14 / 21
第三章「手招くもの」-side大野-
三
しおりを挟む
遠くの方から、風に乗って人々の喧騒が聞こえる。
俺は地面に座り込んだまま、ただただ呆然としていた。だが、腹の奥の方を揺らすような、大きな花火の音に我に返った。打ち上げ花火が始まったんだ。
「まっつん……隼人……まっつーん! 隼人ー!」
立ち上がり、二人の名を大声で呼ぶ。
当然のことのように、返事はない。謙介がしていたように、持っていたスマホの照明をつけ辺りを見渡す。だがそこは先程とは様変わりしていて、深い藪が茂っているだけだ。木々の影が色濃くなるだけで、二人の姿が見えることはない。
「くそ……何が起こってんだ」
思わずぼやきながら、こうしていても埒が明かないと、俺は藪を掻き分けながら来た道を戻る。歩いていた時間的には五分程度だっただろうか。元いた舗装道路からそう遠い距離でもなかったようだ。
視界が開け、舗装道路に戻る。真正面に、金色の大きな花火が上がっていた。
夏の夜空に浮かぶ、大輪の花。確かにこの山からは、花火が綺麗に見える。
先程までだったら、この花火を見て、きっと謙介と一緒に歓声を上げられただろうに、今は全くそんな気になれない。
次に上がった花火の光を受け、俺たちを待ってくれていたらしい、穂香ちゃんと葵ちゃんの影が浮かび上がった。
「大野先輩、大丈夫ですか? お友達は見つかりましたか……あれ、松前先輩は?」
駆け寄ってきた穂香ちゃんの問いかけを受けながら、しかし俺は周囲を見渡す。
「まっつん、やっぱり戻ってきてねぇのか?」
「はい、大野先輩のこと追いかけていって、それきり」
その返答を聞き、俺は再び頭を抱えてしゃがみ込む。あの、俺が謙介に弾き飛ばされた瞬間に一体何があった。
いくら思い出そうとしても、ただ瞬間的に全てが消えたとしか思えない。
「一体、何があったんですか?」
「謙介が消えたんだ。隼人も……女の人がこっちに手招きしてて、隼人を追いかけて行ったら森の中に神社みたいなのがあって。まっつんが戻ろうって言ったのを俺が引き止めて。でも、まっつんが俺を何かから逃がすみたいに突き飛ばして、消えた。隼人もまっつんも、神社みたいな建物ごと消えたんだ」
問われるままに、口をついて出るにまかせて全てを話しきった。自分でも支離滅裂だったと思う。冗談だと思われるだろう。冗談だとしても何の面白みもない、こんな話。
話している俺自身だって信じていない。
だが、何故だか俺と視線を合わせるようにしゃがみ込んだ穂香ちゃんの顔は、真剣そのものだった。
「大野先輩。七瀬くんのところに、行きましょう」
何かに怯えるように、自分の震える手を抑えて。穂香ちゃんは真っ直ぐに俺を見つめてくる。そこには、俺の言葉を疑っている様子は微塵もなかった。
「七瀬?」
「七瀬白くん。私のクラスメイトなんですけど。大丈夫です、彼なら、きっと助けてくれます。私も前に危ないところを七瀬くんと松前先輩に助けてもらったんです」
返事に、そんな場合でもないのに思わず笑う。
「また白かよ」
「大野先輩?」
俺のぼやきに、穂香ちゃんが怪訝そうな顔をしていた。だが、こんな時に妙な意地を張っている訳にはいかない。
「いや、ごめん。そうだな、行こう……俺は、穂香ちゃんを信じるよ」
「はいっ! 私、七瀬くんの家知ってるんです。そう遠くないので、走って行きましょう」
穂香ちゃんは何か気合が入ったようで、そう意気込んで立ち上がる。
「穂香……?」
側で全ての話を聞いていた葵ちゃんが困惑した様子で声をかける。
「葵ごめん、私達行かないと……危ないから、真っ直ぐ家に帰って。大丈夫?」
「うん。穂香も気をつけて」
「ごめんね。ありがとう」
何の話か全く分かっていないはずなのに、葵ちゃんも素直に頷いて送り出してくれる。本当に良い子たちだ。
次の瞬間、俺は驚いた。穂香ちゃんは履いていた下駄を脱ぎ、その手に持ったのだ。つまり裸足だ。そして俺のことを振り返る間もなく走り出す。
「葵ちゃん、気をつけて帰るんだぞ!」
