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第一章 王都パライソにて
6.絵本作家
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リュカは街に来ていた。
バージルに養子縁組解消届けを渡すため、久しぶりに休暇をもらいヴェルマンドのタウンハウスに行ったその帰りだった。夜にはヴァレルとの約束がある。
なにか言われるかと腹をくくってタウンハウスまで書類を渡しにいったのだが、バージルはリュカの意志と、二言簡単に確認しただけであっさりと受け取った。
「元気にしてたか?」と「帰ってくる気はないのか?」
10年の間、何度か同じ質問をされたことがあった。だがエロアの命令が効いていて「帰りたい」と声に発することができなかった。エロアの元を逃げ出そうとしたこともあったが、この奴隷魔法のせいですぐに見つかって連れ戻された。
そんな不義理の10年があったかもしれない。バージルはため息を付いて書類を受け取った。
これで完全にヴェルマンドと、ヴァレルと縁が切れるのだと思うと、屋敷を離れがたくて建物が見えなくなるまで馬車の窓から目に焼き付けた。
ヴァレルとの約束にはまだたっぷり時間はあったが寮に戻る気にはならなかった。
いつもはエロアのお使いのついでに慌ただしく自分のものを買っていたが、今日はゆっくりと見て回る。
まずは魔道具屋。
ヴァレルに騎士になったお祝いに贈りたいものがあった。目的のものを迷わず手に取って会計をする。
ヴァレルの瞳と同じ、濃いブルーの石の付いたブレスレットだった。ラッピングを待つ間、店内を見ているとふと、リュカが持っているものより、遥かに容量の大きいマジックバッグが目についた。
リュカの持つマジックバッグは魔法師として働くようになって、お給料を貯めて買った大切なものだが、すでに本や薬草でいっぱいになっていた。
入り切らないものは、寮の部屋に置かれている。本当ならもっと薬草を買いたかったし、もっと容量が入るようなものが欲しかった。
だが、それまで買ってしまうとちょっと財布が心もとない。
マジックバッグは諦めて、包んでもらった贈り物を受け取り、薬屋へと向かう。
薬屋と言っても、薬やポーション等生成されたものから生薬まで売っている。リュカがほしいのは生薬の方だった。
エロアや魔塔の仕事で出入りしていることもあって、認識阻害魔法を解くと、顔なじみの店主がにこやかに挨拶してきた。
「お? なんだリュカさんかい? 相変わらず、きれいに認識阻害魔法つかうねぇ。 しかも、今日は私服だね? お休みの日まで会えるなんて嬉しいねぇ」
生薬を買うときには、魔塔に勤めていることを相手に認識してもらったほうが都合がいいのだ。一見だと思われると粗悪な生薬を高値で売りつけられることがある。
「ルコルコの実、ちょっと多めにほしいんだけど、入ってますか?」
「あー、すまん! ルコルコは今、切らしてるなぁ」
棚を見ると、ルコルコの実のラベルのが付いた瓶は空っぽだった。
「え? じゃぁいつ頃入荷しますか?」
ルコルコの実はそれほど珍しい植物ではない。不思議なこともあるものだと、店主に聞けば、店主は申し訳なさそうに言った。
「いやー、すまんなぁ。 こればっかりはわかんねぇんだよ。 ルコルコは最近、本当に入荷しなくてさぁ。 この実は北の国境近くの森でしか取れないんだけど、あっちの方は、今、魔獣の被害がひどくて、冒険者が寄り付かねぇんだよ。 村も結構被害にあっているらしくて、みんな森に入らないみたいでさぁ。 てかほら、この実、苦いしもともとそそれほど儲かる商品でもないからさ、命の危険冒してまで取りにいかねぇんだよ」
そういえば、少し前の会議で北の国境の付近の森の話が話題も上がっていたのを思い出した。
「そうですか…」
