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4.王の願い
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どれ位の月日が経ったのか。扉は相変わらず開かなかった。
もしかしたら、このままずっと二人でいられるかも。ずっと悠紀に愛されたまま生きていけるかも、日を重ねるごとに、そんな淡い期待と油断が生まれてくる。
神託なんて下りなきゃいい。
俺は書庫にあった過去の記録で、扉が開くヒントを見つけていた。
『王の願いが叶う時、扉が開く』と。
古い和綴じの紙に書かれたその一文を読んだ時、俺は愕然とした。悠紀には言えなかった。
悠紀は俺が聞きもしないのに、自分の気持ちを信じてほしいと言い続けた。昔から俺のことが好きで、ずっと俺を手に入れたかったのだと言う。
その言葉を聞く度に俺の胸は痛んだ。
悠紀の願いは叶っている。だが扉は開かない。その願いはきっと俺の異能が見せている幻。まがいものだから開かないのだ。
一緒にいればいるほど、悠紀のことを好きになる。今までの相手と違って、盲目的に俺を求めるわけでもなく、時々わがままを言ったり、俺をからかってきたり、困らせたりもする。
でも気軽に言いたいことを言い合える、それがとても楽しくて、こんなにも普通のやりとりに飢えていたのだと痛感する。こんな状況下で、俺の求めていた『普通』を理想の相手が与えてくれるのだ。好きにならないほうがおかしい。
だからこそ、俺がこの幸せを維持するためには、王の本当の願いは聞けない。叶えてはいけない。
ずっと愛を受け取る側だった俺は、自分が伝える方法なんて知らなかった。こうやって黙り込むことでしか相手を繋ぎ止めておけない。
だが、終わりは突然やってきた。
さんざん抱き潰された日の翌朝、悠紀はまだ夢心地の俺に唇を重ねるだけの軽いキスをして、そして聞いた。
「ここを出ても、ずっと一緒にいてくれますか?」
「あぁ、俺もお前とずっと一緒にいたい……俺もお前を愛してる……」
ずっとはぐらかしていた言葉。寝ぼけていたのと、堪えきれない愛しさで、思わず本音が漏れた。
そして、俺と悠紀以外の声が聞こえた。
―― 神託が下りました。これで儀式は終了です。
◇
俺達にはいつ神託が下りたのか、その神託とは何だったのかは知らされなかった。
儀式の間から出された俺達。行きの時に通ったあの道はどこに行ったのか、扉を出ればすぐに神門の前にいた。
いつから待っていたのか、そこには俺達を迎える神主と左右の代表がいた。
王である悠紀は、彼らに連れられてどこかへ向かった。異能の王である以上、まだ何らかの儀式があるのだろう。
俺はなんとなく手のひらを見た。この身体の軽さ。異空間から戻って来た違和感だけではない。
俺の身体から、異能が消えている。なぜだかそれがわかった。全て終わったのだ。
「お疲れさまでした」
ぼんやりしている俺に桐谷が声をかけてきた。
「あぁ…………お前、煙草……持ってるか?」
桐谷がスーツの胸のポケットから俺に煙草を差し出した。俺がいつも吸っていた銘柄。
久しぶりに吸う煙草。吐き出した紫煙が、曇り空に混じって消えていく。あいつの本当の願いとは何だったのだろう。あんなに一緒にいたのに、俺は何も知らない。最後どんな表情をしていたのかすら思い出せない。
「まず……」
今まで考えもせずに吸っていた煙草の味に顔をしかめる。
その1本を吸い終わる頃には、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。
◇
「若間さん、この間も断られたし、今日こそ、皆で一緒に飲みに行きませんか?」
週末の、もうすぐ終業という時間帯、俺のチームの長で、年下の上司、木戸が俺を誘ってきた。
「あー、俺は…………いや、でも……そうですね。今日は付き合わせてもらいます」
俺は一瞬迷った。ボロが出そうで怖いけれど、円滑な職場の人間関係のためには多少の付き合いも大切だと何かで見た。少し不安を感じながらもそう答えれば、どうやら様子を見守っていたらしい近くの席の方からホッとしたような声が聞こえた。
どうやら俺の返事は正解だったらしい。俺もいい加減『普通の人間関係』に慣れなきゃいけない。
あの異能の王決定戦が終了して、俺は右門の家を出た。以前のような物理的な話ではなく、異能者としての登録も抹消された。
完全に異能を失ったのか確認のため、一定期間監視対象にはなっているらしいが、俺と右門とのつながりは、ただ純粋に血縁関係のみ。
そして『若間』という新しい姓を貰い、地方へ引っ越して、大きくも小さくもない会社へ入った。始めは会社勤めなんて俺にできるのか不安だったが、不慣れながらもまぁなんとかやっている。
あれ以来悠紀には会っていない。桐谷からは、ヒダリから問合せがきたら連絡先を教えて良いか聞かれたが断った。
怖かった。異能がなくなり、あいつから冷めた目で見られるのが。それにもう異能の影響は消えている。どうせ来るはずもない連絡を待って苦しむより、いっそのことなんの期待もせずにいたほうが良い。そのために住み慣れた地を離れたのだ。いつかこの胸の痛みも、この恋心も忘れる日が来る。
