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一〇月の章
祭の陰 -1-
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「僕、女子部に行きたい!」
シフトを終えた水島は、廊下へ出た途端に高らかと宣言した。実に男子高校生らしい主張だが、身なりは大正ロマンなウェイトレス姿のままだ。ここには更衣室がないため、着替えはバックヤードになっている執事科の教室に行かねばならない。
入れ替わりになる形で東條がシフトに入ったため、これから一時間は水島、宗一郎、明彦の三人で鷹鷲際を回ることになる。
「着替えたら、そのまま女子部の出し物に行こうよ。こんな時でもなきゃ秘密の花園に入れないんだし。きっと女子部の子たちも、かわいい格好してるんだろうな」
「今のところ、一番かわいいのは水島だけどね」
ウェイトレス姿のまま年頃の男子らしいことを言う水島に、明彦が笑う。
「二人はさっきプリン食べてたからいいと思うけどさ、僕お腹減った。喉乾いた。女子部にお抹茶屋さんあるみたいだよ」
「女子部に行くのはいいが、せっかくだから着替えないで、そのままの格好で行ったらどうだ?」
早速歩き出しながら、宗一郎が提案する。
「えー、なんでよ」
「その格好だと、俺たちにその口調でも違和感ないだろ。多分、制服のままいつもの調子で話してたら、女子部の先生に捕まって怒られるぞ。それに、女子はきっと女装が好きだ。人気者になれる」
「それは……いいかも」
水島は顎に手を当てしみじみと考慮した後、結局は当初嫌がっていたウェイトレス姿のままで、女子部へと向かうことになった。
鷹鷲高校の校舎は一見して一つの大きな城だが、実際には女子部と男子部で完全に分かれており、中央にある大広間を通ることでしか内部で行き交うことができない構造になっている。今、その大広間は閉鎖中だ。
三人はまず一階へ向かうと、男子部のエントランスである西口から外へと出た。現在時刻は三時。まだまだ明るいが、陽が傾きかけている。
彼らはそのままイングリッシュガーデンを通り、女子部のエントランスである東口へと向かう。
と、不意に明彦が足を止める。
その視線の先には、茂みの影に隠れるようにしてしゃがみ込む、女子部執事科生徒の姿があった。明彦の背の高さがあってからこそ見つけられた位置関係だ。彼女のシャツのリボンは外れ、ボタンも上から二つほど外れている。
「なあ、あの子。なにかあったのかな」
明彦が示し、二人も一見して、何かただならぬことがあったと分かる彼女の様子に気づいた。そして、宗一郎は彼女に見覚えがあった。春のお茶会で言葉を交わした鈴木だ。
三人は顔を見合わせてから近づいて行く。その複数人の足音に、鈴木はビクッと体を震わせた。
「君、確か……鈴木、だったよな。大丈夫か?」
極力穏やかな声音で、宗一郎が声をかける。鈴木はチラリと宗一郎の顔を見て何か言いたげに軽く口を開いたが、声は発されることなく、また地面へと視線を落とした。ぎゅっと握りしめた手が震えている。何か言いたいことがあるが、うまく反応ができない、といった様子だ。
「えっと……」
宗一郎がどうしたものかと思案しながら次の言葉を探す。そんな宗一郎と鈴木の様子に、水島が宗一郎の肩に手を置き、前へと出た。
「何か怖いことがあったんだよね。誰も君を傷つけないから、安心して? 肩に触れても大丈夫かな」
水島は鈴木と視線を合わせるようにしゃがみ込み、意識して高めの声で話しかけた。ウェイトレスの衣裳もあいまって、水島から男の気配が消え去る。
そんな水島を見て、鈴木の表情が微かに和らいだ。彼女が頷くのを見て、水島は彼女を安心させるように、軽く鈴木の肩を抱く。
「ごめんなさい。私……」
肩から伝わる体温に恐怖が僅かに和らいだ様子で、鈴木はようやく言葉を発した。しかし、溢れ出した涙に再度言葉が詰まる。
「何も謝ることないよ。落ち着いて? もしよかったら何があったか、話してくれる?」
水島は努めて高めの声で話しながら、落ち着かせるように鈴木の肩をぽんぽんと撫でる。鈴木はひとつ頷くと、意を決したように話し始めた。
「私は茉莉花様のご要望で、男子部で販売されているいちごミルクを買いに行ったのです。その途中で、あのお茶会でも接したマスターお二人……たしか、修斗様、幸也様と会いました」
鈴木の口から出てきた名前に、宗一郎は眉を寄せる。
「彼らは、私を探していたと言いました。理由を問うと、茉莉花様のご気分が悪そうだったので、別の場所へお連れしたと言うのです」
