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第一章「近づくもの」−side謙介-
四
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歩き初めて早二十分。周囲からはとうの昔に、他の生徒の姿は消えていた。
斜め前を歩く白の後を追い、時折結構な勢いで車が走って行く車道の横を歩く。どうして車は田舎の狭い道をこぞって飛ばしたがるのか。
一体自分がどこへ向かっているのかは理解していなかった。
放課後、言いつけられるままに校門で待っていると、白は程なくして現れ「ついて来なさい」とだけ告げて歩き出したのだ。
どこに行くのかと問いかけはしたが、「来れば分かります」とごく短く返答された。何をしにいくかも問いたかったが、どこへ行くのかも答えてもらえないのだから、問うだけ無駄だろう。
歩き出したのは、俺の家や駅からは反対の山へ向かう方角だ。幾度か来たことのある大きな公園の脇を通り、さらに進むと民家が減ってきた。
俺は生まれてからずっとこの神代町に住んでいるが、なかなか来ることはないエリアだ。山へ近づいているのが分かる位、ずっと傾斜が続き、辺りに緑が増えてきた。
桜の時期はもうだいぶ前に終わったが、あちこちにある桜の木の新緑が美しい。おそらく花の盛りの時に来たら綺麗なのではないだろうか。
周囲の景色を眺めるのも、歩くのも嫌いではないのだが、さすがにそろそろ連れ歩かれる訳を問いたくなってきた。
「白」
「もう着きました」
痺れを切らして声をかけると、白は何を問われるか分かっているとでも言いたげに言葉を返し、そして立ち止まった。
そこは、車道から続く、古めかしい石段の前だった。石段の周囲を鬱蒼とした木々が覆っている。その様子はまさに。
「神社、か……?」
「おれの住んでいる場所です」
「え、家?」
「そう解釈しても問題はありませんよ」
白はそうだとも違うとも言わず、微妙な言い回しをして石段を上りはじめた。
後を追って木々のトンネルの中に入ると車の走る音が少し遠く聞こえて、僅かに気温が下がった気がする。
俺は無宗教だが、神社や寺の敷地内に入ると、いつも空気の変化を感じる。
それは実際に体感として変わっているのか、気持ちの問題なのかは分からないが、どこか神聖な気持ちになるのだ。そしてここには、それと似た気配を感じた。
積み上げられた石の具合で、階段よりも幾分上りにくい石段を上り切ると、同じく周囲を木に囲まれた広い敷地に大きな平屋の日本家屋が建っていた。
とても古い建物であることは使われている木材の様子や、風格から分かる。趣は完全に神社仏閣のそれだが、鳥居や拝殿などはなく、それらと比べると少しだけ地味な印象があった。その規模は別にして、雰囲気としては、修学旅行で見に行ったことのある銀閣寺に似ていると言えば分かりやすいだろうか。
金閣寺と比べて、実に地味な印象のある建物だった。
屋敷の大きさに気圧される俺を尻目に、白は石段から続く石畳を通って、真っ直ぐに家の玄関へと向かう。
彼が、透かし彫りが施してある立派な引き戸に差し掛かった丁度その時。白が戸を開けようと手を上げる前に、戸が内側から開いた。
まるで白が帰ってきたのを事前に察知していたかのようなタイミングだ。
「おかえりなさいませ、白様」
そこに立っていたのは中年の女性だった。薄紫色の着物を身に着け、長い黒髪をゆるく後ろでひとつに纏めている。
柔和な微笑みがごく自然に顔に浮かんでいて、とても優しい雰囲気の人だ。
白の母親かと思う年頃だが、その発せられた口調から察するに、お手伝いさんかなにかだろうか。
「ただいま。これから使うので、真殿を開けてくれますか」
「承知いたしました」
白は手にしていた鞄を自然とその女性に手渡すと、屋敷の中へと入っていく。
俺も横を通ろうとした時、女性は俺にも手を差し伸べてきた。その様子になんとなく意図を汲み取って、肩にかけていた鞄を手渡す。
「スケ、来なさい」
と、鞄を受け取った女性が俺にも静々と頭を下げる様子が物珍しくてまじまじと見てしまっていたが、白に呼ばれて俺も慌ててその後を追った。
「今の、お手伝いさんか? 金持ちなのか、白の家」
「彼女のことは薄紫と呼んでいます。おれの体に何かあったら彼女の所へ連れて行ってください」
「白の体に?」
「見れば分かりますが、また後ほど説明しますよ」
何かとても不穏なことを言われたような気がしたが。その一言で会話を断ち切られてしまった。
屋敷の中は外観から想像する通りの内装だった。
色の濃い板張りの廊下にはいくつもの襖が並んでいたが、白はそれらを開けることなく、奥へ奥へと進んでいく。俺が足を進めると、一歩ごとに廊下の板がみしりと音を立てるのだが、白が歩く音は全くしないのが不思議だ。
屋敷の広さが如実に伝わる長さの廊下の突き当りには、古めかしい両開きの木の扉が待ち構えていた。
扉の中央に閂をかけられるような金属が打ち付けてあるが、その閂は今見当たらなかった。先程白があの女性に言いつけていたのは、この扉を開けておくようにということだったのだろうか。
