真名を告げるもの

三石成

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第二章「覗くもの」-side御崎-

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 翌日。七瀬くんは学校に来なかった。

 まだ体調が戻らないのだろうか。昨夜、先輩の腕の中でぐったりとしていた姿を思い出し心配になった私は松前先輩に連絡し、放課後に七瀬くんの家へ行ってお見舞いをすることにした。

 校門の所で待っている先輩の姿を見かけて、駆け足で近寄る。

「先輩すみません。ホームルームが長引いちゃって」

「全然大丈夫。行こうか」

「はい」

 言葉の通り、全く気にしていない様子で歩き始めた先輩の斜め後ろを歩き始める。

「けっこう歩くよ。学校から二十分くらいかな」

「歩くの得意なので、大丈夫です。先輩昨日、七瀬くん抱っこしたまま歩いて家まで行ったんですか?」

「そうそう。タクシー呼ぼうかなとも思ったんだけどさ、なんか聞かれたら面倒だなと思って。三十分あいつ抱えたまま歩くのけっこうしんどかった。しかも帰る時は俺の家が駅の向こう側っていう」

 冗談を言う口調で先輩が笑うので、私もつられるように笑みが浮かぶ。

「今日もつき合わせてしまって……」

「俺も気になってたからな。昨日、あいつ送り届けた時もまだ目覚ましてなくてさ。薄紫さんに電話したら来ていいって言うから」

 また出てきた知らない名前に、視線を向ける。

「その、薄紫さんっていうのは」

「白の世話をしている人らしい。お母さんみたいなもんなんじゃないかな。俺もよく分からないが、優しい人だよ」

 その口ぶりから何か複雑な事情を感じるが、あんな不思議な能力を持つ七瀬くんなら何となく違和感はない。私はただ頷く。

「あのあと、大丈夫だった?」

「はい。何もありませんでした、綺麗さっぱり……本当に、ありがとうございました」

「それは白に……そう言えば、俺もまだ礼言ってないな」

 先輩は今気づいたというように眉を寄せ、ぽつりと呟く。

「先輩と七瀬くんって、いつからお知り合いなんですか?」

 何か考え込むような先輩に問いかける。

「つい最近だよ。あれ……よく考えたらまだ白と会って四日しか経ってないのか」

 その答えに、私もだが、先輩自身も驚いたようだ。

「そうなんですか。なんだか、もっとずっと前からのお知り合いなのかと」

「うん。俺も不思議とそんな感じがするんだけどね」

 それからも他愛のない会話を続け、道中で小さな甘味屋を見つけ、お見舞いの品として羊羹を買った。

 石段を上ってたどり着いた七瀬くんの家であるお屋敷の様子は、家というよりも何かの神社のようだ。

 入り口に近づき、見回してもチャイムのボタンが存在しない。玄関の戸をノックしようと先輩が手を上げかけた時、内側から引き戸がからからと開いていく。

 そこには、薄紫色の着物を着た女性が立っていた。

「いらっしゃいませ、松前様……と」

 女性の視線が私の方を向く。

「あ。私、御崎と言います。昨日七瀬くんに助けていただいて……あのこれ、お見舞いの羊羹です」

「左様ですか、ありがとうございます。御崎様、ようこそお越しくださいました」

 女性は私が差し出した羊羹の紙袋を両手で受け取りながら柔和に微笑む。きっとこの人が薄紫さんと言うのだろうと、すぐに分かった。

「白様も先程お目覚めになられましたよ。どうぞこちらへ」

 促されるままに家の中へ上がり、薄紫さんの後について廊下を進む。たくさんの同じような見た目の襖が並んでいて、長い廊下はまるで迷路のようだ。

 角を曲がり、薄紫さんがその並んでいる襖の一つを開いた時、私は無意識に息を呑んでいた。

 縁側の方の障子を開け放っているその和室は、外からの光だけが差し込んでいて、どこか静謐な空気が漂う。

 畳の中央に敷かれた布団に上半身を起こしている七瀬くんは紫水晶色の着物の上に群青色の羽織をかけていて、学ラン姿の時とはまるで雰囲気が違う。この部屋の中だけ時が昔の時代のまま止まっているかのようだ。

 七瀬くんの漆黒の瞳が私たちを真っ直ぐに捉え、その薄い唇が開いた。

「わざわざ押しかけて来なくとも……」

「白様、御崎様より羊羹をいただきました」

 発された声を半ば遮るように薄紫さんが言葉を挟むと、七瀬くんは僅かに身じろいた。

「……羊羹、切ってきてください」

「かしこまりました」

 薄紫さんは静々と頭を下げると、紙袋を持って部屋を出ていく。

 なんとなく洋菓子よりも和菓子の方が好きそうかなと思ったので羊羹にしたのだが、手土産を持ってきて正解だったのかもしれない。

 部屋の中に進み、布団の横に腰掛けたが、隣で先輩が声を殺すように密やかに笑っている。

「スケ」

 それを窘めるような声音で、七瀬くんが呼ぶ。

「いや、元気そうで良かった」

「あれくらい、何でもありません」

「でも今起きたんだろう? 体、本当に大丈夫なのか」

 先輩の問いかけに、七瀬くんは口を噤む。そこに何か言いたくない何かがあるような気配を感じるが、私は間を埋めるように声を発した。

「あの、七瀬くん。昨日はありがとう。もう隙間も怖くなくなって、とても安心したの。危ない所を助けてくれて、本当にありがとう」

 七瀬くんが助けてくれなかったら、きっと自分はあのまま、声も出せずにあの男……異形に体を乗っ取られていたのだと思う。

 体を乗っ取られるということがどういうことか、私には良く分からないけれど、誰にも知られずにこの世からいなくなるのは、死ぬよりも辛いことなんじゃないかと思う。

「あと俺も……なんか言いそびれてたんだが、ありがとうな」

 私の言葉を引き取るように、先輩も感謝の気持を述べる。そんな私達の感謝の言葉を聞いて、一度目を瞬いた七瀬くんは、何故かすうっと目を細める。

 その表情は、先程よりもずっと冷ややかに感じられた。

「この世の境を守るのはおれの役目で、 永らくやってきたことです。何も感謝されることはないのですよ。例えこの世ならざるものが狙っていたのが貴方達でなくとも、おれは役目を果たしたのですから」

 七瀬くんの言葉は、謙遜とはどこか違っていた。それよりももっと、冷たい響きがあるというか。まるで距離を置くように突き放されたというか。

「俺はその役目だか何だかは良く分からないが、白に助けてもらったと思ってるし、ありがたく思うよ」

 その距離を詰めるよう、再度先輩が言葉を紡ぐ。

「殊勝なこと、臣として結構ですよ」

「白」

 窘めるような響きで先輩が名前を呼んだ。

 七瀬くんは薄く息を漏らすと、その透き通るような瞳を先輩にだけ向ける。

「体のことを問いましたね。確かに、力を使う度におれの体は傷んでいきます。ただ、体とはおれにとっては使い捨てのものに過ぎません。

 この体は、あと十年も保ったら良い方でしょう。その、この世にいられる僅かな間に、おれが居ない間もこの世の境を保っていられるだけの役目を果たさねばならない。ただそれだけの話なのです」

 私も先輩も、言葉を失っていた。

 七瀬くんの言っていることは、私には分からない事が多すぎる。それでも、七瀬くんがああして不思議な力を使っていたら、十年もしたら死んでしまう、と言っていることは分かる。

 部屋の中に広がった静寂を破り、振り絞るような声音で先輩が問いかける。

「お前は、それで良いのかよ」

「なにがです?」

「神代とかじゃない、お前自身は、それで良いのかって聞いてるんだ」

「おれは神代ですよ」

 感情の乗らない、七瀬くんの声。変化しない表情。

 不意に先輩が自分の両腕を、何かを掬い上げるように動かす。その仕草は、七瀬くんを抱き上げている時のような。

「俺には、お前は、お前にしか見えない」

 先輩の声は、なんだかとても辛そうだった。私にはとても、かける言葉が見つからない。

 それきり、しん、と静まり返った部屋の中。

 しかし俯いた先輩の姿を見守る七瀬くんの顔は、どこかとても嬉しそうだった。
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