続く言葉はやはり不穏なものだ。宗一郎は、春のお茶会で一瞬だけ会った茉莉花のことを思い出していた。彼女はひどい男性恐怖症だ。鈴木が一人で男子部に飲み物を買いに行ったのも、男子部に入ることを彼女が怖がったからだと予測ができる。であれば、修斗と幸也の言葉には疑問が湧く。
宗一郎の考えを読み取ったように、鈴木は言葉を続けた。
「おかしいとは思ったんです。茉莉花様が、彼らと一緒に移動なんかはしないって。わかってはいたんですけど。もし茉莉花様が怖い目にあっていたらどうしようって」
話しているうちに、また鈴木の感情が昂りだす。
「それで私、彼らに案内されるままについて行きました。男子部二階の、東階段の奥。使われていない物置です。もちろん茉莉花様はいらっしゃらなくて、そこに入った途端、押し倒されて、修斗様が私の服に手を……」
鈴木はそこまで話すと、再びしゃくり上げた。彼女と怯えきった様子と、修斗の卑劣な行為に、話を聞いていた三人の表情も歪む。
「あいつら……許せない」
明彦が怒りに震える拳を握る。
「辛いことを話させてしまったな。このことは俺たちが責任を持って学校に報告する。あいつらには然るべき対処をしてもらうから」
鈴木には、宗一郎がそう優しく声をかけた。と、鈴木は首を振り、顔を上げる。
「まってください。まだ言わなきゃいけないことがあって」
「なんだい?」
「そうして私が無理やり押し倒された時、それまで黙って彼らのそばについていたバトラーが止めに入ってくださったんです。あの人たちは彼のことを酷く殴りつけていましたが、彼が身を挺してくださったおかげで私は逃げ出すことができました。私、すぐに助けを呼ばなきゃって思ったんです。だけど……怖くて。茉莉花様を探しにきたのに、いらっしゃらなくて。ここに隠れているしかできなくて……本当にごめんなさい」
鈴木の言葉に、明彦が目を見開いた。
「修斗の担当って、もしかして山下じゃ……」
修斗は、選定で山下と、紫陽花祭の時に従えていた岸の二人しか選ばなかった。
山下は他に尚敬とケビンにも選定されていたが、二人は他にも複数の生徒を選定している。そのため、山下は二日に一度は修斗の担当執事として過ごしていた。今日も修斗の担当が山下である可能性は大きい。
明彦の呟きを耳にすると水島は無言で立ち上がり、勢いよく駆け出した。
「おい、待て水島!」
宗一郎が慌てて静止の声をかけるが、水島の俊足は一度も止まらなかった。瞬く間に男子部の校舎の中へと消えていく。
宗一郎はすぐさま後を追おうとしたが、ごめんなさいと泣きじゃくる鈴木の様子を見れば、その場に残る他なかった。
シフトを終えた水島は、廊下へ出た途端に高らかと宣言した。実に男子高校生らしい主張だが、身なりは大正ロマンなウェイトレス姿のままだ。ここには更衣室がないため、着替えはバックヤードになっている執事科の教室に行かねばならない。
入れ替わりになる形で東條がシフトに入ったため、これから一時間は水島、宗一郎、明彦の三人で鷹鷲際を回ることになる。
「着替えたら、そのまま女子部の出し物に行こうよ。こんな時でもなきゃ秘密の花園に入れないんだし。きっと女子部の子たちも、かわいい格好してるんだろうな」
「今のところ、一番かわいいのは水島だけどね」
ウェイトレス姿のまま年頃の男子らしいことを言う水島に、明彦が笑う。
「二人はさっきプリン食べてたからいいと思うけどさ、僕お腹減った。喉乾いた。女子部にお抹茶屋さんあるみたいだよ」
「女子部に行くのはいいが、せっかくだから着替えないで、そのままの格好で行ったらどうだ?」
早速歩き出しながら、宗一郎が提案する。
「えー、なんでよ」
「その格好だと、俺たちにその口調でも違和感ないだろ。多分、制服のままいつもの調子で話してたら、女子部の先生に捕まって怒られるぞ。それに、女子はきっと女装が好きだ。人気者になれる」
「それは……いいかも」
水島は顎に手を当てしみじみと考慮した後、結局は当初嫌がっていたウェイトレス姿のままで、女子部へと向かうことになった。
鷹鷲高校の校舎は一見して一つの大きな城だが、実際には女子部と男子部で完全に分かれており、中央にある大広間を通ることでしか内部で行き交うことができない構造になっている。今、その大広間は閉鎖中だ。
三人はまず一階へ向かうと、男子部のエントランスである西口から外へと出た。現在時刻は三時。まだまだ明るいが、陽が傾きかけている。
彼らはそのままイングリッシュガーデンを通り、女子部のエントランスである東口へと向かう。
と、不意に明彦が足を止める。
その視線の先には、茂みの影に隠れるようにしてしゃがみ込む、女子部執事科生徒の姿があった。明彦の背の高さがあってからこそ見つけられた位置関係だ。彼女のシャツのリボンは外れ、ボタンも上から二つほど外れている。
