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2巻 白峰荘の人体消失
2-1
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――異能係。
霊能力者に主導権を委ねて捜査を行う、警察に新設された特別捜査チームの通称である。
FBI内にある特別霊能班、略称『SPT』の目覚ましい活躍を受け、その仕組みを日本に輸入する形で実験的に作られたのだが、約九ヶ月前に小さなチームが発足して以降、常識の観点から外れた難事件をいくつも解決に導いていた。
外部パートナーとして契約を結んでいる霊能力者を守るため、また捜査を妨げないようにするため、捜査員などの詳細情報には報道規制がかかっている。
しかし、その認知度と注目度は、インターネットのディープな界隈を中心に少しずつ増加していた。
第一章 捜索者
1
目の前には書きかけの遺言書があった。
マホガニーの重厚なデスクの上で万年筆を動かし、象牙色をした上等な紙に文字を刻み込んでいく。金色のペン先から伸びていくのは、深いブルーブラックのインクだ。
遺言書の内容を要約すれば、『自分の全財産を、娘の城之内皐月に相続させる』というものである。間違いがないようにするため筆跡は丁寧で、綴る内容にはいっさいの迷いがない。『城之内大悟』と署名し、最後に日付を書き入れようとした、そのとき。
遺言書の作成に集中していた視界を、上から降るようにやってきたロープがよぎった。今のはいったい何だったのかと戸惑った次の瞬間、強制的に体が動きはじめる。
デスクに座っていたところから無理やり立たされ、限界を超えてさらに体が引き上げられていく。混乱から意味もなく両腕を暴れさせるが、右手には万年筆が握られたままだった。
床から足が離れ、完全に宙吊りになった体は振り子のように揺れはじめる。
揺れに伴って体が回転し、遺言書を置いていたデスクではなく、部屋の様子が見通せるようになった。
そこにいたのは、両手でロープを握る中年女性だ。
丹念な化粧を施された彼女の面立ちは美しく若々しいが、目尻や口元の皺から実年齢が微かに窺える。ロープは高い天井の下を横切る立派な梁に取り付けられた滑車を通り、自分の首元へとつながっている。
中年女性は、ゾッとするほど冷たい眼差しでこちらを見上げていた。鮮やかな真紅のルージュが塗られ、笑みを浮かべれば華やかな印象が広がるはずの顔には、いっさいの表情がない。
彼女へ向け必死に腕を伸ばすが、助けの手が差し伸べられることはなく、もがくたびに体の揺れが激しくなるばかりだ。
中年女性はロープを手放すと、宙吊りになったままの体の側を通っていった。デスクの上に広げられた遺言書を一瞥し、鷲掴みにすると、両手でグシャグシャと握り潰す。
視界が次第にぼやけ、暗くなっていく。
ふと、手にしたままだった万年筆を取り落とした。
万年筆は中年女性の襟元を掠めて青黒い線を残し、さらに落ちていく。それが床の上に転がるところを見届ける前に、あたりは完全なる暗闇に呑まれていった。
幻覚が終わった。
「……っ」
視界の揺れと共にバランス感覚を失っていた椋の体は、視界が自分のものへと戻ってきた瞬間によろめいた。そのまま倒れ込みそうになったところを、背後から伸びてきた腕によってすかさず支えられる。
「大丈夫ですか?」
視線を向けると、そこには椋の顔を心配そうに覗き込む女性の姿があった。
彼女の名前は伊澤澪。三十一歳で、異能係に所属する刑事の一人である。リップラインで切り揃えられたショートボブの黒髪と、ノーメイクでありながらはっきりした目鼻立ちが凛とした印象だ。
「いつもすみません、伊澤さん」
椋は短く返事をすると姿勢を正し、改めて部屋の中の様子を確認する。
そこは、先ほど幻覚で見ていたものと変わりない、高級感溢れる調度品に囲まれた書斎だ。書斎と言っても、一般家庭であれば家族全員が集うリビングほどの広さがある。天井が高く、立派な梁が剥き出しになっている。
構造上のものでありながら、インテリアの一部として取り入れられていることがわかるお洒落な梁だが、今から一週間前にとんだ曰く付きのものになってしまった。
屋敷の主人である城之内大悟がロープをかけ、首を吊った姿で発見されたのだ。
第一発見者は大悟の娘である皐月。そのときすでに大悟の体は冷たくなっており、彼女は大悟の体を下ろすことなく通報。駆けつけた救急隊員によって死亡が確認された。
部屋の中に踏み台として使ったであろう椅子が転がっていたことと、死亡推定時刻に書斎に近寄った人間がいないことから、はじめは大悟本人による首吊り自殺と考えられていた。しかし、『とても自殺をするような素振りはなかった』という皐月の証言をきっかけにして、異能係による捜査が入ることになったのだ。
そして、自殺に見せかけた工作に隠されていた真実は、椋がたった今見ていた幻覚にすべて映り込んでいた。
椋は、『人が死んだことのある場所を目にすると、その場所で死んだ者が最期に見ていた光景が自分の網膜で再生される』という特殊能力を持っていた。つまり椋が今見ていた幻覚は、この書斎で死んだ大悟が死の間際に見ていた光景そのものなのだ。
「椋くん、『断末魔の視覚』が見えたんだね?」
横から声をかけてきたのは、ベテランの風格が漂う四十五歳の男性。職業を申告されなくとも一目で刑事だとわかる彼は、真崎宰。異能係の係長だ。
彼の言った『断末魔の視覚』とは、異能係に協力する別の能力者が、面白半分で椋の特殊能力につけた名称である。
「はい、見えました。内容をご説明します」
椋は頷いて、真崎の方へ向き直る。
そのタイミングで、伊澤は黒いシルクで作られた目隠しを椋へ差し出した。それはゴムを耳にかける一般的な形状のアイマスクとは異なり、目元に当たる部分は顔にフィットする形状に加工されていながらも、一枚の帯状になっている。
「霧生さん、目隠しを」
「ありがとうございます」
椋は受け取った目隠しを目元に当てると、後頭部でリボンを結んで固定する。
この目隠しは、長時間装着し続けても椋の耳や目に負担がかからないように考慮して作られていた。なぜならば、椋は入浴時などを除いたほとんどの時間を目隠しをして過ごしているからだ。
椋は、自身の持つ『断末魔の視覚』の能力を制御できておらず、どのような場所でも幻覚を見てしまう。
能力で拾い上げてしまう死の範囲は広く、過去には侍らしき姿も見たことがある。人が死ぬ直前に見る光景には凄惨なものも多く、不意に見てしまうと精神的な負担は計り知れない。よって、椋は目隠しをつけ、視覚を完全に塞いで生活を送ることを余儀なくされていた。
人間は、五感による知覚情報の八十パーセント以上を視覚から得ているという話もある。視覚に頼らず暮らしていくのは容易なことではなく、椋は通常の仕事をこなすことはできなかった。
そこで、去年より試験的に警察に設置された、特殊能力を用いて捜査を進める異能係という部署で、外部パートナーとして働いているのだ。
椋が目隠しを装着し終えると、伊澤はタイミングを見計らい、木でできた一般的な形状の杖を椋の手元に自然な流れで差し出した。白杖ではないが、椋が歩くときに足元の確認をするものだ。
杖を受け取って落ち着くと、椋は改めて説明をはじめる。
「まず、大悟さんは自殺ではありません。死の直前まで、ここにあるデスクで遺書を書いていました」
「遺書を書いていたのなら、いっそう自殺ということにならないかい? そもそも、この部屋で遺書など見つかっていないが」
「真崎さん」
説明の途中で口を挟んだ真崎を咎めるように、伊澤が名前を呼ぶ。
「すまない。つい気が急いてしまって」
真崎は謝罪の言葉を口にしたが、椋は大丈夫だと示すように軽く首を横に振った。
「遺書と言っても、その内容は、これから自殺しようとする者が書くようなものではありませんでした」
「内容も見えたのかな?」
「はい。要約すると、『自分の全財産を娘の城之内皐月に相続させる』といったものでした。大悟さんほどの資産家であれば、自分が生きているうちに、死後に財産をどうして欲しいのか、その意思を伝えるために遺書を残しておくのはごく自然なことだと思います」
「なるほど、遺書というより遺言書か」
真崎が納得したように頷いた。椋にはそのふたつの違いがわからなかったが、意図は伝わったようなので説明を続ける。
「それを書いている途中で突然ロープが目の前をよぎり、体が上昇しはじめました。つまり、背後から首にロープをかけられ、そのまま宙吊りにされたのだと思います」
頭上から顔の前をよぎり、首に当たるロープの動きを、椋は手を使ったジェスチャーで示してみせる。
「体が回転し、宙吊りになった状態で書斎の中を見ることができましたが、そのとき部屋には、ロープの先を持って引っ張っている礼子さんがいらっしゃいました」
礼子とは、大悟の後妻である。今この部屋に礼子はいないが、椋は屋敷へ来る前に、事件関係者の顔を写真で見て頭に入れてきている。ヴィジョンで見た、華やかな印象の中年女性は城之内礼子で間違いないと断言できた。
「礼子さんが犯人ということだね? しかし、彼女の力で男性である大悟さんの体を引き上げることができたのかい?」
「ロープに小さな滑車のようなものがつけられているのが見えました。彼女がロープから手を離しても大悟さんの体が落ちていかなかったことから、ブレーキ機構がついたものです」
「腕力の少なさを事前準備でカバーしたわけか」
「そうですね。滑車の原理を使って、彼女の力でも大悟さんの体を引っ張り上げられるようにしていたのだと思います。知識と、梁にロープをかけ、滑車をかませる準備時間があれば可能です」
「遺言書を書いている背後で、そのような細工をされていて気にならないものだろうか」
真崎からの質問に、椋は自身の形の良い顎に軽く指先をかける。俯くと、サラサラと音がしそうな繊細で艶やかなストレートの黒髪が頬にかかった。椋の整った顔立ちは、目隠しでも覆い隠せないほどに美しい。
「……あ」
ふと、椋の薄めの唇から小さく声が漏れる。屋敷についてから今まで、捜査で聞いていたことの中で思い当たる節があったのだ。
