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第二章 二年生
2.出会い
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吾輩はアカデミーを取り囲む高い壁の前でため息をついた。
「門が閉まっている以上、この壁を飛び越えるしかしょうがない、か……」
完全に遅刻である。「遅刻するのは嫌だ」とエヴァレインに散々言って屋敷を飛び出してきた吾輩が、である。
あの後、吾輩が乗った辻馬車が通りを走っていた時、道端でうずくまる女性を見かけた。
その女性はお腹が大きく、苦しそうにうずくまっていた。そしてその脇には、そんな母親を励ます10歳位の少年。
聞けば予定よりだいぶ早く産気づいてしまったようで、用事があって出てきたものの、定期的に来る陣痛の度に動けなくなっているのだという。通りすがりの人々も心配はするが、こればかりはどうしようもなく困った様子だった。へたすればこのまま道端で生まれてしまうのでは、と噂する者までいた。
「行く先は? 病院か? 家か? どこだ? 乗れ」
戸惑う母子を馬車に乗せ、その母子の自宅へ向かうように指示を出す。
馬車の中でもその母親は苦しそうだった。痛みが収まっている時は、申し訳なさそうに吾輩に謝るのだが、一度痛みが来るともう脂汗を流して痛みに耐えている。
出産は気絶しそうなほどの痛み、というのは吾輩も聞いたことがあるが、目の当たりにしたのは初めてだった。
(これは、吾輩に耐えられるだろうか……)
と思わず下腹をさすって、はたと気付く。
そんなことより、先程の道端の人の経験によると、陣痛の周期が短くなればなるほど子供が出てくる時が迫ってきているのだろう?
吾輩は(この母親が馬車の中で出産してしまったらどうしよう)と若干の不安を覚えた。吾輩が取り出すのか? そもそも自宅ではなく医者に連れて行くべきなのだろうか? 平民は自宅に産婆か医者が来るのか?
吾輩はポーカーフェイスを装いながらも内心うろたえていた。
出産立会いは前世の大王時代でも経験したことのないことだ。
だが同乗する少年の手前、みっともない姿は見せられない。
「大丈夫だ。お前の母親はお前のような立派な子を産んだのだ。お前の母親は強い!」と、なんの根拠もない励ましをしながら、少年と共に馬車内でうずくまるその母親の身体を支えた。
母子の家はそう遠くないところにあった。馬車から下りるとすぐ近所の人達がなにごとかと集まってきた。
どうやらこれ以上の干渉は不要のようだ。吾輩は彼らにその母親を託し、再び馬車へと乗り込む。
去り際、少年が吾輩を深々とお辞儀をし、丁寧に礼を言ってきたので、気分は悪くはない。
人から感謝されるというのはどんな時も嬉しいものだ。アカデミーは完全に遅刻だけれども。
少し離れたところから振り返ると、まだ少年がこちらを見送っていた。母親は皆に支えられ苦しそうに家へと向かっている。
「そういえば吾輩、前世であんなに女とエッチしていたのに子供もできなかったな。案外種無しかもしれぬ……」
ふとそんなぼやきが口をついて出た。
そんな吾輩でも母体であれば親になれるのだろうか?
