蛇の花嫁

猫丸

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1.プロローグ

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 その山の中腹には、その地域の水源を守り、金運上昇、商売繁盛の神様として知られる『白蛇神社』と呼ばれる神社があった。
 この地域には昔から語り継がれている言い伝えがある。
 
 白蛇にあっても見て見ぬふりをしろ。
 白蛇が立ち去るまでその場で息を殺して待つのだ。
 白蛇に存在を気付かれてはいけない。
 白蛇を見たことを誰かに言ってもいけない。
 それを破ったものは…。

 ◇ 

 日はとっくに落ちていて辺りは暗く、人っ子一人いなかった。小さい頃、よく兄貴と遊んだ神社の前を足早に通り過る。
 俺、辰巳龍乃丞たつみりゅうのすけは、大きな体を強張らせながら差し迫った危機と対峙していた。
 
 「あ゛~、もう限界っ!誰も見てないしいいか」

 そう俺は急激に込み上げてきた尿意と戦っていた。あと五分も歩けば実家につくというのに、そこまではもちそうにない。寒さのせいもあって、さきほど飲んだビールが急速に膀胱に降りて溜まっているのを感じた。どこか良い場所はないかと視線を彷徨わせる。
 
 山の中腹にある標高の高いこの地域は、東京に比べて寒くなるのも早い。飲み屋の扉を開けた瞬間、突き刺すような冷たい空気に身体をぶるっと震わせ、(もう一枚着てくればよかった)と後悔した。
 風はすっかり秋めいている。前回母親の葬式で帰ってきた時にはまだ暑くて、吹き上がる汗を拭きながらこみ上げる涙をごまかしたというのに。
 道路脇の草木がゆらゆらと揺れ、カサカサと枯葉が舞っている。あたりはしんとしていて、夜行性の鳥の鳴き声、虫の音、風が吹くたびに草木がこすれる音しか聞こえてこない。
(相変わらず寂しいところだ)と思った。
 俺のアパートの周辺では、いつでも誰かが活動している音が聞こえている。まだ夜9時にもなっていないというのに、なんだこの静けさは。

 ===
 
 俺の実家は住んでいる人もほとんどいなくなった限界集落にあった。
 その集落には『白蛇神社』という蛇を祀った神社があり、金運や商売繁盛にご利益があると言われている。そのため、昼間は参拝に来る者もちらほら見かけるが、日が落ちると周囲は真っ暗になり、あたりをうろつくものは誰もいない。そもそもここへ来るための道路だって狭くて最低限の外灯しかないのだ。時折見かけるのは野生の動物だけ。神社の裏には鬱蒼と茂った木々と、その中には禁足地となっている場所がある。
 そこにはこの地域や山裾一帯の水源となっている湧水を湛えた池があるらしい。ただ、俺は見たことがない。昔からこの地域のしか入れないとなっていた。それも年に一回の地域の一斉清掃の時と不測の事態の時だけ。
 小さい頃は『禁足地に入ると神隠しにあう』と両親にきつく言われた。俺も子供の頃は素直に信じた。だが、霊やお化けを信じなくなってからは、子供がそこに入らないようにするための脅しだったのだと気づいた。
 だからといって、そこに入ろうとは思わなかったが。
 そのエリアは複雑な地形で本当に危険な場所なのだと思う。実際ここに住んでいた子供時代にも、山菜狩りやきのこ狩りにきた外部の人間が過って足を踏み入れ、行方不明となったことが何度もあった。警察・地域の人が連携して一緒に捜索が行われたこともあったと記憶している。中には残念ながら帰らなかった人もいたはずだ。
 そんな危険な地域なのに加えて、ここから校区の小中学校へ通うにも1時間近くかかる。若い者は便利な市街地へと出ていき、集落には年寄りだけが残った。
 残った彼らも寿命やら、市街地に住む子供の近くへ移り住んだりと、徐々に減っていく。
 そう言う俺も大学進学をきっかけに都会へ出ていったうちの一人。もう20年以上も前の話だ。
 43歳で独り身の次男を心配して連絡してくる両親に「兄貴の家に近くて、病院にも行きやすい町の方へ住んだらどうだ」と言い続けていた。離れていても向こうが子供を心配するように、俺も衰え始めた両親を心配していた。だが、彼らは頑なにこの地を離れなかった。
 そんな父親も2年前に亡くなり、後を追うように母親も今年の夏に亡くなった。
 また一つ、また一つと集落の灯りが消えていく。

