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六月の章
着付け -2-
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「しかし親も執事だって者には初めて会ったな。執事科でも珍しいんじゃないか」
「はい、そうですね。全員を把握しているわけではありませんが、ぼくもぼく以外では同学年の執事科にいるという話は聞いたことがありません。執事で家庭を持つ者は、やはり珍しいようです」
「そうなのか。執事ともなれば十分な報酬が出ているだろうにな」
そう答えながら、宗一郎は自身の両親の執事のことを思い起こしてみる。たしかに彼らに仕える執事は二人とも独身だった。
「己より、主人を第一に考えることが求められる立場にありますので」
「そういうものか」
と、ここまで話を進めて、総一郎は違和感を覚えた。会話の内容ではなく山下の様子に、だ。
先ほどから着付けが全く進んでいない。というか、襦袢の帯を結んだり解いたりを繰り返していて、そもそも上の着物を着せるところまでも辿り着いていない。
「山下。大丈夫か? さっきから手が止まっているようだが」
声を掛けると、宗一郎の前に膝をついて帯を手にしゃがんでいた山下の体がビクッと揺れた。そのまま、ギギギと音がしそうなほどゆっくりと顔を上げ、宗一郎を見上げてくる。
「へへ」
浮かべられたのは、何かを誤魔化すような情けない笑顔だ。山下は何か困ったことがある時に笑う癖がある。
「その、着付けのやり方が分からなくなってしまって……」
予想通りの言葉に、宗一郎は思わずため息を漏らす。と、その吐息を聞いた山下は、床に頭を叩きつけるような勢いで土下座した。
「大変申し訳ありません! ぼくが無能なばっかりに」
「ああ、いや、そんな気にしなくていいから、顔あげてくれ。俺だって着物の着付けなんてわからないしな」
「その、ぼく、今すぐ先生を呼んできますので!」
山下は次にものすごい勢いで立ち上がり、部屋を出て行こうとする。その体を、宗一郎は慌てて捕まえる。山下はさきほどまでの情けない笑顔を消し、今にも泣き出しそうな表情をしていた。
「待て、待て、それよりも早い解決方法がある」
宗一郎は山下が出て行ってしまわないように腕を掴んだまま、ベッドサイドに置いていたスマホを手にした。最新型のそれはほぼガラスの一枚板のように見える。タッチパネルに指を滑らせ通話を始めた。呼び出し音の後に「はい」と聞こえてきたのは、明彦の声だ。
「宗一郎だ。支度は済んだか?」
「うん、今部屋を出たとこだけど」
「今日のお前の担当執事って誰だった?」
「東條だよ。それがどうかした?」
明彦の返事に、宗一郎は笑う。
「お、ベストな巡り合わせだ。東條と一緒に、直接俺の部屋まで来てくれ。話は部屋で」
宗一郎はそこまで一方的に告げると、明彦の返事を待たずに通話を切った。
「本当に、申し訳ありません」
通話の間、おとなしくしていた山下が再度しょげた様子のまま謝ってくる。
「気にしなくていい。東條なら着付けも、山下が頼る相手としても問題ないだろ?」
宗一郎は微笑みかけながら山下の頭を軽く撫でた。もちろん同学年だが、身長差もあって宗一郎には山下がどうも幼く感じられていた。
明彦の部屋は、宗一郎の部屋から五部屋分離れているだけだ。マスターの部屋は一つひとつが広いためすぐ横というわけでもないが、遠くないところにある。案の定、間も無く部屋の扉がノックされた。
「宗一郎様、明彦様と東條です」
同時に聞こえてきたのは東條の声だ。
「ああ、入ってくれ」
宗一郎が応えると、東條が扉を開けて入ってくる。その後に深緑色の着物を身にまとった明彦が続く。
二人は帯も締めていない襦袢を羽織っただけの宗一郎の姿と、今にも泣き出しそうな山下の様子を見て目を丸くした。
「ぼくが着付けのやり方を忘れてしまったばっかりに、大変申し訳ありません!」
二人が疑問を抱くより前に、山下は自ら己のいたらなさを叫ぶ。事情を察した東條は、すぐさま行動を開始した。
