26 / 51
九月の章
体育祭 -1-
しおりを挟む
八月の後半には夏の終わりを感じさせていた気温が、九月に入ってまたその盛りを思い出してきているかのようだった。
鷹鷲高校の校舎や寮は、建物自体は古いが機能面では徹底的に改築が施されている。自動空調が働いているため、建物の中にいる限りはどこでも一年中快適な温度で過ごすことができた。しかしいくら財を投じたところで、外気温を調整することは不可能だ。
グラウンドを囲む観客席に座ったマスターたちは、茹だるような暑さに皆閉口していた。三年のバトラーたちはその脇で彼らを団扇で仰いだり、タオルを巻いた氷を首筋に当てたりして必死のサポートをしている。
今は体育祭の真最中。グラウンドでは徒競走が行われ、声援とスターターピストルの音が定期的に響く。
今日はマスター、バトラー共に全員が学校指定の体操服を着ている。マスターは白のジャージ、バトラーは黒のジャージと、制服と同じように色が分けられている。加えて、バトラーはどんなに暑くとも、体操服の上にジャージのジャケットを身につけることが必須とされているので、一目で見分けることができた。
鷹鷲高校のグラウンドはただ広いだけの空間ではなく、その周囲を、高さをつけた観客席が囲むスタジアム形状になっている。グラウンドへの入場門は、観客席の下にある。
「これより、徒競走執事科部門を開始します。また、騎馬戦執事科部門に参加する選手の皆さんは、入場門エリアに集合してください」
救護室の横に建てられた運営本部テントの下で、尚敬がマイクを通してグラウンド全体にアナウンスをした。この体育祭は、全体が生徒会執行部により運営されている。一日を通してのアナウンスは、生徒会長である尚敬の担当だ。
その横では、タイムキーパー兼得点管理担当の明彦が、徒競走での順位を記入しながらそれぞれの組への得点を加算している。明彦が手元のデバイスに点数を入力すると、グラウンドに掲げられた巨大なスコアボードに反映される仕組みになっていた。
ちなみに鷹鷲高校の体育祭は女子と男子は別日に行われるが、マスターとバトラーは合同だ。ただしバトラーとマスターは基本的に、同時に競技へ参加することはない。同じ競技の部門を分け二度行って、それぞれに紅組と白組に点数を加算していく形式になっている。
明彦が耳につけたヘッドセットでたびたび連絡を取りあっているのは、グラウンド上でスターターを担当するバトラーの田中だ。
田中はツンツンとした短髪に黒縁のスクエアメガネが実によく似合う、かっちりとした雰囲気を纏っている。日差しの直撃しているグラウンドに立ち続けながら、ジャケットのジッパーは一番上まで上げられている。
彼は常日頃からほとんど表情が変わらないので、生徒会執行部の中でも親しみを込めて田中ロボなどと呼ばれていた。
「山下、入場門行くよー」
本部テントから出て、小型の拡声器を手に山下へと声をかけたのはケビン。彼はマスターだ。
ケビンは名前の通り母親がアメリカ人のハーフだが、アルバートのように家系として他国の血を継いでいる訳ではない。代々外交官を務めている葛城家の次男だ。
浅黒い肌にスモーキーグリーンの瞳が印象的で、顔立ちにはどこかラテン系の血を感じる。
「はい!」
ケビンからの呼びかけに、山下は元気いっぱいに応えた。次の競技に使う用具をカゴに入れて抱え、クーラーボックスを肩に担いで走り出す。
彼は競技ごとの用具の管理を行っていた。忙しい生徒会の中でも、一番体力勝負な役回りと言って差し支えない。
入場門の奥では、すでに東條が忙しく動いていた。
「東條お疲れー、どう、集まってる?」
ケビンはいつもの調子で気安く声をかけると、東條の手元を覗き込む。
東條が手にしているのは出場選手の名簿を管理するタブレット。彼は主に入場門で組ごとの整列の案内と、出場選手が揃っているかどうかを管理している。
鷹鷲高校という特殊な学校において、最も気を使うのが貴族であるマスターの扱いだ。バトラーならばともかく、マスターに軽々しく点呼をさせるのは憚られる。
そんな中で、マスター全員の顔と名前が一致している東條は最高の適任者だった。
「お疲れ様ですケビン様。はい、騎馬戦帝王科部門選手、全員こちらにいらっしゃいます」
「オッケー」
ケビンは東條に微笑むと、拡声器を口に当てた。
「騎馬戦帝王科部門に出場する皆さん。これから注意事項をご案内しますのでよくお聞きくださいねー」