吾輩を見つめる時のエヴァレインの蕩けるような表情を思い出す。くすぐったさ、戸惑いはあるにしても、吾輩もやつのことは嫌いではない。今は無理でもいつか。未来であればやつの期待に応えてあげたいと思う気持ちも多少はある。
だが、ただ請われるままエヴァレインを信じて盲目的に身を任せるわけにはいかない。世の中はそう甘くはない。
「ままならぬものだな……」
そう言って目の前の塀を見上げる。
そうだ。今はそんなことはどうでも良かった。まずは目の前のこの壁を乗り越えなくてはいけないのだった。
このアカデミーの敷地は、城の周りをぐるりと高い塀で囲んだかつての城塞に作られている。
吾輩は約800年前の戦いを思い出した。
今でこそのんびりとした学園都市になっているが、この地はかつては戦場だった。吾輩達はここで隣国に勝利し、その地を併合した。
二手に分かれて戦っていた吾輩とリディカントの軍が合流したのがこの城塞だった。
当時は違う地名だったが、勝利した後『合流』を意味する『コンフルクス』と村の名を変えた。そして今もその名で呼ばれている
傷つきボロボロに疲弊していた我軍勢が、隣国の攻撃から身を守り、攻撃態勢を立て直せたのは、今ではアカデミーの敷地一帯を取り囲む、この城壁のおかげだった。
吾輩はひときわ古い塀に触れた。
時が経ち、風化し、補強されたり作り直された場所も多かったが、建物の裏側。木が生い茂ったその面は800年前のままだった。
田舎の領地で、朴訥とした家族とのほほんとくらしていた吾輩がアカデミーに行きたいと言い出したのも、このコンフルクスの地にアカデミーがあると知ったからだ。
この地に再び来たいという思いがあったからでもある。
まさかリディカントの生まれ変わり、エヴァレインに合うとは思わなかったが。
吾輩はしばらく感傷に浸った後、気持ちを切り替え、呼吸を整えた。
少し離れたところから助走を取る。塀の近くにある木の枝に捕まり、ひょいっと枝に飛び乗ると、そのまま勢いをつけて塀を越えた。
「全く。今が平和な世で良かったな。世が世ならやすやすと敵の侵入を許すところだ。ま、吾輩ほどの運動神経の良い人間はそうはおらん……って、おいっ!!!! 貴様!!!! そこをどけっっっ!!!!」
まさかそんなところに人がいるとは思わず、吾輩は塀の上で勢いを殺すことなく、その上面を蹴り飛ばし、敷地内に飛び込んだ。
校舎の裏側。めったに人の来る場所ではない。
なのになぜ今日に限って!?
『うわっ!? え? なんだ!? え、貴方はっ!?』
異国の言語が耳に飛び込んできた。
避ければ良いものを、その男は吾輩を受け止めた。吾輩は2メートル近くある大男の胸に飛び込む形となってしまった。
「す、すまぬ!!!! 怪我はないか!? ……って、お前!!!! ダ、ダクヴァル大王!?」
雑草の生えた草むらに倒れ込むように抱きしめたその男は吾輩だった。
いや、違う。歴史書で見たことのあるダクヴァル大王、そのものの見た目をしていた。違うのは現代風に短く刈り揃えられた髪型と、アカデミーの制服を着ているということだけ。
「あ、貴方こそ、おケガはないですか?」
相手ははじめこそ少しうろたえたが、吾輩のぽかんとした顔を見て微笑んだ。
「ふふ、大王に、似て、マスか? よく言われマス……そういう貴方ハ……天使、ですか? ……ホンモノ? 生きテル?」
カタコトの言葉で話しかけ、ペタペタと吾輩の頬に触れてきた。
ダクヴァル大王(の影武者)にそっくりな顔立ちは、この国の者よりも少し掘りが深く、日に焼けている。もう少し南の方の出身か、その血が混じっているのだろう。
現に先程、吾輩の言葉を拾ったせいか『大王様……』と、隣国の言葉で言ったのを吾輩は聞き逃さなかった。
「まさか! ただ遅刻して塀を乗り越えた一生徒です! 人がいるなんて思わなくて、すみません! 怪我はないですか?」
初めて見た顔だが、今年の新入学生だろうか? それにしては老けている。 新任の教師だろうか? いや、教師が制服を着ているはずがないか。
それでもこのアカデミー内の人間は、吾輩よりも立場が上の生徒が多い。相手の立場がわからぬ以上、吾輩は改めて丁寧な言葉を使って話しかける。
「ふふ、大丈夫デス。ソレヨリ、貴方のお名前ヲお伺いしてモ?」
「大丈夫ならよかったです! あ、俺は二年生のセラフィンです。もし何かあれば……」
ケガしたから治療費くれ、とか言われても払える金などないが、だからといって逃げるわけにもいかない。
空から降ってきた吾輩が悪いのだ。
「セラ、フィン……ですネ?」
男の中の男、ダクヴァル大王そっくりの顔でにっこり微笑まれれば、吾輩も(か、かっこいいっ……!)と、思わず照れてしまった。
吾輩、前世よりこやつのように背が高くて、筋肉ムキムキのいかつい見た目になりたかったのだ。
「門が閉まっている以上、この壁を飛び越えるしかしょうがない、か……」
完全に遅刻である。「遅刻するのは嫌だ」とエヴァレインに散々言って屋敷を飛び出してきた吾輩が、である。
あの後、吾輩が乗った辻馬車が通りを走っていた時、道端でうずくまる女性を見かけた。
その女性はお腹が大きく、苦しそうにうずくまっていた。そしてその脇には、そんな母親を励ます10歳位の少年。
聞けば予定よりだいぶ早く産気づいてしまったようで、用事があって出てきたものの、定期的に来る陣痛の度に動けなくなっているのだという。通りすがりの人々も心配はするが、こればかりはどうしようもなく困った様子だった。へたすればこのまま道端で生まれてしまうのでは、と噂する者までいた。
「行く先は? 病院か? 家か? どこだ? 乗れ」
戸惑う母子を馬車に乗せ、その母子の自宅へ向かうように指示を出す。
馬車の中でもその母親は苦しそうだった。痛みが収まっている時は、申し訳なさそうに吾輩に謝るのだが、一度痛みが来るともう脂汗を流して痛みに耐えている。
出産は気絶しそうなほどの痛み、というのは吾輩も聞いたことがあるが、目の当たりにしたのは初めてだった。
(これは、吾輩に耐えられるだろうか……)
と思わず下腹をさすって、はたと気付く。
そんなことより、先程の道端の人の経験によると、陣痛の周期が短くなればなるほど子供が出てくる時が迫ってきているのだろう?
吾輩は(この母親が馬車の中で出産してしまったらどうしよう)と若干の不安を覚えた。吾輩が取り出すのか? そもそも自宅ではなく医者に連れて行くべきなのだろうか? 平民は自宅に産婆か医者が来るのか?
吾輩はポーカーフェイスを装いながらも内心うろたえていた。
出産立会いは前世の大王時代でも経験したことのないことだ。
だが同乗する少年の手前、みっともない姿は見せられない。
「大丈夫だ。お前の母親はお前のような立派な子を産んだのだ。お前の母親は強い!」と、なんの根拠もない励ましをしながら、少年と共に馬車内でうずくまるその母親の身体を支えた。
母子の家はそう遠くないところにあった。馬車から下りるとすぐ近所の人達がなにごとかと集まってきた。
どうやらこれ以上の干渉は不要のようだ。吾輩は彼らにその母親を託し、再び馬車へと乗り込む。
去り際、少年が吾輩を深々とお辞儀をし、丁寧に礼を言ってきたので、気分は悪くはない。
人から感謝されるというのはどんな時も嬉しいものだ。アカデミーは完全に遅刻だけれども。
少し離れたところから振り返ると、まだ少年がこちらを見送っていた。母親は皆に支えられ苦しそうに家へと向かっている。
「そういえば吾輩、前世であんなに女とエッチしていたのに子供もできなかったな。案外種無しかもしれぬ……」
ふとそんなぼやきが口をついて出た。
そんな吾輩でも母体であれば親になれるのだろうか?
