上 下
8 / 30

8.再会

しおりを挟む
 12月25日、怒涛の一晩を終えた翌日。いろいろなことが起こりすぎて、なにが現実でなにが夢なのかもわからないような気分のまま、聖人は自宅へと戻った。
 
 玄関外に置かれていたはずのコートとジャケットは見当たらず、どうやら室内に入れられたらしい。緊張しながら玄関の鍵を開けた瞬間、その音に反応した彼女が即座に玄関を開けた。
 やはり、昨日服を取りに戻らなくて良かった。ずっと待ち構えていたのだ。

「聖人、昨日はどこへ行ってたの!?私、謝りたくて何度も電話したのに!!繋がらないし、返事もくれないし!!」

 そんな彼女にできる限り穏やかに別れを告げた。自分にも至らないところはあった。自分のことは気にせず友人と堂々と付き会って欲しい、と。
 だが、彼女は別れたくないと泣き叫び、聖人に抱きついた。
 そして、首筋の鬱血痕に気づくと、激怒し、襲ってきた。
 聖人も男だから振りほどけないことはなかったが、新太から借りたパーカーを伸ばされないように自ら脱ぎ、昨日から着ていたワイシャツになると、彼女はヒステリックに服を裂いた。
 ボタンが弾け、はだけた聖人の首から鎖骨にかけて、いつの間につけられたのか、聖人の身体にはたくさんの赤い痕がつけられていた。

「なにこれ…私のことは抱けないのに…他の人は抱けるの?」

 彼女の声が低くなる。震えていた。
 聖人も浮気がわかったその日に若い男に抱かれてしまったという罪悪感があった。彼女を満足させてあげることができなかった負い目。だがそんなことは口にできない。言葉に詰まると、ますます彼女は激怒した。

 もう聖人には別れるという選択肢しかなかったから、粘り強く説得した。だが最後まで別れることを承諾しない彼女を置いて聖人は部屋をでた。
 部屋の契約者は聖人で、部屋を解約され、本人も出て行ってしまえば、彼女は従うしかなかった。

 鍵を返却する前に、何もなくなった部屋を訪れ、少し寂しい思いがした。
 1年と数か月前、彼女と一生をともにする覚悟をもって同棲を始めたはずだった。だが、裏切られ、そして聖人は新太に抱かれ、痛いほどに自分のセクシャリティを思い起こさせられた。
 彼女の責任だけではない。自分のせいで彼女も傷つけてしまった。自分のような人間は人と関わらない方がいい。

 あれ以来、新太には会っていない。
 部屋の片付けはほとんど引越し業者に頼んだし、新太の働いているコンビニにはその後一度も行かなかった。
 借りた服はクリーニングに出し、新太がいないタイミングを見計らってお礼の品と一緒に宅配ボックスにそっと返した。連絡先を教えると約束したのに、約束を破った。
 新太の連絡先を知ってしまったら、自分の方が彼に依存してしまう。別れる時にきっとみっともなくすがりついてしまう。そんな恐怖があった。
 
 年が明けると、年度末にむかって仕事は忙しくなり、バタバタとあわただしい日々がやってきた。
 ちょうど聖人が携わっていたプロジェクトも大詰めで、会社に缶詰の日々が続いていた。
 そんな中、別れた彼女が会社までやってきて「別れたくない」と泣き叫び、社内の注目を浴びた。
 あの後、友人とはうまくいかなかったのだろうか。もうその友人とは連絡も取っていなかった。
 「聖人の浮気を許す」とズレた発言をする彼女を冷たく突き放した。「自分がしていたくせに責任転嫁するな」と。疲労もピークで、かなりきつい言葉が出た。

 噂好きの社内で、さまざまな憶測が飛び交い、好奇の視線にさらされる。注目されたくない聖人にとってはいたたまれなかった。もうこれ以上なにも詮索されないように、冷たい表情をうかべ、周りと壁を作った。
 そうしていると、直接聞いてくるものはいなかった。それでいい。ただなにも考えず、仕事に追われていたい。


 新しい期が始まると、仕事は落ち着き、他の部署から異動してきた小林と、営業事務の女性・原が聖人の下についた。
 期末をゴールに終えたプロジェクトは、とりあえず順調に走り出し、しばらくはデータの取得とフォローやメンテナンスで済む。
 そんな時の新人教育だから、妥当な人事だ。
 4月の後半になれば、研修を終えた新入社員が新たに部署にやってくる。チームの人数的に聖人の下に付く可能性が高い。
 それまでに小林に仕事を任せられるようにしなければいけない。聖人の通常業務を後回しにして、後輩の指導にあたる。後進の指導は時間と手間のかかる仕事だったが、それでも余計なことは何も考えず仕事ができてよかった。

 聖人は会社から3駅程度の場所へ引っ越していた。何も考えたくなくて、ギリギリまで仕事をして、疲れ果てて帰って寝る。
 時々あの夜を思い出して、一人で後ろを慰めることもあった。思い出すたびに湧き上がる罪悪感と幸福感。なにも考えず、愛を囁かれ、好みのタイプの男と身体をつなげた幸せな一時ひととき
 二度と会うことのないであろう新太との思い出は、綺麗なまま心にしまっておくことにした。
 関係が進んでしまえば別れが待っている。だからこの思い出を美化して、絶対に壊したくない宝物のように大切にした。





 ……なのに。
 新しく部署に入ってきた新入社員は来栖新太だった。
 明るかった髪は黒く落ち着いた色に染められ、パリッとしたスーツを着て、ますますかっこよくなった新太が目の前に現れた時に、聖人は目を疑った。

「今年入社しました、来栖新太です。よろしくお願いします」

 聞き間違えるはずのない、その名前。
 みんなの前で自己紹介するときに、一瞬目が合った気がしたが、新太はすぐ目をそらした。

「柊木くん、来栖くんは君のチームでいいかな。先輩とは言え小林くんもまだ異動してきたばかりだし、一緒に教えてあげてよ」

 想定通りの内容を上司に言われ、聖人は引きつった笑顔で了承する。できれば断りたかったが、断れるはずもなかった。
 表向き後輩の小林が新太を直接指導することとはなっているが、小林は異動して一ヶ月も経っていない。実際の指導は聖人もかなり関わることになる。
 こんな星の数もある会社の中で、こんな何百人もいる社員の中でなぜ聖人の下なのだ。聖人はこの悪縁を恨んだ。

 不安な気持ちをよそに、新太は聖人に対しても他の社員と同じように接し、知り合いだという素振りを見せることもなかった。
 あのコンビニで向けてくれていた笑顔はもうない。
 ほっとすると同時に、胸が少し痛んだ。自分から連絡しなかったくせに、会ってしまうと愛を囁いてくれたことを思い出して恋しさが生まれる。
 だが「これでいいんだ」と自分を納得させる。同じ会社ならば余計、必要以上に関わらないのが賢明だ。
 あれはお互いが見た一夜の夢だったのだ。夢が覚めたら代わり映えのしない日常が待っている。

 ゴールデンウィーク前にされる配属は、新入社員が部署の雰囲気に慣れる程度しかできない。
 業務に支障のない、基本的な仕事を小林が指導し、聖人と新太はあまり関わることなく仕事に専念した。
 そしてその週末。ゴールデンウィークに入る直前の金曜日、課主催の新入社員歓迎会兼交流会が開かれた。任意なのだが、聖人のチームは全員参加した。

 会社近くの居酒屋。
 新太は、上役はもちろん、他のチームの人にも礼儀正しお酌をし、そつのない会話を交わしていく。
 聖人のところにもやってきた。
 
「柊木さん…これからご指導よろしくお願いします。あの、ビールで大丈夫ですか?」
「……あぁ…」

 なにか言いたげにじっと見つめる新太の視線に耐えきれず、注がれるグラスに視線を落とした。
 じんわり嫌な汗がでていた。

「あの…聖人さん、今度二人で話したいことが…」

 名前で呼ばれ、グラスを持つ手がびくっと過剰に反応してしまった。言葉に詰まっていると、小林がやってきた。

「柊木さーん、お疲れ様っす。お酌させてくださいよー。ビールでいいですか?」
「あ、あぁ…ありがとう」

 新太は一瞬不満げな顔をしたが、すぐに作り笑いを浮かべた。
 しばらく3人で他愛もない会話をしていたが、程々なところで「席に戻って食事しろ」と、二人を帰す。お酌をしている二人の席には、手のつけられていない料理がたくさん置かれていた。
 新太が離れて、やっと一息ついた。思った以上に自分は緊張していたらしい。
しおりを挟む
感想 28

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。

白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。 最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。 (同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!) (勘違いだよな? そうに決まってる!) 気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。

酔った俺は、美味しく頂かれてました

雪紫
BL
片思いの相手に、酔ったフリして色々聞き出す筈が、何故かキスされて……? 両片思い(?)の男子大学生達の夜。 2話完結の短編です。 長いので2話にわけました。 他サイトにも掲載しています。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...