「なるほど。では、わたくしもお手伝いさせていただきますね」
東條は「失礼いたします」と宗一郎に告げてから、山下の持っていた帯で、素早く宗一郎の襦袢の前をしめる。その上から着物を着せ、帯を貝ノ口結びにするところまで、実に鮮やかな手つきでやってしまった。布をしゅっしゅっと小気味よく捌く様子などは、見惚れるほどの滑らかさであった。
言葉では「お手伝いする」と言った東條だが、山下は着物を渡したり帯を渡したりしていただけだ。
「本当に、本当に、すみませんでした。東條さんも、お手を煩わせてしまってすみません」
そうした着付けの最中、山下は幾度も頭を下げる。しかし、東條は表情を動かすことなく軽く首を振って、宗一郎と明彦にも聞かせるように言う。
「昨日の申し送りの会の時、執事科では着付けの復習会を行いました。しかし、山下は生徒会執行部の会合があってそれに参加できなかった。山下の落ち度ではありません」
その東條の言葉に、山下は思わず口を挟もうとした。だが、東條の優しい眼差しと微かな首振りに口を噤む。
「へぇ、そうだったのか。山下は生徒会執行部だったんだな」
「はい……さ、宗一郎様、着付けの調子はいかがでしょうか。どこか苦しいところなどはございませんか」
東條から問いかけられ、宗一郎は軽く手を上げたり腰を捻ったりして確認してから頷いた。
「問題ない。鮮やかなものだ」
「お褒めいただきまして、ありがとうございます。時間が迫っておりますので、よろしければ紫陽花祭へ向かいましょう」
「そうだな。せっかくの祭りだ、存分に楽しもう」
東條の促しに宗一郎が応え、明彦の肩に腕を回して部屋を出ていく。東條もまたその後に従った。
山下は静かに、彼らに見えていないところで東條へ向けて頭を下げる。
さきほど山下が言いかけたのは、東條もまた生徒会執行部の会合に出ており、その着付けの復習会には彼も参加できていない、ということだ。
東條は扉のところで振り向いた。立ち止まったままの山下に気がついて、目を細める。
「さあ行こう、山下」
「はい! ただいま」
かけられた言葉に山下は笑みを浮かべ、宗一郎の荷物を持って後に続いた。
「はい、そうですね。全員を把握しているわけではありませんが、ぼくもぼく以外では同学年の執事科にいるという話は聞いたことがありません。執事で家庭を持つ者は、やはり珍しいようです」
「そうなのか。執事ともなれば十分な報酬が出ているだろうにな」
そう答えながら、宗一郎は自身の両親の執事のことを思い起こしてみる。たしかに彼らに仕える執事は二人とも独身だった。
「己より、主人を第一に考えることが求められる立場にありますので」
「そういうものか」
と、ここまで話を進めて、総一郎は違和感を覚えた。会話の内容ではなく山下の様子に、だ。
先ほどから着付けが全く進んでいない。というか、襦袢の帯を結んだり解いたりを繰り返していて、そもそも上の着物を着せるところまでも辿り着いていない。
「山下。大丈夫か? さっきから手が止まっているようだが」
声を掛けると、宗一郎の前に膝をついて帯を手にしゃがんでいた山下の体がビクッと揺れた。そのまま、ギギギと音がしそうなほどゆっくりと顔を上げ、宗一郎を見上げてくる。
「へへ」
浮かべられたのは、何かを誤魔化すような情けない笑顔だ。山下は何か困ったことがある時に笑う癖がある。
「その、着付けのやり方が分からなくなってしまって……」
予想通りの言葉に、宗一郎は思わずため息を漏らす。と、その吐息を聞いた山下は、床に頭を叩きつけるような勢いで土下座した。
「大変申し訳ありません! ぼくが無能なばっかりに」
「ああ、いや、そんな気にしなくていいから、顔あげてくれ。俺だって着物の着付けなんてわからないしな」
「その、ぼく、今すぐ先生を呼んできますので!」
山下は次にものすごい勢いで立ち上がり、部屋を出て行こうとする。その体を、宗一郎は慌てて捕まえる。山下はさきほどまでの情けない笑顔を消し、今にも泣き出しそうな表情をしていた。
「待て、待て、それよりも早い解決方法がある」