「若間さん、会社には慣れました?」誘ってくれた年下のチーム長、木戸が聞いてきた。飲みの席には俺と木戸の他にも林と森という、男女社員が一人ずつ参加し、計4名で飲んでいた。
「あ、ありがとう、ゴザイ、マス……」
ちょうど全員分のビールが届いて配られた。皆俺より年下。でも先輩。人との距離感がわからない俺に、更に難易度の高いメンバーだった。
「全員年齢も近いし、もっと気楽にいきましょうよー」
木戸が上手に会話を盛り上げてくれて、この地方の話とか、仕事の話とか、俺以外のプライベートな話とか、当たり障りのない会話が続いた。あぁ、これが普通なのだと、俺もいつの間にか笑っていた。
少しほろ酔いの帰り道。木戸とは方向が同じらしく、途中まで一緒の方向のタクシーに乗った。
「あの……俺、ずっと謝りたいなって思ってたんですけど、俺、始めすごく嫌なやつだったでしょ?」
「……え?」
俺は自分のアパート付近になったら、運転手に指示できるようにと外を見ていた視線を木戸に向けた。
「俺、年下だけど、若間さんの上司になるからって、始めちょっとイキっちゃって、ナメられないように口調キツかったかな……って」
「いや、それは、俺が仕事ができなかったから……」
確かに当たりはキツかったけど、まともに会社勤めをしたこともなく、『魅了』の異能のなくなった俺なんてこんなもんかな、と思っていた。むしろ何も知らない俺にきちんと仕事を教えてくれて感謝している。
「きっと会社によってやり方が違うところもあったと思うんですけど、『うちの会社のルールに従え』なんて、ちょっと偉そうなこと言っちゃって、ホントすみませんでした。……でも今は若間さんがうちの会社入ってくれてよかったなって思ってます。真面目だし、仕事も丁寧だし。来週からもよろしくお願いしますね!」
木戸の誤解を解く前に、タクシーは俺のアパートの前に着いた。俺を降ろしてタクシーは去っていく。
誠実で真っ直ぐな年下の上司。まだ少し頑張れそうな気がした。
まだ酔いが覚めぬままベッドに寝転ぶ。木戸のおかげで少し心は軽くなったが、一人になるといつもの思考に陥る。
この地に引っ越してきた翌日、新居の買い物をしていた時だった。かつて付き合っていた男に偶然会った。
あれだけ俺がいないと生きていけないと縋っていた男が、別の男と楽しそうに歩いていた。俺と目があったのに俺の存在に気づきもしなかった。
きっと悠紀もそう。俺のことなんてもう、なんとも思っていないだろう。
一人になって考えるのは、あの儀式の間での幸せだった日々。あの異能は能力者の俺にすら夢幻を見せていたのだ。
自然と涙が出てきた。だが俺は知っている。この想いは絶対に叶うことはないのだと。
それでも、やることがあるのは幸せだと思う。どんなに辛いことがあっても、どんなに胸が痛んでも忙しく日々が過ぎていく。
月日が経って、少し心も落ち着いてきて。
あれだけみんなに愛を請われていた俺が、たった一人の『本当に愛する人』になれなかった胸の痛みも少し和らぎ、人生なんてそんなものだ、と諦めもついてきた。
鏡に映った自分を見て自嘲気味に笑う。
俺を好きだと言ってくれていた元カレ達は、すべて異能に惑わされていただけだったのだ。これが俺の本来の姿だ。
だが異能がなくとも誠実に対応していけば、依存などとは異なる穏やかな人間関係は築いていける。木戸のあの時の謝罪は、今の俺を救ってくれた。それまでの俺の世界がおかしかったのだ。
きっといつか傷も癒えて、また新しい恋でもできるかもしれない。
いや、その頃にはますますおっさんになっているから誰も相手してくれないか。
鏡に写った自分の頬を撫でた。
あぁ、それか最近流行りの推し活もいいかもな。
そう思いつけば、勝手にふふっと笑いが溢れた。
あの飲み以来、木戸はもちろん、林、森とも気安くなって、時々ランチに行ったり、飲みに行ったりするような良い同僚となった。
今日も木戸とお昼を食べてきた帰りだった。林は新しく入った社員と外回りに出ていて、森はお弁当を持ってきていたので、二人で近くの食堂に行っていた。街路樹の花も咲き始めて良い季節だった。
今日の話題は木戸の恋愛話。木戸には長く付き合っている彼女がいて、結婚前にお試しで同棲して、大丈夫そうなら結婚したいのだという。
「でも彼女が結婚前提じゃないと、同棲しないとか言ってて、でもそんなこと言って生活が合わなかったらお互いバツがつくわけだし。若間さん、どう思います?」
「はは。恋愛ベタな俺に聞いてもわかんないよ……」
恋愛相談なんか俺にできるわけもない。好きな人と言ったら俺は悠紀しか思い浮かばないし、あの儀式の間の異常な生活を同棲と言ってよいのかわからない。
「えー、若間さんってかっこいいし、絶対にモテてきた……」
会話の途中で言葉が途切れた。会社の前に大きな黒塗りの高級車が停まっていて、空気を読んだのだ。社長をはじめ、役員数名もその前で待っている。
そういえば、今日の午後大切なお客様が来るって朝礼で言ってたな、と思い出した。
木戸の肩を軽く押して、来客の邪魔にならない様、端へ避けると俺を呼ぶ声が聞こえた。
「主基さんっ……!!!!」
聞き間違えるはずのないこの声。高級車の後部座席から飛び出し、驚く俺の二の腕を捕まえたのは……
「悠紀……?」
(なぜここに? 大学生じゃなかったか……あ、卒業したのか?)