俺達はあの女性よりも先にここへ来てしまったが。誰かを先に向かわせたのだろうか。
白が扉に手をかけると、ぎぃ、と軽く軋む音を立てて開いていく。
一体中に何があるのかという物々しさだったが、部屋の中は、想像したよりも狭かった。そして、何もなかった、というのが俺としての率直な感想だ。
部屋は正方形、特に何かの祭壇のようなものがある訳ではなく、仏像等もない。板張りの床中央に一畳だけ畳が置かれている。
真正面の壁は一面格子状になっていて、その格子の奥は暗くてよく見えないが、隣の部屋になっているようだ。音や風が抜けるようになっているのだろうか。
「ここは……?」
「真殿と呼んでいる場所です。畳の上に座ってください」
ここは真殿。先程の女性は薄紫。
先程から名前は教えてくれるが、一体何をする人なのか、どういうことをする場所なのかが全く分からないので何の説明にもなっていない。
それでも反抗は出来ないしする気もないので、命じられるままに示された畳の上へと正座する。
背後で再び軋みを立てて扉が閉まった気配がしたが、振り返ることは出来なかった。
なぜなら俺の正面に立った白が俺の顔を両手で掴み、動かせないように固定したからだ。
「白?」
「今から偽の名をスケの体に与え、真名を隠します。そうすれば、次に真名を呼ばれぬ限り、近づくものは貴方を見失う……分かりますね? これは永久的なものではありません。ですが、一定の効果は発揮してくれるはずです」
白は左手で俺の顎を固定したまま、右手で頬を撫で上げた。他人にこんな風に触られることなどないので、奇妙な感覚が腰の辺りからゾクゾクと上がってくる。
振り払いたい衝動に駆られた時、白の薄い唇から不思議な声が漏れ出した。誰に聞かせているとも思えない呟くようなトーンだ。
よく耳を欹てて聞いてみれば、それは日本語のようではあったが、現代の言葉ではないことは確かだ。伝統芸能の能で聞くような調子と言えば分かりやすいだろうか。
あまりにも古すぎて、俺には何と言っているかは分からない。
しかしただ、美しい調べだ、と思った。
一定の調子で紡がれる言葉は、同じフレーズを繰り返しているようだ。それが耳から、じわじわと体の中に染みていくようで。
白の、俺の頬を撫でていた指先がさらに上へと辿り、額に二本の指先が当てられる。
俺よりも体温が低いのか、肌に触れる白の手はひんやりと感じられたが、不思議と二本の指が触れている箇所から、何か別のものが注ぎ込んでくるようにじんわりと熱くなった。さらに重ねて紡がれる言葉の漣に酔いそうになったその時。
白の声が止まった。
不思議に思い、自然と閉じてしまっていた瞼を開くと、そのまま横に倒れ込む白の姿が目に飛び込んでくる。
「白っ!」
咄嗟に腕を伸ばして、体が床に崩れ落ちる寸前で抱え込んだが、白は完全に気を失っていた。目の前で人が気を失った経験などそうあるものではない。
「白、おい、白どうしたんだ」
焦って体を揺さぶってみたものの、白が目を覚ます気配はない。そこで俺はふと、先程言い含められた言葉を思い出した。
「おれの体に何かあったら彼女の所へ連れて行ってください」と。もしや白はこのことを言っていたのではないだろうか。
俺は白を横向きに抱え上げた。俺よりも十センチ以上背の低い白のことは、問題なく抱き上げられるだろうという予想はしていた。
たが持ち上げた白の体は、その見た目以上に軽かった。まだ成長期途中なのではないかと感じさせる、体の柔らかさすら感じる。
先程の女性を探さねばと部屋を出たが、探す必要もなく、扉を出たすぐ目の前にあの女性……薄紫が立っていた。まるで俺が部屋から出てくるのを待ち構えていたかのようだ。
「こちらへ」
俺に抱えられ、気を失っている白の姿を見ても驚く素振りを見せず、薄紫はそう言って廊下を歩き出した。
至って冷静な薄紫の態度に、焦っていた気持ちが少しだけ落ち着いて、俺は静かにその後に続く。
今度の目的地はそう遠くなかった。廊下の角を一つ曲がり、二つ目の襖を開けるとごく普通の和室があった。
中央には、今しがた用意されたばかりといった様子で綺麗に整えられた布団があり、部屋の隅に文机が置かれている。その文机の脇には、先程俺と白が薄紫に渡した学生鞄が二つ並べて置かれている。
ほとんど私物のない部屋だが、もしかしてここが白の自室なのではないかと思い至った。
促されるままに白を布団の上に寝かせると、薄紫がその枕元で、陶器の香炉に香を焚きはじめた。燐寸の焦げる匂いの後で、ふんわりと、奥ゆかしい良い香りが漂いだす。
落ち着いて白の様子を見れば、顔色は悪いものの、呼吸は穏やかなようだ。その香が、何かに効くのだろうか。
「あの、白は……一体どうしたんですか。急に倒れたんです。病気か何かでしょうか」
白の横に座ったまま、俺は薄紫へと問いかける。答えてもらえないかもしれないと危惧したが、彼女は俺を一度見つめてから、改めてその場に腰を下ろした。
そして、見た目通りの実に優しい響きを持つ声で話し出す。