がっかりしながら、他に必要ないくつかの生薬を買っていく。ルコルコの実は、エロアのレシピでは使わないが、リュカがアレンジした固形ポーションでは使っていた。リュカの身体に合うのか、これを使ったほうが魔力の戻りが早いような気がする。
リュカの魔力がエロアに取られても、なんとか生きていられるのはこのオリジナルレシピのおかげだと思っていた。
エロアの兄が衰弱していく時、何度かエロアが作った固形ポーションを水に溶いて飲ませた。だが、気休めにすぎず、最後は枯れ木のように痩せ細っていった。
あれが自分の未来の姿と重なって、リュカはギュッとまぶたを閉じた。ああはなりたくない。
だがエロアのあの自信を見ていると、どんなに探し求めても、リュカの捜し求めている解除魔法は見つからないのかもしれない。
リュカが気づいていない隠し場所。それはどこなのだろう。
諦めに似た気持ちと、諦めきれない気持ち。その2つの相反する感情を持て余しながら、再び認識阻害魔法を自らにかけ古本屋へと入る。
パラパラと目についた魔法書を立ち読みしていた。
客がほとんどいない店内。
市場に出回る魔法書は、魔法陣の公開範囲が決まっていて、魔塔の厳しい検閲を通っているため、とくに珍しい魔法については載っていない事はわかっていた。だが、ふと検閲以前の古書がチェックをすり抜けて出てこないだろうかと毎回無駄な期待をして足を運ぶのがくせになっていた。
諦めて帰ろうとしたその時、ふと子供向けのコーナーに置かれた1冊の絵本が目に入った。
表紙にはお姫様と王子様が手を取り合って幸せそうに微笑んでいる。だが子供向けにしては少し格式張った芸術的な絵だった。
普段だったら気にもとめないようなジャンルの本だったが、その表紙に描かれていた魔法陣が気になったのだ。
手に取り、パラパラとめくる。
「やっぱり…」
悪い魔法使いに捕まったお姫様が、王子様に助け出されて幸せになる、というありふれたお話。
王子様も魔法の使い手らしく、魔法使いと魔法や剣で応戦していく。
だがこの絵本に文字はない。描かれている絵もそれほどわかりやすい絵ではない。だがリュカがこの話を理解できたのは、描かれている魔法陣がその場面に合ったものばかりだったからだ。
といっても、完成している魔法陣ではない。8割程度描かれただけのものだった。
「なんだい、その絵本が気になるのかな?」
突然声をかけられて、本に夢中になっていたリュカはビクッと振り返った。
背後には初老の男性。いや、果たしてそうなのかもわからない。
(認識阻害魔法をかけている…)
リュカは警戒して、本を持ったまま距離を取った。認識阻害魔法を自らにかけているということは、魔塔に勤める者の可能性もあるからだ。
「ふふ、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。 私は君が誰かはわからない」
おだやかな口調で言った。この言葉の意味は、つまりリュカ自身にも自分と同じ認識阻害魔法をかけているのをわかっているという意味だ。そもそも認識阻害魔法をかけているのに、リュカを気に止めたあたりが怪しい。
「警戒しているのに本を手放さない、ということはその絵本を購入したいってことでいいのかな?」
相変わらずリュカは無言で相手を睨んでいた。認識阻害魔法を突破して相手が誰かを確認したいが、高度にかけられている術に加えて、魔導具などでも妨げられていていまいちわからない。ただ、はじめに感じた初老の男性というのは間違いなさそうだ。
「はは、突然声をかけてびっくりさせちゃったね。 その絵本を熱心に見てくれていたからつい嬉しくなっちゃってね。 僕はその本の作者なんだよ」
「え?…作者…さま?…えっと……チェイス…先生?」
思わず手元の絵本を見て確認する。表紙の右端に書かれているサイン。
「はは、先生はやめてくれ。 趣味で描いているだけの絵本作家だよ。 君も気づいていると思うけど、僕が認識阻害魔法をしているのはね、職場に副業がバレるとまずいのさ」
そういってウィンクしてくるチェイス。