「たしか、事件があった日の昼頃に、お手伝いさんが大悟さんの補聴器を預かったという話をしていませんでしたか?」
「そういえば言っていたな。朝から補聴器が壊れてしまったようだから修理のために預かったとか。なるほど、大悟さんは補聴器をつけていなかったから、背後で準備をされていても、物音に気づくことができなかったのか」
「補聴器の故障も偶然ではなく、城之内礼子が細工をした可能性もあります。補聴器を回収し、鑑識に回します」
伊澤が付け加えた言葉に真崎は頷き、それから眉を寄せた。
「残る問題は、どうやって人に気づかれずに書斎へ出入りしたか、か」
この書斎は屋敷の母屋から独立した離れの作りになっていて、庭を通らねば入れない。
しかし、庭で仕事をしていた庭師の山口修一が、大悟の死亡推定時刻にあたる十五時から十六時まで、書斎に近づいた者は誰もいないという証言をしていたのだ。
加えて、屋敷の中で働いていた家政婦二名が、その時間帯に修一が庭から離れていないことを保証している。発見当初、大悟が自殺をしたのは間違いないと考えられた大きな要因である。
そのとき。ずっと書斎にいながらも、今まで黙って話を聞いていただけの男が軽く手を上げた。
「それでしたら、簡単な話です」
一週間前に首吊り死体が発見された現場には不釣り合いな、爽やかすぎる笑みを浮かべてそう言った男は、宮司紫王という大仰な名前を持った霊能力者である。
地元では有名な御嶽神社の宮司を代々務めてきた家系の生まれで、警察上層部からの推薦があって異能係の外部パートナーをしている。言うなれば霊能力者のサラブレッドだ。
しかし、紫王本人は『霊能力者』という言葉の持つ印象からはかけ離れていた。
西洋風のはっきりとした目鼻立ちに、人当たりの良い『陽』の雰囲気を持っている。明るい茶髪には強めのウェーブがかけられており、スタンドカラーのストライプシャツが似合う二十四歳の若者である。
「トリックがわかったのかい?」
真崎に問いかけられ、紫王は軽く息を漏らして笑う。
「トリックなんてありませんよ。ただ単純に、誰も書斎には近寄らなかった、と証言をした庭師の修一さんが嘘をついているんです。礼子さんが犯人だと知った上で、庇っている」
「そうおっしゃる根拠はあるんですか?」
質問をしたのは伊澤だ。伊澤が紫王へ向ける口調が他の者に対するものよりも強いのは、いつものことである。
紫王は伊澤へ視線を向けてから、声量を下げた。
「礼子さんは、修一さんとただならぬ関係にあります。おそらく不倫関係でしょう」
人間関係の込み入った話になると、椋は軽く息を漏らした。紫王はそんな椋に視線を移して話を続ける。
「椋さんのヴィジョンによると、大悟さんは全財産を皐月さんに相続させるという内容の遺言書を書いていた。この遺言書が完成して一番困るのは、本来なら遺産の半分を受け取ることができるはずだった礼子さんだ。そして、礼子さんと不倫関係にある修一さんにとっても、彼女が遺産を受け取れないのは面白いことじゃない。このタイミングで大悟さんが死ぬのは、修一さんにもメリットになります」
当人たち以外に知り得ないことをスラスラと語っているが、もちろん適当に話しているわけではない。
紫王は、直接出会った人間の守護霊と会話することができる『スピリチュアルトーキング』という特殊能力を持っていた。実際に声を出して話をするのではなく、第六感で存在を感じ取るのである。
守護霊は、その人間のことを最も気にかけている死んだ人間だ。元人間なので性格は様々であり、黙秘することもあれば嘘もつく。加えて、憑いている人間を守るために存在しているので、本人の不利になるようなことをペラペラ語りはしない。
つまり、犯人の守護霊に「この人が犯人ですか」と聞いたところで基本的に答えはしないのだが、それでも現世に縛られない存在である守護霊は、紫王に多くの情報をもたらしてくれる。
「断定はできませんが、礼子さんが修一さんと不倫関係にあることを、大悟さんは知っていたのだと思います。礼子さんも知られていることを知っていた。大悟さんが以前から遺言書を用意していたのかはわかりません。新たに遺言書を作る気になったのか、書き換える気になったのか。いずれにせよ礼子さんに、『お前に財産は渡さない』などと、そんなことを伝えたのかもしれませんね。それが動機に繋がった」
紫王が語り終えると、納得したように真崎が深く頷く。
異能係の捜査方法は特殊で、関係者を全員現場に集めた上で、事件発生当日の様子を時系列に沿って再現していくという手法をとっている。
この捜査方法を望んだのが紫王である。紫王は、再現の中で時間をかけて関係者全員の守護霊と対話を進め、守護霊を含めてすべての人の反応を見ながら情報を掴んでいくのだ。また、実際に事件当日の様子を再現することで、椋や、真崎をはじめとした刑事たちを含めた全員が、事件の状況を正しく認識できるというメリットもあった。
今日も異能係は、朝から事件が発生した屋敷で、事件当日の再現を進めていた。
現在時刻は十八時。事件当日は、大悟の死体が発見され、救急隊員が駆けつけて処理を進めていた頃だ。これ以上当日の再現をする必要はないため、関係者たちを退室させ、椋の能力で現場を見ていたのだ。
そして今、二人の能力者が得た情報の集約が終わった。
「修一さんは礼子さんと協力関係にある。そのため、彼の『誰も書斎には近づかなかった』という証言は無効。礼子さんが大悟さんの殺害に至った動機は、遺産の相続について。殺害方法は、ブレーキ機構がついた滑車を用いて、背後から首にロープをかけて引き上げるというもの。大悟さん殺害後は梁にロープを結び直して滑車を回収し、自殺に見せかける……と」
手帳を開き、メモをしながら真崎が話をまとめた。
「事件の概要としてはこういうことだろうか。何か確たる証拠が欲しいな。補聴器に細工が残っているか、犯行に使った滑車が見つかるといいのだが」
真崎が最後に付け加えた言葉に、椋はヴィジョンの中で見ていたものを思い出す。
「それでしたら、礼子さんのクローゼットから、丸襟にレースがついた白いシャツを探してください。上等そうなものでした。背中側の襟のところに、大悟さんが使っていたブルーブラックのインクの染みがついていると思います」
「どうしてそのようなところにインクの染みが?」
「大悟さんは亡くなる直前、手に持っていた万年筆を落としました。それが、デスクの上にあった遺言書を回収するために、すぐ近くに立っていた礼子さんの襟を掠めて行ったんです。万年筆のインクの染みはなかなか落ちませんから、捨てられていなければ証拠になるはずです。普通に生活していれば、襟に万年筆のインクなんてつきませんし」
「処分するにしても、上等なシャツを捨てれば目立つでしょう。家政婦が何か知っているかもしれません。そちらも合わせて聴取します」
伊澤が応え、真崎は頷く。
「そうだな。犯人逮捕には十分な証拠が揃えられるだろう。これで事件が解決できるよ、ありがとう、椋くん、紫王くん」
「今回も無事に捜査が済んでよかったですよ。では僕たちは、今日はこれでお役御免でしょうか」
肩から力を抜き、ほっとした表情を浮かべて紫王が問いかける。
どのような現場の捜査だろうが、どれだけ事件関係者たちから煙たがられようが、紫王は常に飄々とした様子を見せる。しかしそんな紫王であっても、殺人事件の捜査にあたって、何の気負いもないというわけではないのだ。犯人が見つかり自分の仕事が果たせたとなれば、肩の荷も降りる。
「うん、お疲れ様。霊能捜査についての説明を求められるかもしれないから、逮捕までは立ち会ってもらえるかい? 椋くんも」
「大丈夫ですよ」
「はい、もちろんです」
椋と紫王が快諾する。
真崎は頷くと、今度は伊澤へと声をかけた。
「伊澤、その後のことは丸山と君に任せてもいいかい? 犯人の連行のために応援を先に呼んでおいてくれ。わたしは、ここまで乗ってきた車で椋くんを送り届けてしまうから」
丸山とは、異能係に所属する別の刑事だ。この現場にも同行してきたのだが、今はリビングで容疑者たちと待機している。
「了解しました。お任せください」
伊澤が姿勢を正し応える。
椋は運転免許を持っていない。そもそも視覚を塞いでいる椋に車の運転は不可能であるため、大抵は異能係の誰かに家から現場までの送り迎えをしてもらっている。
「あの、何だかすみません。俺のことは署まで送ってもらえれば大丈夫です。今の時間なら、そろそろ広斗の仕事が終わると思うので、ついでに迎えに来てもらいます」
椋が身の置きどころがない様子で言うと、そこに紫王が提案をする。
「署まででいいなら、椋さんのことは僕が送っていきましょうか?」
紫王は紫色のスポーツカーという非常に派手な車を乗り回しており、どの現場にも自分で愛車を運転して来ていた。
「ありがとう。しかし、わたしも先に署に戻って雑務を済ませてしまおうと思っているから、大丈夫だよ。そこまで紫王くんの手を煩わせるわけにはいかないしね」
「それでしたら、真崎さんも一緒に僕の車で署まで連れていきますよ。実は、久しぶりに和鷹さんに会いたいと思ってたんですよね」
一度遠慮した真崎に、紫王は妙に朗らかすぎる笑みを見せた。
和鷹というのも異能係所属のもう一人の刑事であり、苗字を宇城という。
宇城は基本的には現場に出ず、署内からのバックアップを主に行なっている。現場で霊能捜査をするだけの外部パートナーとは顔を合わせる機会が極端に少ないのだが、紫王は、以前顔合わせで宇城に会ったときから、彼に強い興味を示していた。
椋を署まで送っていくという今回の提案も、宇城に会う口実になるという思惑が半分ほど含まれている。
そんな紫王の思惑を察した真崎は、冷静沈着で大抵のことには淡々と対処する宇城が、紫王に絡まれると実に渋い表情をつくる様を思い出して軽く笑う。
「では、せっかくだからお言葉に甘えてしまおうかな」
それからリビングに戻って行われた容疑者たちへの説明は、真崎主導で進んだ。
洗濯に出されていた礼子のシャツの襟に、万年筆のインクがついていたことを家政婦の一人が証言。後で染み抜きをするために取り分けられていたシャツは、証拠として確保することができた。