「白様のお力は、人の身に余っているのです。一定のお力を使われると、こうして意識を失い、休息が必要になります」
人の身に余る。なんとも仰々しい言葉だが、最早驚きはしない。そもそもこいつは人なのかと半ば疑っていたので、人だと分かっただけでも安心する。
「白はその……能力者、というようなものなんですか?」
再度の問いかけに、薄紫は少し困ったように笑った。
「能力……そうですね、端的に申し上げるのは、難しいですね。長いお話をしても構いませんか?」
願ってもない申し出だ。
白は白の必要だと思うことしか説明してくれないので、白が一体何者なのか、という根本的なことも俺はまだ分かっていない。
これで白に対する疑問が解けるかもしれないと、俺はただ頷く。
それから薄紫の、前置き通りに長い話が始まった。
――その昔、この地には神がいた、と言われております。
途方も無いお話ですが、言い伝えの類だとご了解ください。
ここでの神とは、私達がいるこの次元を作った者のこと。そして、神はこの次元を守るため、他の次元からの干渉を受けないように、次元の境を守っておられました。
しかし、時は八百六十九年……ちょうど貞観地震と呼ばれる未曾有の地震が起きた、平安時代のこと。神はある一人の男に世の理を授け、この次元から姿を消してしまいました。神は死んだ、とも、この次元を見捨てた、とも言われておりますが、その真相はよく分かっておりません。
さて、その理を授けられた男は神の代理人として、神代と名乗りました。
そう、ここ神代町の名は、神代一族が由来となり、町の成り立ちの中心にあるのです。
神代の仕事はただ一つ。神から授かった理を用いて、次元の境を守ること。
神の果たしておられたお役目は決して簡単なことではなく、神代は幾度もの苦境に立たされましたが、そうして苦難を乗り越える度に貯まっていく知見が、神代の力を増していきました。
しかし、人の命は無限ではなく、神代が死んでは理が失われてしまう。
そこで、老いた神代は親族に生まれた赤子に、己の人生の全て、神から授かった全てを言い伝え、次の神代としたのです。
この策は、初代神代の想定していた以上に機能しました。
次の神代も、また次の神代も、そうして赤子に全てを伝えることで、理と知識と経験を残していき、その形式と術が完成したものが、『口伝術』として今に伝わっています。
『白』と呼ばれる生まれたばかりの赤子に、百人余りもの『口伝師』と呼ばれる者が、分担して記憶した理と知識と経験を何年もかけて伝えます。
それは知識として教わるという話ではなく、八百六十九年から連綿と続く神代の全てを、まるで己が実体験したかのように会得する術です。なので歴代の神代は皆、同一人物と捉えて差し障りないものであると、私は教わっております。
体を換えながら、永久に生き続ける神の代理人。
つまり白様は、千年以上もの時を生きてきた記憶を持ち、理を行使します。
しかし、それだけの膨大な記憶は、人の身にはあまりに負担が大きすぎるのです。より深く記憶を掘り起こさねばならない時、白様の体は限界を迎えます。
薄紫が語り終え、静かに口を閉じたのと対象的に、俺の口はぽかんと開いていた。
平安時代だとか、神だとか、まさかここまで壮大な話をされるとは思ってもみなかった。だがその一方で、全てが腑に落ちている自分がいる。
「白は……その、赤ん坊の時に選ばれて、神代っていうのになるために、教育された、と、いうことですか?」
「分かりやすく言えばそういうことになります」
「白は真名じゃないとは言ってたけど……」
「白は生まれた後すぐに浮世での生を捨て口伝術を授けられます。なので白様は、ご自身としてのお名前は持っておられません。白とは、神代に選ばれた赤子の呼び方ですが、大きくなられてからもそうお呼びするのが習わしです。さすがに日頃から神代様とお呼びするのは障りがありますので」
俺は聞かされた内容を自分の中で噛み砕きながら、目の前で眠る、青ざめた白の顔を見つめた。普段から尋常ではない気配を纏う白だが、こうしていると、学ランを着たただの高校生だ。
「いままでの記憶が全部あるなら、白って別に学校なんか来なくても良いんじゃないですか」
不意に浮かんだのは、素朴な疑問だった。平安時代からの記憶がある人物に歴史の授業をするとか、抱腹ものの話なのではないか。
「白様の口伝術が完成したのは去年の冬ですので、それ以前はこのお屋敷から出たことはありませんでした」
「屋敷から出たことがない?」
「はい。日中の大半を、先程松前様も入られた真殿で口伝術を受けて過ごされ、時折庭に出て運動をなさる位で。口伝術が完成された後、はじめて白様が自らご要望されたのが、あの神代高校へ通うことでした」
「それは、どうして……」
俺は疑問の言葉を漏らしかけたが、薄紫の表情を見て口を噤んだ。
薄紫はどこか切ない、しかしとても嬉しそうな微笑みを浮かべて俺を見ていた。
「松前様が、いらっしゃったからでしょう」
「俺?」
予想外の言葉に驚いたその時、白の瞼が開いた。
「あの高校は、今、次元の境が一番緩んでいる地点だからですよ」