拡声器によってあたりに響く声に、ざわめいていた選手達の視線がケビンへと向く。彼の役目は、入場前の選手へ向けた入場から手順の案内だ。
「これから各チームに一本ずつ襷をお配りしますので、騎手役の人が肩からかけてくださいね。練習の時と同じく襷は破れやすくできていますので、着用時に破れてしまったら山下にお声がけください」
ケビンが合図を送ると、山下は自分の存在を主張するように両手を上げて振った。ケビンの説明は続くが、その間も山下は襷と、クーラーボックスに入れて持ってきたスポーツドリンクを配って歩く。
「この襷を取られたら、即時フィールドから出て、安全を確保した後に騎馬を解体してください。その場で降りると混雑して危険ですので。怪我防止のため、競技中騎手は他選手の襷以外に触れることを禁じます。ルール違反は即時退場になりますのでーご注意ください」
選手達の様子を見ながら、ケビンがそこまで説明をしたその時。
「あっ」
山下が小さく声を漏らし、派手に転んだ。つんのめって彼自身前に倒れ込むが、同時に彼が持っていたクーラーボックスから多数のペットボトルが溢れ、カゴに乗っていた襷が地面の上を転がっていく。
派手に響いた痛そうな音に、あたりに一瞬静寂が走った、その時。
「だっせぇ、何やってんだよ」
ひどく冷たく響く声。ケビンは声の主を見た。
転んだ山下の横でせせら笑っているのは修斗だ。ケビンは思わず駆け寄ろうとしたが、その前に東條に制するような仕草をされ、足を止めた。東條からのアイコンタクトに促され、山下のことを気にかけながらも案内を続ける。
鷹鷲高校の校舎や寮は、建物自体は古いが機能面では徹底的に改築が施されている。自動空調が働いているため、建物の中にいる限りはどこでも一年中快適な温度で過ごすことができた。しかしいくら財を投じたところで、外気温を調整することは不可能だ。
グラウンドを囲む観客席に座ったマスターたちは、茹だるような暑さに皆閉口していた。三年のバトラーたちはその脇で彼らを団扇で仰いだり、タオルを巻いた氷を首筋に当てたりして必死のサポートをしている。
今は体育祭の真最中。グラウンドでは徒競走が行われ、声援とスターターピストルの音が定期的に響く。
今日はマスター、バトラー共に全員が学校指定の体操服を着ている。マスターは白のジャージ、バトラーは黒のジャージと、制服と同じように色が分けられている。加えて、バトラーはどんなに暑くとも、体操服の上にジャージのジャケットを身につけることが必須とされているので、一目で見分けることができた。
鷹鷲高校のグラウンドはただ広いだけの空間ではなく、その周囲を、高さをつけた観客席が囲むスタジアム形状になっている。グラウンドへの入場門は、観客席の下にある。
「これより、徒競走執事科部門を開始します。また、騎馬戦執事科部門に参加する選手の皆さんは、入場門エリアに集合してください」
救護室の横に建てられた運営本部テントの下で、尚敬がマイクを通してグラウンド全体にアナウンスをした。この体育祭は、全体が生徒会執行部により運営されている。一日を通してのアナウンスは、生徒会長である尚敬の担当だ。
その横では、タイムキーパー兼得点管理担当の明彦が、徒競走での順位を記入しながらそれぞれの組への得点を加算している。明彦が手元のデバイスに点数を入力すると、グラウンドに掲げられた巨大なスコアボードに反映される仕組みになっていた。
ちなみに鷹鷲高校の体育祭は女子と男子は別日に行われるが、マスターとバトラーは合同だ。ただしバトラーとマスターは基本的に、同時に競技へ参加することはない。同じ競技の部門を分け二度行って、それぞれに紅組と白組に点数を加算していく形式になっている。
明彦が耳につけたヘッドセットでたびたび連絡を取りあっているのは、グラウンド上でスターターを担当するバトラーの田中だ。
田中はツンツンとした短髪に黒縁のスクエアメガネが実によく似合う、かっちりとした雰囲気を纏っている。日差しの直撃しているグラウンドに立ち続けながら、ジャケットのジッパーは一番上まで上げられている。
彼は常日頃からほとんど表情が変わらないので、生徒会執行部の中でも親しみを込めて田中ロボなどと呼ばれていた。
「山下、入場門行くよー」
本部テントから出て、小型の拡声器を手に山下へと声をかけたのはケビン。彼はマスターだ。
ケビンは名前の通り母親がアメリカ人のハーフだが、アルバートのように家系として他国の血を継いでいる訳ではない。代々外交官を務めている葛城家の次男だ。
浅黒い肌にスモーキーグリーンの瞳が印象的で、顔立ちにはどこかラテン系の血を感じる。