時が経ったのを感じる。久しぶりの悠紀はとても怒っていた。だがもう会うこともないと思っていた、見つめてくれることもないと思っていたその瞳に自分が映っている。俺という存在を忘れることなく覚えてくれていた。それだけで心が跳ねた。
「この人は僕のだから……」
唸るように発された言葉。なぜか木戸に怒りをぶつけている。木戸も戸惑いながら「はぁ……」なんて間抜けな返事をしていた。
社長や役員も何事かと俺達の周りに集まってきて、俺はいたたまれなくなった。
「悠紀さん、彼のことはこちらで確保しますので、まずは会合を……」
悠紀の秘書らしき人物が、俺を掴んでいる悠紀の腕に触れた。
「……ムリです。知っているでしょう? ずっと探していたんだ。会合よりこの人が優先です」
戸惑う周囲。俺を睨むように見つめる悠紀の秘書と、俺に救いを求めるように見つめてくる社長連中。
何もできない俺を雇ってくれて、こんな温かい職場や同僚を与えてくれた会社や仲間に迷惑をかけるわけにはいかない。
「悠紀……俺は逃げないから、ちゃんと仕事をして来てほしい。お願いします……」
俺は頭を下げた。俺の頭を上げさせようとする悠紀。だが、それでも頭を下げていれば、逃げないように俺に念押ししながら、渋々頷いてくれた。
そうして俺達は、一行の後に続いて社内へと入った。
「木戸さん、なんか、ごめんね」
そう小声で謝れば、前を歩いていた悠紀が振り返り木戸を睨んだ。
会議には俺も参加させられた。させられた、というか応接室の隅に座らされていた。まるで美術館の監視員のように気配を消して、ただそこに。
時折ちらちらと来る視線が痛い。俺は気づかないふりをして思考を巡らす。
間違いなく悠紀は『僕のだから』と言った。思い出すだけで胸がときめく。だが期待してはいけない。俺にはもう人を魅了する異能などないのだ。ただ普通のおっさん。こいつの周りには異能などなくとも人を魅了する人物がたくさんいる。現に隣りにいる秘書だって男前じゃないか。
俺が秘書を見ているのに気づいた悠紀が、無言でこちらを睨んできた。俺は慌ててうつむく。
(男なら誰でも良いのか、と思われたかもしれないな。いや、そもそもあの儀式の間で俺の異能を黙っていたことを怒っているのかもしれない。そのせいでこんな冴えないおっさんとセックスしてしまった事に対する怒りか?)
考えてみればそれが一番しっくりくる答えのような気がした。異能者に異能は効きづらい。それでも全く効かないわけではない。だからこそ、他者の異能の影響を受けた時、負けたような気分になるのか、不快感をあらわにする人も多い。
悠紀の怒りもきっとそういった類。ただひたすら謝るしかないか。
商談は異様な雰囲気ではあったが、問題なく終わったようだ。役員連中の表情を見て、俺もほっと息をついた。俺のせいで迷惑をかけたくない。
そして、俺は時間休を取らされて、悠紀の滞在するホテルへ連れて来られた。
会議用テーブルまであるスイートルーム。そのテーブルの横に並ぶ椅子に座ろうとして、三人掛けソファの方へ促された。そしてその隣の一人掛けソファにどかっと座る悠紀。
先程よりも更に隠す気のない怒りをぶつけてくる。
「あの……儀式の時は申し訳なかった……」
俺は先に謝った。
「……儀式の時?」
「その……俺の異能を隠していて……」
悠紀がどんっとテーブルを叩いた。俺はびくっとして黙りこんだ。
「主基さんは、何にもわかってない……。隠れていたのは、ミギの指示? 左右? あぁ、それとも政府の手心も加わっていたんですか?」
「隠れて……なんて……」
悠紀が俺の前に移動し、うつむく俺を下から覗き込んできた。そのまま立ち上がり、指先で俺のおでこをかるく押した。俺は抵抗せずに、そのままソファに押し倒された。緩められるネクタイと、ワイシャツ。
「もう異能はなくなったんだから、僕だけのものですよね? それとも記憶も消さないとだめなのかな? そこまでしないと……僕だけのものになってくれないの……?」
俺の額の生え際から髪を梳くように指が通された。ぴりぴりと電流のような何かが流れるような気がした。そして、俺の頬に落ちる、悠紀の涙。
「悠紀……? お前、何言って……」
「ずっと一緒にいるって言ったのに……!! 愛してるって言ってくれたのに、嘘つき……!!」
思い切り首筋に噛みつかれ、俺は痛みで呻いた。
「痛っ……!!」
「大丈夫です。この痛みも、誰がこの傷を付けたのかも、すぐに忘れますから……目が覚めたら僕だけのものになっていますから……だから、力を抜いて?」
身体を身体で抑え込み、首筋から流れ出た血を舐めながら悠紀はつぶやいた。頭皮に触れている指の刺激が更に強くなって、一瞬気を失いかける。
「待て!! 悠紀!! お前は誤解してる!! 俺の話を聞けって!! 俺は、お前のことが好きだ!! 愛してる!!」
俺は叫んだ。なぜだかわからないけれど、今ここで言わなければ二度と伝えることは出来ない、そんな恐怖を感じた。
そして、異能を失ってすっかり自分に自信をなくした俺だったが、ここまで言われればわかる。なぜか悠紀は今でも俺に執着していて、異能を黙っていたことではなく、最後の約束を守らなかったことに怒っているのだと。
「またそうやって適当なことを……あなたは……本当に……どこまで僕を……」
手を止め、ぼたぼたと涙をこぼす悠紀。俺は悠紀を抱きしめた。
「適当じゃない。信じられないなら、俺の記憶を消してもいい。でもその前に俺の話を聞いてほしい……」
返事はなかったが、俺の首筋に顔を埋めたまま、悠紀は動きを止めた。
「俺は、儀式の間を出た後、お前が俺を探すとは思わなかったんだよ。『魅了』の異能が冷めて終わりだと思った……」
「それで、僕の機嫌を取るためにあんな……口からでまかせを……? 扉を開けるために? 主基さんは、『王の願いが叶う時、扉は開く』って知っていたんでしょ? だから……」
俺の腕の中で、悠紀が震えている。納得はできていないようだが、指先からは力以外のなにも感じない。むしろ俺を傷つけないように我慢しているのがわかった。
「でまかせじゃない。確かに俺は扉を開ける方法を知っていた。……だからお前に何も聞かなかっただろ? 俺は俺のエゴで、お前の願いを叶えるわけにいかなかった」
「それってどういう……?」
悠紀が顔を上げて、俺の目を見た。10センチ程度の距離。涙で潤んだ瞳に俺が映っている。俺が想像の中で怯えていたような冷たい瞳ではなかった。
「俺だって、できることならお前とずっと一緒にあの場にいたかった。でも図らずも扉は開いた。……あそこを出た後、俺は、お前から熱の冷めた目で見られるのが怖かったんだよ。俺もお前のことが好きになっていたから、異能が消えて、それは仕方のないことだとわかってはいても……それは……耐えられなかった……でも……」
「もともと主基さんの異能なんて、効いてなかった……」
「あぁ、そうだな……。今ならわかる。お前は異能なんて関係なく、俺を愛してくれていたんだな……気づかなくてごめん。でも、それなら……今でも俺を好きだと言ってくれるなら……いや、お前が俺を好きだろうが、嫌いだろうが、関係ないな。俺はお前が好きだ。あの儀式の間を出てから一度も、お前を思い出さなかった日はないよ」
「本当に……? 本当に僕だけのものにしていいんですか?」
「お前が望むなら、いいよ。もし記憶を失っても、俺はまたお前を好きになるよ。それだけは言っておきたかった。ほら、いいぜ。『消去』しろよ」
悠紀の身体がびくんと跳ねた。
「知って、た……?」
「はは、さすがの俺もここまでされたら気がつく。お前の異能『浄化』じゃなくて『消去』だろ? 俺の異能を消してくれたのも、その能力だ。あの異能の王決定戦のせいじゃない」
物理的なものだけではない。相手の異能や記憶をも消す能力『消去』
『魅了』よりももっと恐れられている能力がまさか同じ時代に顕現していたとは。
この能力を持っていたのなら感情コントロールの難しい小さい頃はきっと周りから恐れられていただろう。だから親父は俺を悠紀の遊び相手にしたのだ。
「消したこと……怒ってないんですか?」
「いいや。むしろ感謝している。お前のお陰で狂気から開放されたんだ。ありがとう」
「勝手に、すみません……でも、もう、主基さんが僕以外の人に抱かれるのが……人のものになるのが耐えれなくて……」
悠紀は俺の胸の中で子供のようにおいおいと泣いた。俺はその背中をぽんぽんとなだめ、照れながらも言った。
「しょうがねぇ、お前のものになってやるから、お前も、俺だけのものになれよ?」
悠紀はがばっと顔を上げ、ぽかんとしばらく俺の顔を見つめると、涙を拭いて笑顔で唇を重ねてきた。
その後は、皆様のご想像通り。足腰が立たなくなるまで、愛されまくったとさ。
◇
「そういえば、神託って結局なんだったの? お前、聞いてる?」
情事が済んでもなおベッドの中で身体を絡めながら、俺はふと思い出して聞いた。
「あー、えっと……」
歯切れの悪い悠紀から無理やり聞き出せば、どうやら神託というのは、王の願いと強くリンクするものらしい。
血の気の多い者が王になれば、その代は戦争に明け暮れ、金が好きな者が王になった代にはバブルが起こったという。
「ん? じゃぁお前の代はなんなんだ?」
悠紀が望んだものは……俺?
