれば清潔なテーブルクロスがかけられているテーブルも、今は重厚なマホガニーの木目が剥き出しになっている。
がらんとした食堂の中を通ってそのまま厨房に入り、棚に備えてあるシリアルをボウルに盛ると、牛乳をかける。鍋でお湯を沸かし、インスタントのコーヒーを入れて、カップとボウルとスプーンを持って食堂に戻った。
厨房に最も近い位置の席につき、特に「いただきます」を呟くでもなく食べ始める。
究極に楽な朝食だ。普段は紅茶一杯淹れるのでさえ、温度管理をしながら手間暇かけて用意する。こうした自分のためだけの無造作な朝食は、無味乾燥なようでもありながら、贅沢なようにも感じられた。
適当な朝食を済ませると、すでに冷え始めているコーヒーを飲みながら、部屋から持参してきた文庫本を頭から開く。表紙に堂々とした書体で表されているタイトルはズバリ『三国志』である。この本は図書室から借りてきたものではない、東條本人の所有物だ。
東條はすでにこの本を幾度も読んでいる。しかし彼は三国時代という、歴史の流れそのものに強い魅力を感じていた。まるで別世界のような遠い時代、そこに描かれる人間関係に思いを馳せるのが好きだった。
一人静かにページを捲り続ける。
テーブルの上の空になった食器を片付けるでもなく、読書を続けて二時間。不意に、人の話し声が耳に届いた。
東條ははじめ、その話し声を気に留めなかった。学年に一、二人とごく少数だが、東條以外にもそれぞれの理由で寮に残っているバトラーはいるからだ。
だがその声が食堂の方へと近づいてくるにつれ、聞き馴染みのあるものであることに気づいた。東條は本を閉じ、顔を上げる。
食堂の扉を開き入ってきたのは、明彦、宗一郎、白石、アルバートの四人組だった。皆それぞれに個性の出る私服を着ていて、彼らが並んでいると妙に目立つ。今にも雑誌の写真撮影などが行われそうだ。
よく見知った四人の顔を見て、東條はすぐさま立ち上がった。
「お、やっぱりここにいた」
白石が東條の姿を見つけ、軽く手を上げる。
「白石、いったいどうしたんだ。宗一郎様、明彦様に、アルバート様まで」
「明彦様が声をかけてくださったんだ。東條と一緒に初詣に行かないかって」
「あけましておめでとう、東條。勝手に押しかけちゃってごめんね。その、よければ一緒にどうかな?」
「まさか嫌だとは言わないよな」
明彦が問いかけ、宗一郎が言葉を続けて笑う。
東條は自分を慮って来てくれたのだろう、彼らの思いを理解して、軽く眉を下げてから微笑んだ。
「ありがたく、ご一緒させていただきます。それと、あけましておめでとうございます、宗一郎様、明彦様、アルバート様、白石」
東條は背筋を伸ばし、定型句を述べると深々と頭を下げる。今まで白石の影に隠れるようにしていたアルバートを含めて皆が笑み、口々に新年の挨拶を交わす。明彦はホッとして胸を撫で下ろした。
「本当は事前に東條に連絡しとこうと思ったんだけどね、宗一郎が」
「こういうのはサプライズ感があった方が面白いだろ」
宗一郎の言葉に、ほら、と言うように明彦が肩をすくめる。
「確かに驚きましたが、本当にうれしいです。ありがとうございます」
「せっかくだから、学校からは大鳥神社まで歩いて行こうって話になってるんだけど、行けそう?」
明彦の提案に東條は驚いた。マスターは通常、移動には運転手付きの車を使う。そんな彼らが三人も集まって、学校から神社まで歩いていこうというのはなかなか珍しい提案だった。
実際、三人のマスターは家からここまでは車でやって来ている。明彦の家から学校までの車の手配をしたのは宗一郎で、白石のことはアルバートが迎えにいった。
しかし、彼らはすでに話し合いの末、同年代同士の時間を優先させるためにすでに帰してしまっていた。
「もちろんです。申し訳ないのですが、食器を片付けて参りますので、少々お待ちいただけますか」
「俺も手伝うよ」
東條は汚れた食器を持ち、白石と共に厨房に戻る。食器は手伝ってもらう量ではないのだが、厨房に二人きりになると、白石は口を開いた。
「多分、なんであの二人と一緒にアルバート様がいるんだ、って思ってると思うんだけどな」
「そのようなことはないが」
洗剤で軽く食器を洗いながら、東條は軽く笑う。
クラスが違うこともあり、アルバートは特に宗一郎、明彦と仲が良い訳ではない。先ほども、白石の後ろにくっついているだけで、一言も言葉を発していなかった。
「実は俺がアルバート様に、家に来ないかって誘われてたんだよな。ずっと断ってたんだが、そこに明彦様から連絡が来て。これは良い断り文句ができたと思ってアルバート様の方に断りを入れたら、一緒に来たいって言い出して。明彦様に聞いたら良いって言うから、つれてきた」
「なんで断っていたんだ? 呼ばれたのなら行ってさしあげればよかったのに」