 今回めずらしくまとまった休みを取って帰省したのは、実家の荷物整理のためだった。
 久しぶりに実家に帰ってみれば、人が住まなくなってまだ日が浅いというのに、命を失ったかのようにくたびれた家屋がそこにあった。いつのまにか黒ずんだ壁、薄っすらと埃の被った家具。これが主を失った家のもつ雰囲気なのか、それとも自分が去ってから過ぎたの長い時間のせいなのか。
 会う度に「早く結婚して子供を作れ」としつこく言っていた両親。煩わしく思っていたそのお小言ももう聞くことはできないのだ。
 二人がなくなってやっと時間を取って帰省するなんて、我ながらなんと親不孝なのだろうと思う。
 あまり帰っていなかったとはいっても、当然ながら親に対しての愛情も感謝の気持もある。たくさんの思い出も。一人で平気と思ってはいても、やはりどこか親が生きていて、存在してくれることで薄れていた孤独感もあるだろう。親だけは俺を見捨てない、と。
 今更ながら失ったものの大きさを感じる。今回の帰省でこの虚無感を少しでも慰め、これから一人で生きていくために気持ちの整理をつけよう。

 そう思い、実家の自分の部屋の片付けをしていると、ふと、今まで当たり前のように出てきた食事が出てこなくなったことに気づく。この地域には当然近くにコンビニなどない。少し腹が減ったことに気づいて思案していると、兄貴から「たまには思い出話をしながら二人で飲もう」と、実家から一番近い飲み屋に誘われた。

 6つ上の兄貴は早くに結婚して、子供もいる。「奥さんや子供はいいのか」と聞いてみれば、子供はもう成人して手が離れているし、俺が出かけるといえば、奥さんの方が喜んで送り出してくれくれたと苦笑いをしていた。

 店は地元の人しか来ないような古びた小さな居酒屋。カウンター5席と、4人がけのテーブル2席程度しかない。
 テーブルには別の客がいて、年配の老夫婦とその子供夫婦らしき人で盛り上がっていた。あとは、カウンターの隅でちびりちびりと日本酒を飲んでいる爺さん一人。
 俺たちは空いているもう一つのテーブルに座り、ビールを飲みながら焼き鳥やレバニラをつまみに、思い出話に花を咲かせる。
 
「お前、よく怪我した動物拾ってきてはお袋に怒られてて。最後は手慣れてきて、自分で治療してたよなぁ。手先も器用だったし。だからお前、将来は絶対獣医になるんだろうとみんなで話していたんだがな」
「はは、そういえばそんなこともあったかな?昔のこと過ぎてあまり良く覚えていないな。治療って言ったって子供の頃だから薬塗って包帯巻いての真似事だろ?あの頃の興味なんて、コロコロ変わるからすぐに飽きたんじゃないかな」
 
 ちくりとなにかが引っかかった。言われてみれば小さい頃は確かに動物好きだったような気がする。だが今はどちらかと言うと苦手だ。なにかきっかけがあったはずだが思い出せない。
 
「いや、よかったよ。親父もおふくろもいつお前が動物追って禁足地に入り込むんじゃないかとヒヤヒヤしていたからな。それによく近所の人に『うちの次男は東京の大きな会社で働いてる』って自慢してたよ」
「はは、恥ずかしいな。そんなんじゃないんだけどな。…でもさ、兄貴、親父やおふくろのこと、全部やってくれてありがとう。俺、何もしなくてごめん。全然帰っても来なくて…」
 鼻の奥が少しツンと痛くなった。
「気にするな。忙しかったんだろ。俺のが近かったんだし当然だよ」
 
 兄家族は実家のある集落にこそ住んでいないものの、実家から車で20分程度の場所に住んでいた。
 それをいいことに俺は親の通院に看病、家のことすべてを兄家族に丸投げして、都会での生活を楽しんできた。ほんの少し罪悪感を感じながら。
 
 仕事が忙しかったのもあるが、帰る度に「早く結婚しろ」と両親からせっつかれるのも心苦しかった。紹介できる相手がいたらどんなにいいか。
 若い頃はそれなりにパートナーもいて、一時期は親にカムアウトと同時に紹介しようと考えた相手もいた。だがここ数年、特定の相手はいない。
 男だとか女だとか、性別の問題ではなく、俺は誰かと一緒にいるのは無理なのだろう。
 一人で過ごす時間が長くなればなるほど、孤独にも慣れ、表面的な付き合いで満足できるようになる。故郷への思い入れはだんだん薄れていった。
 気がつけばこの地を離れてからの時間のほうが長くなった。
 そろそろこの地に残してきた学生時代の思い出ともお別れする時期が来たのだろう。
 兄貴と話しているとそんな思い出も昇華できる気がした。

 考えてみれば、高校を卒業してこの地を去ってから、本当に僅かな時間しか親と顔を合わせてこなかったと、兄貴の話を聞きながら思った。
 今になってもっと顔を見せておけばよかったと後悔する気持ちが湧いてくる。
 そんな感傷に浸りながら酒を煽っていたせいか、思ってた以上に飲んでいたらしい。
 「タクシーを呼ぼうか?」という兄貴の気遣いを断って、店の外に出る。想像していた以上にあたりは真っ暗だった。ひんやりとした空気に少し酔いが覚めるのを感じた。すぐに断った事を後悔し、店に戻ってタクシーを呼ぼうかと一瞬思ったがやめた。兄貴の帰る家は逆方向だったが、兄貴も酔い覚ましに歩いて帰るといったからだ。
 暗いとはいえ歩けない距離ではなかった。小中学校とずっと通った道だ。
「龍乃丞が滞在している間に、休みとって片付け手伝うよ」と兄貴が言い、俺たちは笑顔で別の道を進んだ。

 ===
 
 冷たい風にふるっと身体を震わせながら、ズボンを下ろし、柔らかい性器をとりだす。ペニスが冷たい空気にさらされ、陰嚢と肛門がきゅっと縮まったのを感じた。
 尿はもう先端まで来ていて今か今かと吐き出されるのを待っている。
 こんな山の中、誰もいるはずもないが、周りの気配を一応確認した。大丈夫、誰もいない。
 体勢が整うと、膀胱に溜まっていた黄色い液体が道路脇の草むら目指して勢いよく飛び出してきた。

 あたりは暗く、最低限の外灯しかない。俺の姿も闇に紛れているだろう。
 カサカサと葉や枝の擦れる音。ほうほうと夜行性の鳥の鳴く声。りんりんと虫の音がする中に、ショロロロロと放尿の音が混じる。

――――がさっ

 向こうの背丈の高い草が揺れ、暗闇の中で何かが動いた。
 野生動物かと思ってそちらへ視線を送ったその時。

「え?」

 一瞬の間に、俺の上半身はなにか大きなものに飲み込まれた。眼の前が真っ暗になる。生暖かいなにかに包まれたのがわかった。俺の頭のほうが狭くなっていて、腕や胴体の方は上下から挟まれた。ぬちゃっとした液体が身体にまとわりつき、太ももと臀部の付け根辺りになにか固いギザギザしたものが刺さった。
 もがくと上下の圧迫が強まり、よりギザギザが食い込む。出している途中の液体が辺りに飛び散る。

「食べられる!」

 とっさに思った。
 だが、その物体はそれ以上圧力をかけてくることなく、自分を咥えたまま、どこかへ移動しようとしているのがわかった。途中までおろしていたズボンが足首の方までずり落ちる。だがそれを気にする余裕などない。
 身体の動かせる部分を必死に動かして抵抗を示すが、それも僅かな時間だけ。
 呼吸が詰まり、意識が遠のいていくのがわかった。
 その物体は俺が抵抗をやめたのを感じ取ると、そのまま暗闇へと消えた。俺を咥えたまま。

 
 その場にいつもの静寂が戻る。鳥や虫の音。草木のこすれる音。まるで何事もなかったかのように。
 だが間違いなく、今、そこに誰かがいた事を示すように、道路の脇の草むらからは、まだほんのり湯気が上がっていた。
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