「主基さん、僕たちの役目は終わったし、もういいじゃないですか。そんなことより……」
唇を重ねられ、股間に手を伸ばされれば、すぐに反応する下半身。
愛しい相手が隣にいる。確かにそれ以外はどうでもいいな、と俺もすぐに思考を手放し、与え合う愛に溺れた。
(おしまい)
もしかしたら、このままずっと二人でいられるかも。ずっと悠紀に愛されたまま生きていけるかも、日を重ねるごとに、そんな淡い期待と油断が生まれてくる。
神託なんて下りなきゃいい。
俺は書庫にあった過去の記録で、扉が開くヒントを見つけていた。
『王の願いが叶う時、扉が開く』と。
古い和綴じの紙に書かれたその一文を読んだ時、俺は愕然とした。悠紀には言えなかった。
悠紀は俺が聞きもしないのに、自分の気持ちを信じてほしいと言い続けた。昔から俺のことが好きで、ずっと俺を手に入れたかったのだと言う。
その言葉を聞く度に俺の胸は痛んだ。
悠紀の願いは叶っている。だが扉は開かない。その願いはきっと俺の異能が見せている幻。まがいものだから開かないのだ。
一緒にいればいるほど、悠紀のことを好きになる。今までの相手と違って、盲目的に俺を求めるわけでもなく、時々わがままを言ったり、俺をからかってきたり、困らせたりもする。
でも気軽に言いたいことを言い合える、それがとても楽しくて、こんなにも普通のやりとりに飢えていたのだと痛感する。こんな状況下で、俺の求めていた『普通』を理想の相手が与えてくれるのだ。好きにならないほうがおかしい。
だからこそ、俺がこの幸せを維持するためには、王の本当の願いは聞けない。叶えてはいけない。
ずっと愛を受け取る側だった俺は、自分が伝える方法なんて知らなかった。こうやって黙り込むことでしか相手を繋ぎ止めておけない。
だが、終わりは突然やってきた。
さんざん抱き潰された日の翌朝、悠紀はまだ夢心地の俺に唇を重ねるだけの軽いキスをして、そして聞いた。
「ここを出ても、ずっと一緒にいてくれますか?」
「あぁ、俺もお前とずっと一緒にいたい……俺もお前を愛してる……」
ずっとはぐらかしていた言葉。寝ぼけていたのと、堪えきれない愛しさで、思わず本音が漏れた。
そして、俺と悠紀以外の声が聞こえた。
―― 神託が下りました。これで儀式は終了です。
◇
俺達にはいつ神託が下りたのか、その神託とは何だったのかは知らされなかった。
儀式の間から出された俺達。行きの時に通ったあの道はどこに行ったのか、扉を出ればすぐに神門の前にいた。
いつから待っていたのか、そこには俺達を迎える神主と左右の代表がいた。
王である悠紀は、彼らに連れられてどこかへ向かった。異能の王である以上、まだ何らかの儀式があるのだろう。
俺はなんとなく手のひらを見た。この身体の軽さ。異空間から戻って来た違和感だけではない。
俺の身体から、異能が消えている。なぜだかそれがわかった。全て終わったのだ。
「お疲れさまでした」
ぼんやりしている俺に桐谷が声をかけてきた。
「あぁ…………お前、煙草……持ってるか?」
桐谷がスーツの胸のポケットから俺に煙草を差し出した。俺がいつも吸っていた銘柄。
久しぶりに吸う煙草。吐き出した紫煙が、曇り空に混じって消えていく。あいつの本当の願いとは何だったのだろう。あんなに一緒にいたのに、俺は何も知らない。最後どんな表情をしていたのかすら思い出せない。
「まず……」
今まで考えもせずに吸っていた煙草の味に顔をしかめる。
その1本を吸い終わる頃には、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。
◇
「若間さん、この間も断られたし、今日こそ、皆で一緒に飲みに行きませんか?」
週末の、もうすぐ終業という時間帯、俺のチームの長で、年下の上司、木戸が俺を誘ってきた。
「あー、俺は…………いや、でも……そうですね。今日は付き合わせてもらいます」
俺は一瞬迷った。ボロが出そうで怖いけれど、円滑な職場の人間関係のためには多少の付き合いも大切だと何かで見た。少し不安を感じながらもそう答えれば、どうやら様子を見守っていたらしい近くの席の方からホッとしたような声が聞こえた。
どうやら俺の返事は正解だったらしい。俺もいい加減『普通の人間関係』に慣れなきゃいけない。
あの異能の王決定戦が終了して、俺は右門の家を出た。以前のような物理的な話ではなく、異能者としての登録も抹消された。
完全に異能を失ったのか確認のため、一定期間監視対象にはなっているらしいが、俺と右門とのつながりは、ただ純粋に血縁関係のみ。
そして『若間』という新しい姓を貰い、地方へ引っ越して、大きくも小さくもない会社へ入った。始めは会社勤めなんて俺にできるのか不安だったが、不慣れながらもまぁなんとかやっている。
あれ以来悠紀には会っていない。桐谷からは、ヒダリから問合せがきたら連絡先を教えて良いか聞かれたが断った。
怖かった。異能がなくなり、あいつから冷めた目で見られるのが。それにもう異能の影響は消えている。どうせ来るはずもない連絡を待って苦しむより、いっそのことなんの期待もせずにいたほうが良い。そのために住み慣れた地を離れたのだ。いつかこの胸の痛みも、この恋心も忘れる日が来る。