「アルバート様は家に帰ってから飯がほとんど食べられてないから、俺に料理を作って欲しかったらしい。だけど、まだ花摘の契約も済んでない、ただの学生が貴族の家に行って、そのお抱えシェフの横で、勝手に料理なんか作れるかよ。俺の立場も考えてくれって」
アルバートの偏食具合は東條も知っている。自分の家の料理が食べられないというアルバートがなんだか不憫に感じられて、東條は眉を下げた。
白石は話を続ける。
「明彦様が俺を誘ってくださったのは、俺がお前と仲良いからだと思うが」
「僕はどちらかというと、水島がいないことの方が意外だった」
「なんでも、用事があるって断られたらしいぜ。実はな、初めは宗一郎様も来られないってことだったんだ。常陸院家はほら、こういう時期は忙しいだろ」
白石の言葉に、片付けを終えた東條は手を拭いながら頷く。
「でも昨日の夜、急遽来られることになって。だからま『宗一郎様が来ないなら僕も行かなーい』って感じだったんじゃねぇかと」
「そうか。なんだか水島らしくて、少し安心するな」
東條の言わんとすることを察して、白石は口角を上げた。
「あいつは、そうへこたれる奴じゃねぇと思うよ、俺は。さ、せっかく明彦様が企画してくれたんだ。俺たちは一般的な同級生とはちょっと違うけどさ、広義的に言えば友達と一緒に行く高校最後の初詣、楽しもうぜ」
白石は明るく笑いながら東條の肩を抱いた。
寮の自室に私費で置いているマスターは多いが、各人の部屋はもちろんプライベートスペースにあたる。バトラーが自由に使用できるテレビは校内に一つもなかった。
もしテレビをつければ、「あけましておめでとうございます」の挨拶とともに、晴れがましい特番が朝から晩まで放送されているころだ。だがそういった世俗とつながる機器もなく、時間が過ぎるのを淡々と待っていれば、年末年始もただの一日。付近に寺がないのもあり、除夜の鐘さえ学校内には届かなかった。寮に残る東條は、大晦日さえなんの感慨もなく過ごし、夜の一一時には床についていた。
華やかなクリスマスパーティが終わってから、九日間が経過した。
今日は一月三日の朝。冬季休暇に入り、敷地内はどこも静まり返っている。
東條は目覚まし時計などもなく自然と目覚めると、ベッドから体を起こし、軽く伸びをした。ベッドサイドに置いている懐中時計を手にして文字盤を見ると、針は朝の七時半を示している。普段よりはずっと遅い目覚めだ。
体の芯から冷えてくるような寒さの中、懐中時計をポケットに滑らせる。パジャマの上にパーカーをはおり、靴を履いて部屋から出る。向かったのはシャワールームだ。そこにある洗面所で歯を磨き、顔を洗い、髪を整えたら、再度部屋に戻って服を着替える。
ワイシャツの上にピーコックブルーのセーターを着て、コーデュロイのパンツを履く。年中寮で暮らしているが、制服を着ていないというだけでリラックスできる。
寮の中でもキャメルのダッフルコートを着込んでから、文庫本を片手に部屋を後にした。そのまま食堂へと向かう。
普段は廊下を含めてどこでも適温に保たれている寮内だが、休暇中はその空調も抑えられている。人気がないというのも相まって、寮内はコートが必要なほどに冷えていた。
当然のことながら、朝食を食べるために食堂へ向かった。しかしながら、長期休暇中の今は、料理が提供されるわけではない。通常時であれば清潔なテーブルクロスがかけられているテーブルも、今は重厚なマホガニーの木目が剥き出しになっている。
がらんとした食堂の中を通ってそのまま厨房に入り、棚に備えてあるシリアルをボウルに盛ると、牛乳をかける。鍋でお湯を沸かし、インスタントのコーヒーを入れて、カップとボウルとスプーンを持って食堂に戻った。
厨房に最も近い位置の席につき、特に「いただきます」を呟くでもなく食べ始める。
究極に楽な朝食だ。普段は紅茶一杯淹れるのでさえ、温度管理をしながら手間暇かけて用意する。こうした自分のためだけの無造作な朝食は、無味乾燥なようでもありながら、贅沢なようにも感じられた。
適当な朝食を済ませると、すでに冷え始めているコーヒーを飲みながら、部屋から持参してきた文庫本を頭から開く。表紙に堂々とした書体で表されているタイトルはズバリ『三国志』である。この本は図書室から借りてきたものではない、東條本人の所有物だ。
東條はすでにこの本を幾度も読んでいる。しかし彼は三国時代という、歴史の流れそのものに強い魅力を感じていた。まるで別世界のような遠い時代、そこに描かれる人間関係に思いを馳せるのが好きだった。
一人静かにページを捲り続ける。
テーブルの上の空になった食器を片付けるでもなく、読書を続けて二時間。不意に、人の話し声が耳に届いた。
東條ははじめ、その話し声を気に留めなかった。学年に一、二人とごく少数だが、東條以外にもそれぞれの理由で寮に残っているバトラーはいるからだ。
