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2巻 白峰荘の人体消失
2-3
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正論を説かれ、井原は小声で謝罪の言葉を述べながら俯いたが、すぐに顔を上げる。
「でも、智久がいなくなったのは、そういう、建物が古くなってたから起きた事故とかじゃないんです。萌香、話せる?」
井原に促され、黙り込んだまま紫王を睨みつけていた萌香は頷いた。すっかりマスカラが落ちて黒くなってきた目元をもう一度拭うと、震え声ながらも話しはじめる。
「全員でひととおり廃旅館の中を巡ったあとで、ミッションをしようって話になったんです。二手に分かれて、旅館の端と端の両方から一人ずつ出発して歩いていって、途中に通る部屋を全部写真に撮ってから真ん中で会う。いわゆる肝試しの本番です」
少人数、あるいは一人になり、ある地点の物を取ってくる、お札を置いてくるなどの催しは、肝試しでは定番のものだ。
大学生特有の空気感を思いつつ、萌香の説明を聞いて紫王は頷いた。
「私は、お兄ちゃんと楪先輩と同じ部屋にいて、順番を待ってました」
楪は、その廃旅館を肝試しの舞台に選んだという男だ。
「先に楪先輩が出て、終わったって連絡が来たから、次に私が部屋から出たんです。だけど途中で誰かの叫び声みたいなものが聞こえた気がして……私、怖くなっちゃったの」
「叫び声、ですか? それは誰のものだったんです?」
真崎からの質問に、萌香は首を横に振ってみせる。
「結局、今でもわかりません。そもそも、本当に人の叫び声だったのかもわからないんです。獣の鳴き声かもしれません。反響する感じで、具体的にどこから聞こえてきたのかもわからないし」
当時の恐怖を思い出したのか、萌香の表情は引き攣り、顔色が悪くなる。
真崎は彼女の様子を見て、怖がる演技をしているわけではないだろうと感じた。
「それで怖くなってしまって、部屋に残っていたお兄ちゃんに助けてもらおうと、廊下を引き返して元の部屋に戻りました。そしたら……お兄ちゃんが、いなくなってたんです」
そこまで話し終えると、萌香の瞳には再度涙が浮き上がる。
「智久さんは、どこか別の部屋に移動していたわけじゃないんですか?」
「すぐに近くの部屋は探したんですけど、どこにもいませんでした」
「何か事情があって、萌香さんに見つからないように建物を出て行ったとか」
「ありえないんです。元いた部屋は廊下の突き当たりにあって、私がいた場所を通らないと外には出られません。もし私が他の部屋に入っている間にすり抜けたんだとしても、唯一の出入り口の前には、先にミッションを済ませた楪先輩と希空がいました」
次に井原が萌香の話を引き継ぐ。
「その間、私は反対側の部屋で待機していました。萌香と同時にミッション中だった翔先輩から連絡が来て、萌香たちに合流したんです。翔先輩は私のいた部屋を出発したんですが、廊下で萌香が泣いているのを見つけたって言ってました。そのあと、全員で廃旅館の中を探しましたが、智久は見つからなくて……」
そこまで話を聞き終わり、状況を理解して真崎は深く息を吐き出す。
智久は出入り口を使わずに、廃旅館の中で忽然と姿を消したことになる。しかも、紫王の能力によって、現在死んでいることがわかっている。問題は、どのようにして姿を消し、遺体はどこにあるのか、だ。
「あの……お兄ちゃん、見つかりますよね? なんでこの人、お兄ちゃんが死んでるなんてひどいこと言うんですか?」
期待と不安がない交ぜになった複雑な眼差しで、萌香が真崎を見つめる。『この人』と示しているのは紫王のことだ。紫王は軽く肩をすくめると、あとは任せたとばかりに真崎へ視線を投げた。この手の説明は毎回の捜査で発生するため、すでに慣れたものだ。真崎が神妙な面持ちで話しはじめる。
「先ほどもご説明しましたが、彼は警察が捜査のために協力を頼んでいる有能なスペシャリストであり、霊能力者です」
「霊能力者?」
唖然とした、どこか間の抜けた様子で萌香が復唱するが、真崎は強張らせた表情を崩さない。『冗談で言っているわけではない』ということを態度で示すためだ。
「わたしたちは異能係という、警察内でも特別なチームで、霊能力者に協力を依頼し、霊能を用いた捜査を行なっています。突拍子もないように聞こえるでしょうが、今まで異能係が捜査に携わってきた事件の犯人検挙率は百パーセントで、必ず真実を見つけています」
真崎の説明を聞きながら、元より白い萌香の顔色がいっそう悪くなっていく。
「これまで積んできた数多くの経験から、わたしは彼の霊能力は本物だと確信しております。そしてそんな彼が、智久さんは亡くなっていると断言するのであれば、残念ですが……覚悟はしておいてください」
そうして話が締めくくられると、萌香は再度声を上げて泣きはじめた。先ほどまでは感情を抑えて話を続けていた井原も、ついに我慢ができなくなったように嗚咽を漏らす。
二人の女性の泣き声が満ちる部屋の中で、ただ黙って話を追っていた椋は静かに俯く。切ない泣き声を聞くのは辛いものだ。
