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第二章 バヤールの町

23.薬屋のパトリス

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「パトリスさん、いる?」

 ノアとリュカと、ジョルジュの3人は、今日も閉まっている薬屋の裏口にまわる。
 扉を開けてノアがそっとパトリスに呼びかけた。開けた途端に室内から漂ってくるお酒の臭い。3人とも鼻を押さえて、暗い店内へと入る。
 二階からノアを呼ぶ声が聞こえた。足音が聞こえてきて、リュカとジョルジュは階段の死角へと身体を潜めた。
 
「ノア? あのキラキラの旅人はやっといなくなった?」

「あー、うん……ルーさんね……」

「はぁ……これでやっと落ち着いて店を開けられる……」

 階段を降りきったところで、ジョルジュが飛び出した。
 
「おい、パトリスっ!! 貴様っ!!」

「うわぁぁぁぁ!! ジョルジュさんっ!! なんでっ!? うわぁっ!! しかもキラキラまでっ!!」

 逃げようとするパトリスの腕をむんずと捕まえるジョルジュ。ガタイのいいジョルジュに捕まったら、パトリスは身動きが取れなかった。



 室内の窓を全部開け、アルコールの匂いを飛ばす。

「パトリス、お前が気が小さいのも、なにかに怯えて酒に逃げているのもわかってたつもりだけどな。 この町へ来てもう10年以上だ。 そろそろ、いい加減にしないと俺も堪忍袋の尾が切れる」

「12年です……」

 ぼそっとパトリスが言った。背を丸め、怯えながらリュカの存在を目の端で確認する丸メガネをかけた細身の男。丸メガネは認識阻害魔法が施された魔道具だった。だが古いものなので、目の印象が弱くなる程度しか効果はない。
 ボサボサの髪に無精ひげ、コケた頬。50代くらいだろうか。アルコールに溺れているという皆の認識は正しいようで、ずっと手が小刻みに震えている。
 だが、なぜリュカにそんなにも怯えているのだろう。12年前にこの町へ来ているということは、どこかで会ったということはないはずだ。

っ、だ!! この馬鹿もんがっ!!」

「で、でも私の事情は、ジョルジュさんには関係ない話ですし、一体何をそんなに怒っているのか……」

「お前がこの店を始めるときに、俺が力を貸してやったのは覚えているな?」

「……はい」

「周りに掛け合って、保証人にもなってやって、金まで貸してやった」

「……仰るとおりです」

「お前が、何かに怯えて酒に溺れているのも、時々叱りながらも暖かく見守っていたよな?」

「……いえ、暖かく見守られてはいな……」

 パトリスが言い終わる前に、ジョルジュが話を続ける。

「わしの風邪薬に、お前が酔っ払って下剤を配合した時も、わしはお前を許してやった!!」

「……あの時は殺されるかと思いました」

「そして今回、わしの拾ってきたこの兄ちゃんに怯えるとはっ!! これはわしに対する裏切りだっ!!」

(拾ってきた?)リュカは苦笑いを浮かべ、ノアと顔を見合わせたが、口を挟まず二人の会話を聞く。

「いえ、そういうことではなくてですね? ジョルジュさん。 この人が良い人か悪い人かではなく、その…………」

「そ、その魔力の色ってなんですか!?」

「ひぃっ……!! ち、近づくなっ!!」

 リュカが前のめりに聞くと、パトリスは悲鳴を上げて椅子ごと後ろに倒れた。メガネが遠くへ飛んでいく。

「こんな細っこい兄ちゃんに怯えるとは、本当にお前はどうしようもないやつだっ!! そこでだっ!! お前は、この兄ちゃんからうちのばーさんにあげた『腰痛の薬』の作り方を聞き出せ! そして、兄ちゃん……えっと、名前なんだったかの?」

「……ルー……」

「そう!! ルーは、パトリスから聞きたいことを教えてもらえ!! 二人共わかったか!!」

「いや、あのジョルジュさん? ルーさんは旅の途中のようですし、こんな町に留まっている暇は……」

 腰をさすりながら、起き上がってくるパトリス。リュカが貸そうとした手は「さ、さわるな!」と拒絶された。
 飛んでいったメガネをノアが拾いに行ってパトリスに渡す。その目にどこか既視感があった気がしたが、すぐにメガネをかけてしまい、思い出せなかった。

「うるさいっ!! ならばさっさと薬の作り方を教えてもらって、うちのばーさんに調合しろっ!! じゃぁ、俺はハンナの店で飲んでくるからなっ!! 香草炒めを頼んだままだったわい!!」



 一本足の丸テーブルの上の酒瓶を少し端に寄せ、向かい合わせで座り、顔を突き合わせる。パトリスの隣にはノア。
 親以上も違うであろう年齢のおじさんが、子供にすがりつくようにしている姿はどこか滑稽で、リュカは自分の追手ではなさそうだと少し安心した。

「……で、僕に聞きたいことって? 聞いたら、薬の配合教えてくれて、本当に町から出ていってくれるんだよね?」
 
「あの、『金色のキラキラ』ってなんですか? その、以前も別の人に言われたことがあって気になって」

「はっ、そんなこと!? 君の魔力の色に決まっているだろ? 君の魔力はなんだよ!!」

 魔力の色なんて、初めて聞いた。いや、リュカには見えないから魔法陣や薬を作る方ばかりを勉強していて、知らなかっただけなのか。

「それって、魔力のない人も見えるもんなんですか?」

「はっ? 見えるわけないだろ? あのねぇ、僕だって今じゃこんな姿なりだけど、一応かつてはまほ……んんっ……いや、なんでもない。 僕も少しは魔力があるの! それに元々僕は魔力が見える体質なの! だから、魔力の入った食べ物も、魔力の色で食べれたり食べれなかったりがわかるんだよ」

 ヴァレルに魔力があるなんて聞いたことがないが、少しはあるのだろうか?だが、認識阻害魔法を使っていた時も、、と言っていた。

「そ、それって!! た、例えば僕の魔力を人にっ…………いっ!」

 背中の奴隷魔法が痛んで、思わず顔をしかめる。痛みを堪えて机にうずくまると、「ひぃ」っとパトリスは少し身体を引いた。

「ルーさん、大丈夫?」

 ノアが手を差し出した。思わず服の上から腕に描かれた追跡阻害魔法の魔法陣に触れる。(大丈夫……大丈夫……)深呼吸をして心を落ち着ける。

「はぁ……ごめん。 大丈夫だから。 あの、パトリスさん。 例えば治癒魔法で患者に魔法をかけたとして、その患者を見ても誰が術者かわかるものなんですか?」

「そうだね、色の系統くらいはわかるかな。 かけちゃうと本人の色が薄まるからなんとなくだけど。 もちろん古いのは離散しちゃうからわからないよ?」
 
「そう……なんですか……」

 もしヴァレルが魔力の色が見えるのだとしたら、もしかしたら、エロアとの関係も気づかれていたのかも知れない。そう思い至るとゾッとした。

 リュカはいつも限界まで魔力を吸い取られていた。そのリュカの魔力の色を纏っているエロアの姿を、ヴァレルはどんな気持ちで見ていたのだろう。

 自分の無神経さに吐き気がする。
 あの森での一件だけじゃない。それだけリュカが汚れていることを知りながらも、あんなに真摯に愛を告白してくれていたのだとしたら。リュカが相談するのをずっと待っていてくれていたのだとしたら。

―――― リュカの事情もなんとなくわかっている。

 別れ際に言った言葉。ただ『エロアから逃げようとしている』という理解ではなく、身体も魔力も使役させられていた過去をわかっていたのなら。

 考えてみればそうだ。森で初めて犯された人間が、あんなに閨事に慣れているはずがない。すべてを理解した上で、リュカを受け入れてくれていたのだ。
 今更気づいた事実に愕然とする。一人になりたかった。ふらふらと立ち上がり、戸口へと向かう。

「あ、ちょっと! 腰痛の薬のレシピ!」

 慌てて呼び止めるパトリスの身体がテーブルにぶつかり、つまずいた。そのままテーブルとその上に並んでいる酒瓶が大きな音をたててパトリスに降り注いだ。
 パトリスとノアの悲鳴がバヤールのメイン通り一帯に響きわたった。 

 
 
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