暴かれていく真実に対して礼子がいっさいの否定も肯定もせず黙秘を貫いたことにより、逮捕劇は粛々と終わりを迎えた。
霊能力者に主導権を委ねて捜査を行う、警察に新設された特別捜査チームの通称である。
FBI内にある特別霊能班、略称『SPT』の目覚ましい活躍を受け、その仕組みを日本に輸入する形で実験的に作られたのだが、約九ヶ月前に小さなチームが発足して以降、常識の観点から外れた難事件をいくつも解決に導いていた。
外部パートナーとして契約を結んでいる霊能力者を守るため、また捜査を妨げないようにするため、捜査員などの詳細情報には報道規制がかかっている。
しかし、その認知度と注目度は、インターネットのディープな界隈を中心に少しずつ増加していた。
第一章 捜索者
1
目の前には書きかけの遺言書があった。
マホガニーの重厚なデスクの上で万年筆を動かし、象牙色をした上等な紙に文字を刻み込んでいく。金色のペン先から伸びていくのは、深いブルーブラックのインクだ。
遺言書の内容を要約すれば、『自分の全財産を、娘の城之内皐月に相続させる』というものである。間違いがないようにするため筆跡は丁寧で、綴る内容にはいっさいの迷いがない。『城之内大悟』と署名し、最後に日付を書き入れようとした、そのとき。
遺言書の作成に集中していた視界を、上から降るようにやってきたロープがよぎった。今のはいったい何だったのかと戸惑った次の瞬間、強制的に体が動きはじめる。
デスクに座っていたところから無理やり立たされ、限界を超えてさらに体が引き上げられていく。混乱から意味もなく両腕を暴れさせるが、右手には万年筆が握られたままだった。
床から足が離れ、完全に宙吊りになった体は振り子のように揺れはじめる。
揺れに伴って体が回転し、遺言書を置いていたデスクではなく、部屋の様子が見通せるようになった。
そこにいたのは、両手でロープを握る中年女性だ。
丹念な化粧を施された彼女の面立ちは美しく若々しいが、目尻や口元の皺から実年齢が微かに窺える。ロープは高い天井の下を横切る立派な梁に取り付けられた滑車を通り、自分の首元へとつながっている。
中年女性は、ゾッとするほど冷たい眼差しでこちらを見上げていた。鮮やかな真紅のルージュが塗られ、笑みを浮かべれば華やかな印象が広がるはずの顔には、いっさいの表情がない。
彼女へ向け必死に腕を伸ばすが、助けの手が差し伸べられることはなく、もがくたびに体の揺れが激しくなるばかりだ。
中年女性はロープを手放すと、宙吊りになったままの体の側を通っていった。デスクの上に広げられた遺言書を一瞥し、鷲掴みにすると、両手でグシャグシャと握り潰す。
視界が次第にぼやけ、暗くなっていく。
ふと、手にしたままだった万年筆を取り落とした。
万年筆は中年女性の襟元を掠めて青黒い線を残し、さらに落ちていく。それが床の上に転がるところを見届ける前に、あたりは完全なる暗闇に呑まれていった。
幻覚が終わった。
「……っ」
視界の揺れと共にバランス感覚を失っていた椋の体は、視界が自分のものへと戻ってきた瞬間によろめいた。そのまま倒れ込みそうになったところを、背後から伸びてきた腕によってすかさず支えられる。
「大丈夫ですか?」
視線を向けると、そこには椋の顔を心配そうに覗き込む女性の姿があった。
彼女の名前は伊澤澪。三十一歳で、異能係に所属する刑事の一人である。リップラインで切り揃えられたショートボブの黒髪と、ノーメイクでありながらはっきりした目鼻立ちが凛とした印象だ。
「いつもすみません、伊澤さん」
椋は短く返事をすると姿勢を正し、改めて部屋の中の様子を確認する。
そこは、先ほど幻覚で見ていたものと変わりない、高級感溢れる調度品に囲まれた書斎だ。書斎と言っても、一般家庭であれば家族全員が集うリビングほどの広さがある。天井が高く、立派な梁が剥き出しになっている。
構造上のものでありながら、インテリアの一部として取り入れられていることがわかるお洒落な梁だが、今から一週間前にとんだ曰く付きのものになってしまった。
屋敷の主人である城之内大悟がロープをかけ、首を吊った姿で発見されたのだ。
第一発見者は大悟の娘である皐月。そのときすでに大悟の体は冷たくなっており、彼女は大悟の体を下ろすことなく通報。駆けつけた救急隊員によって死亡が確認された。
部屋の中に踏み台として使ったであろう椅子が転がっていたことと、死亡推定時刻に書斎に近寄った人間がいないことから、はじめは大悟本人による首吊り自殺と考えられていた。しかし、『とても自殺をするような素振りはなかった』という皐月の証言をきっかけにして、異能係による捜査が入ることになったのだ。
そして、自殺に見せかけた工作に隠されていた真実は、椋がたった今見ていた幻覚にすべて映り込んでいた。
椋は、『人が死んだことのある場所を目にすると、その場所で死んだ者が最期に見ていた光景が自分の網膜で再生される』という特殊能力を持っていた。つまり椋が今見ていた幻覚は、この書斎で死んだ大悟が死の間際に見ていた光景そのものなのだ。
「椋くん、『断末魔の視覚』が見えたんだね?」