だがその声が食堂の方へと近づいてくるにつれ、聞き馴染みのあるものであることに気づいた。東條は本を閉じ、顔を上げる。
食堂の扉を開き入ってきたのは、明彦、宗一郎、白石、アルバートの四人組だった。皆それぞれに個性の出る私服を着ていて、彼らが並んでいると妙に目立つ。今にも雑誌の写真撮影などが行われそうだ。
よく見知った四人の顔を見て、東條はすぐさま立ち上がった。
「お、やっぱりここにいた」
白石が東條の姿を見つけ、軽く手を上げる。
「白石、いったいどうしたんだ。宗一郎様、明彦様に、アルバート様まで」
「明彦様が声をかけてくださったんだ。東條と一緒に初詣に行かないかって」
「あけましておめでとう、東條。勝手に押しかけちゃってごめんね。その、よければ一緒にどうかな?」
「まさか嫌だとは言わないよな」
明彦が問いかけ、宗一郎が言葉を続けて笑う。
東條は自分を慮って来てくれたのだろう、彼らの思いを理解して、軽く眉を下げてから微笑んだ。
「ありがたく、ご一緒させていただきます。それと、あけましておめでとうございます、宗一郎様、明彦様、アルバート様、白石」
東條は背筋を伸ばし、定型句を述べると深々と頭を下げる。今まで白石の影に隠れるようにしていたアルバートを含めて皆が笑み、口々に新年の挨拶を交わす。明彦はホッとして胸を撫で下ろした。
「本当は事前に東條に連絡しとこうと思ったんだけどね、宗一郎が」
「こういうのはサプライズ感があった方が面白いだろ」
宗一郎の言葉に、ほら、と言うように明彦が肩をすくめる。
「確かに驚きましたが、本当にうれしいです。ありがとうございます」
「せっかくだから、学校からは大鳥神社まで歩いて行こうって話になってるんだけど、行けそう?」
明彦の提案に東條は驚いた。マスターは通常、移動には運転手付きの車を使う。そんな彼らが三人も集まって、学校から神社まで歩いていこうというのはなかなか珍しい提案だった。
実際、三人のマスターは家からここまでは車でやって来ている。明彦の家から学校までの車の手配をしたのは宗一郎で、白石のことはアルバートが迎えにいった。
しかし、彼らはすでに話し合いの末、同年代同士の時間を優先させるためにすでに帰してしまっていた。
「もちろんです。申し訳ないのですが、食器を片付けて参りますので、少々お待ちいただけますか」
「俺も手伝うよ」
東條は汚れた食器を持ち、白石と共に厨房に戻る。食器は手伝ってもらう量ではないのだが、厨房に二人きりになると、白石は口を開いた。
「多分、なんであの二人と一緒にアルバート様がいるんだ、って思ってると思うんだけどな」
「そのようなことはないが」
洗剤で軽く食器を洗いながら、東條は軽く笑う。
クラスが違うこともあり、アルバートは特に宗一郎、明彦と仲が良い訳ではない。先ほども、白石の後ろにくっついているだけで、一言も言葉を発していなかった。
「実は俺がアルバート様に、家に来ないかって誘われてたんだよな。ずっと断ってたんだが、そこに明彦様から連絡が来て。これは良い断り文句ができたと思ってアルバート様の方に断りを入れたら、一緒に来たいって言い出して。明彦様に聞いたら良いって言うから、つれてきた」
「なんで断っていたんだ? 呼ばれたのなら行ってさしあげればよかったのに」
「アルバート様は家に帰ってから飯がほとんど食べられてないから、俺に料理を作って欲しかったらしい。だけど、まだ花摘の契約も済んでない、ただの学生が貴族の家に行って、そのお抱えシェフの横で、勝手に料理なんか作れるかよ。俺の立場も考えてくれって」
アルバートの偏食具合は東條も知っている。自分の家の料理が食べられないというアルバートがなんだか不憫に感じられて、東條は眉を下げた。
白石は話を続ける。
「明彦様が俺を誘ってくださったのは、俺がお前と仲良いからだと思うが」
「僕はどちらかというと、水島がいないことの方が意外だった」
「なんでも、用事があるって断られたらしいぜ。実はな、初めは宗一郎様も来られないってことだったんだ。常陸院家はほら、こういう時期は忙しいだろ」
白石の言葉に、片付けを終えた東條は手を拭いながら頷く。
「でも昨日の夜、急遽来られることになって。だからま『宗一郎様が来ないなら僕も行かなーい』って感じだったんじゃねぇかと」
「そうか。なんだか水島らしくて、少し安心するな」
東條の言わんとすることを察して、白石は口角を上げた。
「あいつは、そうへこたれる奴じゃねぇと思うよ、俺は。さ、せっかく明彦様が企画してくれたんだ。俺たちは一般的な同級生とはちょっと違うけどさ、広義的に言えば友達と一緒に行く高校最後の初詣、楽しもうぜ」
白石は明るく笑いながら東條の肩を抱いた。
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