「若間さん、会社には慣れました?」誘ってくれた年下のチーム長、木戸が聞いてきた。飲みの席には俺と木戸の他にも林と森という、男女社員が一人ずつ参加し、計4名で飲んでいた。
「あ、ありがとう、ゴザイ、マス……」
ちょうど全員分のビールが届いて配られた。皆俺より年下。でも先輩。人との距離感がわからない俺に、更に難易度の高いメンバーだった。
「全員年齢も近いし、もっと気楽にいきましょうよー」
木戸が上手に会話を盛り上げてくれて、この地方の話とか、仕事の話とか、俺以外のプライベートな話とか、当たり障りのない会話が続いた。あぁ、これが普通なのだと、俺もいつの間にか笑っていた。
少しほろ酔いの帰り道。木戸とは方向が同じらしく、途中まで一緒の方向のタクシーに乗った。
「あの……俺、ずっと謝りたいなって思ってたんですけど、俺、始めすごく嫌なやつだったでしょ?」
「……え?」
俺は自分のアパート付近になったら、運転手に指示できるようにと外を見ていた視線を木戸に向けた。
「俺、年下だけど、若間さんの上司になるからって、始めちょっとイキっちゃって、ナメられないように口調キツかったかな……って」
「いや、それは、俺が仕事ができなかったから……」
確かに当たりはキツかったけど、まともに会社勤めをしたこともなく、『魅了』の異能のなくなった俺なんてこんなもんかな、と思っていた。むしろ何も知らない俺にきちんと仕事を教えてくれて感謝している。
「きっと会社によってやり方が違うところもあったと思うんですけど、『うちの会社のルールに従え』なんて、ちょっと偉そうなこと言っちゃって、ホントすみませんでした。……でも今は若間さんがうちの会社入ってくれてよかったなって思ってます。真面目だし、仕事も丁寧だし。来週からもよろしくお願いしますね!」
木戸の誤解を解く前に、タクシーは俺のアパートの前に着いた。俺を降ろしてタクシーは去っていく。
誠実で真っ直ぐな年下の上司。まだ少し頑張れそうな気がした。
まだ酔いが覚めぬままベッドに寝転ぶ。木戸のおかげで少し心は軽くなったが、一人になるといつもの思考に陥る。
この地に引っ越してきた翌日、新居の買い物をしていた時だった。かつて付き合っていた男に偶然会った。
あれだけ俺がいないと生きていけないと縋っていた男が、別の男と楽しそうに歩いていた。俺と目があったのに俺の存在に気づきもしなかった。
きっと悠紀もそう。俺のことなんてもう、なんとも思っていないだろう。
一人になって考えるのは、あの儀式の間での幸せだった日々。あの異能は能力者の俺にすら夢幻を見せていたのだ。
自然と涙が出てきた。だが俺は知っている。この想いは絶対に叶うことはないのだと。
それでも、やることがあるのは幸せだと思う。どんなに辛いことがあっても、どんなに胸が痛んでも忙しく日々が過ぎていく。
月日が経って、少し心も落ち着いてきて。
あれだけみんなに愛を請われていた俺が、たった一人の『本当に愛する人』になれなかった胸の痛みも少し和らぎ、人生なんてそんなものだ、と諦めもついてきた。
鏡に映った自分を見て自嘲気味に笑う。
俺を好きだと言ってくれていた元カレ達は、すべて異能に惑わされていただけだったのだ。これが俺の本来の姿だ。
だが異能がなくとも誠実に対応していけば、依存などとは異なる穏やかな人間関係は築いていける。木戸のあの時の謝罪は、今の俺を救ってくれた。それまでの俺の世界がおかしかったのだ。
きっといつか傷も癒えて、また新しい恋でもできるかもしれない。
いや、その頃にはますますおっさんになっているから誰も相手してくれないか。
鏡に写った自分の頬を撫でた。
あぁ、それか最近流行りの推し活もいいかもな。
そう思いつけば、勝手にふふっと笑いが溢れた。
あの飲み以来、木戸はもちろん、林、森とも気安くなって、時々ランチに行ったり、飲みに行ったりするような良い同僚となった。
今日も木戸とお昼を食べてきた帰りだった。林は新しく入った社員と外回りに出ていて、森はお弁当を持ってきていたので、二人で近くの食堂に行っていた。街路樹の花も咲き始めて良い季節だった。
今日の話題は木戸の恋愛話。木戸には長く付き合っている彼女がいて、結婚前にお試しで同棲して、大丈夫そうなら結婚したいのだという。
「でも彼女が結婚前提じゃないと、同棲しないとか言ってて、でもそんなこと言って生活が合わなかったらお互いバツがつくわけだし。若間さん、どう思います?」
「はは。恋愛ベタな俺に聞いてもわかんないよ……」
恋愛相談なんか俺にできるわけもない。好きな人と言ったら俺は悠紀しか思い浮かばないし、あの儀式の間の異常な生活を同棲と言ってよいのかわからない。
「えー、若間さんってかっこいいし、絶対にモテてきた……」
会話の途中で言葉が途切れた。会社の前に大きな黒塗りの高級車が停まっていて、空気を読んだのだ。社長をはじめ、役員数名もその前で待っている。
そういえば、今日の午後大切なお客様が来るって朝礼で言ってたな、と思い出した。
木戸の肩を軽く押して、来客の邪魔にならない様、端へ避けると俺を呼ぶ声が聞こえた。
「主基さんっ……!!!!」
聞き間違えるはずのないこの声。高級車の後部座席から飛び出し、驚く俺の二の腕を捕まえたのは……
「悠紀……?」
(なぜここに? 大学生じゃなかったか……あ、卒業したのか?)
