鷹鷲高校執事科

三石成

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一〇月の章

祭の陰 -2-

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 水島は一人、鈴木の言っていた物置の前へと駆けつけた。普段から利用されていないせいか、歴史ある校舎の中でもいっそう古めいて感じる木製の扉だ。広い鷹鷲高校の校舎には使われていない空き教室も多く、この周辺は客もおらず閑散としている。

 扉に手をかけると、鍵がかかっているのか揺れるだけで開くことはなかった。だがその扉についた真鍮製のノブを回した時、中から人の話し声のようなものが聞こえた。

 水島には、中から微かに聞こえた声に聞き覚えがあった。体育祭のあの日、水島を冷たく貶した男の声だ。

 その事実を認識した途端、水島の体は突き動かされるように行動していた。

 近くの空き教室から重厚な肘掛け椅子を引っ張ってくると、扉のノブに思い切り打ち付ける。椅子の重さを増した渾身の一撃は強く、バキッという激しい物音をたてノブと共に鍵が壊れた。

 そのままの勢いで扉を開き、水島は目を見開いた。

 驚いたようにこちらを見る修斗と幸也。そして、部屋の中央に着衣を乱し、力無く横たわる山下。彼の顔や体のあちこちに殴打の痕も見て取れるが、それ以上に水島にとって衝撃だったのは、そこに性的な暴行を加えられた形跡があることだ。

 その山下の姿を目にした瞬間、水島は、自分の記憶の中に沈めた出来事が蘇るのを感じていた。視界の端がじわりとぼやけるような感覚。今水島の目に入っているのは、修斗の歪んだ顔だけ。

「なんだ、お前執事科の水島……」

 修斗が何かを言いかけたが、水島は構わず踏み込み、全体重をかけて近くにいた修斗の顔面に拳をめり込ませた。

「うっ!」

 水島の小柄な体から繰り出されたとは思えない程の重い顔面ストレートに、修斗はうめき声をあげて、そのままふらりと後ろへ尻餅をつく。

 すると、水島が鍵をぶち破って部屋に入ってきたことすら気にかけず、虚に天井を見上げていた山下が、ようやくビクッと体を震わせた。

 傷ついた体が痛むのを庇いながら上体を起こし、驚愕に目を見開いている。山下には、マスターを殴った水島の行為がすぐには脳内処理できなかったのだ。

「水、島さん……いま、何を……」

「お前、何をしたかわかってんのか、平民の分際で」

 同時に、今まで様子を見ていた幸也が声を上げる。だが、その声を掻き消すほどの声量で水島は叫んだ。

「何をしたかわかってねぇのは貴様らだろうが! これは紛うことなき犯罪だぞ」

「お前が貴族に手をあげたことが罪だ! この寄生虫が。お前らがここにいられるのも、毎日飯が食えるのも、誰のおかげだと思っている」

 水島の言葉に、鼻から血を垂らしながら修斗が言い返す。

「なんだって?」

「お前は今俺を殴りつけた。このことは俺も幸也も山下も見ている。大問題になるぜ」

「そういうお前は、山下に何をした!」

「こいつは俺を訴えたりしねぇよ。全部同意の上ってことだ。なあ?」

 修斗は育ちに似合わぬ下卑た笑いを浮かべながら、横にへたり込んだままの山下の顎を掴んだ。山下は嫌悪感を滲ませ眉を寄せながらも、口をキュッと噤んで、目を閉じる。

 山下の表情には、彼の悲壮な覚悟が宿っていた。山下は決して水島へ助けを求めてはいない。だが同時に、水島はそんな山下の表情に過去の自分の影を重ねることを止められないでいた。

 修斗と幸也の言葉や振る舞いは、水島をさらに激昂させていく。

「このクソ野郎が、山下から手を離せ!」

 水島は拳を握りしめると、再度修斗に殴りかかった。

 床に押し倒し、馬乗りになると、幾度も、幾度も顔面を殴りつける。

「水島さん、やめてくださいっ」

 山下が声を上げるが、すっかり頭に血が上った水島の耳には届いていなかった。

「何不自由ない生活をしてきたお前に、山下の苦しみがわかるものか。腹が減ってるのに、目の前に並ぶ食べ物の一つも買えない苦しさがお前にわかるか。明日住む場所がなくなるかもしれない恐怖が、お前にわかるのか。どんなに人間としての尊厳を踏み躙られても、家族のためにすべてを我慢する山下の気持ちが……っ」

 修斗を殴り続けながら、叫ぶ水島の両目からは、大粒の涙がこぼれ落ちている。発する言葉は山下の苦しみの代弁のようであり、その実、水島自身の苦すぎる思い出の発露である。

 修斗は鼻血を垂らしながら、もはや言葉もない。幸也は殴られている修斗を見ているだけで、いっさいの手出しができなかった。幸也も修斗も、無抵抗な者を殴ることには慣れているが、殴られることには免疫がないお坊ちゃんなのである。

「ふざけるなっ……」

 水島は渾身の力を込め、再度腕を振り上げた。

 と、その時。

 背後から伸びてきた力強い手が、水島の拳を掴んで引き止める。

「おやめなさい」

 この場に似合わぬほど、冷静に低く響く声。水島はハッとして振り返る。

 そこには、鷹鷲高校の校長である鳳大都が立っていた。
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