後に残す葵ちゃんに声をかけてから、俺も慌ててその後を追う。
穂香ちゃんの走る速度は、その清楚そうな見た目からはとても想像出来ない位に早かった。浴衣姿だというのに地面を蹴るフォームが良くて、もしかしたら陸上部だったのかもしれないと思う。
山道から市街地に入るが、祭りで賑わっているところは通らずに裏道を選んで、微塵の躊躇いもなく進んでいく。近くの学校に通っているだけの俺には、どんなルートを通って、一体どこを目指しているのかも分からない。
ただ彼女の後に続いて走っていると、さっき居た井槌山とはまた違う、確か謙介が神保山と言って指し示していた方へと近づいていくようだ。
民家が少なくなり、反比例するように緑が多くなっていく。と、道からそれて石段を駆け上がる。俺はそろそろ息が切れてきた。
石段を上りきった先には、これまた古めかしい大きな日本家屋が現れる。穂香ちゃんが走ってきたそのままの速度で玄関へ近づいた瞬間。戸を叩く前に内側から開いた。
そこには、涼し気な生成りの着物を身にまとった白が眉を寄せて立っている。
「七瀬くん! どうして」
「貴方たちが駆け込んで来ると、薄紫が教えてくれました。それで? 何事です」
いかにも迷惑そうな様子で問いかけてくる白だったが、視線を落とした時、驚いたように片眉をあげた。俺もその視線を追って目を瞠る。
裸足で走ってきた穂香ちゃんの足から、けっこうな量の血が滲んで石畳を濡らしている。道中何か踏みつけでもしたのだろうか。それでも足を止めずに走り続けたのか。
「薄紫、手当を」
「その前に、話を聞いて……」
「大丈夫、穂香ちゃん、俺が話すから」
穂香ちゃんの言葉を切って、俺が白の前へと出る。
同時に、白に呼ばれて奥から出てきた、これまた着物姿の女性が穂香ちゃんを伴って屋敷の中へと入っていく。
今度は、白の迷惑そうな視線が俺の方を向く番だ。
「まっつんが俺の目の前で消えたんだ。その前に隼人もだが……」
「スケが?」
嫌味を言われる前にそう説明を始めると、あからさまに白の表情が変わった。
「俺は昨日の朝、通学路で変な女の人を見た。全身黒いワンピース着て、長い髪をしてた。こっちに向かって黙って手招きをしてたんだ。俺は行こうとしたけど、その時ちょうどまっつんに声をかけられて。気がついたら女の人は居なくなってた」
相槌を打つでもなく、しかし白は黙って俺の話を聞いている。
「それで今日、花火を見るために皆で井槌山へ行ったんだが、その途中で隼人を見かけた。お前も知ってるだろ、小さくていつも煩い位に元気な奴だよ。昨日から様子がおかしくて……その行く先を見たら、あの女の人がいたんだ」
「どんな顔をしていましたか」
同じ質問をどこかでされたような気がして、思い出す。そうだ、昨日の朝、謙介も確か同じことを聞いてきた。
「分からない。顔は見た、けど。何かこう、ぐちゃっとしてて、認識できなかった」
「そうですか。それで?」
「嫌な予感がして、俺は隼人を追いかけた。まっつんもだ。それで森の中に入っていくと、小さい神社みたいな建物があった。建物の扉が開いて、中にはあの女の人が立って、昨日の朝と同じように手招きをしていた。
全身から水が滴ってて、その水が俺の足元まで来てたんだ。俺は……多分、水を踏んでたと思う。そうしたら、まっつんが体当りして俺を突き飛ばして。気がついたら神社ごとまっつんも消えてたんだ」
順を追ってきちんと話したつもりだった。さっき気が動転したまま穂香ちゃんに説明したよりはまとまっていた気がするが、やはり自分で何度話しても馬鹿げていると思う。
この異常事態が伝わっているのかと不安になり、改めて白を見る。
彼は真剣な表情で、考えるように口元に手を当てていた。
「何故今日なんだ……」
ようやく口を開き出てきた言葉は、俺へ向けたものではなかった。きっとその言葉は、誰に聞かせるためというよりも自分だけの呟きなのだろう。
「何がだ?」
「祭りというのはその言葉の通り祭事です。神を祀り、次元の境を強固にする日なんです。そんな日に、この世ならざるものが次元を超えてくることなど、出来はしな……」
