怪談・芳一BL

猫丸

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1.前編

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 不動産屋に紹介された1Kの部屋は、覚悟していたより全然綺麗で俺、小泉芳一こいずみよしかずは拍子抜けした。
「こんな良い部屋……こんな値段で借りていいんッスか……?」
「えぇ、オーナー様から許可がおりてますので。どうです? かなり小泉様のご希望に近い物件だと思いますが……」
 不動産屋の兎崎うざきは胡散臭い笑顔を浮かべた。
 いや、胡散臭く見えるのは、俺がこの幸運を信じきれていないからなのかもしれない。
 海が近くて洗濯物が湿りやすいとか、駅から2 0分歩くだとか、スーパーが遠いだとか、多少難はあるものの、お金もなく、仕事もない俺にとっては破格の条件。
 しかも楽器演奏可の部屋なのに、周辺のアパートの賃料相場の半額近く。
 そりゃ、楽天家の俺でも少しは疑ってしまうのも無理はない。
「先程店舗でもお伝えしたように事故物件ではありません。ただし……」
 俺はごくりとつばを飲んで続く言葉を待った。
「ほら。ご覧の通り、眺望がお墓なんですよねぇ……」
 兎崎は雨戸のシャッターを開けると、墓を指差しながら困ったように笑った。確かに事前に聞いていた通り、部屋の眺望が広い墓で埋め尽くされている。
「あぁ、これは確かにスゲー墓ッスね……あ、でも俺は全然平気っス!」
 これだけの眺望なら安い理由は納得できる。それに俺にとってこの眺望は、大して気になるようなことではなかった。
 俺の昔からの友人に水原慧源みずはらけいげんという寺の跡取り息子がいた。学生時代、一緒にバンドを組んでいた仲間だ。
 バンドのメンバーは全員で四人いたが、なぜかちゃらんぽらんな俺と真逆の性格の慧源とは気があった。
芳一ほういちを見ていると、『煩悩』というものとはこういうものなのだな、とつくづく気付かされるんだよ」
「だから、ほういち・・・・じゃねぇ。よしかず・・・・だって何回も言わせんな」
 他のやつが言えば頭にくる言葉も、慧源が言えばさして気にもならない。俺は頬を膨らませながらも、こいつの隣が気に入っていた。
 俺が目立ちたがり屋なのも、喧嘩っ早いのも、馬鹿なのも昔から。慧源はそれらすべてを苦笑いをしながら受け入れてくれるような存在だった。
 家で楽器の練習ができない俺は、慧源の部屋へ入り浸ってはギターを、慧源はベースを練習していた。そんな俺達がよく練習していたその部屋からも、彼の実家の寺が所有する霊園が見えていたからだ。
 始めは不気味だと思っていたものも、毎日見ていればそのうち慣れる。
「歴史あるお墓なんですけどねぇ……」
 ふと、昔を思い出し、ぼんやりしていた俺に兎崎がぽつりとつぶやいた。
 俺は念の為、楽器の演奏は何時から何時まで可能かを確認した。
 当然ながら夜間は禁止。昼間の常識的な範囲で、と言われた。もちろんそれは楽器だけじゃなくて、洗濯も同様だと言われれば「そりゃそうだろう」と納得する。
 俺は即申込みをし、なけなしの金を支払って、最短で入居した。

 アパート全体で四部屋あるようだったが、俺以外は誰も住んでいないらしい。
「そもそもこんな墓に向かって建物建てるかねぇ。大方、土地持ちのじーさんが、不動産屋にでも騙されて建てさせられたかな? ま、俺にはラッキーだったけど」
 にんまりしながら、ケースからアコースティックギターを取り出して音を鳴らす。
 少し音のズレた絃をチューンナップして、ポロンと少しだけ音を出した。
 俺の荷物は、このギターとわずかな服だけ。
 高校を卒業しても音楽を続け、地元ではそこそこ人気バンドのギタリストだった俺。都会のほうがチャンスが多いだろうと上京したものの、俺のような人間は掃いて捨てるほどいた。
 バイトをしながら、バンド活動をして、引っ掛けたオンナの家に転がり込んで、を繰り返してきた。だが、さすがに焼きが回ったようだ。たまたま誘われてセックスした相手が、タチの悪い彼氏がいるオンナで、俺の持っていた価値のあるもの。楽器や機材一式すべて、その代償として換金させられた。俺は金も住む所も失った。
 このアコギは、たまたま何回か前に世話になっていたオンナの家に、置きっぱなしになっていたものだった。
「アンタ、今更どの面下げて! よくも顔出せたわね!」
 俺が取りに行くと、元カノはそう言って叩きつけるように渡してきた。
 