時が経ったのを感じる。久しぶりの悠紀はとても怒っていた。だがもう会うこともないと思っていた、見つめてくれることもないと思っていたその瞳に自分が映っている。俺という存在を忘れることなく覚えてくれていた。それだけで心が跳ねた。
「この人は僕のだから……」
唸るように発された言葉。なぜか木戸に怒りをぶつけている。木戸も戸惑いながら「はぁ……」なんて間抜けな返事をしていた。
社長や役員も何事かと俺達の周りに集まってきて、俺はいたたまれなくなった。
「悠紀さん、彼のことはこちらで確保しますので、まずは会合を……」
悠紀の秘書らしき人物が、俺を掴んでいる悠紀の腕に触れた。
「……ムリです。知っているでしょう? ずっと探していたんだ。会合よりこの人が優先です」
戸惑う周囲。俺を睨むように見つめる悠紀の秘書と、俺に救いを求めるように見つめてくる社長連中。
何もできない俺を雇ってくれて、こんな温かい職場や同僚を与えてくれた会社や仲間に迷惑をかけるわけにはいかない。
「悠紀……俺は逃げないから、ちゃんと仕事をして来てほしい。お願いします……」
俺は頭を下げた。俺の頭を上げさせようとする悠紀。だが、それでも頭を下げていれば、逃げないように俺に念押ししながら、渋々頷いてくれた。
そうして俺達は、一行の後に続いて社内へと入った。
「木戸さん、なんか、ごめんね」
そう小声で謝れば、前を歩いていた悠紀が振り返り木戸を睨んだ。
会議には俺も参加させられた。させられた、というか応接室の隅に座らされていた。まるで美術館の監視員のように気配を消して、ただそこに。
時折ちらちらと来る視線が痛い。俺は気づかないふりをして思考を巡らす。
間違いなく悠紀は『僕のだから』と言った。思い出すだけで胸がときめく。だが期待してはいけない。俺にはもう人を魅了する異能などないのだ。ただ普通のおっさん。こいつの周りには異能などなくとも人を魅了する人物がたくさんいる。現に隣りにいる秘書だって男前じゃないか。
俺が秘書を見ているのに気づいた悠紀が、無言でこちらを睨んできた。俺は慌ててうつむく。
(男なら誰でも良いのか、と思われたかもしれないな。いや、そもそもあの儀式の間で俺の異能を黙っていたことを怒っているのかもしれない。そのせいでこんな冴えないおっさんとセックスしてしまった事に対する怒りか?)
考えてみればそれが一番しっくりくる答えのような気がした。異能者に異能は効きづらい。それでも全く効かないわけではない。だからこそ、他者の異能の影響を受けた時、負けたような気分になるのか、不快感をあらわにする人も多い。
悠紀の怒りもきっとそういった類。ただひたすら謝るしかないか。
商談は異様な雰囲気ではあったが、問題なく終わったようだ。役員連中の表情を見て、俺もほっと息をついた。俺のせいで迷惑をかけたくない。
そして、俺は時間休を取らされて、悠紀の滞在するホテルへ連れて来られた。
会議用テーブルまであるスイートルーム。そのテーブルの横に並ぶ椅子に座ろうとして、三人掛けソファの方へ促された。そしてその隣の一人掛けソファにどかっと座る悠紀。
先程よりも更に隠す気のない怒りをぶつけてくる。
「あの……儀式の時は申し訳なかった……」
俺は先に謝った。
「……儀式の時?」
「その……俺の異能を隠していて……」
悠紀がどんっとテーブルを叩いた。俺はびくっとして黙りこんだ。
「主基さんは、何にもわかってない……。隠れていたのは、ミギの指示? 左右? あぁ、それとも政府の手心も加わっていたんですか?」
「隠れて……なんて……」
悠紀が俺の前に移動し、うつむく俺を下から覗き込んできた。そのまま立ち上がり、指先で俺のおでこをかるく押した。俺は抵抗せずに、そのままソファに押し倒された。緩められるネクタイと、ワイシャツ。
「もう異能はなくなったんだから、僕だけのものですよね? それとも記憶も消さないとだめなのかな? そこまでしないと……僕だけのものになってくれないの……?」
俺の額の生え際から髪を梳くように指が通された。ぴりぴりと電流のような何かが流れるような気がした。そして、俺の頬に落ちる、悠紀の涙。
「悠紀……? お前、何言って……」
「ずっと一緒にいるって言ったのに……!! 愛してるって言ってくれたのに、嘘つき……!!」
思い切り首筋に噛みつかれ、俺は痛みで呻いた。
「痛っ……!!」
「大丈夫です。この痛みも、誰がこの傷を付けたのかも、すぐに忘れますから……目が覚めたら僕だけのものになっていますから……だから、力を抜いて?」
身体を身体で抑え込み、首筋から流れ出た血を舐めながら悠紀はつぶやいた。頭皮に触れている指の刺激が更に強くなって、一瞬気を失いかける。
「待て!! 悠紀!! お前は誤解してる!! 俺の話を聞けって!! 俺は、お前のことが好きだ!! 愛してる!!」
俺は叫んだ。なぜだかわからないけれど、今ここで言わなければ二度と伝えることは出来ない、そんな恐怖を感じた。
そして、異能を失ってすっかり自分に自信をなくした俺だったが、ここまで言われればわかる。なぜか悠紀は今でも俺に執着していて、異能を黙っていたことではなく、最後の約束を守らなかったことに怒っているのだと。
「またそうやって適当なことを……あなたは……本当に……どこまで僕を……」