吾輩を見つめる時のエヴァレインの蕩けるような表情を思い出す。くすぐったさ、戸惑いはあるにしても、吾輩もやつのことは嫌いではない。今は無理でもいつか。未来であればやつの期待に応えてあげたいと思う気持ちも多少はある。
だが、ただ請われるままエヴァレインを信じて盲目的に身を任せるわけにはいかない。世の中はそう甘くはない。
「ままならぬものだな……」
そう言って目の前の塀を見上げる。
そうだ。今はそんなことはどうでも良かった。まずは目の前のこの壁を乗り越えなくてはいけないのだった。
このアカデミーの敷地は、城の周りをぐるりと高い塀で囲んだかつての城塞に作られている。
吾輩は約800年前の戦いを思い出した。
今でこそのんびりとした学園都市になっているが、この地はかつては戦場だった。吾輩達はここで隣国に勝利し、その地を併合した。
二手に分かれて戦っていた吾輩とリディカントの軍が合流したのがこの城塞だった。
当時は違う地名だったが、勝利した後『合流』を意味する『コンフルクス』と村の名を変えた。そして今もその名で呼ばれている
傷つきボロボロに疲弊していた我軍勢が、隣国の攻撃から身を守り、攻撃態勢を立て直せたのは、今ではアカデミーの敷地一帯を取り囲む、この城壁のおかげだった。
吾輩はひときわ古い塀に触れた。
時が経ち、風化し、補強されたり作り直された場所も多かったが、建物の裏側。木が生い茂ったその面は800年前のままだった。
田舎の領地で、朴訥とした家族とのほほんとくらしていた吾輩がアカデミーに行きたいと言い出したのも、このコンフルクスの地にアカデミーがあると知ったからだ。
この地に再び来たいという思いがあったからでもある。
まさかリディカントの生まれ変わり、エヴァレインに合うとは思わなかったが。
吾輩はしばらく感傷に浸った後、気持ちを切り替え、呼吸を整えた。
少し離れたところから助走を取る。塀の近くにある木の枝に捕まり、ひょいっと枝に飛び乗ると、そのまま勢いをつけて塀を越えた。
「全く。今が平和な世で良かったな。世が世ならやすやすと敵の侵入を許すところだ。ま、吾輩ほどの運動神経の良い人間はそうはおらん……って、おいっ!!!! 貴様!!!! そこをどけっっっ!!!!」
まさかそんなところに人がいるとは思わず、吾輩は塀の上で勢いを殺すことなく、その上面を蹴り飛ばし、敷地内に飛び込んだ。
校舎の裏側。めったに人の来る場所ではない。
なのになぜ今日に限って!?
『うわっ!? え? なんだ!? え、貴方はっ!?』
異国の言語が耳に飛び込んできた。
避ければ良いものを、その男は吾輩を受け止めた。吾輩は2メートル近くある大男の胸に飛び込む形となってしまった。
「す、すまぬ!!!! 怪我はないか!? ……って、お前!!!! ダ、ダクヴァル大王!?」
雑草の生えた草むらに倒れ込むように抱きしめたその男は吾輩だった。
いや、違う。歴史書で見たことのあるダクヴァル大王、そのものの見た目をしていた。違うのは現代風に短く刈り揃えられた髪型と、アカデミーの制服を着ているということだけ。
「あ、貴方こそ、おケガはないですか?」
相手ははじめこそ少しうろたえたが、吾輩のぽかんとした顔を見て微笑んだ。
「ふふ、大王に、似て、マスか? よく言われマス……そういう貴方ハ……天使、ですか? ……ホンモノ? 生きテル?」
カタコトの言葉で話しかけ、ペタペタと吾輩の頬に触れてきた。
ダクヴァル大王(の影武者)にそっくりな顔立ちは、この国の者よりも少し掘りが深く、日に焼けている。もう少し南の方の出身か、その血が混じっているのだろう。
現に先程、吾輩の言葉を拾ったせいか『大王様……』と、隣国の言葉で言ったのを吾輩は聞き逃さなかった。
「まさか! ただ遅刻して塀を乗り越えた一生徒です! 人がいるなんて思わなくて、すみません! 怪我はないですか?」
初めて見た顔だが、今年の新入学生だろうか? それにしては老けている。 新任の教師だろうか? いや、教師が制服を着ているはずがないか。
それでもこのアカデミー内の人間は、吾輩よりも立場が上の生徒が多い。相手の立場がわからぬ以上、吾輩は改めて丁寧な言葉を使って話しかける。
「ふふ、大丈夫デス。ソレヨリ、貴方のお名前ヲお伺いしてモ?」
「大丈夫ならよかったです! あ、俺は二年生のセラフィンです。もし何かあれば……」
ケガしたから治療費くれ、とか言われても払える金などないが、だからといって逃げるわけにもいかない。
空から降ってきた吾輩が悪いのだ。
「セラ、フィン……ですネ?」
男の中の男、ダクヴァル大王そっくりの顔でにっこり微笑まれれば、吾輩も(か、かっこいいっ……!)と、思わず照れてしまった。
吾輩、前世よりこやつのように背が高くて、筋肉ムキムキのいかつい見た目になりたかったのだ。
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