そして、開口一番何の感情も乗らない声で薄紫の言葉を上書きする。
俺たちの話を少し聞いていたのだろうか。俺はそんな白の姿を見て、無意識に強張っていたらしい体から力が抜けていくのを感じた。
「白、良かった。大丈夫なのか」
「この程度、何でもありません」
「ぶっ倒れるなら倒れるって先に言っといてくれないか」
「見たほうが早いでしょう」
「心配するだろ」
「してくださったんですか? 心配」
まったく小憎たらしい受け答えだ。
頷いたら負けた気がして固まっていると、白がゆっくりと体を起こす。薄紫がそれを助けるように手を差し出したが、白は片手を上げて制した。
「薄紫、スケが着て帰る用の着物を用意してください」
「かしこまりました」
言いつけられた薄紫は、一度頭を下げると部屋を出ていく。薄紫さんがどういう人なのかは未だよく分からないが、白に従う人であることは分かる。
「俺が着て帰る着物ってどういうことだ?」
「この屋敷周辺は次元の境が強固なので、この世ならざる者たちは屋敷に近づくことが出来ないのです。つまり近づくものは、この屋敷の周りで貴方が出てくるのを今か今かと待っている、という訳ですね。そこで、別の衣服を着て出ていくと、あれは貴方を完全に見失う」
実に分かりやすい話だが。
「服を変えたくらいで騙されるのか? 俺だって今まで何度となく服は着替えてるが」
「今だからこそ効き目があるのですよ。もっとも効果の大本は、おれが先程施した、貴方の体に別の名前を与えたことですが……いいですか? この偽装が通用するのは、貴方が次に真名で呼ばれるまでです。決して呼ばれないように。そして、もし呼ばれてしまったとしても、絶対に返事をしないこと。守れますね?」
まるで幼い子どもに言い含めるような口調だが、俺は素直に頷いた。白が俺を守るために、意識を失ってまで策を施してくれたことは分かっている。
「よろしい。では次にこれを、常に持ち歩いていなさい」
そう言って、白は立ち上がると文机の引き出しから、小さな紙片を取り出して俺に手渡した。
紙は丸い部分と長方形の部分がくっついた形状に切られていて、見ようによっては人型のようにも見える。胴体部分の中央には、紙が丸く焦げた跡がついていた。
「これは?」
「式神です」
「式神って、よく映画とかで陰陽師が使うやつか? ただの紙に見えるんだが」
「おれの力が通らなければ、ただの紙です。式神とは、元々は式に色紙の紙で、式紙と書くのですよ」
無駄な知識がついてしまった。一体何故そんなただの紙を持たせるのかと、説明を聞くために俺は黙る。すると白は、俺が期待した通りに話し始めてくれた。少しずつ、白との付き合い方が分かってきた気がする。
問いかけると端的にしか答えないので、説明してくれるまで待てば良いのだ。
「式神が熱くなったらおれの所に来なさい。おれの居場所は、式神が教えてくれます」
「どうやって?」
「なんとなく行きたくなる方角が、おれがいる方角です」
「そんな適当でいいのかよ……」
式神が空を飛んで先導してくれる、とかではないのか。勝手にファンタジックな想像をしてしまって、少しだけがっかりする。
この紙が一人でに動く、とかいう仕組みなのであったら見てみたい気持ちがした。
「というか、それなら普通にスマホでメッセージ送り合うとかでいいんじゃないのか」
がっかりついでに、式神を持て余して掌の上に乗せたまま軽く反論してみる。と、白は不思議そうに目を瞬かせた。予想外の反応だ。
「スマホ?」
「スマホ……知らないのか?」
白はこくりと頷く。なんとなくその仕草が幼くて、はじめて彼が年相応に見えた。
俺は制服のズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。
白に画面が見えるように持ちながらメッセージアプリを起動して、適当に隼人へ「今何してる?」と送ってみる。
するとすぐに「テレビ見てる。アイドルのキャリー結婚したってさ」と返事が来た。
「技術も進歩したものですね……」
その様子を食い入るように見つめていた白は、実にしみじみと呟いた。この様子を見れば、先程の薄紫さんの話してくれた内容が嘘ではないことが実感できる。
今どき、スマホを知らない高校生など存在しないだろう。
千年以上の記憶を保持しているらしいのに、スマホすら知らないのか。出かけた皮肉の言葉は飲み込んだが、俺が言いたかったことは白に伝わったようだ。
「先代の白は、八歳で亡くなりました。その前の白は十一歳。さらにその前に至っては四歳です。彼らの肉体は口伝術に耐えきれなかった。つまり、おれの記憶はここ四十年近く途絶えています。最新の技術には疎いのです」
言い訳のように教えられた事実は、しかし俺を別の方面で驚かせる。
そんなに幼い子供が、何人も死んでいるなんて。白が去年の冬まで屋敷から出たことがなかったという話にも違和感を覚えたのだが、その口伝術というのは、本当に真っ当なものなのだろうか。
「神代って、そんな犠牲を払ってまで必要なものなのか」
思わず出た呟きは、白の無言の、しかし穏やかな微笑みに受け止められた。
白が神代そのものであるのならば。
俺は、残酷な問いかけをしてしまったのかもしれない。
斜め前を歩く白の後を追い、時折結構な勢いで車が走って行く車道の横を歩く。どうして車は田舎の狭い道をこぞって飛ばしたがるのか。
一体自分がどこへ向かっているのかは理解していなかった。
放課後、言いつけられるままに校門で待っていると、白は程なくして現れ「ついて来なさい」とだけ告げて歩き出したのだ。
どこに行くのかと問いかけはしたが、「来れば分かります」とごく短く返答された。何をしにいくかも問いたかったが、どこへ行くのかも答えてもらえないのだから、問うだけ無駄だろう。
歩き出したのは、俺の家や駅からは反対の山へ向かう方角だ。幾度か来たことのある大きな公園の脇を通り、さらに進むと民家が減ってきた。
俺は生まれてからずっとこの神代町に住んでいるが、なかなか来ることはないエリアだ。山へ近づいているのが分かる位、ずっと傾斜が続き、辺りに緑が増えてきた。
桜の時期はもうだいぶ前に終わったが、あちこちにある桜の木の新緑が美しい。おそらく花の盛りの時に来たら綺麗なのではないだろうか。
周囲の景色を眺めるのも、歩くのも嫌いではないのだが、さすがにそろそろ連れ歩かれる訳を問いたくなってきた。
「白」
「もう着きました」
痺れを切らして声をかけると、白は何を問われるか分かっているとでも言いたげに言葉を返し、そして立ち止まった。
そこは、車道から続く、古めかしい石段の前だった。石段の周囲を鬱蒼とした木々が覆っている。その様子はまさに。
「神社、か……?」
「おれの住んでいる場所です」
「え、家?」
「そう解釈しても問題はありませんよ」
白はそうだとも違うとも言わず、微妙な言い回しをして石段を上りはじめた。
後を追って木々のトンネルの中に入ると車の走る音が少し遠く聞こえて、僅かに気温が下がった気がする。
俺は無宗教だが、神社や寺の敷地内に入ると、いつも空気の変化を感じる。
それは実際に体感として変わっているのか、気持ちの問題なのかは分からないが、どこか神聖な気持ちになるのだ。そしてここには、それと似た気配を感じた。
積み上げられた石の具合で、階段よりも幾分上りにくい石段を上り切ると、同じく周囲を木に囲まれた広い敷地に大きな平屋の日本家屋が建っていた。
とても古い建物であることは使われている木材の様子や、風格から分かる。趣は完全に神社仏閣のそれだが、鳥居や拝殿などはなく、それらと比べると少しだけ地味な印象があった。その規模は別にして、雰囲気としては、修学旅行で見に行ったことのある銀閣寺に似ていると言えば分かりやすいだろうか。
金閣寺と比べて、実に地味な印象のある建物だった。
屋敷の大きさに気圧される俺を尻目に、白は石段から続く石畳を通って、真っ直ぐに家の玄関へと向かう。
彼が、透かし彫りが施してある立派な引き戸に差し掛かった丁度その時。白が戸を開けようと手を上げる前に、戸が内側から開いた。
まるで白が帰ってきたのを事前に察知していたかのようなタイミングだ。
「おかえりなさいませ、白様」
そこに立っていたのは中年の女性だった。薄紫色の着物を身に着け、長い黒髪をゆるく後ろでひとつに纏めている。
柔和な微笑みがごく自然に顔に浮かんでいて、とても優しい雰囲気の人だ。
白の母親かと思う年頃だが、その発せられた口調から察するに、お手伝いさんかなにかだろうか。
「ただいま。これから使うので、真殿を開けてくれますか」
「承知いたしました」
白は手にしていた鞄を自然とその女性に手渡すと、屋敷の中へと入っていく。
俺も横を通ろうとした時、女性は俺にも手を差し伸べてきた。その様子になんとなく意図を汲み取って、肩にかけていた鞄を手渡す。
「スケ、来なさい」
と、鞄を受け取った女性が俺にも静々と頭を下げる様子が物珍しくてまじまじと見てしまっていたが、白に呼ばれて俺も慌ててその後を追った。
「今の、お手伝いさんか? 金持ちなのか、白の家」
「彼女のことは薄紫と呼んでいます。おれの体に何かあったら彼女の所へ連れて行ってください」
「白の体に?」
「見れば分かりますが、また後ほど説明しますよ」
何かとても不穏なことを言われたような気がしたが。その一言で会話を断ち切られてしまった。
屋敷の中は外観から想像する通りの内装だった。
色の濃い板張りの廊下にはいくつもの襖が並んでいたが、白はそれらを開けることなく、奥へ奥へと進んでいく。俺が足を進めると、一歩ごとに廊下の板がみしりと音を立てるのだが、白が歩く音は全くしないのが不思議だ。
屋敷の広さが如実に伝わる長さの廊下の突き当りには、古めかしい両開きの木の扉が待ち構えていた。
扉の中央に閂をかけられるような金属が打ち付けてあるが、その閂は今見当たらなかった。先程白があの女性に言いつけていたのは、この扉を開けておくようにということだったのだろうか。
俺達はあの女性よりも先にここへ来てしまったが。誰かを先に向かわせたのだろうか。
白が扉に手をかけると、ぎぃ、と軽く軋む音を立てて開いていく。