「はい!」
ケビンからの呼びかけに、山下は元気いっぱいに応えた。次の競技に使う用具をカゴに入れて抱え、クーラーボックスを肩に担いで走り出す。
彼は競技ごとの用具の管理を行っていた。忙しい生徒会の中でも、一番体力勝負な役回りと言って差し支えない。
入場門の奥では、すでに東條が忙しく動いていた。
「東條お疲れー、どう、集まってる?」
ケビンはいつもの調子で気安く声をかけると、東條の手元を覗き込む。
東條が手にしているのは出場選手の名簿を管理するタブレット。彼は主に入場門で組ごとの整列の案内と、出場選手が揃っているかどうかを管理している。
鷹鷲高校という特殊な学校において、最も気を使うのが貴族であるマスターの扱いだ。バトラーならばともかく、マスターに軽々しく点呼をさせるのは憚られる。
そんな中で、マスター全員の顔と名前が一致している東條は最高の適任者だった。
「お疲れ様ですケビン様。はい、騎馬戦帝王科部門選手、全員こちらにいらっしゃいます」
「オッケー」
ケビンは東條に微笑むと、拡声器を口に当てた。
「騎馬戦帝王科部門に出場する皆さん。これから注意事項をご案内しますのでよくお聞きくださいねー」
拡声器によってあたりに響く声に、ざわめいていた選手達の視線がケビンへと向く。彼の役目は、入場前の選手へ向けた入場から手順の案内だ。
「これから各チームに一本ずつ襷をお配りしますので、騎手役の人が肩からかけてくださいね。練習の時と同じく襷は破れやすくできていますので、着用時に破れてしまったら山下にお声がけください」
ケビンが合図を送ると、山下は自分の存在を主張するように両手を上げて振った。ケビンの説明は続くが、その間も山下は襷と、クーラーボックスに入れて持ってきたスポーツドリンクを配って歩く。
「この襷を取られたら、即時フィールドから出て、安全を確保した後に騎馬を解体してください。その場で降りると混雑して危険ですので。怪我防止のため、競技中騎手は他選手の襷以外に触れることを禁じます。ルール違反は即時退場になりますのでーご注意ください」
選手達の様子を見ながら、ケビンがそこまで説明をしたその時。
「あっ」
山下が小さく声を漏らし、派手に転んだ。つんのめって彼自身前に倒れ込むが、同時に彼が持っていたクーラーボックスから多数のペットボトルが溢れ、カゴに乗っていた襷が地面の上を転がっていく。
派手に響いた痛そうな音に、あたりに一瞬静寂が走った、その時。
「だっせぇ、何やってんだよ」
ひどく冷たく響く声。ケビンは声の主を見た。
転んだ山下の横でせせら笑っているのは修斗だ。ケビンは思わず駆け寄ろうとしたが、その前に東條に制するような仕草をされ、足を止めた。東條からのアイコンタクトに促され、山下のことを気にかけながらも案内を続ける。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件
遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。
一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた!
宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!?
※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

切り札の男
古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。
ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。
理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。
そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。
その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。
彼はその挑発に乗ってしまうが……
小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。


体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる