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第三章「手招くもの」-side大野-
二
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どこかからか勇壮な太鼓囃子が聞こえ、胸の奥まで届くような響きに、自然と高揚した気持ちにさせられる。昼頃から屋台が開き始めた祭りは、夕方の五時を回っていよいよ熱気を増してきたようだ。
俺と謙介はいつもよりも賑わう駅前で、待ち合わせている女の子たちを待っていた。
普段制服姿ばかり見ているから、シンプルな濃紺のTシャツに、ナチュラルなレザーと木目のペンダントを合わせている謙介の姿は新鮮だ。
「どうやって知り合ったんだ? その、穂香ちゃん? と」
「白のクラスメイトでさ」
「また出たよ、白」
「大野、本当に白嫌いだよな」
謙介が軽く笑う様子を見て、しっかりめに頷く。こういう所の意思表示はハッキリしておいて損はない。
曖昧にしておいて、それこそ白も交えて遊ぼうなんてことになったら面倒だ。
「でも穂香ちゃんは普通に良い子だから……あ、来た」
謙介の言葉に、その視線の先を追う。と、浴衣姿の女の子二人が、こちらに向かって手を振りながら歩いてくるところだった。
桜柄の入った薄いピンクの浴衣に、下ろしたら肩につきそうな長さの髪をゆるく一纏めにしている子が一人。もう一人は肩甲骨の下あたりまであるロングストレートの髪を下ろしたままで、金魚の描かれた水色の浴衣を身にまとっている。
どちらも清楚そうで可愛らしい子達だ。その華やかな装いにも、思わず表情が緩む。
男だけでつるんでいる方が楽だとは思っているが、やはり女の子は可愛い。
「先輩、今日は急にお誘いしてすみませんでした。この子が、私の友達の三浦葵です」
そう紹介をし始めたのが、ピンクの浴衣の方。
ならば、この子が事前に話に聞いていた穂香ちゃんか。紹介された葵ちゃんは黒髪を垂らしながら、宜しくおねがいします、と頭を下げている。
「祭りに行くのに男だけじゃなって話してたんだ。こっち、大野剣。紛らわしいから大野って呼んでくれるか、俺は松前で」
「俺はまっつんって呼んでんだけどな。よろしく。こんな所で話しててもしょうがねぇから行こうか」
俺も謙介に紹介してもらい軽く手を上げて応えた後、早速そう促して、祭りの方へと歩き出した。
昨日謙介が言っていた通り、門前川に沿うようにして色とりどりの提灯がかけられ、風に揺れている。まるで宙に光が浮いているかのようで綺麗だ。
祭りのスポンサーなのだろうか、町内の店の名前などが書かれた提灯は、それだけでも祭りのムードを盛り上げてくれる。
普段は閑散としている通りも人通りがぐっと増していて、くっついて歩かないと逸れてしまいそうだ。
「すげぇ、こんなに人いたのか、神代町」
「俺も毎年同じ感想を抱くよ」
「私もです」
にぎやかな喧騒の中、会話は自然と声を張り上げねばならない。
俺と謙介、その後ろに穂香ちゃん、葵ちゃんという二列になってまとまりながら、今は祭りのために歩行者天国になっている車道を歩く。
「まずはかき氷かな」
「賛成」
謙介の提案で、目に入ったかき氷屋でそれぞれの味を頼んだ。
河川敷に面したガードレールに凭れながら、夏を味わう。日が暮れはじめてもむっとしたままの空気の中、喉から体全体を冷やしてくれる氷は最高だ。
夏になるとたまに食べたくなって、レストランに入った時にかき氷を頼んだりもするのだが、冷房がきいたレストランの中だと、かき氷が到着する頃には体が冷えていて、完食するのすら辛かったりする。やはり、かき氷は外でこうやって食べるに限る。
「俺は隣の市に住んでるんだけど、こんなにでかい祭りが神代町で開催されてるって知らなかったな」
「基本的には町の人しか来ませんよね、このお祭り。その代わり、町の人は皆来るって感じしますけど」
謙介はそうだと知っていたが、女の子二人も神代町の人間らしい。この町で生まれた子供は大人になっても地元を離れないことが多い。本当にこの町は、不思議なほど閉鎖的な地域だ。
「夜七時半から八時まで、花火も上がるんだ。花火見るために、時間の前までに井槌山の高台の所まで行こう」
「あ、私もいつもそこに行きます。ちょうど綺麗に見えますよね」
食いにくいストローのスプーンで青色の氷を掬いながら、謙介と穂香ちゃんの話を聞く。どうやら今のは地元トークというやつみたいだ。葵ちゃんは大人しい性格のようで、にこにことしているだけでほとんど言葉を発しない。
「井槌山って?」
問いかけると、謙介はストローを口に加えて、道路を指差し説明を始める。
「あそこの交差点抜けた所にある通りを右に曲がるとずっと坂になってて、そのまま上っていくと山に差し掛かるんだよ。その先はちょっと山道っぽくなるんだけど舗装されてるし、大した距離じゃないから。そっちの方に沿って出店で色々買おう」
「毎日三十分歩いて登校してる奴の『大した距離じゃない』は当てにならねぇんだよな」
冗談で軽くぼやくと、謙介は本当だって、と笑う。
しかし俺も謙介の提案に別に異論はない。そもそも今日初めて参加する祭りだ。ここは地元の者の言うことを聞いておくに限る。
「この町ってどこ見渡しても山だよな」
「本当に山に囲まれてるからな。こっちが井槌山だろ、神保山、下泉山、御岳山」
四方を指差しながら説明されて、目を瞬く。
「え、何、まっつん山の名前把握してんの?」
「自分たちの住んでいる地域ってそういうものじゃないんですか? 小学校で習いましたよね、確か」
驚いて問いかけると、穂香ちゃんがそう言葉を足し、葵ちゃんも頷いている。どうやら神代町あるあるらしい。
「へぇ……本当に地元愛強い感じするわ」
そう会話を続けながら俺たちはかき氷のカップを空にすると、謙介の案内に従って出店の通りを進んでいった。
角を曲がった所で、俺はふと昨日の朝の出来事を思い出した。あの奇妙な女性が立っていたのは、確かこの辺りだ。
りんご飴を買い求めに屋台へ行っている女の子二人を見送りながら、俺はあの女性が立っていた辺りに視線を向けた。
少し高い雑居ビルの影になっている、何の変哲もない道路の傍ら。当然、そこに何がある訳でもない。だが、心の中で、何かが引っかかる。
喧騒が遠く聞こえる気がする雑踏の中、路端を眺めて佇む。
「大野?」
謙介に呼ばれて、意識を引き戻した。
「ん?」
「どうかしたか」
「いや何でも無い。りんご飴、買えた? 俺焼きそば食いてぇわ」
そう視線を戻し、また歩き始めた時。俺はようやく、自分の中の違和感に気づいた。
そうだ。この辺りには横にそれる脇道がない。
ではあの女性は、どうやって俺が目を離した一瞬で姿を消したのだろう。この場所に、どこかの建物に入れる入り口もないことがいっそう不審感を高める。
「あ、俺も焼きそばにしよう。そこに屋台あったよな」
「まとめて買ってくるよ」
努めて何でも無いふりをして謙介と会話を続けながら、俺は背筋に、なにか冷たいものが伝わるのを感じていた。
夕暮れも過ぎ、すっかり太陽は山の向こうへと落ちて辺りは暗くなった。とは言っても屋台の続く道は相変わらずの賑わいだ。
かき氷、りんご飴、焼きそばにジャガバター、チョコバナナ、水飴、射的にヨーヨー釣り。祭りの一通りの定番は堪能し尽くした気がする。
戦利品のヨーヨーを片手に、ついつい手癖で弾ませながら、仕上げのように購入した豚串にかぶりつく。塩と胡椒がこれでもかと効いていて美味い。
屋台のメニューって、原価とコスパ考えたら最悪な気はするのだが、どうしてこんなに食いたくなるのだろうか。
時刻は夜の七時を回った所で、歩みを進めると急に屋台の列が途切れた。
辺りに建物が少なくなり、そこから、先程謙介が説明してくれたように山道へと差し掛かったのが分かった。辺りにいる人の数もずっと減っている。
「あんまり人来ないんだな」
「穴場なんだよ」
山道を上っていく。先程まで煩いくらいの人の声に包まれていたので、なんだか寂しさまで感じる程だ。
「葵ちゃん、大丈夫?」
遅れがちになっている葵ちゃんに振り返り声をかけると、どうもその歩き方がおかしい。どうやら下駄の鼻緒が足に擦れてしまっているようだ。
「すみません、慣れてなくて」
「痛そうだな、ちょっと休憩……」
休憩しようか。そう言いかけた時、葵ちゃんの背後、道を五メートル程下った曲がり角の所に隼人の姿を見かけて俺は言葉を途切れさせる。
隼人も私服だ。
あいつもやはり祭りに来ていたのかと思いかけたが、昨日と同じくその様子がおかしい。どこか虚ろな瞳をして、ぼんやりと歩いている。
「おーい、隼人ー」
大きく手を振りながら声をかけるが、俺の声に一切反応した様子もない。隼人は角を曲がってこちらには来ず、そのまま狭い道を横切ると、道脇の叢の中へ入っていく。
「隼人がいたのか?」
俺の声を聞きつけて、少し先に行っていた謙介も戻ってきた。
隼人の背を視線で追いかけ、俺はゾッとする。叢の先に、あの白い手が水に揺蕩うように動いていた。
昨日の朝に見た女性だ。全身覆い隠すような黒のワンピースを着て、病的な程に長い黒髪を垂らしている。顔の詳細はやはり、遠くて分からない。
ただその長袖から出た白い手だけが、強く印象に残る。
俺は弾かれたように走り出していた。手にしていたヨーヨーがどこかに飛んでいった気がするが、気にする余裕もない。
何故そうしたのか、上手く説明は出来ない。
ただあの女性に感じた強烈な不審感と、隼人の人が変わったような態度を思い出すと、あのまま隼人を行かせる訳にはいかなかった。
「隼人!」
怒号するように名前を呼びながら、叢、そして山の木々の中へと隼人を追いかけていく。背後から声も聞こえて、謙介が俺を追ってきているのも分かっていた。
隼人はぼうっとしているように見えるのに、何故だか遠ざかる足が早くて、走っている俺が全く追いつけない。
辺りは闇に沈み、そして何より行く手を阻むような草の影になって、隼人の姿を度々見失う。
それでもなんとか食い下がり、壁のように立ちふさがる背の高い藪を掻き分け抜けた時、木々に囲まれた広い空間に出た。その中央には、月明かりに照らされて、ぼんやりと社のようなものが建っているのが見える。
「ここは……?」
背後で物音がして振り向くと、謙介も後をついて来れていたようだ。体についた木の葉を振り落としながら周囲を見渡している。
「分からない。隼人も見失った」
「こんな所に神社なんてあったのか……」
謙介が、スマホの照明をつけながら物珍しげに社を見上げる。その社は、使われている木材に所々苔むした様子が伺えて、相当古そうなものに見えた。
石段がついて高さを出した入り口らしき所は木の扉が閉まっている。人が入れそうな様子はあるが、建物の大きさ的に、中は六畳程もあれば十分なくらいではないだろうか。
今しがた走ってきたばかりだというのに、不思議と、先程よりも涼しく感じる。森の中なので気温が下がっているのだろうか。
不意に、ぎぎ、ぎぃ、となにかが軋むような音がした。
謙介が照明をそちらに向けると、先程閉まっていたのを見た社の扉が、僅かに開いていた。
「……大野。まずい気がする。戻ろう」
いつもよりも少し上ずった声で、謙介が囁く。
「でも、隼人はここに来たんだ。探さねぇと」
社の周囲に隼人がいないか探しはじめようとしたが、俺の視線はそのまま、扉の所に釘付けになった。
開いた古びた木の扉の隙間から、あの手が差し伸べられているところだった。
白く嫋やかな手は、そのままゆら、ゆらと宙を撫でる。
謙介の持つ、スマホの白々とした照明に照らされた扉の向こうの影に、あの女性の姿があった。スカートに隠れた足元から、視線を上げていく。
その時、俺は確信した。
例えどんなに近づいても、彼女の顔をはっきりと認識することは出来なかったに違いない。女性の顔は、まるで描いたばかりの油絵を、指でキャンバスに引き伸ばしたかのように歪み掠れていた。
彼女は、人ではない。
そう思い至ったにも関わらず、俺は何故だか手招かれるように、一歩、足を前へ踏み出していた。
ぴちゃん、ぴちゃん、と澄んだ水の音がする。彼女の足元から、染み出すように水が滴ってきていた。
扉の縁を超え、石段を這うように濡らし、その水は、まるで意思を持っているかのように俺の足元へ。
「大野っ!」
切羽詰まった謙介の叫び声が聞こえた、と思った瞬間。衝撃が走った。謙介が体当たりするように、俺を水の上から弾き飛ばして。
地面に尻もちをつき、その衝撃に一瞬気が逸れたその後。
俺は自分の目を、そして正気を疑った。
辺りはただの、昏い藪の中。
目の前にあったはずの社もなければ、あの女性も、滴ってきていた水もない。
そして、スマホの光と共に謙介の姿さえも、忽然と消えていた。
俺と謙介はいつもよりも賑わう駅前で、待ち合わせている女の子たちを待っていた。
普段制服姿ばかり見ているから、シンプルな濃紺のTシャツに、ナチュラルなレザーと木目のペンダントを合わせている謙介の姿は新鮮だ。
「どうやって知り合ったんだ? その、穂香ちゃん? と」
「白のクラスメイトでさ」
「また出たよ、白」
「大野、本当に白嫌いだよな」
謙介が軽く笑う様子を見て、しっかりめに頷く。こういう所の意思表示はハッキリしておいて損はない。
曖昧にしておいて、それこそ白も交えて遊ぼうなんてことになったら面倒だ。
「でも穂香ちゃんは普通に良い子だから……あ、来た」
謙介の言葉に、その視線の先を追う。と、浴衣姿の女の子二人が、こちらに向かって手を振りながら歩いてくるところだった。
桜柄の入った薄いピンクの浴衣に、下ろしたら肩につきそうな長さの髪をゆるく一纏めにしている子が一人。もう一人は肩甲骨の下あたりまであるロングストレートの髪を下ろしたままで、金魚の描かれた水色の浴衣を身にまとっている。
どちらも清楚そうで可愛らしい子達だ。その華やかな装いにも、思わず表情が緩む。
男だけでつるんでいる方が楽だとは思っているが、やはり女の子は可愛い。
「先輩、今日は急にお誘いしてすみませんでした。この子が、私の友達の三浦葵です」
そう紹介をし始めたのが、ピンクの浴衣の方。
ならば、この子が事前に話に聞いていた穂香ちゃんか。紹介された葵ちゃんは黒髪を垂らしながら、宜しくおねがいします、と頭を下げている。
「祭りに行くのに男だけじゃなって話してたんだ。こっち、大野剣。紛らわしいから大野って呼んでくれるか、俺は松前で」
「俺はまっつんって呼んでんだけどな。よろしく。こんな所で話しててもしょうがねぇから行こうか」
俺も謙介に紹介してもらい軽く手を上げて応えた後、早速そう促して、祭りの方へと歩き出した。
昨日謙介が言っていた通り、門前川に沿うようにして色とりどりの提灯がかけられ、風に揺れている。まるで宙に光が浮いているかのようで綺麗だ。
祭りのスポンサーなのだろうか、町内の店の名前などが書かれた提灯は、それだけでも祭りのムードを盛り上げてくれる。
普段は閑散としている通りも人通りがぐっと増していて、くっついて歩かないと逸れてしまいそうだ。
「すげぇ、こんなに人いたのか、神代町」
「俺も毎年同じ感想を抱くよ」
「私もです」
にぎやかな喧騒の中、会話は自然と声を張り上げねばならない。
俺と謙介、その後ろに穂香ちゃん、葵ちゃんという二列になってまとまりながら、今は祭りのために歩行者天国になっている車道を歩く。
「まずはかき氷かな」
「賛成」
謙介の提案で、目に入ったかき氷屋でそれぞれの味を頼んだ。
河川敷に面したガードレールに凭れながら、夏を味わう。日が暮れはじめてもむっとしたままの空気の中、喉から体全体を冷やしてくれる氷は最高だ。
夏になるとたまに食べたくなって、レストランに入った時にかき氷を頼んだりもするのだが、冷房がきいたレストランの中だと、かき氷が到着する頃には体が冷えていて、完食するのすら辛かったりする。やはり、かき氷は外でこうやって食べるに限る。
「俺は隣の市に住んでるんだけど、こんなにでかい祭りが神代町で開催されてるって知らなかったな」
「基本的には町の人しか来ませんよね、このお祭り。その代わり、町の人は皆来るって感じしますけど」
謙介はそうだと知っていたが、女の子二人も神代町の人間らしい。この町で生まれた子供は大人になっても地元を離れないことが多い。本当にこの町は、不思議なほど閉鎖的な地域だ。
「夜七時半から八時まで、花火も上がるんだ。花火見るために、時間の前までに井槌山の高台の所まで行こう」
「あ、私もいつもそこに行きます。ちょうど綺麗に見えますよね」
食いにくいストローのスプーンで青色の氷を掬いながら、謙介と穂香ちゃんの話を聞く。どうやら今のは地元トークというやつみたいだ。葵ちゃんは大人しい性格のようで、にこにことしているだけでほとんど言葉を発しない。
「井槌山って?」
問いかけると、謙介はストローを口に加えて、道路を指差し説明を始める。
「あそこの交差点抜けた所にある通りを右に曲がるとずっと坂になってて、そのまま上っていくと山に差し掛かるんだよ。その先はちょっと山道っぽくなるんだけど舗装されてるし、大した距離じゃないから。そっちの方に沿って出店で色々買おう」
「毎日三十分歩いて登校してる奴の『大した距離じゃない』は当てにならねぇんだよな」
冗談で軽くぼやくと、謙介は本当だって、と笑う。
しかし俺も謙介の提案に別に異論はない。そもそも今日初めて参加する祭りだ。ここは地元の者の言うことを聞いておくに限る。
「この町ってどこ見渡しても山だよな」
「本当に山に囲まれてるからな。こっちが井槌山だろ、神保山、下泉山、御岳山」
四方を指差しながら説明されて、目を瞬く。
「え、何、まっつん山の名前把握してんの?」
「自分たちの住んでいる地域ってそういうものじゃないんですか? 小学校で習いましたよね、確か」
驚いて問いかけると、穂香ちゃんがそう言葉を足し、葵ちゃんも頷いている。どうやら神代町あるあるらしい。
「へぇ……本当に地元愛強い感じするわ」
そう会話を続けながら俺たちはかき氷のカップを空にすると、謙介の案内に従って出店の通りを進んでいった。
角を曲がった所で、俺はふと昨日の朝の出来事を思い出した。あの奇妙な女性が立っていたのは、確かこの辺りだ。
りんご飴を買い求めに屋台へ行っている女の子二人を見送りながら、俺はあの女性が立っていた辺りに視線を向けた。
少し高い雑居ビルの影になっている、何の変哲もない道路の傍ら。当然、そこに何がある訳でもない。だが、心の中で、何かが引っかかる。
喧騒が遠く聞こえる気がする雑踏の中、路端を眺めて佇む。
「大野?」
謙介に呼ばれて、意識を引き戻した。
「ん?」
「どうかしたか」
「いや何でも無い。りんご飴、買えた? 俺焼きそば食いてぇわ」
そう視線を戻し、また歩き始めた時。俺はようやく、自分の中の違和感に気づいた。
そうだ。この辺りには横にそれる脇道がない。
ではあの女性は、どうやって俺が目を離した一瞬で姿を消したのだろう。この場所に、どこかの建物に入れる入り口もないことがいっそう不審感を高める。
「あ、俺も焼きそばにしよう。そこに屋台あったよな」
「まとめて買ってくるよ」
努めて何でも無いふりをして謙介と会話を続けながら、俺は背筋に、なにか冷たいものが伝わるのを感じていた。
夕暮れも過ぎ、すっかり太陽は山の向こうへと落ちて辺りは暗くなった。とは言っても屋台の続く道は相変わらずの賑わいだ。
かき氷、りんご飴、焼きそばにジャガバター、チョコバナナ、水飴、射的にヨーヨー釣り。祭りの一通りの定番は堪能し尽くした気がする。
戦利品のヨーヨーを片手に、ついつい手癖で弾ませながら、仕上げのように購入した豚串にかぶりつく。塩と胡椒がこれでもかと効いていて美味い。
屋台のメニューって、原価とコスパ考えたら最悪な気はするのだが、どうしてこんなに食いたくなるのだろうか。
時刻は夜の七時を回った所で、歩みを進めると急に屋台の列が途切れた。
辺りに建物が少なくなり、そこから、先程謙介が説明してくれたように山道へと差し掛かったのが分かった。辺りにいる人の数もずっと減っている。
「あんまり人来ないんだな」
「穴場なんだよ」
山道を上っていく。先程まで煩いくらいの人の声に包まれていたので、なんだか寂しさまで感じる程だ。
「葵ちゃん、大丈夫?」
遅れがちになっている葵ちゃんに振り返り声をかけると、どうもその歩き方がおかしい。どうやら下駄の鼻緒が足に擦れてしまっているようだ。
「すみません、慣れてなくて」
「痛そうだな、ちょっと休憩……」
休憩しようか。そう言いかけた時、葵ちゃんの背後、道を五メートル程下った曲がり角の所に隼人の姿を見かけて俺は言葉を途切れさせる。
隼人も私服だ。
あいつもやはり祭りに来ていたのかと思いかけたが、昨日と同じくその様子がおかしい。どこか虚ろな瞳をして、ぼんやりと歩いている。
「おーい、隼人ー」
大きく手を振りながら声をかけるが、俺の声に一切反応した様子もない。隼人は角を曲がってこちらには来ず、そのまま狭い道を横切ると、道脇の叢の中へ入っていく。
「隼人がいたのか?」
俺の声を聞きつけて、少し先に行っていた謙介も戻ってきた。
隼人の背を視線で追いかけ、俺はゾッとする。叢の先に、あの白い手が水に揺蕩うように動いていた。
昨日の朝に見た女性だ。全身覆い隠すような黒のワンピースを着て、病的な程に長い黒髪を垂らしている。顔の詳細はやはり、遠くて分からない。
ただその長袖から出た白い手だけが、強く印象に残る。
俺は弾かれたように走り出していた。手にしていたヨーヨーがどこかに飛んでいった気がするが、気にする余裕もない。
何故そうしたのか、上手く説明は出来ない。
ただあの女性に感じた強烈な不審感と、隼人の人が変わったような態度を思い出すと、あのまま隼人を行かせる訳にはいかなかった。
「隼人!」
怒号するように名前を呼びながら、叢、そして山の木々の中へと隼人を追いかけていく。背後から声も聞こえて、謙介が俺を追ってきているのも分かっていた。
隼人はぼうっとしているように見えるのに、何故だか遠ざかる足が早くて、走っている俺が全く追いつけない。
辺りは闇に沈み、そして何より行く手を阻むような草の影になって、隼人の姿を度々見失う。
それでもなんとか食い下がり、壁のように立ちふさがる背の高い藪を掻き分け抜けた時、木々に囲まれた広い空間に出た。その中央には、月明かりに照らされて、ぼんやりと社のようなものが建っているのが見える。
「ここは……?」
背後で物音がして振り向くと、謙介も後をついて来れていたようだ。体についた木の葉を振り落としながら周囲を見渡している。
「分からない。隼人も見失った」
「こんな所に神社なんてあったのか……」
謙介が、スマホの照明をつけながら物珍しげに社を見上げる。その社は、使われている木材に所々苔むした様子が伺えて、相当古そうなものに見えた。
石段がついて高さを出した入り口らしき所は木の扉が閉まっている。人が入れそうな様子はあるが、建物の大きさ的に、中は六畳程もあれば十分なくらいではないだろうか。
今しがた走ってきたばかりだというのに、不思議と、先程よりも涼しく感じる。森の中なので気温が下がっているのだろうか。
不意に、ぎぎ、ぎぃ、となにかが軋むような音がした。
謙介が照明をそちらに向けると、先程閉まっていたのを見た社の扉が、僅かに開いていた。
「……大野。まずい気がする。戻ろう」
いつもよりも少し上ずった声で、謙介が囁く。
「でも、隼人はここに来たんだ。探さねぇと」
社の周囲に隼人がいないか探しはじめようとしたが、俺の視線はそのまま、扉の所に釘付けになった。
開いた古びた木の扉の隙間から、あの手が差し伸べられているところだった。
白く嫋やかな手は、そのままゆら、ゆらと宙を撫でる。
謙介の持つ、スマホの白々とした照明に照らされた扉の向こうの影に、あの女性の姿があった。スカートに隠れた足元から、視線を上げていく。
その時、俺は確信した。
例えどんなに近づいても、彼女の顔をはっきりと認識することは出来なかったに違いない。女性の顔は、まるで描いたばかりの油絵を、指でキャンバスに引き伸ばしたかのように歪み掠れていた。
彼女は、人ではない。
そう思い至ったにも関わらず、俺は何故だか手招かれるように、一歩、足を前へ踏み出していた。
ぴちゃん、ぴちゃん、と澄んだ水の音がする。彼女の足元から、染み出すように水が滴ってきていた。
扉の縁を超え、石段を這うように濡らし、その水は、まるで意思を持っているかのように俺の足元へ。
「大野っ!」
切羽詰まった謙介の叫び声が聞こえた、と思った瞬間。衝撃が走った。謙介が体当たりするように、俺を水の上から弾き飛ばして。
地面に尻もちをつき、その衝撃に一瞬気が逸れたその後。
俺は自分の目を、そして正気を疑った。
辺りはただの、昏い藪の中。
目の前にあったはずの社もなければ、あの女性も、滴ってきていた水もない。
そして、スマホの光と共に謙介の姿さえも、忽然と消えていた。
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