殺人事件で家族を失っている椋には、彼女たちの気持ちが痛いほどに理解できた。
3
「椋さん」
低く、優しい声が響く。
そのあまりの馴染み深さに安堵して、椋は無意識に強張っていた体から力を抜く。警察署一階のロビーに置かれたソファに腰を下ろしたまま、聞こえたことを示すために声のした方へ顔を向けた。
視覚を塞いでいる椋には見えないが、駆け寄ってきたのは、百八十センチを軽く超える長身の男。上背に見合って体格もしっかりとしており、身に纏う濃紺のスーツが初々しくもよく似合う。目鼻立ちのしっかりとした顔立ちにはどこか少年の面影があるが、凛々しくまっすぐに上がる眉が、全体の印象を引き締めていた。
彼こそが、椋の同居人である広斗だ。
「すみません、待ちましたか?」
そう問いかける広斗の息がわずかに上がっているのは、駐車場からこのロビーまで軽く走ってやってきたからである。
椋の姿を見つけた広斗の表情は実に嬉しげであり、もし彼に尻尾があれば思う存分振っていたに違いないと思わせる。
「いや、全然。仕事終わりに呼びつけて悪かったな。休日出勤お疲れ様」
「椋さんもお疲れ様でした。真崎さんたちと一緒にいるのかと思ってました」
「真崎さんも忙しいからな。宇城さんに会いに行くとか言ってた紫王さんも、結局邪魔しないようにすると言って、先に帰っていったよ」
椋が立ち上がると、広斗の曲げた腕が軽く押し当てられた。これは腕を掴んでくれという合図であり、広斗と椋のどちらにとっても慣れたものだ。椋はそのまま自然と広斗の腕に手をかけ、導きに従って歩き出す。
「今日の捜査、何か辛いことがありましたか?」
警察署の外に出ると、陽はすっかり暮れて、空には星が瞬いている。車を目指して駐車場を歩きながら、広斗は椋をチラリと見て問いかける。
もともと感情表現をあまりしない椋のわずかな表情の変化から、椋の気持ちが落ち込んでいることを広斗は読み取っていた。
「俺が辛かったわけじゃないんだが……そういえば、明日も捜査に行くことになった」
「え、明日も? 今日の事件、そんなに難解なんですか?」
「いや、今日向かった事件の捜査は無事に済んだんだ。ただ、別の事件の捜査を、急遽異能係でやることになって」
淡いエメラルドグリーンの軽自動車の前で立ち止まり、広斗は助手席のドアを開けた。全体的に丸っこいフォルムをした、レトロな外観の車だ。
椋の外出が増えたために、広斗は去年の秋に急いで免許を取得した。車自体は、椋が代金を払って中古で購入したものになる。
「説明は、家に帰ってからする」
椋はそう言うと、慣れた様子で助手席に乗り込んだ。
二人が暮らす一軒家は、閑静な住宅街の一角にある。オフホワイトの外壁を持ち、煉瓦色の屋根が印象的な大きな二階建て。二人で住むには贅沢な大きさである理由は、この家は元々、椋の両親が四人家族で住むために建てたものだからだ。
この家では、警察により『霧生家惨殺事件』と名付けられた悲劇が起きた。
たまたま留守にしていた椋を除いて両親と姉の三名が殺され、帰宅した椋が、彼らの遺体の第一発見者となった。椋の特殊能力が発現したのはそのときである。
霧生家惨殺事件の犯人はすでに逮捕され刑も執行されているが、事件から十年の年月が経っても、椋は頻繁に悪夢を見続けている。
忌まわしい過去のある家だが、椋がここからの引っ越しを検討したことは一度もない。かつては金銭的な理由もあったが、椋にとっては家全体が家族の形見のようなものだからだ。
広斗の運転する車で帰宅した椋は、広斗がキッチンに立ち、夕食の支度をする間に今日起きた出来事を話した。
「……それでさっそく、明日の夕方から異能捜査をすることになったんだ。いつものように事件関係者を全員集めて、当日の再現をすることになってる」
椋がすべてを話し終えると、広斗は『なるほど』としみじみとした様子で頷いた。椋の浮かない表情にも合点がいったのだ。
「そんなこと、初めてですね。いつもは一般的な捜査が進められてから、必要に迫られて異能係に回ってくるじゃないですか。だからある程度状況がわかってますけど、今回は現地で知ることが多くなりそうな予感がします」
広斗は両手鍋で茹でていたパスタをザルにあげ、湯切りすると、トマトソースを作っていたフライパンに入れて、混ぜ合わせる。
「そうだな。紫王さんも、亡くなった人がこれほどまでに早く守護霊になるのは初めて見たと言っていた。紫王さんがいなければ、かなりの期間にわたって失踪届は受理されていなかっただろうなと思う」
「いなくなったのが大学生の男ですからね。普通に考えたら事件性は薄いですよ」
「そうだな。失踪届が受理されたとしても、それで終わりとなることの方が多いだろう」
実際、どこかのタイミングでたまたま遺体が見つかる、といったことがなければ、数多くある失踪事件の一つとして風化していた可能性の方が高い。
「こうして捜査がはじまった時点で、あの場に異能係が居合わせて良かったと思うよ」
椋の話に頷きながら、広斗は調理していたアラビアータをフライパンから皿に盛った。その上から粉チーズをかけ、バジルの葉を飾る。できあがった二皿を両手に持つと、先にテーブルセッティングを済ませていたリビングのテーブルへと運ぶ。