一体中に何があるのかという物々しさだったが、部屋の中は、想像したよりも狭かった。そして、何もなかった、というのが俺としての率直な感想だ。
部屋は正方形、特に何かの祭壇のようなものがある訳ではなく、仏像等もない。板張りの床中央に一畳だけ畳が置かれている。
真正面の壁は一面格子状になっていて、その格子の奥は暗くてよく見えないが、隣の部屋になっているようだ。音や風が抜けるようになっているのだろうか。
「ここは……?」
「真殿と呼んでいる場所です。畳の上に座ってください」
ここは真殿。先程の女性は薄紫。
先程から名前は教えてくれるが、一体何をする人なのか、どういうことをする場所なのかが全く分からないので何の説明にもなっていない。
それでも反抗は出来ないしする気もないので、命じられるままに示された畳の上へと正座する。
背後で再び軋みを立てて扉が閉まった気配がしたが、振り返ることは出来なかった。
なぜなら俺の正面に立った白が俺の顔を両手で掴み、動かせないように固定したからだ。
「白?」
「今から偽の名をスケの体に与え、真名を隠します。そうすれば、次に真名を呼ばれぬ限り、近づくものは貴方を見失う……分かりますね? これは永久的なものではありません。ですが、一定の効果は発揮してくれるはずです」
白は左手で俺の顎を固定したまま、右手で頬を撫で上げた。他人にこんな風に触られることなどないので、奇妙な感覚が腰の辺りからゾクゾクと上がってくる。
振り払いたい衝動に駆られた時、白の薄い唇から不思議な声が漏れ出した。誰に聞かせているとも思えない呟くようなトーンだ。
よく耳を欹てて聞いてみれば、それは日本語のようではあったが、現代の言葉ではないことは確かだ。伝統芸能の能で聞くような調子と言えば分かりやすいだろうか。
あまりにも古すぎて、俺には何と言っているかは分からない。
しかしただ、美しい調べだ、と思った。
一定の調子で紡がれる言葉は、同じフレーズを繰り返しているようだ。それが耳から、じわじわと体の中に染みていくようで。
白の、俺の頬を撫でていた指先がさらに上へと辿り、額に二本の指先が当てられる。
俺よりも体温が低いのか、肌に触れる白の手はひんやりと感じられたが、不思議と二本の指が触れている箇所から、何か別のものが注ぎ込んでくるようにじんわりと熱くなった。さらに重ねて紡がれる言葉の漣に酔いそうになったその時。
白の声が止まった。
不思議に思い、自然と閉じてしまっていた瞼を開くと、そのまま横に倒れ込む白の姿が目に飛び込んでくる。
「白っ!」
咄嗟に腕を伸ばして、体が床に崩れ落ちる寸前で抱え込んだが、白は完全に気を失っていた。目の前で人が気を失った経験などそうあるものではない。
「白、おい、白どうしたんだ」
焦って体を揺さぶってみたものの、白が目を覚ます気配はない。そこで俺はふと、先程言い含められた言葉を思い出した。
「おれの体に何かあったら彼女の所へ連れて行ってください」と。もしや白はこのことを言っていたのではないだろうか。
俺は白を横向きに抱え上げた。俺よりも十センチ以上背の低い白のことは、問題なく抱き上げられるだろうという予想はしていた。
たが持ち上げた白の体は、その見た目以上に軽かった。まだ成長期途中なのではないかと感じさせる、体の柔らかさすら感じる。
先程の女性を探さねばと部屋を出たが、探す必要もなく、扉を出たすぐ目の前にあの女性……薄紫が立っていた。まるで俺が部屋から出てくるのを待ち構えていたかのようだ。
「こちらへ」
俺に抱えられ、気を失っている白の姿を見ても驚く素振りを見せず、薄紫はそう言って廊下を歩き出した。
至って冷静な薄紫の態度に、焦っていた気持ちが少しだけ落ち着いて、俺は静かにその後に続く。
今度の目的地はそう遠くなかった。廊下の角を一つ曲がり、二つ目の襖を開けるとごく普通の和室があった。
中央には、今しがた用意されたばかりといった様子で綺麗に整えられた布団があり、部屋の隅に文机が置かれている。その文机の脇には、先程俺と白が薄紫に渡した学生鞄が二つ並べて置かれている。
ほとんど私物のない部屋だが、もしかしてここが白の自室なのではないかと思い至った。
促されるままに白を布団の上に寝かせると、薄紫がその枕元で、陶器の香炉に香を焚きはじめた。燐寸の焦げる匂いの後で、ふんわりと、奥ゆかしい良い香りが漂いだす。
落ち着いて白の様子を見れば、顔色は悪いものの、呼吸は穏やかなようだ。その香が、何かに効くのだろうか。
「あの、白は……一体どうしたんですか。急に倒れたんです。病気か何かでしょうか」
白の横に座ったまま、俺は薄紫へと問いかける。答えてもらえないかもしれないと危惧したが、彼女は俺を一度見つめてから、改めてその場に腰を下ろした。
そして、見た目通りの実に優しい響きを持つ声で話し出す。
「白様のお力は、人の身に余っているのです。一定のお力を使われると、こうして意識を失い、休息が必要になります」
人の身に余る。なんとも仰々しい言葉だが、最早驚きはしない。そもそもこいつは人なのかと半ば疑っていたので、人だと分かっただけでも安心する。
「白はその……能力者、というようなものなんですか?」
再度の問いかけに、薄紫は少し困ったように笑った。
「能力……そうですね、端的に申し上げるのは、難しいですね。長いお話をしても構いませんか?」
願ってもない申し出だ。
白は白の必要だと思うことしか説明してくれないので、白が一体何者なのか、という根本的なことも俺はまだ分かっていない。
これで白に対する疑問が解けるかもしれないと、俺はただ頷く。
それから薄紫の、前置き通りに長い話が始まった。
――その昔、この地には神がいた、と言われております。
途方も無いお話ですが、言い伝えの類だとご了解ください。
ここでの神とは、私達がいるこの次元を作った者のこと。そして、神はこの次元を守るため、他の次元からの干渉を受けないように、次元の境を守っておられました。
しかし、時は八百六十九年……ちょうど貞観地震と呼ばれる未曾有の地震が起きた、平安時代のこと。神はある一人の男に世の理を授け、この次元から姿を消してしまいました。神は死んだ、とも、この次元を見捨てた、とも言われておりますが、その真相はよく分かっておりません。
さて、その理を授けられた男は神の代理人として、神代と名乗りました。
そう、ここ神代町の名は、神代一族が由来となり、町の成り立ちの中心にあるのです。
神代の仕事はただ一つ。神から授かった理を用いて、次元の境を守ること。
神の果たしておられたお役目は決して簡単なことではなく、神代は幾度もの苦境に立たされましたが、そうして苦難を乗り越える度に貯まっていく知見が、神代の力を増していきました。
しかし、人の命は無限ではなく、神代が死んでは理が失われてしまう。
そこで、老いた神代は親族に生まれた赤子に、己の人生の全て、神から授かった全てを言い伝え、次の神代としたのです。
この策は、初代神代の想定していた以上に機能しました。
次の神代も、また次の神代も、そうして赤子に全てを伝えることで、理と知識と経験を残していき、その形式と術が完成したものが、『口伝術』として今に伝わっています。
『白』と呼ばれる生まれたばかりの赤子に、百人余りもの『口伝師』と呼ばれる者が、分担して記憶した理と知識と経験を何年もかけて伝えます。
それは知識として教わるという話ではなく、八百六十九年から連綿と続く神代の全てを、まるで己が実体験したかのように会得する術です。なので歴代の神代は皆、同一人物と捉えて差し障りないものであると、私は教わっております。
体を換えながら、永久に生き続ける神の代理人。
つまり白様は、千年以上もの時を生きてきた記憶を持ち、理を行使します。
しかし、それだけの膨大な記憶は、人の身にはあまりに負担が大きすぎるのです。より深く記憶を掘り起こさねばならない時、白様の体は限界を迎えます。
薄紫が語り終え、静かに口を閉じたのと対象的に、俺の口はぽかんと開いていた。
平安時代だとか、神だとか、まさかここまで壮大な話をされるとは思ってもみなかった。だがその一方で、全てが腑に落ちている自分がいる。
「白は……その、赤ん坊の時に選ばれて、神代っていうのになるために、教育された、と、いうことですか?」
「分かりやすく言えばそういうことになります」
「白は真名じゃないとは言ってたけど……」
「白は生まれた後すぐに浮世での生を捨て口伝術を授けられます。なので白様は、ご自身としてのお名前は持っておられません。白とは、神代に選ばれた赤子の呼び方ですが、大きくなられてからもそうお呼びするのが習わしです。さすがに日頃から神代様とお呼びするのは障りがありますので」
俺は聞かされた内容を自分の中で噛み砕きながら、目の前で眠る、青ざめた白の顔を見つめた。普段から尋常ではない気配を纏う白だが、こうしていると、学ランを着たただの高校生だ。
「いままでの記憶が全部あるなら、白って別に学校なんか来なくても良いんじゃないですか」
不意に浮かんだのは、素朴な疑問だった。平安時代からの記憶がある人物に歴史の授業をするとか、抱腹ものの話なのではないか。
「白様の口伝術が完成したのは去年の冬ですので、それ以前はこのお屋敷から出たことはありませんでした」
「屋敷から出たことがない?」
「はい。日中の大半を、先程松前様も入られた真殿で口伝術を受けて過ごされ、時折庭に出て運動をなさる位で。口伝術が完成された後、はじめて白様が自らご要望されたのが、あの神代高校へ通うことでした」
「それは、どうして……」
俺は疑問の言葉を漏らしかけたが、薄紫の表情を見て口を噤んだ。
薄紫はどこか切ない、しかしとても嬉しそうな微笑みを浮かべて俺を見ていた。
「松前様が、いらっしゃったからでしょう」
「俺?」
予想外の言葉に驚いたその時、白の瞼が開いた。
「あの高校は、今、次元の境が一番緩んでいる地点だからですよ」
そして、開口一番何の感情も乗らない声で薄紫の言葉を上書きする。
俺たちの話を少し聞いていたのだろうか。俺はそんな白の姿を見て、無意識に強張っていたらしい体から力が抜けていくのを感じた。
「白、良かった。大丈夫なのか」