宗一郎は山下が出て行ってしまわないように腕を掴んだまま、ベッドサイドに置いていたスマホを手にした。最新型のそれはほぼガラスの一枚板のように見える。タッチパネルに指を滑らせ通話を始めた。呼び出し音の後に「はい」と聞こえてきたのは、明彦の声だ。
「宗一郎だ。支度は済んだか?」
「うん、今部屋を出たとこだけど」
「今日のお前の担当執事って誰だった?」
「東條だよ。それがどうかした?」
明彦の返事に、宗一郎は笑う。
「お、ベストな巡り合わせだ。東條と一緒に、直接俺の部屋まで来てくれ。話は部屋で」
宗一郎はそこまで一方的に告げると、明彦の返事を待たずに通話を切った。
「本当に、申し訳ありません」
通話の間、おとなしくしていた山下が再度しょげた様子のまま謝ってくる。
「気にしなくていい。東條なら着付けも、山下が頼る相手としても問題ないだろ?」
宗一郎は微笑みかけながら山下の頭を軽く撫でた。もちろん同学年だが、身長差もあって宗一郎には山下がどうも幼く感じられていた。
明彦の部屋は、宗一郎の部屋から五部屋分離れているだけだ。マスターの部屋は一つひとつが広いためすぐ横というわけでもないが、遠くないところにある。案の定、間も無く部屋の扉がノックされた。
「宗一郎様、明彦様と東條です」
同時に聞こえてきたのは東條の声だ。
「ああ、入ってくれ」
宗一郎が応えると、東條が扉を開けて入ってくる。その後に深緑色の着物を身にまとった明彦が続く。
二人は帯も締めていない襦袢を羽織っただけの宗一郎の姿と、今にも泣き出しそうな山下の様子を見て目を丸くした。
「ぼくが着付けのやり方を忘れてしまったばっかりに、大変申し訳ありません!」
二人が疑問を抱くより前に、山下は自ら己のいたらなさを叫ぶ。事情を察した東條は、すぐさま行動を開始した。
「なるほど。では、わたくしもお手伝いさせていただきますね」
東條は「失礼いたします」と宗一郎に告げてから、山下の持っていた帯で、素早く宗一郎の襦袢の前をしめる。その上から着物を着せ、帯を貝ノ口結びにするところまで、実に鮮やかな手つきでやってしまった。布をしゅっしゅっと小気味よく捌く様子などは、見惚れるほどの滑らかさであった。
言葉では「お手伝いする」と言った東條だが、山下は着物を渡したり帯を渡したりしていただけだ。
「本当に、本当に、すみませんでした。東條さんも、お手を煩わせてしまってすみません」
そうした着付けの最中、山下は幾度も頭を下げる。しかし、東條は表情を動かすことなく軽く首を振って、宗一郎と明彦にも聞かせるように言う。
「昨日の申し送りの会の時、執事科では着付けの復習会を行いました。しかし、山下は生徒会執行部の会合があってそれに参加できなかった。山下の落ち度ではありません」
その東條の言葉に、山下は思わず口を挟もうとした。だが、東條の優しい眼差しと微かな首振りに口を噤む。
「へぇ、そうだったのか。山下は生徒会執行部だったんだな」
「はい……さ、宗一郎様、着付けの調子はいかがでしょうか。どこか苦しいところなどはございませんか」
東條から問いかけられ、宗一郎は軽く手を上げたり腰を捻ったりして確認してから頷いた。
「問題ない。鮮やかなものだ」
「お褒めいただきまして、ありがとうございます。時間が迫っておりますので、よろしければ紫陽花祭へ向かいましょう」
「そうだな。せっかくの祭りだ、存分に楽しもう」
東條の促しに宗一郎が応え、明彦の肩に腕を回して部屋を出ていく。東條もまたその後に従った。
山下は静かに、彼らに見えていないところで東條へ向けて頭を下げる。
さきほど山下が言いかけたのは、東條もまた生徒会執行部の会合に出ており、その着付けの復習会には彼も参加できていない、ということだ。
東條は扉のところで振り向いた。立ち止まったままの山下に気がついて、目を細める。
「さあ行こう、山下」
「はい! ただいま」
かけられた言葉に山下は笑みを浮かべ、宗一郎の荷物を持って後に続いた。
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