「椋さん、夕飯できましたよ。食べましょう」
キッチンの壁にもたれて話をしていた椋は、視覚を塞いでいるとは思えないスムーズさでテーブルまで移動すると、ソファのいつもの場所に腰掛けた。
外にいるときは杖を持ち、足元を確認しながら動かざるを得ないが、勝手知ったる家の中では、見えているときとほぼ変わりない行動ができるのだ。
「これがアラビアータ、と、お水です。ちょっと辛めにしてしまったので、お水のお代わりが必要だったらいつでも言ってください」
ランチョンマットの上で、コトンコトンとあえて音を立てて皿とコップを置きながら、広斗が説明する。そうして音を立てることで、椋はテーブル上にある料理の位置を把握できる。
「アラビアータ?」
「イタリアのトマトソースパスタで、『おこりんぼう』っていう意味があるらしいです。これは辛すぎないようにしてますが、唐辛子を効かせるのが特徴なので、辛さで顔が怒ったように赤くなるってところからきてるみたいです。手抜きですみません」
「何に手を抜いているのかが、わからない」
「パスタって、乾麺を利用すれば作るの簡単なんですよ。それにサラダとか、サイドディッシュとかも用意できませんでしたし」
「そう……なのか? パスタだけで十分だと思うが」
小中学校時代の調理実習を除いて、まともに料理をしたことがない椋は半信半疑だが、広斗ははっきりと頷いた。
「お口に合うといいんですけど。いただきます」
「いただきます」
広斗に続く形で椋も食前の挨拶をすると、フォークを手にして食べはじめる。
程よい茹で加減のパスタはアルデンテになっており、ホールトマト缶から作られたシンプルなソースは爽やかな酸味があって、本格的な味わいがした。ニンニクの与える深みと唐辛子の刺激が、いくら食べても飽きのこない味になっている。最後に載せられたバジルの香りもまた良いアクセントだ。
「美味しい」
数口食べて嚥下した後、椋は素直にそう感想を述べる。
「辛すぎませんか?」
「うん。ピリッとした辛みはくるが、刺激としてちょうど良いよ」
自分では食べずに椋の様子を観察していた広斗は、椋からの感想を聞いてようやくほっとしたように笑った。フォークを動かしてアラビアータを口に運ぶと、パスタの弾力を確認するようにしっかりと数回咀嚼してから頷く。
「うん、ちょうどいい具合ですね。椋さんが俺の作った料理を食べてくださるのを見ると、俺の一日にも意味があったなと思います」
広斗の何気ない言葉に、椋は引っかかるものを感じた。
「仕事、大変か?」
「うーん、どうなんでしょうか。慣れないことは慣れないんですけど、仕事内容としては別に大変ではないんですよね。営業に向いてるってよく言っていただけるので、おそらく俺の適性としては正しいと思うんです。ただ……」
視線をテーブルの上に落として広斗は曖昧に笑い、そこで一度言葉を途切らせてから、顔を上げた。
「俺の元の希望通り、経理に異動できないか人事に何度も聞いてはいるんですが、厳しそうで。課長には『やりはじめたばかりで逃げることを考えるな』と、怒られてしまいました」
家から無理なく通え、かつ、ある程度時間を自由にできるからという理由で、広斗はこの春から『株式会社風形』という空気清浄機のメーカー企業に経理として入社した。
つまり、風形を選んだのは完全に私生活を優先するためだったのだが、広斗の人当たりの良さを見込まれ、入社直後に営業へ配属されてしまったのだ。基本的には定時退社が可能な経理とは異なり、営業はどうしても取引先の都合に影響される。
風形の空気清浄機は一般家庭向けではなく、企業や店舗、病院などの施設に設置する大型のものだ。アポイントメントを取ってリース契約を結んでくる営業らしい職務に加え、接待を行ったり、リースしている機器に何かあったときのアフターフォローを行ったりといった柔軟な対応が必要で、声がかかればいつでも取引先に向かう必要があった。それ故に、今日のような休日出勤が度々発生しているのだ。
「俺は会社のことはまったくわからないから、軽く流してもらって構わないんだが。営業が広斗に向いているのなら、無理に経理へ移ろうとしなくてもいいんじゃないか?」
椋がそう問いかけると、広斗は食事を進めながらしばらく沈黙した。
深く考え込んでから、一度口を開いてためらい、閉口し、再度意を決したように話しはじめる。
「社会人になってから、将来のことをよく考えるんです。俺の人生ってどうなるんだろうっていうか」
「ずいぶんと壮大なことを悩んでいたんだな」
「壮大ってわけじゃないんですけど。中学、高校、大学と違って、会社って自分から転職しようとしなければ、何十年も同じところで続いていくものじゃないですか。もちろん、途中で会社が倒産する可能性だってあるわけですが、そういうアクシデントを除けば、とても長い」
広斗の言わんとしていることを理解して、椋は頷く。
基本的に、中学高校は三年間、大学は四年間で終わって区切りを迎え、次の環境へと移行していく。しかし一度社会人になると、自然とやってくる区切りはない。もし新卒で入社してから定年退職するまで同じ会社で勤め続けるのであれば、約四十年同じ環境で働き続けることになる。
「入社して一ヶ月で考えることでもないことは、十分わかってるんですが。人生のほとんどの時間をここで過ごしていいのかっていう感覚は、すでにあるんです。それで、俺って何がやりたかったんだっけとか、考えだしてしまって」
「何がやりたかったんだ?」
椋がコップに口をつけながら問いかけると、広斗は自嘲めいた笑みを浮かべた。
「それが……色々考えた結果、浮かんでくるのが、俺には椋さんのことしかないんです」
その返答に、椋は口に含んだ水を吹き出しかけた。手で口元を押さえて堪えている間にも、広斗の言葉は続く。
「椋さんと一緒にいるときが俺は一番幸せですし、椋さんが笑ってくれたり、安心してくれたりするのを見ると、社会でよく言われている『やりがい』っていうものを感じます。椋さんに会ってから、俺の一番大切なところにはいつも椋さんがいて、今までずっとそうだったから、他に何も思い浮かばなくて」
広斗は止まらなくなった様子で、徐々に早口になっていく。
「というか、これって元々わかってたんですよ。わかってたから、できるだけ時間拘束の少ないところに入って、プライベートな時間を残そうとしてたんです。そうしたら、今までと同じように椋さんと一緒にいられるから。だけど現実はままならなくて。家で一緒にゆっくりできる時間もなくなって、本当はついていけるはずだった日の捜査にも行けないし、椋さんはどんどん一人で、外で仕事ができるようになって。もし椋さんが捜査の途中で好きな人ができて、結婚することになったりして、こうして一緒に暮らせなくなったら、じゃあ俺は椋さんのこと以外で、何かしたいことがあるのかって言われると……」
「広斗、広斗、ストップ」
終わる様子のない語りに、椋が軽く手をあげて広斗を制する。
ようやくハッとしたように口を噤むと、広斗は大きく息を吐き出した。
「すみません。とりとめのない話をしてしまって」
「とりとめがあるとか、ないとかはどうでもいいんだが、暴走はしてたな。ただ、広斗が悩んでいることについては、だいたい掴めたような気がする」
椋はそう言って、軽く笑いながら眉を下げた。
真崎と再会し、異能係の捜査に協力するようになる前。完全に引きこもりの生活をしていた椋は、常に漠然とした不安を抱いていた。
社会から離れ、唯一日常的に関わりがあるのは一緒に住んでいる広斗だけ。そのときの広斗は大学生だったが、広斗が社会人となり生活環境が変われば、同居解消もそう遠い未来ではないと思っていた。
――自分は一生、一人きりで生きて、死んでいくのか。
そんな恐怖にも近い思いが浮かんでは、幻覚が暴発する特殊能力を抱えた状態では仕方がないことだと諦めていた。
広斗が吐露した悩みは、そのときに椋が抱いていた不安と共通する部分がある。だからこそ、椋は感覚として広斗の悩みを理解することができた。
「まず、俺が今まで……というか、今もだが。広斗に頼りすぎていたっていうのが悪かったよな。広斗の大切な時間を奪ってしまっていた」
「いや、そんなことは絶対にありません! 全部俺がしたいから、俺が椋さんの側にいたいから、させてもらっていただけです」
広斗が勢い込んで否定するが、椋はゆるく首を横に振った。
「ありがとう。でも実際問題、そうだったとは思うんだ。俺は行ったことないからわからないけどさ、一般的には高校生とか、大学生のうちにサークルとかバイトとかの活動をして、やりたいことを見つけるものなんだろう? だけど、広斗はその時間で俺の世話を焼いてくれていたから。社会人になって俺と一緒にいる時間が少し減って、迷いのようなものが出てくるのは当然のことだと思う」
「『だからこれからは俺のことは放っておいていい』なんて言わないでくださいね」
椋の話の行く末を予想し、そう予防線を張る広斗の顔色は、比喩ではなく実際に悪くなっていた。悲愴感漂う広斗の声を聞き、椋は軽く笑う。
「そんなこと言わねぇよ。お前は、ちょっと自分のことを軽く考えすぎてる」
「すみません。すごい嫌な方向に話がいってしまうような気がして」
「俺は、広斗がいてくれるから、こうやって毎日健やかに暮らせてるんだ。頼りすぎていて申し訳ないとは思うけど、広斗がいないとまともに生きていけないのは、俺が一番身に染みてわかってるよ」
穏やかな椋の言葉を聞き、広斗は青ざめていたところから一転して、感極まる。
そんな広斗の反応をよそに、椋は大きく息を吸った。
「だから、もし広斗が望むなら、正式に俺の助手になるか?」
それは、椋にとっては覚悟のいる一言であった。
「助手、ですか? それってつまり、探偵の助手的な?」
予想だにしていなかった椋からの言葉に、広斗は大きく目を見開く。
「そう。今、話を聞いていて、広斗の『したいこと』を叶えるにはそれが一番な気がして。周囲の人たちに支えてもらって成り立っていることだから、そう立派なものでもないけど。俺も今は働くことができていて、このままの調子でいけば、広斗一人くらいだったら養っていけるだろう?」
椋の言葉を、広斗は唖然とした表情のままでおとなしく聞く。
「でも、智久がいなくなったのは、そういう、建物が古くなってたから起きた事故とかじゃないんです。萌香、話せる?」
井原に促され、黙り込んだまま紫王を睨みつけていた萌香は頷いた。すっかりマスカラが落ちて黒くなってきた目元をもう一度拭うと、震え声ながらも話しはじめる。
「全員でひととおり廃旅館の中を巡ったあとで、ミッションをしようって話になったんです。二手に分かれて、旅館の端と端の両方から一人ずつ出発して歩いていって、途中に通る部屋を全部写真に撮ってから真ん中で会う。いわゆる肝試しの本番です」
少人数、あるいは一人になり、ある地点の物を取ってくる、お札を置いてくるなどの催しは、肝試しでは定番のものだ。
大学生特有の空気感を思いつつ、萌香の説明を聞いて紫王は頷いた。
「私は、お兄ちゃんと楪先輩と同じ部屋にいて、順番を待ってました」
楪は、その廃旅館を肝試しの舞台に選んだという男だ。
「先に楪先輩が出て、終わったって連絡が来たから、次に私が部屋から出たんです。だけど途中で誰かの叫び声みたいなものが聞こえた気がして……私、怖くなっちゃったの」
「叫び声、ですか? それは誰のものだったんです?」
真崎からの質問に、萌香は首を横に振ってみせる。
「結局、今でもわかりません。そもそも、本当に人の叫び声だったのかもわからないんです。獣の鳴き声かもしれません。反響する感じで、具体的にどこから聞こえてきたのかもわからないし」
当時の恐怖を思い出したのか、萌香の表情は引き攣り、顔色が悪くなる。
真崎は彼女の様子を見て、怖がる演技をしているわけではないだろうと感じた。
「それで怖くなってしまって、部屋に残っていたお兄ちゃんに助けてもらおうと、廊下を引き返して元の部屋に戻りました。そしたら……お兄ちゃんが、いなくなってたんです」
そこまで話し終えると、萌香の瞳には再度涙が浮き上がる。
「智久さんは、どこか別の部屋に移動していたわけじゃないんですか?」
「すぐに近くの部屋は探したんですけど、どこにもいませんでした」
「何か事情があって、萌香さんに見つからないように建物を出て行ったとか」
「ありえないんです。元いた部屋は廊下の突き当たりにあって、私がいた場所を通らないと外には出られません。もし私が他の部屋に入っている間にすり抜けたんだとしても、唯一の出入り口の前には、先にミッションを済ませた楪先輩と希空がいました」
次に井原が萌香の話を引き継ぐ。
「その間、私は反対側の部屋で待機していました。萌香と同時にミッション中だった翔先輩から連絡が来て、萌香たちに合流したんです。翔先輩は私のいた部屋を出発したんですが、廊下で萌香が泣いているのを見つけたって言ってました。そのあと、全員で廃旅館の中を探しましたが、智久は見つからなくて……」
そこまで話を聞き終わり、状況を理解して真崎は深く息を吐き出す。
智久は出入り口を使わずに、廃旅館の中で忽然と姿を消したことになる。しかも、紫王の能力によって、現在死んでいることがわかっている。問題は、どのようにして姿を消し、遺体はどこにあるのか、だ。
「あの……お兄ちゃん、見つかりますよね? なんでこの人、お兄ちゃんが死んでるなんてひどいこと言うんですか?」
期待と不安がない交ぜになった複雑な眼差しで、萌香が真崎を見つめる。『この人』と示しているのは紫王のことだ。紫王は軽く肩をすくめると、あとは任せたとばかりに真崎へ視線を投げた。この手の説明は毎回の捜査で発生するため、すでに慣れたものだ。真崎が神妙な面持ちで話しはじめる。
「先ほどもご説明しましたが、彼は警察が捜査のために協力を頼んでいる有能なスペシャリストであり、霊能力者です」
「霊能力者?」
唖然とした、どこか間の抜けた様子で萌香が復唱するが、真崎は強張らせた表情を崩さない。『冗談で言っているわけではない』ということを態度で示すためだ。
「わたしたちは異能係という、警察内でも特別なチームで、霊能力者に協力を依頼し、霊能を用いた捜査を行なっています。突拍子もないように聞こえるでしょうが、今まで異能係が捜査に携わってきた事件の犯人検挙率は百パーセントで、必ず真実を見つけています」
真崎の説明を聞きながら、元より白い萌香の顔色がいっそう悪くなっていく。
「これまで積んできた数多くの経験から、わたしは彼の霊能力は本物だと確信しております。そしてそんな彼が、智久さんは亡くなっていると断言するのであれば、残念ですが……覚悟はしておいてください」
そうして話が締めくくられると、萌香は再度声を上げて泣きはじめた。先ほどまでは感情を抑えて話を続けていた井原も、ついに我慢ができなくなったように嗚咽を漏らす。
二人の女性の泣き声が満ちる部屋の中で、ただ黙って話を追っていた椋は静かに俯く。切ない泣き声を聞くのは辛いものだ。
殺人事件で家族を失っている椋には、彼女たちの気持ちが痛いほどに理解できた。
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「椋さん」
低く、優しい声が響く。
そのあまりの馴染み深さに安堵して、椋は無意識に強張っていた体から力を抜く。警察署一階のロビーに置かれたソファに腰を下ろしたまま、聞こえたことを示すために声のした方へ顔を向けた。
視覚を塞いでいる椋には見えないが、駆け寄ってきたのは、百八十センチを軽く超える長身の男。上背に見合って体格もしっかりとしており、身に纏う濃紺のスーツが初々しくもよく似合う。目鼻立ちのしっかりとした顔立ちにはどこか少年の面影があるが、凛々しくまっすぐに上がる眉が、全体の印象を引き締めていた。
彼こそが、椋の同居人である広斗だ。
「すみません、待ちましたか?」
そう問いかける広斗の息がわずかに上がっているのは、駐車場からこのロビーまで軽く走ってやってきたからである。
椋の姿を見つけた広斗の表情は実に嬉しげであり、もし彼に尻尾があれば思う存分振っていたに違いないと思わせる。
「いや、全然。仕事終わりに呼びつけて悪かったな。休日出勤お疲れ様」
「椋さんもお疲れ様でした。真崎さんたちと一緒にいるのかと思ってました」
「真崎さんも忙しいからな。宇城さんに会いに行くとか言ってた紫王さんも、結局邪魔しないようにすると言って、先に帰っていったよ」
椋が立ち上がると、広斗の曲げた腕が軽く押し当てられた。これは腕を掴んでくれという合図であり、広斗と椋のどちらにとっても慣れたものだ。椋はそのまま自然と広斗の腕に手をかけ、導きに従って歩き出す。
「今日の捜査、何か辛いことがありましたか?」
警察署の外に出ると、陽はすっかり暮れて、空には星が瞬いている。車を目指して駐車場を歩きながら、広斗は椋をチラリと見て問いかける。
もともと感情表現をあまりしない椋のわずかな表情の変化から、椋の気持ちが落ち込んでいることを広斗は読み取っていた。
「俺が辛かったわけじゃないんだが……そういえば、明日も捜査に行くことになった」
「え、明日も? 今日の事件、そんなに難解なんですか?」
「いや、今日向かった事件の捜査は無事に済んだんだ。ただ、別の事件の捜査を、急遽異能係でやることになって」
淡いエメラルドグリーンの軽自動車の前で立ち止まり、広斗は助手席のドアを開けた。全体的に丸っこいフォルムをした、レトロな外観の車だ。
椋の外出が増えたために、広斗は去年の秋に急いで免許を取得した。車自体は、椋が代金を払って中古で購入したものになる。
「説明は、家に帰ってからする」
椋はそう言うと、慣れた様子で助手席に乗り込んだ。
二人が暮らす一軒家は、閑静な住宅街の一角にある。オフホワイトの外壁を持ち、煉瓦色の屋根が印象的な大きな二階建て。二人で住むには贅沢な大きさである理由は、この家は元々、椋の両親が四人家族で住むために建てたものだからだ。
この家では、警察により『霧生家惨殺事件』と名付けられた悲劇が起きた。
たまたま留守にしていた椋を除いて両親と姉の三名が殺され、帰宅した椋が、彼らの遺体の第一発見者となった。椋の特殊能力が発現したのはそのときである。
霧生家惨殺事件の犯人はすでに逮捕され刑も執行されているが、事件から十年の年月が経っても、椋は頻繁に悪夢を見続けている。
忌まわしい過去のある家だが、椋がここからの引っ越しを検討したことは一度もない。かつては金銭的な理由もあったが、椋にとっては家全体が家族の形見のようなものだからだ。
広斗の運転する車で帰宅した椋は、広斗がキッチンに立ち、夕食の支度をする間に今日起きた出来事を話した。
「……それでさっそく、明日の夕方から異能捜査をすることになったんだ。いつものように事件関係者を全員集めて、当日の再現をすることになってる」
椋がすべてを話し終えると、広斗は『なるほど』としみじみとした様子で頷いた。椋の浮かない表情にも合点がいったのだ。
「そんなこと、初めてですね。いつもは一般的な捜査が進められてから、必要に迫られて異能係に回ってくるじゃないですか。だからある程度状況がわかってますけど、今回は現地で知ることが多くなりそうな予感がします」
広斗は両手鍋で茹でていたパスタをザルにあげ、湯切りすると、トマトソースを作っていたフライパンに入れて、混ぜ合わせる。
「そうだな。紫王さんも、亡くなった人がこれほどまでに早く守護霊になるのは初めて見たと言っていた。紫王さんがいなければ、かなりの期間にわたって失踪届は受理されていなかっただろうなと思う」
「いなくなったのが大学生の男ですからね。普通に考えたら事件性は薄いですよ」
「そうだな。失踪届が受理されたとしても、それで終わりとなることの方が多いだろう」
実際、どこかのタイミングでたまたま遺体が見つかる、といったことがなければ、数多くある失踪事件の一つとして風化していた可能性の方が高い。
「こうして捜査がはじまった時点で、あの場に異能係が居合わせて良かったと思うよ」
椋の話に頷きながら、広斗は調理していたアラビアータをフライパンから皿に盛った。その上から粉チーズをかけ、バジルの葉を飾る。できあがった二皿を両手に持つと、先にテーブルセッティングを済ませていたリビングのテーブルへと運ぶ。
「椋さん、夕飯できましたよ。食べましょう」
キッチンの壁にもたれて話をしていた椋は、視覚を塞いでいるとは思えないスムーズさでテーブルまで移動すると、ソファのいつもの場所に腰掛けた。
外にいるときは杖を持ち、足元を確認しながら動かざるを得ないが、勝手知ったる家の中では、見えているときとほぼ変わりない行動ができるのだ。
「これがアラビアータ、と、お水です。ちょっと辛めにしてしまったので、お水のお代わりが必要だったらいつでも言ってください」
ランチョンマットの上で、コトンコトンとあえて音を立てて皿とコップを置きながら、広斗が説明する。そうして音を立てることで、椋はテーブル上にある料理の位置を把握できる。
「アラビアータ?」
「イタリアのトマトソースパスタで、『おこりんぼう』っていう意味があるらしいです。これは辛すぎないようにしてますが、唐辛子を効かせるのが特徴なので、辛さで顔が怒ったように赤くなるってところからきてるみたいです。手抜きですみません」
「何に手を抜いているのかが、わからない」
「パスタって、乾麺を利用すれば作るの簡単なんですよ。それにサラダとか、サイドディッシュとかも用意できませんでしたし」
「そう……なのか? パスタだけで十分だと思うが」
小中学校時代の調理実習を除いて、まともに料理をしたことがない椋は半信半疑だが、広斗ははっきりと頷いた。
「お口に合うといいんですけど。いただきます」
「いただきます」
広斗に続く形で椋も食前の挨拶をすると、フォークを手にして食べはじめる。
程よい茹で加減のパスタはアルデンテになっており、ホールトマト缶から作られたシンプルなソースは爽やかな酸味があって、本格的な味わいがした。ニンニクの与える深みと唐辛子の刺激が、いくら食べても飽きのこない味になっている。最後に載せられたバジルの香りもまた良いアクセントだ。
「美味しい」
数口食べて嚥下した後、椋は素直にそう感想を述べる。
「辛すぎませんか?」
「うん。ピリッとした辛みはくるが、刺激としてちょうど良いよ」
自分では食べずに椋の様子を観察していた広斗は、椋からの感想を聞いてようやくほっとしたように笑った。フォークを動かしてアラビアータを口に運ぶと、パスタの弾力を確認するようにしっかりと数回咀嚼してから頷く。
「うん、ちょうどいい具合ですね。椋さんが俺の作った料理を食べてくださるのを見ると、俺の一日にも意味があったなと思います」
広斗の何気ない言葉に、椋は引っかかるものを感じた。
「仕事、大変か?」
「うーん、どうなんでしょうか。慣れないことは慣れないんですけど、仕事内容としては別に大変ではないんですよね。営業に向いてるってよく言っていただけるので、おそらく俺の適性としては正しいと思うんです。ただ……」
視線をテーブルの上に落として広斗は曖昧に笑い、そこで一度言葉を途切らせてから、顔を上げた。
「俺の元の希望通り、経理に異動できないか人事に何度も聞いてはいるんですが、厳しそうで。課長には『やりはじめたばかりで逃げることを考えるな』と、怒られてしまいました」
家から無理なく通え、かつ、ある程度時間を自由にできるからという理由で、広斗はこの春から『株式会社風形』という空気清浄機のメーカー企業に経理として入社した。
つまり、風形を選んだのは完全に私生活を優先するためだったのだが、広斗の人当たりの良さを見込まれ、入社直後に営業へ配属されてしまったのだ。基本的には定時退社が可能な経理とは異なり、営業はどうしても取引先の都合に影響される。
風形の空気清浄機は一般家庭向けではなく、企業や店舗、病院などの施設に設置する大型のものだ。アポイントメントを取ってリース契約を結んでくる営業らしい職務に加え、接待を行ったり、リースしている機器に何かあったときのアフターフォローを行ったりといった柔軟な対応が必要で、声がかかればいつでも取引先に向かう必要があった。それ故に、今日のような休日出勤が度々発生しているのだ。
「俺は会社のことはまったくわからないから、軽く流してもらって構わないんだが。営業が広斗に向いているのなら、無理に経理へ移ろうとしなくてもいいんじゃないか?」
椋がそう問いかけると、広斗は食事を進めながらしばらく沈黙した。
深く考え込んでから、一度口を開いてためらい、閉口し、再度意を決したように話しはじめる。
「社会人になってから、将来のことをよく考えるんです。俺の人生ってどうなるんだろうっていうか」
「ずいぶんと壮大なことを悩んでいたんだな」
「壮大ってわけじゃないんですけど。中学、高校、大学と違って、会社って自分から転職しようとしなければ、何十年も同じところで続いていくものじゃないですか。もちろん、途中で会社が倒産する可能性だってあるわけですが、そういうアクシデントを除けば、とても長い」
広斗の言わんとしていることを理解して、椋は頷く。
基本的に、中学高校は三年間、大学は四年間で終わって区切りを迎え、次の環境へと移行していく。しかし一度社会人になると、自然とやってくる区切りはない。もし新卒で入社してから定年退職するまで同じ会社で勤め続けるのであれば、約四十年同じ環境で働き続けることになる。