横から声をかけてきたのは、ベテランの風格が漂う四十五歳の男性。職業を申告されなくとも一目で刑事だとわかる彼は、真崎宰。異能係の係長だ。
彼の言った『断末魔の視覚』とは、異能係に協力する別の能力者が、面白半分で椋の特殊能力につけた名称である。
「はい、見えました。内容をご説明します」
椋は頷いて、真崎の方へ向き直る。
そのタイミングで、伊澤は黒いシルクで作られた目隠しを椋へ差し出した。それはゴムを耳にかける一般的な形状のアイマスクとは異なり、目元に当たる部分は顔にフィットする形状に加工されていながらも、一枚の帯状になっている。
「霧生さん、目隠しを」
「ありがとうございます」
椋は受け取った目隠しを目元に当てると、後頭部でリボンを結んで固定する。
この目隠しは、長時間装着し続けても椋の耳や目に負担がかからないように考慮して作られていた。なぜならば、椋は入浴時などを除いたほとんどの時間を目隠しをして過ごしているからだ。
椋は、自身の持つ『断末魔の視覚』の能力を制御できておらず、どのような場所でも幻覚を見てしまう。
能力で拾い上げてしまう死の範囲は広く、過去には侍らしき姿も見たことがある。人が死ぬ直前に見る光景には凄惨なものも多く、不意に見てしまうと精神的な負担は計り知れない。よって、椋は目隠しをつけ、視覚を完全に塞いで生活を送ることを余儀なくされていた。
人間は、五感による知覚情報の八十パーセント以上を視覚から得ているという話もある。視覚に頼らず暮らしていくのは容易なことではなく、椋は通常の仕事をこなすことはできなかった。
そこで、去年より試験的に警察に設置された、特殊能力を用いて捜査を進める異能係という部署で、外部パートナーとして働いているのだ。
椋が目隠しを装着し終えると、伊澤はタイミングを見計らい、木でできた一般的な形状の杖を椋の手元に自然な流れで差し出した。白杖ではないが、椋が歩くときに足元の確認をするものだ。
杖を受け取って落ち着くと、椋は改めて説明をはじめる。
「まず、大悟さんは自殺ではありません。死の直前まで、ここにあるデスクで遺書を書いていました」
「遺書を書いていたのなら、いっそう自殺ということにならないかい? そもそも、この部屋で遺書など見つかっていないが」
「真崎さん」
説明の途中で口を挟んだ真崎を咎めるように、伊澤が名前を呼ぶ。
「すまない。つい気が急いてしまって」
真崎は謝罪の言葉を口にしたが、椋は大丈夫だと示すように軽く首を横に振った。
「遺書と言っても、その内容は、これから自殺しようとする者が書くようなものではありませんでした」
「内容も見えたのかな?」
「はい。要約すると、『自分の全財産を娘の城之内皐月に相続させる』といったものでした。大悟さんほどの資産家であれば、自分が生きているうちに、死後に財産をどうして欲しいのか、その意思を伝えるために遺書を残しておくのはごく自然なことだと思います」
「なるほど、遺書というより遺言書か」
真崎が納得したように頷いた。椋にはそのふたつの違いがわからなかったが、意図は伝わったようなので説明を続ける。
「それを書いている途中で突然ロープが目の前をよぎり、体が上昇しはじめました。つまり、背後から首にロープをかけられ、そのまま宙吊りにされたのだと思います」
頭上から顔の前をよぎり、首に当たるロープの動きを、椋は手を使ったジェスチャーで示してみせる。
「体が回転し、宙吊りになった状態で書斎の中を見ることができましたが、そのとき部屋には、ロープの先を持って引っ張っている礼子さんがいらっしゃいました」
礼子とは、大悟の後妻である。今この部屋に礼子はいないが、椋は屋敷へ来る前に、事件関係者の顔を写真で見て頭に入れてきている。ヴィジョンで見た、華やかな印象の中年女性は城之内礼子で間違いないと断言できた。
「礼子さんが犯人ということだね? しかし、彼女の力で男性である大悟さんの体を引き上げることができたのかい?」
「ロープに小さな滑車のようなものがつけられているのが見えました。彼女がロープから手を離しても大悟さんの体が落ちていかなかったことから、ブレーキ機構がついたものです」
「腕力の少なさを事前準備でカバーしたわけか」
「そうですね。滑車の原理を使って、彼女の力でも大悟さんの体を引っ張り上げられるようにしていたのだと思います。知識と、梁にロープをかけ、滑車をかませる準備時間があれば可能です」
「遺言書を書いている背後で、そのような細工をされていて気にならないものだろうか」
真崎からの質問に、椋は自身の形の良い顎に軽く指先をかける。俯くと、サラサラと音がしそうな繊細で艶やかなストレートの黒髪が頬にかかった。椋の整った顔立ちは、目隠しでも覆い隠せないほどに美しい。
「……あ」
ふと、椋の薄めの唇から小さく声が漏れる。屋敷についてから今まで、捜査で聞いていたことの中で思い当たる節があったのだ。
「たしか、事件があった日の昼頃に、お手伝いさんが大悟さんの補聴器を預かったという話をしていませんでしたか?」