「なあ、あの子。なにかあったのかな」
明彦が示し、二人も一見して、何かただならぬことがあったと分かる彼女の様子に気づいた。そして、宗一郎は彼女に見覚えがあった。春のお茶会で言葉を交わした鈴木だ。
三人は顔を見合わせてから近づいて行く。その複数人の足音に、鈴木はビクッと体を震わせた。
「君、確か……鈴木、だったよな。大丈夫か?」
極力穏やかな声音で、宗一郎が声をかける。鈴木はチラリと宗一郎の顔を見て何か言いたげに軽く口を開いたが、声は発されることなく、また地面へと視線を落とした。ぎゅっと握りしめた手が震えている。何か言いたいことがあるが、うまく反応ができない、といった様子だ。
「えっと……」
宗一郎がどうしたものかと思案しながら次の言葉を探す。そんな宗一郎と鈴木の様子に、水島が宗一郎の肩に手を置き、前へと出た。
「何か怖いことがあったんだよね。誰も君を傷つけないから、安心して? 肩に触れても大丈夫かな」
水島は鈴木と視線を合わせるようにしゃがみ込み、意識して高めの声で話しかけた。ウェイトレスの衣裳もあいまって、水島から男の気配が消え去る。
そんな水島を見て、鈴木の表情が微かに和らいだ。彼女が頷くのを見て、水島は彼女を安心させるように、軽く鈴木の肩を抱く。
「ごめんなさい。私……」
肩から伝わる体温に恐怖が僅かに和らいだ様子で、鈴木はようやく言葉を発した。しかし、溢れ出した涙に再度言葉が詰まる。
「何も謝ることないよ。落ち着いて? もしよかったら何があったか、話してくれる?」
水島は努めて高めの声で話しながら、落ち着かせるように鈴木の肩をぽんぽんと撫でる。鈴木はひとつ頷くと、意を決したように話し始めた。
「私は茉莉花様のご要望で、男子部で販売されているいちごミルクを買いに行ったのです。その途中で、あのお茶会でも接したマスターお二人……たしか、修斗様、幸也様と会いました」
鈴木の口から出てきた名前に、宗一郎は眉を寄せる。
「彼らは、私を探していたと言いました。理由を問うと、茉莉花様のご気分が悪そうだったので、別の場所へお連れしたと言うのです」
続く言葉はやはり不穏なものだ。宗一郎は、春のお茶会で一瞬だけ会った茉莉花のことを思い出していた。彼女はひどい男性恐怖症だ。鈴木が一人で男子部に飲み物を買いに行ったのも、男子部に入ることを彼女が怖がったからだと予測ができる。であれば、修斗と幸也の言葉には疑問が湧く。
宗一郎の考えを読み取ったように、鈴木は言葉を続けた。
「おかしいとは思ったんです。茉莉花様が、彼らと一緒に移動なんかはしないって。わかってはいたんですけど。もし茉莉花様が怖い目にあっていたらどうしようって」
話しているうちに、また鈴木の感情が昂りだす。
「それで私、彼らに案内されるままについて行きました。男子部二階の、東階段の奥。使われていない物置です。もちろん茉莉花様はいらっしゃらなくて、そこに入った途端、押し倒されて、修斗様が私の服に手を……」
鈴木はそこまで話すと、再びしゃくり上げた。彼女と怯えきった様子と、修斗の卑劣な行為に、話を聞いていた三人の表情も歪む。
「あいつら……許せない」
明彦が怒りに震える拳を握る。
「辛いことを話させてしまったな。このことは俺たちが責任を持って学校に報告する。あいつらには然るべき対処をしてもらうから」
鈴木には、宗一郎がそう優しく声をかけた。と、鈴木は首を振り、顔を上げる。
「まってください。まだ言わなきゃいけないことがあって」
「なんだい?」
「そうして私が無理やり押し倒された時、それまで黙って彼らのそばについていたバトラーが止めに入ってくださったんです。あの人たちは彼のことを酷く殴りつけていましたが、彼が身を挺してくださったおかげで私は逃げ出すことができました。私、すぐに助けを呼ばなきゃって思ったんです。だけど……怖くて。茉莉花様を探しにきたのに、いらっしゃらなくて。ここに隠れているしかできなくて……本当にごめんなさい」
鈴木の言葉に、明彦が目を見開いた。
「修斗の担当って、もしかして山下じゃ……」
修斗は、選定で山下と、紫陽花祭の時に従えていた岸の二人しか選ばなかった。
山下は他に尚敬とケビンにも選定されていたが、二人は他にも複数の生徒を選定している。そのため、山下は二日に一度は修斗の担当執事として過ごしていた。今日も修斗の担当が山下である可能性は大きい。
明彦の呟きを耳にすると水島は無言で立ち上がり、勢いよく駆け出した。
「おい、待て水島!」
宗一郎が慌てて静止の声をかけるが、水島の俊足は一度も止まらなかった。瞬く間に男子部の校舎の中へと消えていく。
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