「この程度、何でもありません」
「ぶっ倒れるなら倒れるって先に言っといてくれないか」
「見たほうが早いでしょう」
「心配するだろ」
「してくださったんですか? 心配」
まったく小憎たらしい受け答えだ。
頷いたら負けた気がして固まっていると、白がゆっくりと体を起こす。薄紫がそれを助けるように手を差し出したが、白は片手を上げて制した。
「薄紫、スケが着て帰る用の着物を用意してください」
「かしこまりました」
言いつけられた薄紫は、一度頭を下げると部屋を出ていく。薄紫さんがどういう人なのかは未だよく分からないが、白に従う人であることは分かる。
「俺が着て帰る着物ってどういうことだ?」
「この屋敷周辺は次元の境が強固なので、この世ならざる者たちは屋敷に近づくことが出来ないのです。つまり近づくものは、この屋敷の周りで貴方が出てくるのを今か今かと待っている、という訳ですね。そこで、別の衣服を着て出ていくと、あれは貴方を完全に見失う」
実に分かりやすい話だが。
「服を変えたくらいで騙されるのか? 俺だって今まで何度となく服は着替えてるが」
「今だからこそ効き目があるのですよ。もっとも効果の大本は、おれが先程施した、貴方の体に別の名前を与えたことですが……いいですか? この偽装が通用するのは、貴方が次に真名で呼ばれるまでです。決して呼ばれないように。そして、もし呼ばれてしまったとしても、絶対に返事をしないこと。守れますね?」
まるで幼い子どもに言い含めるような口調だが、俺は素直に頷いた。白が俺を守るために、意識を失ってまで策を施してくれたことは分かっている。
「よろしい。では次にこれを、常に持ち歩いていなさい」
そう言って、白は立ち上がると文机の引き出しから、小さな紙片を取り出して俺に手渡した。
紙は丸い部分と長方形の部分がくっついた形状に切られていて、見ようによっては人型のようにも見える。胴体部分の中央には、紙が丸く焦げた跡がついていた。
「これは?」
「式神です」
「式神って、よく映画とかで陰陽師が使うやつか? ただの紙に見えるんだが」
「おれの力が通らなければ、ただの紙です。式神とは、元々は式に色紙の紙で、式紙と書くのですよ」
無駄な知識がついてしまった。一体何故そんなただの紙を持たせるのかと、説明を聞くために俺は黙る。すると白は、俺が期待した通りに話し始めてくれた。少しずつ、白との付き合い方が分かってきた気がする。
問いかけると端的にしか答えないので、説明してくれるまで待てば良いのだ。
「式神が熱くなったらおれの所に来なさい。おれの居場所は、式神が教えてくれます」
「どうやって?」
「なんとなく行きたくなる方角が、おれがいる方角です」
「そんな適当でいいのかよ……」
式神が空を飛んで先導してくれる、とかではないのか。勝手にファンタジックな想像をしてしまって、少しだけがっかりする。
この紙が一人でに動く、とかいう仕組みなのであったら見てみたい気持ちがした。
「というか、それなら普通にスマホでメッセージ送り合うとかでいいんじゃないのか」
がっかりついでに、式神を持て余して掌の上に乗せたまま軽く反論してみる。と、白は不思議そうに目を瞬かせた。予想外の反応だ。
「スマホ?」
「スマホ……知らないのか?」
白はこくりと頷く。なんとなくその仕草が幼くて、はじめて彼が年相応に見えた。
俺は制服のズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。
白に画面が見えるように持ちながらメッセージアプリを起動して、適当に隼人へ「今何してる?」と送ってみる。
するとすぐに「テレビ見てる。アイドルのキャリー結婚したってさ」と返事が来た。
「技術も進歩したものですね……」
その様子を食い入るように見つめていた白は、実にしみじみと呟いた。この様子を見れば、先程の薄紫さんの話してくれた内容が嘘ではないことが実感できる。
今どき、スマホを知らない高校生など存在しないだろう。
千年以上の記憶を保持しているらしいのに、スマホすら知らないのか。出かけた皮肉の言葉は飲み込んだが、俺が言いたかったことは白に伝わったようだ。
「先代の白は、八歳で亡くなりました。その前の白は十一歳。さらにその前に至っては四歳です。彼らの肉体は口伝術に耐えきれなかった。つまり、おれの記憶はここ四十年近く途絶えています。最新の技術には疎いのです」
言い訳のように教えられた事実は、しかし俺を別の方面で驚かせる。
そんなに幼い子供が、何人も死んでいるなんて。白が去年の冬まで屋敷から出たことがなかったという話にも違和感を覚えたのだが、その口伝術というのは、本当に真っ当なものなのだろうか。
「神代って、そんな犠牲を払ってまで必要なものなのか」
思わず出た呟きは、白の無言の、しかし穏やかな微笑みに受け止められた。
白が神代そのものであるのならば。
俺は、残酷な問いかけをしてしまったのかもしれない。
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