手を止め、ぼたぼたと涙をこぼす悠紀。俺は悠紀を抱きしめた。
「適当じゃない。信じられないなら、俺の記憶を消してもいい。でもその前に俺の話を聞いてほしい……」
返事はなかったが、俺の首筋に顔を埋めたまま、悠紀は動きを止めた。
「俺は、儀式の間を出た後、お前が俺を探すとは思わなかったんだよ。『魅了』の異能が冷めて終わりだと思った……」
「それで、僕の機嫌を取るためにあんな……口からでまかせを……? 扉を開けるために? 主基さんは、『王の願いが叶う時、扉は開く』って知っていたんでしょ? だから……」
俺の腕の中で、悠紀が震えている。納得はできていないようだが、指先からは力以外のなにも感じない。むしろ俺を傷つけないように我慢しているのがわかった。
「でまかせじゃない。確かに俺は扉を開ける方法を知っていた。……だからお前に何も聞かなかっただろ? 俺は俺のエゴで、お前の願いを叶えるわけにいかなかった」
「それってどういう……?」
悠紀が顔を上げて、俺の目を見た。10センチ程度の距離。涙で潤んだ瞳に俺が映っている。俺が想像の中で怯えていたような冷たい瞳ではなかった。
「俺だって、できることならお前とずっと一緒にあの場にいたかった。でも図らずも扉は開いた。……あそこを出た後、俺は、お前から熱の冷めた目で見られるのが怖かったんだよ。俺もお前のことが好きになっていたから、異能が消えて、それは仕方のないことだとわかってはいても……それは……耐えられなかった……でも……」
「もともと主基さんの異能なんて、効いてなかった……」
「あぁ、そうだな……。今ならわかる。お前は異能なんて関係なく、俺を愛してくれていたんだな……気づかなくてごめん。でも、それなら……今でも俺を好きだと言ってくれるなら……いや、お前が俺を好きだろうが、嫌いだろうが、関係ないな。俺はお前が好きだ。あの儀式の間を出てから一度も、お前を思い出さなかった日はないよ」
「本当に……? 本当に僕だけのものにしていいんですか?」
「お前が望むなら、いいよ。もし記憶を失っても、俺はまたお前を好きになるよ。それだけは言っておきたかった。ほら、いいぜ。『消去』しろよ」
悠紀の身体がびくんと跳ねた。
「知って、た……?」
「はは、さすがの俺もここまでされたら気がつく。お前の異能『浄化』じゃなくて『消去』だろ? 俺の異能を消してくれたのも、その能力だ。あの異能の王決定戦のせいじゃない」
物理的なものだけではない。相手の異能や記憶をも消す能力『消去』
『魅了』よりももっと恐れられている能力がまさか同じ時代に顕現していたとは。
この能力を持っていたのなら感情コントロールの難しい小さい頃はきっと周りから恐れられていただろう。だから親父は俺を悠紀の遊び相手にしたのだ。
「消したこと……怒ってないんですか?」
「いいや。むしろ感謝している。お前のお陰で狂気から開放されたんだ。ありがとう」
「勝手に、すみません……でも、もう、主基さんが僕以外の人に抱かれるのが……人のものになるのが耐えれなくて……」
悠紀は俺の胸の中で子供のようにおいおいと泣いた。俺はその背中をぽんぽんとなだめ、照れながらも言った。
「しょうがねぇ、お前のものになってやるから、お前も、俺だけのものになれよ?」
悠紀はがばっと顔を上げ、ぽかんとしばらく俺の顔を見つめると、涙を拭いて笑顔で唇を重ねてきた。
その後は、皆様のご想像通り。足腰が立たなくなるまで、愛されまくったとさ。
◇
「そういえば、神託って結局なんだったの? お前、聞いてる?」
情事が済んでもなおベッドの中で身体を絡めながら、俺はふと思い出して聞いた。
「あー、えっと……」
歯切れの悪い悠紀から無理やり聞き出せば、どうやら神託というのは、王の願いと強くリンクするものらしい。
血の気の多い者が王になれば、その代は戦争に明け暮れ、金が好きな者が王になった代にはバブルが起こったという。
「ん? じゃぁお前の代はなんなんだ?」
悠紀が望んだものは……俺?
「主基さん、僕たちの役目は終わったし、もういいじゃないですか。そんなことより……」
唇を重ねられ、股間に手を伸ばされれば、すぐに反応する下半身。
愛しい相手が隣にいる。確かにそれ以外はどうでもいいな、と俺もすぐに思考を手放し、与え合う愛に溺れた。
(おしまい)
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わーい、まりあさんありがとうございますヽ(=´▽`=)ノ
好きって言ってもらえて嬉しいー😭😭😭私にしてはRシーン少ないぞ?と思いながら書いていました笑
溺愛&すれ違い美味しいですよねぇ。ほーんと、なんぼあっても良いっ♡
長くするならもう少し儀式の間でのシーンや出てからの生活を書いても良かったかもしれないですねー。
ちなみに、この二人の名前は、儀式にあたって少し参考にさせてもらった大嘗祭で使われる建物、主基殿と悠紀殿から取りましたー🥰
わーい、早速お読みいただいてありがとうございますヽ(=´▽`=)ノ
次回はいよいよ完結しますよー!!
そうなの、楽しく二人生活満喫しているはずが……甘くないっ!!笑
え?私の頭の中?大体エロいことしか考えてないよっ!!笑
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