だが白はそこまで呟いて、はっとしたように俺の方を見た。
「次元を超えてくる必要のないもの……」
「次元って、何だよ」
「次元の内側に居ることを許された、この世ならざるものなど限られています。剣、スケがいなくなったのは井槌山と言いましたね?」
「あ、ああ……」
俺の問いかけに全く答える様子のない態度には相変わらず腹が立つが、急に下の名前を呼ばれて面食らう。
というか、こいつ俺の名前認識していたのか。剣なんて、誰も呼ばないのに。
「であれば、それの正体は蛟です」
「みずち?」
「この世ならざる者でありながら、この次元に居ることを許された水神。井槌山とは本来蛟の住まう山と呼ばれていた地です」
話は未だ分からないままだが、俺は眉を顰めながらも理解を試みる。
「その、蛟っていう化け物があの女の人で、まっつんと隼人をどっかに連れて行っちまったっていうことか? どうやったら助け出せるんだ」
「剣が見た女は、蛟のごく一部が人を呼び込むために変化した姿でしょう。あれは本来特定の姿を持たないものです。隼人の様子がおかしかったのも、手招くものに誘い込まれ、すでに式が完成してしまったとみて間違いありません。蛟が人を呼び込む意図は分かりませんが、あれは次元の内側にいて、尚且今は祭りの最中ですから、別次元には行っていないことは確かです」
白がそう説明を終えた時、屋敷の奥の方から声がした。
「その、蛟っていうのが、犯人の真名なの?」
視線を向けると、足の手当を終えたらしい穂香ちゃんがこちらへ向かってきていた。
「正確には音が違いますが、そうです」
「七瀬くん前に、真名が分かったら、退治が出来るって言ってたよね?」
「通常はそうですが……此度は相手が水神。神と呼ばれる程に力の強いもの。そう簡単に滅することの出来る相手ではありません」
「だからって、諦めないよね?」
穂香ちゃんの声が震える。よく見れば、その大きな瞳は今にも涙を零しそうな程に潤んでいた。こんな最中だが、俺は下世話な確信をしていた。やはり穂香ちゃんは、謙介のことが好きなのだ。
その身を案じ、あんなにぼろぼろになるまで裸足で走り通すなんて、並大抵の気持ちで出来ることではない。
「諦める?」
ふっ、と、白が息を漏らし笑った。
大きな一重の瞳が弧を描き、その不敵に笑う口元を隠すように、片手を添える。瞬間、ただの小さく生意気な下級生にしか見えていなかった白に妙な迫力を感じた。
「何を当然のことを。あれはおれのものです。たかが水神などにやるものか」
一定のトーンのまま変わらない声にさえ、何か言いしれぬ力のようなものが籠もっていて。謙介がああも従順に白に付き従う理由が、俺にも少しだけ分かった気がする。
ついに、白は行動を開始した。
「薄紫、車を出させてください」
「かしこまりました」
「剣、おれと来なさい」
呼ばれるまでもなく、ついて行くつもりだった。
白が戸から出たところを、穂香ちゃんが三和土まで追いかけてくる。
「待って七瀬くん、私も連れて行って」
「貴方の役目は終わりました、家に帰りなさい」
「でも……」
さらに縋ろうとした穂香ちゃんの肩に手を置き、宥めるようにぽんぽんと叩く。
「大丈夫、まっつんのことは、絶対に取り返してくるから。な」
「はい……」
渋々とだが納得したような穂香ちゃんを残し、俺と白は石段を降りて、何故かそこですでに俺たちを待ち構えていた黒い車に乗り込む。
その車はタクシーではなく、黒のセダンに、そのフロントにはアイコニックなキドニーグリルがある。高級車だ。白の家の持ち物なのだろうか。
バックミラーに少し映った運転手は当然のことながら見覚えのない壮年の男で、こちらもまた表情の読めない人物だ。白が何を言うでもなく、車は滑らかに走り出した。
俺は地面に座り込んだまま、ただただ呆然としていた。だが、腹の奥の方を揺らすような、大きな花火の音に我に返った。打ち上げ花火が始まったんだ。
「まっつん……隼人……まっつーん! 隼人ー!」
立ち上がり、二人の名を大声で呼ぶ。