(やはり、同じ魔塔勤務の人かもしれない)
ちらりと絵本を見てみると、チェイスも絵本に視線をやってにっこりわらった。その笑顔が悪い人には見えなくて、リュカはつい疑問を口にした。
「なぜこの絵本は文字じゃなくて、魔法陣で説明しているんですか? でも魔法陣の絵、何箇所か呪文が足りないですよ?」
「ふふ、少ししか見てないのに、そこまでよく気づいたねぇ。 よく勉強しているんだな、君は。 だから副業がバレないように、って言っただろ? この本は子供向けに書かれているからね、もし魔力の持った子が真似して書いて魔法が発動したら、絵本のことがバレてしまうだろ? ふむ…そうだな。 君、よかったらこの本をもらってくれないか? 子供向けには絵本だが、魔法師には実力だめしくらいにはなると思うよ?」
魔法は術式に魔力を加えることで発動する。術式は魔法陣に書かれている内容を読みながら展開することが多いが、複雑な術式の場合や読み方の分からないものの場合は描かれた魔法陣に自らの魔力を流すことによって発動することも可能だ。
なるほどな、と思っているとチェイスはカウンターに行って本の会計を済ませた。
「自分の本なのにちゃんと買うんですね」
「そりゃぁ、今の僕は作者じゃなくて、ただの客だからねぇ。 この本の魔法陣が全部解けるか、ぜひ君の実力を見せてもらいたいしね。 それに今渡さないと渡す機会がないだろ?」
「あ、お金は払います」
「いいよ、いいよ。 今日は君と出会えて気分がいい。 これくらい年長者に払わせてくれ。 あ、そうだせっかくだからサインもしておこうかな。 ふふ、絵本作家としてサインするのは初めてだな」
店を出て、サラサラっと持っていたペンでサインをして本を渡された。
本当に気の良さそうな人だ。
サインを見ると、チェイスという名前の上に見たことのない記号が描かれていた。白と黒の2色が組み合わさり細く太く円を作り出している。
「この記号……」
顔を上げるとチェイスの姿はもうどこにもなかった。
ヴァレルとの待ち合わせ場所で、紙とペンを持ち出し夢中になって本を解く。ぼーっとしているとマイナスな思考ばかりが浮かんでくるから良い気晴らしだった。未完成で描かれている魔法陣の中には一般に出回っている書籍にはない高度なものが多く、やはり魔塔の魔法師なのだろうと思った。
絵はあたたかみのある優しタッチで、人柄が表れているような気がしたが、いかんせん。初めの印象通り少し格式張った絵で、子供ウケはあまり良くなさそうだ。
それに加えてこの絵本、魔法術式クイズとしては楽しいが、この魔法陣の意味の分からない人間には、絵だけで話を理解するのは難しいかもしれない。
「やっぱり、今度会ったときには、文字を入れたほうが子供にも読みやすいですよ、って教えてあげよう」
互いに認識阻害魔法を使っていたから、会うことなどないのに、すこしおかしくなって思わず笑顔が出た。
どこの誰かもわからないことを少し残念に思いながら解いていると、王子様とお姫様が逃げるシーンで手が止まった。
リュカも見たことのない魔法陣。一瞬、認識阻害魔法の魔法陣かと思ったが、配列と組み合わせが異なる。一部には追跡阻害の呪文が組み込まれているが、使われている文字の一部が現在のものとは少し違っていた。古書などで見たことのある文字。
なにかぞわりとしたものを感じた。
あれこれ考えてみるが正解がわからない。見たことのない記号や文字が入るなら今日はお手上げだ。帰って調べるしかない。
「あ、もしかして?」
ヴァレルの来る時間も迫ってきたことだし、あとでゆっくり考えようと思いつつ、気になってサインに描かれていた記号を真ん中に当てはめ魔力を流してみる。
―――― しん……
何も変わらない。
「そりゃそうか。 また、ゆっくり調べてみよう」
本と紙をそのままバッグに入れ顔を上げると、ちょうどヴァレルの姿が見えた。
手を振ると嬉しそうに駆け寄ってきた。
昔を思い出して、笑顔になった。
