北極星(ポラリス)に手を伸ばす

猫丸

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第一章 王都パライソにて

9.一筋の希望と別れ

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 ほとんど眠れないまま、翌朝一でエロアに呼び出された。昨日の薬の件だろうか?
 
「昨夜はどこへ行っていた?」

 自分の居場所など、奴隷魔法でわかっているのではないのか?心が疲れ切っていたリュカは、質問の意図も深く考えず、思いつくまま返事をした。

「昨日の頼まれた調薬は急ぎでしたか? すみません…。 今からすぐに生成します」

「そんな事は聞いていない!! 私の質問に答えろ!! 昨日の夜はどこに行ってたんだ!?」

 デスクをバンと叩き、怒りをあらわにするエロア。今日は朝から機嫌が悪い。リュカはずんっと内臓に重しが落ちたような気分になった。
 
「昨夜は薬屋へ行って…街の食堂で夕食を食べて帰ってきました……」

 エロアに怒鳴られても、なにをこんなに怒っているのかはわからない。

「背中を出せ」

「……ここで…ですか?」
 
 口では戸惑いを伝えるものの、命令には逆らえない。勝手に身体が動き、ローブを脱ぎ、中に着ているシャツに手をかける。
 
「早くしろっ!!」

 エロアが苛立って、リュカのシャツを引っ張った。
 先日魔力を供給したばかりだというのに、もう足りなくなったのだろうか?とされるがまま背中を出す。
 リュカの魔力もまだ完全には戻り切っていない。それでも日々の仕事で使わなくてはならないし、昨夜は怒りに任せてヴァレルにも使ってしまった。
 
 しかも今朝はぼんやりしていて、固形ポーションを入れているマジックバッグも寮に忘れてきてしまっていた。これ以上魔力を取られたら動けなくなるかもしれない。
 だが、それでも良いような投げやりな気持ちになっているのも事実だった。ギリギリのところで自分を保っている人間が、ふとその支えが折れたときの脆さ。身体が重い。何も考えずに眠りたい。眠れないのなら気絶するのもありかもしれない。
 そんなことを考えていた。
 昨日掻きむしった背中の傷を見て、エロアが顔をしかめた。リュカがこのように背中に傷をつけるのは今に始まったことじゃない。ただ最近はあまりなかっただけだ。

「ふん、いい加減諦めろ。 おとなしくしていれば悪いようにはしない」

 リュカの精神状態があまり良くないことを察したのか、エロアが吐き捨てるようにつぶやいた。
 エロアの手がリュカの肌に触れると、かつてエロアがつけた傷とリュカが自らつけた傷の上に浮かび上がる魔法陣。
 その魔法陣をなぞり、エロアは何かブツブツ言っていた。
 身体を繋げなくても使役される側の血が流れれば自然と魔力は吸い取られる。図らずも昨夜掻きむしった傷が媒体となっていた。その流れる感触がぞわぞわとして寒気がする。背を丸めて自らの両腕をかき抱き耐える。惨めで鼻の奥がツンと痛くなった。

 鼻を押さえてすする。その時鏡を見たのはほんの偶然だった。さぞかし惨めな姿なんだろうと、自分をあざ笑うようにちらりと鏡を見た。その鏡に背中に描かれている魔法陣の一部が浮かび上がって写っていた。
 背中に描かれ、使役者が触れないと浮かび上がらない模様。リュカもその魔法陣のすべてを見たことはなかった。

「……!?」

―――― どくん

 心臓が高鳴った。思わず身体を傾け、横向きの魔法陣全体が映るように鏡の方へ背を向け振り返った。その動きにエロアが顔を上げた。

「どうした?」
 
「い、いえ、すみません。 ちょっと傷が痛んで…」

 動揺を気づかれないように、慌ててごまかす。魔力が流れているにも関わらず、今見たものに身体が高揚するのがわかった。
 先程ちらりと見えた魔法陣。その中心にどこかで見たことのある模様が浮かび上がっていた。だがどこでだっただろう?

「魔法陣には特に問題はなさそうだが……場所か?……リュカ、昨日、どこの店へ行っていた?」

 質問通り、薬屋と食堂の名を伝える。リュカがルコルコの実を欲しがっていたのはエロアも知っていた。薬屋や本屋、食堂に行くのは以前から時々あったことなので、エロアも特に疑問にも思わなかったようだ。
 誰と一緒だったかを聞かれれば、リュカは正直に言うしかできなくなるが、出したとてしても、もうギー以外とは関わることもないだろう。
 だが、それよりも魔法陣が気になっていた。
 見えたものを忘れないように必死に頭の中で反芻する。

 ちょうどタイミングよくドアをノックする音が聞こえ、リュカは解放された。
 破れたシャツの上に慌ててローブを羽織ると、入れ替わりに第二騎士団の制服を着た人物が入ってきた。
 すれ違いざまにぺこりと会釈をしてあわてて執務室から出る。

(あの模様は最近どこかで…)

 柱の陰に隠れ、今わずかに見えた魔法陣の一部を慌てて書き留める。

「これって…!?」

 それは先日チェイスからもらった絵本に、サインと共に書かれていた絵によく似ていた。
 リュカは走った。
 
「あ…リュカ昨日のことだけど……」

 通りすがり、ギーが話しかけて来たが無視してその脇を通り過ぎる。魔力が少ないせいか、足元が少しふらついたが、今はそれどころではなかった。
 自室へ駆け込むと、マジックバッグから入れっぱなしになっていた絵本を取り出し、表紙の裏と今メモをした紙を見比べる。
 多少の違いはあるものの、よく似ている。

「やっぱり……」

 魔塔にあるどの本にも描かれていない紋様。つまりこの魔法陣は禁忌魔法だということだ。


 ◇


 気がつくとリュカは街の本屋に来ていた。
 他にチェイスが書いた本がないかどうか探すが見つからない。絵本以外の棚も何往復もしてくまなく捜してもなかった。
 本屋の店主にも聞いたが「知らない」との返事。

 「で、でも、この本、この店で購入したんですけど!!」

 「悪いけどねぇ、どこか別の本屋と間違えてるんじゃないかねぇ。 こんな絵本、売った記憶どころか、これ自体を見た記憶がないんだよ」

 店主はすまなそうに返事した。自分の記憶違いだというのか。
 やっと見つけた糸口を手放す訳にはいかない。自分の勘違いだったとは思わないが、チェイスの本を求めてリュカは街中の本屋を巡った。そして街行く人に意識を向ける。チェイスと再び会えることを願って。

 日はとっぷりとくれて、あたりは真っ暗になってきた。なんの手がかりもない。
 だが、リュカは諦めきれず、外灯の明かりを頼りに、本屋の入口横に座って絵本を見返した。
 すべての魔法陣を解いたが、王子様とお姫様が、悪い魔法使いから逃げるシーンで使われている以外の魔法陣はどれも魔塔の書物で確認できる内容だった。
 
「くそっ…じゃぁ、この魔法陣の答えは何なんだ」

 なんの魔法が発動した形跡もない。
 何枚も何枚もそのシーンの魔法陣を描く。考えうる組み合わせを書きなぐるが、古代文字が入るのであればやはりリュカには答えが分からない。
 魔塔の資料室で調べてみようかと、腰を上げた時、向こうから馬に乗ったヴァレルがやってくるのが見えた。
 昨夜のこともあり、気まずくて通り過ぎようとする。馬の上からじっとこちらを見ているような気もするが、認識阻害魔法をかけているのだから、きっと気づかれないだろう。
 通りすぎて、ほっとため息をつくと背後から声をかけられる。
 
「…リュカ?」

「え? な、なんで?」

 なぜ気づかれたのだろう?先日のチェイスといい、ヴァレルといい、ここ最近リュカの認識阻害魔法は下手くそになっているのだろうか。魔力が足りていないのだろうか。

「あぁ、よかった。 リュカの魔力の色なのに、違う人かと思ってちょっとドキドキした」

「魔力の色?」

「ん、リュカの魔力の色、キラキラしているからすぐわかる。 昨日の件、謝りたくて魔塔にも行ったんだけど会えなくて…」

 ヴァレルはまたわからないことを言っている。魔力の色ってなんだろう?
 だけど、そんな事はどうでも良い。昨日の件についてはまずはこちらのほうが謝らなきゃいけないのだろう。

「…いや、謝ることじゃないよ。 僕が余計なこと言ったんだ。 ごめん。 ヴァレルにはヴァレルの人生があるし、僕が口出すことじゃなかった」

「リュカ、そんな言い方ひどい……」

 ヴァレルは明らかに傷ついた様子だったが、リュカは気に留めなかった。というより、ここで一線をひこうと思っていた。下手に近づいて、これ以上傷ついている余裕は自分にはない。
 自らの命がかかっているのだ。エロアの兄のように野垂れ死にする気はなかった。

「それ以外になんていえばいいのかわからないんだ。 アルシェさんは正しいよ。 頑張って騎士になったヴァレルに対して、安全なところにいてほしいと願うのは僕の勝手な願いだよ。 知らない他人の平和より、僕はヴァレルが安全な場所にいてほしいと願っている。 だが、それはヴァレルの考えとは真逆なこともわかっている。 もう言うことはないよ」

「リュカ……俺の命はリュカに助けられた。 だからその命でリュカや、他の人を守りたいと思うのはそんなにいけないこと?」

「いや、ヴァレルの言っていることは正しいよ。 僕が間違っているんだ」

 あの時ヴァレルを助けなかったら。あの時魔力が発現しなかったら。この10年、何度も考えたことだった。
 今の、このいつまで続くかわからない苦しみは、そもそもあの時がきっかけだ。
 だが、どんなに考えても、あの時ヴァレルを守った自分は正しかったと思うし、唯一自分が自信を持って誇れることだった。
 だからヴァレルが言うことも十分理解している。これ以上リュカに言えることはなにもないのだ。

 絶句しているヴァレルに別れを告げる。

「じゃあね」

 早足にその場を立ち去る。もうこれ以上ヴァレルには深く関わらないほうが良いのだろう。
 理想のまま、ただ憧れのまま思うだけで良かったのだ。近づいてしまったから傷つく。
 いつの間にか空には星が出ていた。
 

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