「入社して一ヶ月で考えることでもないことは、十分わかってるんですが。人生のほとんどの時間をここで過ごしていいのかっていう感覚は、すでにあるんです。それで、俺って何がやりたかったんだっけとか、考えだしてしまって」
「何がやりたかったんだ?」
椋がコップに口をつけながら問いかけると、広斗は自嘲めいた笑みを浮かべた。
「それが……色々考えた結果、浮かんでくるのが、俺には椋さんのことしかないんです」
その返答に、椋は口に含んだ水を吹き出しかけた。手で口元を押さえて堪えている間にも、広斗の言葉は続く。
「椋さんと一緒にいるときが俺は一番幸せですし、椋さんが笑ってくれたり、安心してくれたりするのを見ると、社会でよく言われている『やりがい』っていうものを感じます。椋さんに会ってから、俺の一番大切なところにはいつも椋さんがいて、今までずっとそうだったから、他に何も思い浮かばなくて」
広斗は止まらなくなった様子で、徐々に早口になっていく。
「というか、これって元々わかってたんですよ。わかってたから、できるだけ時間拘束の少ないところに入って、プライベートな時間を残そうとしてたんです。そうしたら、今までと同じように椋さんと一緒にいられるから。だけど現実はままならなくて。家で一緒にゆっくりできる時間もなくなって、本当はついていけるはずだった日の捜査にも行けないし、椋さんはどんどん一人で、外で仕事ができるようになって。もし椋さんが捜査の途中で好きな人ができて、結婚することになったりして、こうして一緒に暮らせなくなったら、じゃあ俺は椋さんのこと以外で、何かしたいことがあるのかって言われると……」
「広斗、広斗、ストップ」
終わる様子のない語りに、椋が軽く手をあげて広斗を制する。
ようやくハッとしたように口を噤むと、広斗は大きく息を吐き出した。
「すみません。とりとめのない話をしてしまって」
「とりとめがあるとか、ないとかはどうでもいいんだが、暴走はしてたな。ただ、広斗が悩んでいることについては、だいたい掴めたような気がする」
椋はそう言って、軽く笑いながら眉を下げた。
真崎と再会し、異能係の捜査に協力するようになる前。完全に引きこもりの生活をしていた椋は、常に漠然とした不安を抱いていた。
社会から離れ、唯一日常的に関わりがあるのは一緒に住んでいる広斗だけ。そのときの広斗は大学生だったが、広斗が社会人となり生活環境が変われば、同居解消もそう遠い未来ではないと思っていた。
――自分は一生、一人きりで生きて、死んでいくのか。
そんな恐怖にも近い思いが浮かんでは、幻覚が暴発する特殊能力を抱えた状態では仕方がないことだと諦めていた。
広斗が吐露した悩みは、そのときに椋が抱いていた不安と共通する部分がある。だからこそ、椋は感覚として広斗の悩みを理解することができた。
「まず、俺が今まで……というか、今もだが。広斗に頼りすぎていたっていうのが悪かったよな。広斗の大切な時間を奪ってしまっていた」
「いや、そんなことは絶対にありません! 全部俺がしたいから、俺が椋さんの側にいたいから、させてもらっていただけです」
広斗が勢い込んで否定するが、椋はゆるく首を横に振った。
「ありがとう。でも実際問題、そうだったとは思うんだ。俺は行ったことないからわからないけどさ、一般的には高校生とか、大学生のうちにサークルとかバイトとかの活動をして、やりたいことを見つけるものなんだろう? だけど、広斗はその時間で俺の世話を焼いてくれていたから。社会人になって俺と一緒にいる時間が少し減って、迷いのようなものが出てくるのは当然のことだと思う」
「『だからこれからは俺のことは放っておいていい』なんて言わないでくださいね」
椋の話の行く末を予想し、そう予防線を張る広斗の顔色は、比喩ではなく実際に悪くなっていた。悲愴感漂う広斗の声を聞き、椋は軽く笑う。
「そんなこと言わねぇよ。お前は、ちょっと自分のことを軽く考えすぎてる」
「すみません。すごい嫌な方向に話がいってしまうような気がして」
「俺は、広斗がいてくれるから、こうやって毎日健やかに暮らせてるんだ。頼りすぎていて申し訳ないとは思うけど、広斗がいないとまともに生きていけないのは、俺が一番身に染みてわかってるよ」
穏やかな椋の言葉を聞き、広斗は青ざめていたところから一転して、感極まる。
そんな広斗の反応をよそに、椋は大きく息を吸った。
「だから、もし広斗が望むなら、正式に俺の助手になるか?」
それは、椋にとっては覚悟のいる一言であった。
「助手、ですか? それってつまり、探偵の助手的な?」
予想だにしていなかった椋からの言葉に、広斗は大きく目を見開く。
「そう。今、話を聞いていて、広斗の『したいこと』を叶えるにはそれが一番な気がして。周囲の人たちに支えてもらって成り立っていることだから、そう立派なものでもないけど。俺も今は働くことができていて、このままの調子でいけば、広斗一人くらいだったら養っていけるだろう?」
椋の言葉を、広斗は唖然とした表情のままでおとなしく聞く。
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