きっとこれが、自分が兄であることを口実に会える最後の機会なのだ。
養子縁組解消届。エロアの包囲網が狭まってきているのをヒシヒシと感じていた。
バージルに養子縁組解消届けを渡すため、久しぶりに休暇をもらいヴェルマンドのタウンハウスに行ったその帰りだった。夜にはヴァレルとの約束がある。
なにか言われるかと腹をくくってタウンハウスまで書類を渡しにいったのだが、バージルはリュカの意志と、二言簡単に確認しただけであっさりと受け取った。
「元気にしてたか?」と「帰ってくる気はないのか?」
10年の間、何度か同じ質問をされたことがあった。だがエロアの命令が効いていて「帰りたい」と声に発することができなかった。エロアの元を逃げ出そうとしたこともあったが、この奴隷魔法のせいですぐに見つかって連れ戻された。
そんな不義理の10年があったかもしれない。バージルはため息を付いて書類を受け取った。
これで完全にヴェルマンドと、ヴァレルと縁が切れるのだと思うと、屋敷を離れがたくて建物が見えなくなるまで馬車の窓から目に焼き付けた。
ヴァレルとの約束にはまだたっぷり時間はあったが寮に戻る気にはならなかった。
いつもはエロアのお使いのついでに慌ただしく自分のものを買っていたが、今日はゆっくりと見て回る。
まずは魔道具屋。
ヴァレルに騎士になったお祝いに贈りたいものがあった。目的のものを迷わず手に取って会計をする。
ヴァレルの瞳と同じ、濃いブルーの石の付いたブレスレットだった。ラッピングを待つ間、店内を見ているとふと、リュカが持っているものより、遥かに容量の大きいマジックバッグが目についた。
リュカの持つマジックバッグは魔法師として働くようになって、お給料を貯めて買った大切なものだが、すでに本や薬草でいっぱいになっていた。
入り切らないものは、寮の部屋に置かれている。本当ならもっと薬草を買いたかったし、もっと容量が入るようなものが欲しかった。
だが、それまで買ってしまうとちょっと財布が心もとない。
マジックバッグは諦めて、包んでもらった贈り物を受け取り、薬屋へと向かう。
薬屋と言っても、薬やポーション等生成されたものから生薬まで売っている。リュカがほしいのは生薬の方だった。
エロアや魔塔の仕事で出入りしていることもあって、認識阻害魔法を解くと、顔なじみの店主がにこやかに挨拶してきた。
「お? なんだリュカさんかい? 相変わらず、きれいに認識阻害魔法つかうねぇ。 しかも、今日は私服だね? お休みの日まで会えるなんて嬉しいねぇ」
生薬を買うときには、魔塔に勤めていることを相手に認識してもらったほうが都合がいいのだ。一見だと思われると粗悪な生薬を高値で売りつけられることがある。
「ルコルコの実、ちょっと多めにほしいんだけど、入ってますか?」
「あー、すまん! ルコルコは今、切らしてるなぁ」
棚を見ると、ルコルコの実のラベルのが付いた瓶は空っぽだった。
「え? じゃぁいつ頃入荷しますか?」
ルコルコの実はそれほど珍しい植物ではない。不思議なこともあるものだと、店主に聞けば、店主は申し訳なさそうに言った。
「いやー、すまんなぁ。 こればっかりはわかんねぇんだよ。 ルコルコは最近、本当に入荷しなくてさぁ。 この実は北の国境近くの森でしか取れないんだけど、あっちの方は、今、魔獣の被害がひどくて、冒険者が寄り付かねぇんだよ。 村も結構被害にあっているらしくて、みんな森に入らないみたいでさぁ。 てかほら、この実、苦いしもともとそそれほど儲かる商品でもないからさ、命の危険冒してまで取りにいかねぇんだよ」
そういえば、少し前の会議で北の国境の付近の森の話が話題も上がっていたのを思い出した。
「そうですか…」
がっかりしながら、他に必要ないくつかの生薬を買っていく。ルコルコの実は、エロアのレシピでは使わないが、リュカがアレンジした固形ポーションでは使っていた。リュカの身体に合うのか、これを使ったほうが魔力の戻りが早いような気がする。
リュカの魔力がエロアに取られても、なんとか生きていられるのはこのオリジナルレシピのおかげだと思っていた。
エロアの兄が衰弱していく時、何度かエロアが作った固形ポーションを水に溶いて飲ませた。だが、気休めにすぎず、最後は枯れ木のように痩せ細っていった。
あれが自分の未来の姿と重なって、リュカはギュッとまぶたを閉じた。ああはなりたくない。
だがエロアのあの自信を見ていると、どんなに探し求めても、リュカの捜し求めている解除魔法は見つからないのかもしれない。
リュカが気づいていない隠し場所。それはどこなのだろう。
諦めに似た気持ちと、諦めきれない気持ち。その2つの相反する感情を持て余しながら、再び認識阻害魔法を自らにかけ古本屋へと入る。
パラパラと目についた魔法書を立ち読みしていた。
客がほとんどいない店内。
市場に出回る魔法書は、魔法陣の公開範囲が決まっていて、魔塔の厳しい検閲を通っているため、とくに珍しい魔法については載っていない事はわかっていた。だが、ふと検閲以前の古書がチェックをすり抜けて出てこないだろうかと毎回無駄な期待をして足を運ぶのがくせになっていた。
諦めて帰ろうとしたその時、ふと子供向けのコーナーに置かれた1冊の絵本が目に入った。
表紙にはお姫様と王子様が手を取り合って幸せそうに微笑んでいる。だが子供向けにしては少し格式張った芸術的な絵だった。
普段だったら気にもとめないようなジャンルの本だったが、その表紙に描かれていた魔法陣が気になったのだ。
手に取り、パラパラとめくる。
「やっぱり…」
悪い魔法使いに捕まったお姫様が、王子様に助け出されて幸せになる、というありふれたお話。
王子様も魔法の使い手らしく、魔法使いと魔法や剣で応戦していく。
だがこの絵本に文字はない。描かれている絵もそれほどわかりやすい絵ではない。だがリュカがこの話を理解できたのは、描かれている魔法陣がその場面に合ったものばかりだったからだ。
といっても、完成している魔法陣ではない。8割程度描かれただけのものだった。
「なんだい、その絵本が気になるのかな?」
突然声をかけられて、本に夢中になっていたリュカはビクッと振り返った。
背後には初老の男性。いや、果たしてそうなのかもわからない。
(認識阻害魔法をかけている…)
リュカは警戒して、本を持ったまま距離を取った。認識阻害魔法を自らにかけているということは、魔塔に勤める者の可能性もあるからだ。
「ふふ、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。 私は君が誰かはわからない」
おだやかな口調で言った。この言葉の意味は、つまりリュカ自身にも自分と同じ認識阻害魔法をかけているのをわかっているという意味だ。そもそも認識阻害魔法をかけているのに、リュカを気に止めたあたりが怪しい。
「警戒しているのに本を手放さない、ということはその絵本を購入したいってことでいいのかな?」
相変わらずリュカは無言で相手を睨んでいた。認識阻害魔法を突破して相手が誰かを確認したいが、高度にかけられている術に加えて、魔導具などでも妨げられていていまいちわからない。ただ、はじめに感じた初老の男性というのは間違いなさそうだ。
「はは、突然声をかけてびっくりさせちゃったね。 その絵本を熱心に見てくれていたからつい嬉しくなっちゃってね。 僕はその本の作者なんだよ」
「え?…作者…さま?…えっと……チェイス…先生?」
思わず手元の絵本を見て確認する。表紙の右端に書かれているサイン。
「はは、先生はやめてくれ。 趣味で描いているだけの絵本作家だよ。 君も気づいていると思うけど、僕が認識阻害魔法をしているのはね、職場に副業がバレるとまずいのさ」
そういってウィンクしてくるチェイス。
(やはり、同じ魔塔勤務の人かもしれない)
ちらりと絵本を見てみると、チェイスも絵本に視線をやってにっこりわらった。その笑顔が悪い人には見えなくて、リュカはつい疑問を口にした。
「なぜこの絵本は文字じゃなくて、魔法陣で説明しているんですか? でも魔法陣の絵、何箇所か呪文が足りないですよ?」
「ふふ、少ししか見てないのに、そこまでよく気づいたねぇ。 よく勉強しているんだな、君は。 だから副業がバレないように、って言っただろ? この本は子供向けに書かれているからね、もし魔力の持った子が真似して書いて魔法が発動したら、絵本のことがバレてしまうだろ? ふむ…そうだな。 君、よかったらこの本をもらってくれないか? 子供向けには絵本だが、魔法師には実力だめしくらいにはなると思うよ?」
魔法は術式に魔力を加えることで発動する。術式は魔法陣に書かれている内容を読みながら展開することが多いが、複雑な術式の場合や読み方の分からないものの場合は描かれた魔法陣に自らの魔力を流すことによって発動することも可能だ。
なるほどな、と思っているとチェイスはカウンターに行って本の会計を済ませた。
「自分の本なのにちゃんと買うんですね」
「そりゃぁ、今の僕は作者じゃなくて、ただの客だからねぇ。 この本の魔法陣が全部解けるか、ぜひ君の実力を見せてもらいたいしね。 それに今渡さないと渡す機会がないだろ?」
「あ、お金は払います」
「いいよ、いいよ。 今日は君と出会えて気分がいい。 これくらい年長者に払わせてくれ。 あ、そうだせっかくだからサインもしておこうかな。 ふふ、絵本作家としてサインするのは初めてだな」
店を出て、サラサラっと持っていたペンでサインをして本を渡された。
本当に気の良さそうな人だ。
サインを見ると、チェイスという名前の上に見たことのない記号が描かれていた。白と黒の2色が組み合わさり細く太く円を作り出している。
「この記号……」
顔を上げるとチェイスの姿はもうどこにもなかった。
ヴァレルとの待ち合わせ場所で、紙とペンを持ち出し夢中になって本を解く。ぼーっとしているとマイナスな思考ばかりが浮かんでくるから良い気晴らしだった。未完成で描かれている魔法陣の中には一般に出回っている書籍にはない高度なものが多く、やはり魔塔の魔法師なのだろうと思った。
絵はあたたかみのある優しタッチで、人柄が表れているような気がしたが、いかんせん。初めの印象通り少し格式張った絵で、子供ウケはあまり良くなさそうだ。
それに加えてこの絵本、魔法術式クイズとしては楽しいが、この魔法陣の意味の分からない人間には、絵だけで話を理解するのは難しいかもしれない。
「やっぱり、今度会ったときには、文字を入れたほうが子供にも読みやすいですよ、って教えてあげよう」
互いに認識阻害魔法を使っていたから、会うことなどないのに、すこしおかしくなって思わず笑顔が出た。
どこの誰かもわからないことを少し残念に思いながら解いていると、王子様とお姫様が逃げるシーンで手が止まった。
リュカも見たことのない魔法陣。一瞬、認識阻害魔法の魔法陣かと思ったが、配列と組み合わせが異なる。一部には追跡阻害の呪文が組み込まれているが、使われている文字の一部が現在のものとは少し違っていた。古書などで見たことのある文字。
なにかぞわりとしたものを感じた。
あれこれ考えてみるが正解がわからない。見たことのない記号や文字が入るなら今日はお手上げだ。帰って調べるしかない。
「あ、もしかして?」
ヴァレルの来る時間も迫ってきたことだし、あとでゆっくり考えようと思いつつ、気になってサインに描かれていた記号を真ん中に当てはめ魔力を流してみる。
―――― しん……
何も変わらない。
「そりゃそうか。 また、ゆっくり調べてみよう」
本と紙をそのままバッグに入れ顔を上げると、ちょうどヴァレルの姿が見えた。
手を振ると嬉しそうに駆け寄ってきた。
昔を思い出して、笑顔になった。
きっとこれが、自分が兄であることを口実に会える最後の機会なのだ。
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