「そういえば言っていたな。朝から補聴器が壊れてしまったようだから修理のために預かったとか。なるほど、大悟さんは補聴器をつけていなかったから、背後で準備をされていても、物音に気づくことができなかったのか」
「補聴器の故障も偶然ではなく、城之内礼子が細工をした可能性もあります。補聴器を回収し、鑑識に回します」
伊澤が付け加えた言葉に真崎は頷き、それから眉を寄せた。
「残る問題は、どうやって人に気づかれずに書斎へ出入りしたか、か」
この書斎は屋敷の母屋から独立した離れの作りになっていて、庭を通らねば入れない。
しかし、庭で仕事をしていた庭師の山口修一が、大悟の死亡推定時刻にあたる十五時から十六時まで、書斎に近づいた者は誰もいないという証言をしていたのだ。
加えて、屋敷の中で働いていた家政婦二名が、その時間帯に修一が庭から離れていないことを保証している。発見当初、大悟が自殺をしたのは間違いないと考えられた大きな要因である。
そのとき。ずっと書斎にいながらも、今まで黙って話を聞いていただけの男が軽く手を上げた。
「それでしたら、簡単な話です」
一週間前に首吊り死体が発見された現場には不釣り合いな、爽やかすぎる笑みを浮かべてそう言った男は、宮司紫王という大仰な名前を持った霊能力者である。
地元では有名な御嶽神社の宮司を代々務めてきた家系の生まれで、警察上層部からの推薦があって異能係の外部パートナーをしている。言うなれば霊能力者のサラブレッドだ。
しかし、紫王本人は『霊能力者』という言葉の持つ印象からはかけ離れていた。
西洋風のはっきりとした目鼻立ちに、人当たりの良い『陽』の雰囲気を持っている。明るい茶髪には強めのウェーブがかけられており、スタンドカラーのストライプシャツが似合う二十四歳の若者である。
「トリックがわかったのかい?」
真崎に問いかけられ、紫王は軽く息を漏らして笑う。
「トリックなんてありませんよ。ただ単純に、誰も書斎には近寄らなかった、と証言をした庭師の修一さんが嘘をついているんです。礼子さんが犯人だと知った上で、庇っている」
「そうおっしゃる根拠はあるんですか?」
質問をしたのは伊澤だ。伊澤が紫王へ向ける口調が他の者に対するものよりも強いのは、いつものことである。
紫王は伊澤へ視線を向けてから、声量を下げた。
「礼子さんは、修一さんとただならぬ関係にあります。おそらく不倫関係でしょう」
人間関係の込み入った話になると、椋は軽く息を漏らした。紫王はそんな椋に視線を移して話を続ける。
「椋さんのヴィジョンによると、大悟さんは全財産を皐月さんに相続させるという内容の遺言書を書いていた。この遺言書が完成して一番困るのは、本来なら遺産の半分を受け取ることができるはずだった礼子さんだ。そして、礼子さんと不倫関係にある修一さんにとっても、彼女が遺産を受け取れないのは面白いことじゃない。このタイミングで大悟さんが死ぬのは、修一さんにもメリットになります」
当人たち以外に知り得ないことをスラスラと語っているが、もちろん適当に話しているわけではない。
紫王は、直接出会った人間の守護霊と会話することができる『スピリチュアルトーキング』という特殊能力を持っていた。実際に声を出して話をするのではなく、第六感で存在を感じ取るのである。
守護霊は、その人間のことを最も気にかけている死んだ人間だ。元人間なので性格は様々であり、黙秘することもあれば嘘もつく。加えて、憑いている人間を守るために存在しているので、本人の不利になるようなことをペラペラ語りはしない。
つまり、犯人の守護霊に「この人が犯人ですか」と聞いたところで基本的に答えはしないのだが、それでも現世に縛られない存在である守護霊は、紫王に多くの情報をもたらしてくれる。
「断定はできませんが、礼子さんが修一さんと不倫関係にあることを、大悟さんは知っていたのだと思います。礼子さんも知られていることを知っていた。大悟さんが以前から遺言書を用意していたのかはわかりません。新たに遺言書を作る気になったのか、書き換える気になったのか。いずれにせよ礼子さんに、『お前に財産は渡さない』などと、そんなことを伝えたのかもしれませんね。それが動機に繋がった」
紫王が語り終えると、納得したように真崎が深く頷く。
異能係の捜査方法は特殊で、関係者を全員現場に集めた上で、事件発生当日の様子を時系列に沿って再現していくという手法をとっている。
この捜査方法を望んだのが紫王である。紫王は、再現の中で時間をかけて関係者全員の守護霊と対話を進め、守護霊を含めてすべての人の反応を見ながら情報を掴んでいくのだ。また、実際に事件当日の様子を再現することで、椋や、真崎をはじめとした刑事たちを含めた全員が、事件の状況を正しく認識できるというメリットもあった。
今日も異能係は、朝から事件が発生した屋敷で、事件当日の再現を進めていた。
現在時刻は十八時。事件当日は、大悟の死体が発見され、救急隊員が駆けつけて処理を進めていた頃だ。これ以上当日の再現をする必要はないため、関係者たちを退室させ、椋の能力で現場を見ていたのだ。
そして今、二人の能力者が得た情報の集約が終わった。
「修一さんは礼子さんと協力関係にある。そのため、彼の『誰も書斎には近づかなかった』という証言は無効。礼子さんが大悟さんの殺害に至った動機は、遺産の相続について。殺害方法は、ブレーキ機構がついた滑車を用いて、背後から首にロープをかけて引き上げるというもの。大悟さん殺害後は梁にロープを結び直して滑車を回収し、自殺に見せかける……と」
手帳を開き、メモをしながら真崎が話をまとめた。
「事件の概要としてはこういうことだろうか。何か確たる証拠が欲しいな。補聴器に細工が残っているか、犯行に使った滑車が見つかるといいのだが」
真崎が最後に付け加えた言葉に、椋はヴィジョンの中で見ていたものを思い出す。
「それでしたら、礼子さんのクローゼットから、丸襟にレースがついた白いシャツを探してください。上等そうなものでした。背中側の襟のところに、大悟さんが使っていたブルーブラックのインクの染みがついていると思います」
「どうしてそのようなところにインクの染みが?」
「大悟さんは亡くなる直前、手に持っていた万年筆を落としました。それが、デスクの上にあった遺言書を回収するために、すぐ近くに立っていた礼子さんの襟を掠めて行ったんです。万年筆のインクの染みはなかなか落ちませんから、捨てられていなければ証拠になるはずです。普通に生活していれば、襟に万年筆のインクなんてつきませんし」
「処分するにしても、上等なシャツを捨てれば目立つでしょう。家政婦が何か知っているかもしれません。そちらも合わせて聴取します」
伊澤が応え、真崎は頷く。
「そうだな。犯人逮捕には十分な証拠が揃えられるだろう。これで事件が解決できるよ、ありがとう、椋くん、紫王くん」
「今回も無事に捜査が済んでよかったですよ。では僕たちは、今日はこれでお役御免でしょうか」
肩から力を抜き、ほっとした表情を浮かべて紫王が問いかける。
どのような現場の捜査だろうが、どれだけ事件関係者たちから煙たがられようが、紫王は常に飄々とした様子を見せる。しかしそんな紫王であっても、殺人事件の捜査にあたって、何の気負いもないというわけではないのだ。犯人が見つかり自分の仕事が果たせたとなれば、肩の荷も降りる。
「うん、お疲れ様。霊能捜査についての説明を求められるかもしれないから、逮捕までは立ち会ってもらえるかい? 椋くんも」
「大丈夫ですよ」
「はい、もちろんです」
椋と紫王が快諾する。
真崎は頷くと、今度は伊澤へと声をかけた。
「伊澤、その後のことは丸山と君に任せてもいいかい? 犯人の連行のために応援を先に呼んでおいてくれ。わたしは、ここまで乗ってきた車で椋くんを送り届けてしまうから」
丸山とは、異能係に所属する別の刑事だ。この現場にも同行してきたのだが、今はリビングで容疑者たちと待機している。
「了解しました。お任せください」
伊澤が姿勢を正し応える。
椋は運転免許を持っていない。そもそも視覚を塞いでいる椋に車の運転は不可能であるため、大抵は異能係の誰かに家から現場までの送り迎えをしてもらっている。
「あの、何だかすみません。俺のことは署まで送ってもらえれば大丈夫です。今の時間なら、そろそろ広斗の仕事が終わると思うので、ついでに迎えに来てもらいます」
椋が身の置きどころがない様子で言うと、そこに紫王が提案をする。
「署まででいいなら、椋さんのことは僕が送っていきましょうか?」
紫王は紫色のスポーツカーという非常に派手な車を乗り回しており、どの現場にも自分で愛車を運転して来ていた。
「ありがとう。しかし、わたしも先に署に戻って雑務を済ませてしまおうと思っているから、大丈夫だよ。そこまで紫王くんの手を煩わせるわけにはいかないしね」
「それでしたら、真崎さんも一緒に僕の車で署まで連れていきますよ。実は、久しぶりに和鷹さんに会いたいと思ってたんですよね」
一度遠慮した真崎に、紫王は妙に朗らかすぎる笑みを見せた。
和鷹というのも異能係所属のもう一人の刑事であり、苗字を宇城という。
宇城は基本的には現場に出ず、署内からのバックアップを主に行なっている。現場で霊能捜査をするだけの外部パートナーとは顔を合わせる機会が極端に少ないのだが、紫王は、以前顔合わせで宇城に会ったときから、彼に強い興味を示していた。
椋を署まで送っていくという今回の提案も、宇城に会う口実になるという思惑が半分ほど含まれている。
そんな紫王の思惑を察した真崎は、冷静沈着で大抵のことには淡々と対処する宇城が、紫王に絡まれると実に渋い表情をつくる様を思い出して軽く笑う。
「では、せっかくだからお言葉に甘えてしまおうかな」
それからリビングに戻って行われた容疑者たちへの説明は、真崎主導で進んだ。
洗濯に出されていた礼子のシャツの襟に、万年筆のインクがついていたことを家政婦の一人が証言。後で染み抜きをするために取り分けられていたシャツは、証拠として確保することができた。
暴かれていく真実に対して礼子がいっさいの否定も肯定もせず黙秘を貫いたことにより、逮捕劇は粛々と終わりを迎えた。
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