当然のことのように、返事はない。謙介がしていたように、持っていたスマホの照明をつけ辺りを見渡す。だがそこは先程とは様変わりしていて、深い藪が茂っているだけだ。木々の影が色濃くなるだけで、二人の姿が見えることはない。
「くそ……何が起こってんだ」
思わずぼやきながら、こうしていても埒が明かないと、俺は藪を掻き分けながら来た道を戻る。歩いていた時間的には五分程度だっただろうか。元いた舗装道路からそう遠い距離でもなかったようだ。
視界が開け、舗装道路に戻る。真正面に、金色の大きな花火が上がっていた。
夏の夜空に浮かぶ、大輪の花。確かにこの山からは、花火が綺麗に見える。
先程までだったら、この花火を見て、きっと謙介と一緒に歓声を上げられただろうに、今は全くそんな気になれない。
次に上がった花火の光を受け、俺たちを待ってくれていたらしい、穂香ちゃんと葵ちゃんの影が浮かび上がった。
「大野先輩、大丈夫ですか? お友達は見つかりましたか……あれ、松前先輩は?」
駆け寄ってきた穂香ちゃんの問いかけを受けながら、しかし俺は周囲を見渡す。
「まっつん、やっぱり戻ってきてねぇのか?」
「はい、大野先輩のこと追いかけていって、それきり」
その返答を聞き、俺は再び頭を抱えてしゃがみ込む。あの、俺が謙介に弾き飛ばされた瞬間に一体何があった。
いくら思い出そうとしても、ただ瞬間的に全てが消えたとしか思えない。
「一体、何があったんですか?」
「謙介が消えたんだ。隼人も……女の人がこっちに手招きしてて、隼人を追いかけて行ったら森の中に神社みたいなのがあって。まっつんが戻ろうって言ったのを俺が引き止めて。でも、まっつんが俺を何かから逃がすみたいに突き飛ばして、消えた。隼人もまっつんも、神社みたいな建物ごと消えたんだ」
問われるままに、口をついて出るにまかせて全てを話しきった。自分でも支離滅裂だったと思う。冗談だと思われるだろう。冗談だとしても何の面白みもない、こんな話。
話している俺自身だって信じていない。
だが、何故だか俺と視線を合わせるようにしゃがみ込んだ穂香ちゃんの顔は、真剣そのものだった。
「大野先輩。七瀬くんのところに、行きましょう」
何かに怯えるように、自分の震える手を抑えて。穂香ちゃんは真っ直ぐに俺を見つめてくる。そこには、俺の言葉を疑っている様子は微塵もなかった。
「七瀬?」
「七瀬白くん。私のクラスメイトなんですけど。大丈夫です、彼なら、きっと助けてくれます。私も前に危ないところを七瀬くんと松前先輩に助けてもらったんです」
返事に、そんな場合でもないのに思わず笑う。
「また白かよ」
「大野先輩?」
俺のぼやきに、穂香ちゃんが怪訝そうな顔をしていた。だが、こんな時に妙な意地を張っている訳にはいかない。
「いや、ごめん。そうだな、行こう……俺は、穂香ちゃんを信じるよ」
「はいっ! 私、七瀬くんの家知ってるんです。そう遠くないので、走って行きましょう」
穂香ちゃんは何か気合が入ったようで、そう意気込んで立ち上がる。
「穂香……?」
側で全ての話を聞いていた葵ちゃんが困惑した様子で声をかける。
「葵ごめん、私達行かないと……危ないから、真っ直ぐ家に帰って。大丈夫?」
「うん。穂香も気をつけて」
「ごめんね。ありがとう」
何の話か全く分かっていないはずなのに、葵ちゃんも素直に頷いて送り出してくれる。本当に良い子たちだ。
次の瞬間、俺は驚いた。穂香ちゃんは履いていた下駄を脱ぎ、その手に持ったのだ。つまり裸足だ。そして俺のことを振り返る間もなく走り出す。
「葵ちゃん、気をつけて帰るんだぞ!」
後に残す葵ちゃんに声をかけてから、俺も慌ててその後を追う。
穂香ちゃんの走る速度は、その清楚そうな見た目からはとても想像出来ない位に早かった。浴衣姿だというのに地面を蹴るフォームが良くて、もしかしたら陸上部だったのかもしれないと思う。
山道から市街地に入るが、祭りで賑わっているところは通らずに裏道を選んで、微塵の躊躇いもなく進んでいく。近くの学校に通っているだけの俺には、どんなルートを通って、一体どこを目指しているのかも分からない。
ただ彼女の後に続いて走っていると、さっき居た井槌山とはまた違う、確か謙介が神保山と言って指し示していた方へと近づいていくようだ。
民家が少なくなり、反比例するように緑が多くなっていく。と、道からそれて石段を駆け上がる。俺はそろそろ息が切れてきた。
石段を上りきった先には、これまた古めかしい大きな日本家屋が現れる。穂香ちゃんが走ってきたそのままの速度で玄関へ近づいた瞬間。戸を叩く前に内側から開いた。
そこには、涼し気な生成りの着物を身にまとった白が眉を寄せて立っている。
「七瀬くん! どうして」
「貴方たちが駆け込んで来ると、薄紫が教えてくれました。それで? 何事です」
いかにも迷惑そうな様子で問いかけてくる白だったが、視線を落とした時、驚いたように片眉をあげた。俺もその視線を追って目を瞠る。
裸足で走ってきた穂香ちゃんの足から、けっこうな量の血が滲んで石畳を濡らしている。道中何か踏みつけでもしたのだろうか。それでも足を止めずに走り続けたのか。
「薄紫、手当を」
「その前に、話を聞いて……」
「大丈夫、穂香ちゃん、俺が話すから」
穂香ちゃんの言葉を切って、俺が白の前へと出る。
同時に、白に呼ばれて奥から出てきた、これまた着物姿の女性が穂香ちゃんを伴って屋敷の中へと入っていく。
今度は、白の迷惑そうな視線が俺の方を向く番だ。
「まっつんが俺の目の前で消えたんだ。その前に隼人もだが……」
「スケが?」
嫌味を言われる前にそう説明を始めると、あからさまに白の表情が変わった。
「俺は昨日の朝、通学路で変な女の人を見た。全身黒いワンピース着て、長い髪をしてた。こっちに向かって黙って手招きをしてたんだ。俺は行こうとしたけど、その時ちょうどまっつんに声をかけられて。気がついたら女の人は居なくなってた」
相槌を打つでもなく、しかし白は黙って俺の話を聞いている。
「それで今日、花火を見るために皆で井槌山へ行ったんだが、その途中で隼人を見かけた。お前も知ってるだろ、小さくていつも煩い位に元気な奴だよ。昨日から様子がおかしくて……その行く先を見たら、あの女の人がいたんだ」
「どんな顔をしていましたか」
同じ質問をどこかでされたような気がして、思い出す。そうだ、昨日の朝、謙介も確か同じことを聞いてきた。
「分からない。顔は見た、けど。何かこう、ぐちゃっとしてて、認識できなかった」
「そうですか。それで?」
「嫌な予感がして、俺は隼人を追いかけた。まっつんもだ。それで森の中に入っていくと、小さい神社みたいな建物があった。建物の扉が開いて、中にはあの女の人が立って、昨日の朝と同じように手招きをしていた。
全身から水が滴ってて、その水が俺の足元まで来てたんだ。俺は……多分、水を踏んでたと思う。そうしたら、まっつんが体当りして俺を突き飛ばして。気がついたら神社ごとまっつんも消えてたんだ」
順を追ってきちんと話したつもりだった。さっき気が動転したまま穂香ちゃんに説明したよりはまとまっていた気がするが、やはり自分で何度話しても馬鹿げていると思う。
この異常事態が伝わっているのかと不安になり、改めて白を見る。
彼は真剣な表情で、考えるように口元に手を当てていた。
「何故今日なんだ……」
ようやく口を開き出てきた言葉は、俺へ向けたものではなかった。きっとその言葉は、誰に聞かせるためというよりも自分だけの呟きなのだろう。
「何がだ?」
「祭りというのはその言葉の通り祭事です。神を祀り、次元の境を強固にする日なんです。そんな日に、この世ならざるものが次元を超えてくることなど、出来はしな……」
だが白はそこまで呟いて、はっとしたように俺の方を見た。
「次元を超えてくる必要のないもの……」
「次元って、何だよ」
「次元の内側に居ることを許された、この世ならざるものなど限られています。剣、スケがいなくなったのは井槌山と言いましたね?」
「あ、ああ……」
俺の問いかけに全く答える様子のない態度には相変わらず腹が立つが、急に下の名前を呼ばれて面食らう。
というか、こいつ俺の名前認識していたのか。剣なんて、誰も呼ばないのに。
「であれば、それの正体は蛟です」
「みずち?」
「この世ならざる者でありながら、この次元に居ることを許された水神。井槌山とは本来蛟の住まう山と呼ばれていた地です」
話は未だ分からないままだが、俺は眉を顰めながらも理解を試みる。
「その、蛟っていう化け物があの女の人で、まっつんと隼人をどっかに連れて行っちまったっていうことか? どうやったら助け出せるんだ」
「剣が見た女は、蛟のごく一部が人を呼び込むために変化した姿でしょう。あれは本来特定の姿を持たないものです。隼人の様子がおかしかったのも、手招くものに誘い込まれ、すでに式が完成してしまったとみて間違いありません。蛟が人を呼び込む意図は分かりませんが、あれは次元の内側にいて、尚且今は祭りの最中ですから、別次元には行っていないことは確かです」
白がそう説明を終えた時、屋敷の奥の方から声がした。
「その、蛟っていうのが、犯人の真名なの?」
視線を向けると、足の手当を終えたらしい穂香ちゃんがこちらへ向かってきていた。
「正確には音が違いますが、そうです」
「七瀬くん前に、真名が分かったら、退治が出来るって言ってたよね?」
「通常はそうですが……此度は相手が水神。神と呼ばれる程に力の強いもの。そう簡単に滅することの出来る相手ではありません」
「だからって、諦めないよね?」
穂香ちゃんの声が震える。よく見れば、その大きな瞳は今にも涙を零しそうな程に潤んでいた。こんな最中だが、俺は下世話な確信をしていた。やはり穂香ちゃんは、謙介のことが好きなのだ。
その身を案じ、あんなにぼろぼろになるまで裸足で走り通すなんて、並大抵の気持ちで出来ることではない。
「諦める?」
ふっ、と、白が息を漏らし笑った。
大きな一重の瞳が弧を描き、その不敵に笑う口元を隠すように、片手を添える。瞬間、ただの小さく生意気な下級生にしか見えていなかった白に妙な迫力を感じた。
「何を当然のことを。あれはおれのものです。たかが水神などにやるものか」
一定のトーンのまま変わらない声にさえ、何か言いしれぬ力のようなものが籠もっていて。謙介がああも従順に白に付き従う理由が、俺にも少しだけ分かった気がする。
ついに、白は行動を開始した。
「薄紫、車を出させてください」
「かしこまりました」
「剣、おれと来なさい」
呼ばれるまでもなく、ついて行くつもりだった。
白が戸から出たところを、穂香ちゃんが三和土まで追いかけてくる。
「待って七瀬くん、私も連れて行って」
「貴方の役目は終わりました、家に帰りなさい」
「でも……」
さらに縋ろうとした穂香ちゃんの肩に手を置き、宥めるようにぽんぽんと叩く。
「大丈夫、まっつんのことは、絶対に取り返してくるから。な」
「はい……」
渋々とだが納得したような穂香ちゃんを残し、俺と白は石段を降りて、何故かそこですでに俺たちを待ち構えていた黒い車に乗り込む。
その車はタクシーではなく、黒のセダンに、そのフロントにはアイコニックなキドニーグリルがある。高級車だ。白の家の持ち物なのだろうか。
バックミラーに少し映った運転手は当然のことながら見覚えのない壮年の男で、こちらもまた表情の読めない人物だ。白が何を言うでもなく、車は滑らかに走り出した。
1
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
生贄の花嫁~鬼の総領様と身代わり婚~
硝子町玻璃
キャラ文芸
旧題:化け猫姉妹の身代わり婚
多くの人々があやかしの血を引く現代。
猫又族の東條家の長女である霞は、妹の雅とともに平穏な日々を送っていた。
けれどある日、雅に縁談が舞い込む。
お相手は鬼族を統べる鬼灯家の次期当主である鬼灯蓮。
絶対的権力を持つ鬼灯家に逆らうことが出来ず、両親は了承。雅も縁談を受け入れることにしたが……
「私が雅の代わりに鬼灯家に行く。私がお嫁に行くよ!」
妹を守るために自分が鬼灯家に嫁ぐと決心した霞。
しかしそんな彼女を待っていたのは、絶世の美青年だった。
呪配
真霜ナオ
ホラー
ある晩。いつものように夕食のデリバリーを利用した比嘉慧斗は、初めての誤配を経験する。
デリバリー専用アプリは、続けてある通知を送り付けてきた。
『比嘉慧斗様、死をお届けに向かっています』
その日から不可解な出来事に見舞われ始める慧斗は、高野來という美しい青年と衝撃的な出会い方をする。
不思議な力を持った來と共に死の呪いを解く方法を探す慧斗だが、周囲では連続怪死事件も起こっていて……?
「第7回ホラー・ミステリー小説大賞」オカルト賞を受賞しました!
最終死発電車
真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。
直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。
外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。
生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。
「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
感染した世界で~Second of Life's~
霧雨羽加賀
ホラー
世界は半ば終わりをつげ、希望という言葉がこの世からなくなりつつある世界で、いまだ希望を持ち続け戦っている人間たちがいた。
物資は底をつき、感染者のはびこる世の中、しかし抵抗はやめない。
それの彼、彼女らによる、感染した世界で~終わりの始まり~から一年がたった物語......
怪異相談所の店主は今日も語る
くろぬか
ホラー
怪異相談所 ”語り部 結”。
人に言えない“怪異”のお悩み解決します、まずはご相談を。相談コース3000円~。除霊、その他オプションは状況によりお値段が変動いたします。
なんて、やけにポップな看板を掲げたおかしなお店。
普通の人なら入らない、入らない筈なのだが。
何故か今日もお客様は訪れる。
まるで導かれるかの様にして。
※※※
この物語はフィクションです。
実際に語られている”怖い話”なども登場致します。
その中には所謂”聞いたら出る”系のお話もございますが、そういうお話はかなり省略し内容までは描かない様にしております。
とはいえさわり程度は書いてありますので、自己責任でお読みいただければと思います。
不動の焔
桜坂詠恋
ホラー
山中で発見された、内臓を食い破られた三体の遺体。 それが全ての始まりだった。
「警視庁刑事局捜査課特殊事件対策室」主任、高瀬が捜査に乗り出す中、東京の街にも伝説の鬼が現れ、その爪が、高瀬を執拗に追っていた女新聞記者・水野遠子へも向けられる。
しかし、それらは世界の破滅への序章に過ぎなかった。
今ある世界を打ち壊し、正義の名の下、新世界を作り上げようとする謎の男。
過去に過ちを犯し、死をもってそれを償う事も叶わず、赦しを請いながら生き続ける、闇の魂を持つ刑事・高瀬。
高瀬に命を救われ、彼を救いたいと願う光の魂を持つ高校生、大神千里。
千里は、男の企みを阻止する事が出来るのか。高瀬を、現世を救うことが出来るのか。
本当の敵は誰の心にもあり、そして、誰にも見えない
──手を伸ばせ。今度はオレが、その手を掴むから。
【全64話完結済】彼女ノ怪異談ハ不気味ナ野薔薇ヲ鳴カセルPrologue
野花マリオ
ホラー
石山県野薔薇市に住む彼女達は新たなホラーを広めようと仲間を増やしてそこで怪異談を語る。
前作から20年前の200X年の舞台となってます。
※この作品はフィクションです。実在する人物、事件、団体、企業、名称などは一切関係ありません。
完結しました。
表紙イラストは生成AI
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる