異能捜査員・霧生椋

三石成

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1巻 緑青館の密室殺人

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「高校は行けるようになったのかい? 君の様子は気になっていたんだけどね、いつまでも、ひとつの事件の被害者に会いに行くことはできなくて」

 どこか申し訳なさそうにそう告げる真崎に、椋は首を振る。

「いえ結局、高校は中退しました。気にかけていただいて、ありがとうございます」

 ただの刑事とその担当事件の被害者という関係性において、真崎が犯人逮捕以外にできることなどない。そして、すでに真崎は自らの責務を果たしている。椋のどこか達観したような感謝の言葉を締めくくりに、また少しの間、沈黙が続く。
 と、気まずいタイミングを見計らったかのように、皿に乗せたホットサンドと、椋専用のカップに入ったコーヒーを、広斗が両手に持って運んできた。

「椋さん。コーヒーと、ホットサンドです」

 広斗は言いながら、一つずつコトンと小さく音をさせてテーブルの上へと置いていく。カップの取っ手は椋から見て右手に向ける。そうすることで、椋が物の位置を把握できることを知っているのだ。

「ありがとう。いただきます」

 椋はさっそくホットサンドへと手をのばす。食パンの耳をつけたまま焼き上げているホットサンドは、持っただけでたっぷりと中に詰まった具材の重みが手に伝わった。歯を立てると、カリッと小気味好い音が響く。中に入っているのは卵フィリング・ハム・チーズ・アボカド。それぞれの具材の味はブラックペッパーを効かせていて、ホテルで出てくるもののような、本格的な味に仕上がっている。

「ちょっと焼きすぎちゃったかな。もう少しふんわりさせてもいいかなと思ったんですけど」

 広斗は反応を窺うように椋を見る。

「いや美味しいよ。焼き加減はちょうどいい」
「うん、見ているだけでも美味しそうだ。わたしも頼めばよかったかな」

 真崎の少し冗談めかした言葉に、三人の間に小さく笑いが漏れる。先程までの気まずい空気が払拭された。

「広斗は料理が趣味なんです。いつも美味いもん食わしてもらってますね」
「わあ、嬉しいこと聞いちゃいました」

 言葉どおり嬉しそうに声を弾ませ、広斗は椋の横へと腰掛けると、興味深そうに真崎のことを見つめる。

「真崎さんと椋さんは、どういうお知り合いなんですか?」

 広斗は昔から、話す人の目をまっすぐに見る。そう教育されて育ったためについた癖のようなものだが、真崎のことは、よりいっそう見定めるように観察していた。

「真崎さんは、あの事件を担当してくれた刑事の一人なんだ」

 椋がホットサンドを嚥下し説明する。コーヒーカップに手をかけ、一口飲んで喉を潤してから言葉を続けた。

「あのとき、俺が幻覚で犯人を見たことを、唯一本当に信じてくれた人で……真崎さんが捜査方針を変えて、犯人を捕まえてくれたんだ」

 事件の直後、椋は精神状態の不安定さから入院していた。警察はその間に捜査を進めており、椋も数多くの事情聴取をされた。
 医者やら刑事やら、あらゆる人間が入れ替わり立ち替わりで病床にやってくる。トラウマに苛まれながらも、家で実際に見た光景と、幻覚の中で見た光景の違い、そして犯人の姿について、椋はできる限りの言葉を尽くして何度も説明した。自分は犯人の顔を見ているのだという自覚があり、犯人を捕まえて家族のかたきを取って欲しいという切なる想いがあったからだ。
 しかしほとんどの者は、椋の言葉を信じなかった。一見親身になって話を聞いてくれたとしても、それは彼の治療のために、信じたふりをしているだけだった。彼の話はただの幻覚で、その精神不安からくるものだと、まともに取り合ってもらえなかったのだ。
 そんな中、椋の言葉をすべて信じた唯一の刑事が、ここにいる真崎だ。彼は連日椋の病院に足を運んで捜査状況を報告し、犯人逮捕にまで漕ぎ着けた。
 椋が手短に説明をすると、真崎は穏やかな笑みを浮かべる。

「たしかに手錠をかけたのはわたしだが、犯人を見つけたのは、間違いなく椋くんの力だよ。……実はね、今日わたしがここを訪ねたのも、椋くんのその力について、お願いがあるからなんだ」
「お願い、ですか?」

 いよいよ話が本題に入ったのを感じ、椋は、齧っていたホットサンドを皿に下ろした。横に座る広斗の体が僅かに強ばる。
 真崎は椋を見つめたまま話しはじめた。

「このたび、刑事課の中に新しく『異能係』という係が作られることになってね。わたしがその係長に就任することになったんだよ」
「それは、おめでとうございます」
「ありがとう」

 昇進の話かと思って一応祝辞を述べた椋だったが、真崎の表情は浮かない。視覚を塞いでいる椋はもちろんその表情を目にすることはないが、声の調子から、彼が単純に喜んでいるわけではないことは察することができた。

「異能係は、警察内部にはない能力を持つ外部の者の力を借りて、いままでの捜査では解決の難しかった事件を解決しよう。と、こういう意図で作られた係なのだが」

 そこで、真崎はもともと低い声をさらに低めた。

「そのパートナーとして協力を要請する者が、いわゆる超能力を持つ、霊能力者なんだ」
「霊能力者」

 椋の隣で、広斗が何の感情もこもらない声で繰り返した。椋はその声音から、彼の戸惑いを感じ取る。椋自身も同じ気持ちだ。
 困惑気味の二人の様子に気づき、さらに真崎が説明を付け加える。

「SPTって、最近よくニュースになっているんだが、知らないかな?」

 問い掛けに、広斗が首を振る。この家にはテレビがなく、新聞もとっていないため、二人とも世間の情勢には疎い。しかし、椋はその単語をどこかで聞いた覚えがあり、曖昧に頷いた。

「名前だけは、耳にしたことがあるような気がします。不勉強ですみませんが、どのようなものなんですか?」
「FBIで、霊能力者を特殊捜査員として迎えたSPTというチームが結成されたのだが、このチームがすごく実績を上げていると話題なんだ。それを日本の警察でも取り入れようということでね。アメリカと同じ方式を採用し、霊能力者に捜査の方針を全面的に委ねるチームの運用が、今回実験的にはじまるんだよ」
「なるほど。そのSPTを日本版にしたものが、真崎さんが係長になられるという異能係なんですね」

 広斗がまとめた情報に真崎は頷いたが、そこで彼はいっそう表情を曇らせる。

「ああ。そのとおりなのだが……わたしはどうも、我々が協力を要請する霊能力者が信用ならないんだ」
「それは、俺からは何とも言いがたいですね」

 深く考える前に、椋は思わずそう呟いていた。
 自分の身に実際起こっている現象によって、世の中には科学では説明がつかないたぐいのものが存在することを、椋は身に染みてわかっている。だが同時に、一般的な感覚として霊能力者をいぶかしむ気持ちもわかる。
 しかし、過去に誰よりも椋の幻覚を信じて犯人逮捕に尽力した真崎が、霊能力者を受け入れられないと言っていることには違和感を覚えた。
 と、そんな椋の考えを察したように、真崎が言葉を続ける。

「ああ、一つ誤解はしないでもらいたいのだが、わたしも椋くんの力を目の当たりにしたことがある身だ。超能力が存在することはわかっているよ。そもそも、うちの署に異能係が作られることになったのも、わたしが係長に就くことになったのも、元を辿れば椋くんとのことがあったからなのだ。だが……」

 そこで真崎は一呼吸入れた。コーヒーを飲んでからカップを置いて両手を組み、テーブルに肘をつく。

「今回パートナーとなる霊能力者の名前を、宮司紫王ぐうじしおうという」

 椋ははじめ、告げられたそれが名前だと認識できなかった。

「宮司をしている方なんですか?」
「いや、彼本人は違う。宮司というのが苗字だ。紫の王様と書いて紫王が名前だそうだ」
「それはまた、漢字からしてもすごい名前ですね。芸名……? とかいうやつでしょうか」

 霊能力者の名を芸名と言うのかはわからないが、イメージのために本名とは違う名をつけている可能性はありそうだ。そう思って問いかけた椋だったが、真崎の返答は否だった。

「本名だ。御嶽神社おんたけじんじゃで代々宮司をしている家系の者で、警察上層部との付き合いも長いという話だ。それで今回、異能係の外部パートナー第一号として選ばれた。直接出会った相手の守護霊と会話ができるらしい」

 本物の刑事の口から、霊能力者だの、守護霊だのという単語がぽんぽんと出てくる。冗談を言われているような気にもなってくるが、椋は精一杯の誠意をもって、その言葉を聞いていた。

「真崎さんはもう会ったんですか? その、宮司さんと」
「ああ。まだ二十三歳の青年だが、実年齢よりもしっかりしていてね、物腰も柔らかく、人好きのする好青年という感じだったよ」

 真崎はそこで一度言葉を途切らせると、薄い微笑みを浮かべたまま、続く声のトーンに批判めいたものを混ぜる。

「会話をはじめてすぐ、わたしの守護霊と会話をしたのだと言ってきてね。わたしの娘を殺したのは、わたしの妻だと、大変な爆弾を落としてきたのだが」

 突然語られたショッキングな台詞に、椋も広斗も言葉を失った。
 そんな二人の様子を見て、真崎は笑みを深め、首を振ると、

「気を遣ってもらう必要はない。彼の言葉は嘘だ。わたしの娘は、事故で亡くなったんだ」

 と言った。その声には抑えきれない怒気を孕んでいる。
 椋は九年間真崎と会っていなかったし、あの事件のときも、真崎のプライベートなことはなにも聞いていない。そもそも彼に娘がいたことすら知らなかった。故に、彼とその家庭にどんなことがあったのかはわからない。しかし彼の口ぶりからすれば『真崎の娘が亡くなっている』ことは事実なのだろうと推測できた。

「……それで、宮司さん? のことを、個人的に信用がならないと?」

 椋からの問いかけに真崎は頷く。

「そうだ。だが、異能係は常識の観点から外れた事件を解決するチームだ。外部パートナーの能力を全面的に信じて捜査を進めていく必要がある。係長であるわたしがパートナーを信じられなければ、求められている真っ当な捜査を進めることはできないだろうと思う。だから……」

 真崎の視線が、目隠しで塞がれている椋の目元を、まっすぐに見据えた。

「わたしが信用している能力を持つ椋くんに、異能係の外部パートナーの一人として、協力を頼みたい」

 ここまで、自分に何の関係があるのかと思いながら語られる説明を聞いていた椋だったが、急に向けられた話の矛先に押し黙った。困るとか、嫌だとかいう感情の前に、まだ状況が飲み込めていない。すかさず反応を示したのは広斗の方だ。

「真崎さんって刑事さんですよね。でしたら、捜査する事件は殺人でしょうか」
「内容は多岐にわたるだろうが、大きいものは、そうだ」
「それってつまり、椋さんをわざわざ殺人現場に行かせて、人が殺されたときの光景を見せるってことですよね」

 椋が捜査で行うことの内容詳細を確認する広斗に、体を強張らせる椋の様子を見ながらも、真崎は言葉を重ねる。

「椋くんにとって、そうすることがどれだけ辛いかは、わたしも理解しているつもりだ。しかし、今日こうして椋くんの様子を見て、わたしはこの申し出が、椋くんのためにもなると確信したよ。いつまでも目を閉じ、家に引き篭もっているのは健全なことではないと、わたしは思う。外部パートナーになればもちろん警察から正式に報酬が出る。立派な仕事になるんだよ」

 真崎の言葉は、椋が常に感じ続けていた後ろめたさをグサリと刺した。そのまま黙りこくった椋とは対照的に、広斗は勢い込んで立ち上がり声を荒らげる。

「そんなのは、真崎さんの勝手な都合ありきの話じゃないですか。親切ぶってらっしゃいますけど、椋さんのことは俺が一番わかっています。突然やってきた貴方に、とやかく言われる筋合いはありません」

 広斗の低めた声や、ここまでの強硬な態度は、長年彼と共に過ごしてきた椋もはじめて接するものだった。だがもちろん、現職の刑事が一介の大学生に気圧される訳もない。真崎はソファに座ったまま、落ち着いた様子で広斗を見上げている。

「いまは広斗くんがいて、こうして椋くんの身の回りのこともできるから、それでいいかもしれない。けれど、広斗くんがいなくなったら、椋くんはこの家に、一生一人で閉じこもり続けるのかい?」
「俺は、椋さんのそばから離れたりしません。絶対に」

 間髪入れずに広斗が言い返す。言葉には揺るぎない自信が満ちていた。その姿を、真崎がどこか眩しげな様子で目を細めて見る。

「広斗くんは大学生だったよね? これから社会人になったら、勤務先が遠くなるかもしれない。仕事が忙しくなるかもしれない。色々な人と出会って、結婚するかもしれない。生活環境は間違いなく、どんどんと変わっていくはずだ」
「俺は……!」
「広斗」

 真崎の冷静な指摘に、さらに広斗の声が大きくなる気配を感じた。椋はそっと広斗の裾を引き、名前を呼んで止める。

「いいから」

 椋にとって、真崎が口にした内容はすべて腑に落ちることだった。わからされたというよりも、わかっていたこと。そして、ずっと考えていたことでもある。
 広斗は大学四年生だ。すでに今年の春先には内定も決まっていた。来年の春には卒業し、社会人になる。そうなれば、仮に同居をしたままであっても、もういまのように、椋の面倒をつきっきりで見るなんてことはできない。
 あの事件があった日から、椋はいつまでも世間の時間から外れて生きている。しかし広斗は、そういうわけにはいかないのだ。

「椋さん、俺は本気で一生……」
「その気持ちは嬉しいんだが、俺はお前を縛る存在ではいたくねぇよ」

 軽く笑いながら、椋は広斗の言いかけた言葉を受け流す。さらに続けて広斗の裾を引くと、彼は促されるまま、大人しくソファに座り直した。
 気まずい沈黙が流れる。
 椋は軽く咳払いをすると、一度姿勢を正してから顔を上げた。

「俺を過大評価していただいて申し訳ないのですが、俺自身は、これを能力だなんて立派なものだと思っていないんですよ」

 これ、と言いながら自分の目隠しをしている目元を指差す。その口元には、薄い自嘲の笑みが浮かんでいる。

「当時お話したことについて、真崎さんがどこまで憶えていらっしゃるかはわからないのですが。俺のこの目は、あの当時からなにも変わっていません。見ようと思って見ることもできなければ、見ないことを選ぶことすらもできないんです。自分の意思に反して、日常に支障をきたす程の幻覚を見るなんて、こんなのはただの障害だ。仕事にできるとも思えないし、真崎さんのお役には立てません」

 その言葉は、卑屈になっているのではない素直な椋の気持ちだった。
 返答ははっきりとした断りであるが、ここまで訪ねてきた真崎も、そう簡単に折れはしなかった。

「しかし、椋くんが見ているものはただの幻覚ではない。たしかに過去、実際に起こったことのある事実だ。それは、わたし自身が証明できる。先程も言ったが、九年前にあの事件の犯人を見つけたのは、間違いなく椋くんの力だ」

 再度繰り返される言葉に、椋の瞼の裏には男の顔が浮かんだ。父を、母を、姉を殺した、それまで一度も見たこともなかった男。しかし、もう二度と忘れることができない顔。
 脱衣所で姉の死体を見つけたあと、椋は、自分が見たものが何なのか理解ができなかった。ただ警察に通報し、現場に到着した警察官によって保護された。移動中を含め、入院先の病院でもさまざまな幻覚を目にし、自分の身になにか変化が起きたことを悟った。そして、病院の場所柄と絡んだ幻覚の内容や、看護師から話を聞いたこととを照らし合わせ、自分の幻覚がただの幻覚ではないことを完全に理解したのだ。
 後に警察で『霧生家惨殺事件』と名付けられたあの事件は、殺害方法に残虐の限りを尽くしていた割に用意が周到で、身元の特定につながるものを、犯人はなにも残していなかった。椋のスリッパが玄関からなくなっていたのも、犯人が椋のスリッパを履いて家に上がり、そのまま持ち去っていたからであった。
 そのため当初は、家族の誰かに怨恨えんこんのある関係者が犯人だろうと考えられ、身近なところから捜査が進められていた。椋の目撃証言がなければ、勤めていた会社が家に近かったというだけで、まったくの無関係だった男の逮捕には至らなかっただろう。
 真崎の説得の声には次第に熱が籠もりはじめる。

「たしかにこのお願いは、わたしの勝手な都合だよ。わたしが仕事を円滑に進められるように、君に協力をお願いしたいというだけの話だ。だけどこうして久しぶりに椋くんに会って、いまでも君が、この家に篭り続けていると知ってしまったから。外へ出るべきだと思うのも、またわたしの心からの気持ちだ。椋くんは、ずっとこのままで良いと思っているのかい?」

 椋は口の中に溜まっていた唾液を嚥下する。直視したくなかった自分の不甲斐なさや弱さを、真正面から突きつけられている。

「このままで良いとは、思っていません……。でも、俺の制御できない目がお役に立てるとも思いません」

 広斗は口を挟みはしなかった。ただ、膝のあたりで握った彼の手に、感情を抑えるように力が籠もり続けている。広斗は基本的に穏やかな性格をしており、普段の生活では苛立ったり、怒ったりということがほぼない。しかし、椋に関することとなると、過剰な防衛反応を示す。
 いま、真崎は紛れもなく椋を苦しめている。そのことについて広斗は怒っているのだ。真崎の言葉が善意から出ているものであろうが、言っていることが一般論として正しいものであろうが関係ない。
 椋の力のない返事に、真崎は少しばかり考えるように下を向いていた。だが意を決すと、ソファに置いていたジャケットを探り、そのポケットに手を差し入れた。

「力に自信がないというのが断る理由ならば。はじめからパートナーの契約を結ぶのではなく、まずはお試しという気持ちでいい。明日からはじまる事件の捜査に参加してみてはもらえないだろうか。明日の朝、九時に家まで迎えに来るよ」

 真崎は、ジャケットから取り出した名刺を広斗へと差し出した。広斗は一瞬思案し椋を見たが、なにも言わずに受け取るだけ受け取った。

「わたしへの連絡先は、いま広斗くんに渡したよ。今夜考えて、どうしても嫌だということなら、そこに電話をくれ」
「真崎さん、随分強引なんですね」

 その真崎の振る舞いに、椋は力を抜いて浅く笑う。

「うん。なんだかかすようなやり方ですまない。でもね、わたしは椋くんの力を信じているんだよ。君ならば、その力を人のために、有効に役立てることができるはずだ」
「人のため、ですか」

 いままで考えたこともなかった発想に、椋は思わず復唱する。
 真崎は力強く頷いた。

「椋くんにその力が宿ったのは、あの事件がきっかけだよね。そういった超常のことにうといわたしが言うべきではない、ということは百も承知の上で言うが。わたしは、亡くなっていった君のご家族が、椋くんに必死のメッセージを送った結果なのではないかと思うんだ」

 椋は無意識にそっと、下唇を噛んでいた。真崎が口にしたようなことを、いままで一度も考えなかった、ということはない。
 人はなにかの現象が起きたとき、それがまったくの偶然であったとしても、必ず因果関係を考えてしまう。
 例えば良いことが起こったら、そのとき持っていたキーホルダーをラッキーグッズだと捉え、悪いことが起こる前に横切った猫を不吉の象徴だと考えだす。事件が起こったときに力が宿れば、事件がきっかけだと思うし、その理由にも何らかの意味を見出してしまうのだ。
 だが結局のところ、なにが正しいのかはわかりはしない。それらはすべて、自分を納得させるためだけのものでしかないのだから。

「これだけの年月が経ち、それでもまだ椋くんにその力があるのなら。きっとその力は、無念の死を遂げた別の誰かの、それこそ必死のメッセージを受信しているということではないだろうか」
「そうでしょうか」

 椋は、心がどこか遠くに行くような感覚に囚われながら呟く。だが、次に続いた真崎の言葉に、ハッと息を呑んだ。

「犯人逮捕は、遺族の心を、ほんの少しだけでも癒やしてくれる」
「真崎さん……」
「わたしは、そう信じて刑事を続けている」

 強く言い切り、真崎はソファから立ち上がった。

「明日、迎えに来るよ」

 念を押すような真崎の言葉に、戸惑いながらも椋は頷く。

「わかりました」

 隣の広斗が椋以上に複雑な表情をしていたが、ついに口を出すことはなかった。
 真崎は再びジャケットを手に取り、柔らかく微笑む。

「明日は泊まりの支度をしておいてくれ。それでは、今日は失礼するよ。長らく邪魔をしたね」


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