「アコギだったらバンド組まなくてもできるしな。それに今は配信っていう手もある。それで一発ドカーンと当てれば!」
 俺は声に出して自分を励ました。早くバイトを見つけて、インターネットを引いて……。
 この部屋は俺の希望条件が揃った部屋だったが、唯一の欠点は、電波が安定しないことだった。まさかこの令和のご時世に、寂れているとはいえ、駅から20分の立地でこんなところがあるとは思わなかった。そこは盲点だった。
「まぁ、通信費も馬鹿にならないしな」
 俺はスマホを置いて歌った。アパートには俺以外誰も住んでいない。少しくらい平気だろう。
 歌っていれば、その曲を書いた時の自分の心情が後から後から蘇ってくる。
 嬉しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと。やりきれない思いも、このどうしようもない不安もすべて歌にぶつける。

 どれくらい歌っただろうか。
 ふと部屋のチャイムが鳴った。
 あわててスマホで時間を確認すれば深夜二時。俺は血の気が引いた。
(ヤバい。ご近所さんからのクレーム?)
 アパートに人が住んでいないからといって、周辺に人が住んでいないはずもないのに、その考えをすっかり失念していた。
 なにはともあれ、まずは謝罪だ。そもそも『常識的な時間のみ』と言われていたじゃないか。それを初日から破るなんて。

 インターフォンを見たが、ちょうどカメラの死角にいるのか、人の姿はない。
 それでも慌てて玄関扉を開ければ、背の高い、顔立ちの整った、長髪の男性が立っていた。
「あ、あの! すみませんでしたっ! 誰もいないと思って……」
 俺はただひたすら謝り倒した。
「……え? ああ、違うんですっ。 素敵な歌声だったので、どんな方が歌っているのか気になって、ついふらふらと……。こちらこそ夜中にすみません。……ふふ、驚きましたよね?」
 そういいながら、彼は少し照れたように笑った。こんな時間の訪問者に対して警戒もせず、つい笑顔を返してしまったのは、怒られると思ったのに歌声を褒めてもらったせいと、多分彼が男でも見惚れてしまうほど、整った顔立ちをしていたせいだろう。
「『素敵な歌声』だなんて……嬉しい、ッス……」
 これからの将来に展望があるわけでもないが、なんとなく音楽をやめる気にはならなかったのには理由がある。
 俺は今まで歌とギターしか褒められたことがなかったのだ。勉強もできず、お調子者のふりをして誤魔化してきた。皆からずっと馬鹿にされてきて、でもそれにも慣れてしまって。
 だが歌とギターだけは、皆心の底から褒めてくれた。だからこれを捨ててしまえば、俺には本当になにも残らない、そんな思いがあった。
「実際にお顔を拝見したら、歌声だけでなく、実物も素敵な方でした。 あの……ご迷惑でなければもっと聴かせていただけませんか?」
「よ、よろこんで! あ、でもさすがにこの時間は近所迷惑なので……」
 今更どの口がなにをいう、である。だが一応口先だけは常識人のふりをする。
 なのに彼は「この周辺に誰も住んでいないから大丈夫ですよ」と笑った。
 
 俺は彼に請われるまま彼を部屋へあげ、何曲か演奏した。
 そして次の日も、そのまた次の日も彼に聴かせた。
 彼は『知盛』と名乗った。俺は『トモ』と呼ぶことにした。
 トモはこのアパートのすぐ近くに住んでいるという。
 この地域にも昔は人が住んでいたのだが、最近では全くいなくなってしまったらしい。トモも久しぶりに人の声がして驚いたのだという。
 トモは自分よりは年上そうだが、年齢不詳だった。聞けば笑ってはぐらかされたから、実は見た目よりずっと歳をとっているのかもしれない。
 それでも昼間は仕事で忙しいのか、俺が演奏するのは決まって夜だった。
 それに俺も運良く飲食店のバイトが決まって、昼間から夜にかけて仕事で忙しくなった。
 日々時間に追われるようになったがそれでも楽しかった。俺が作った曲、何を歌ってもトモは俺の望む反応をしてくれた。バラードを歌ったときには、涙まで流して聴いてくれた。
 トモと一緒にいると、時間も忘れ、将来への不安も忘れてしまう。俺は夢中で歌い、ギターを弾いた。
 そんな状態であるから、俺がトモにのめり込んでいくのも自然な流れだったと思う。
 バイトで疲れていても、夜、トモに会えるのだと思えばへっちゃら。帰宅時間が近づくに連れ、俺は気持ちが高揚するのを感じた。
 
 俺がここに住み始めてから、この周辺でトモ以外の人と会うことはなかった。都会の片隅とはいえこんな場所があるのだな、と不思議なくらい静かな街だった。
 人々が通過していくだけの街。
 アパートの掃除をしに来た兎崎と会った時などは、お化けかと思い、小さく悲鳴を上げてしまった程だ。 
 兎崎は俺に気づくと、ほうきとちりとりを片手に持ち直し、居住まいを正して、胡散臭い笑顔を浮かべた。
「おはようございます。お仕事ですか?」
「お、おはようございます。はい、そうなんッス……」
 部屋を見学に来た時に感じた胡散臭さは、兎崎本人から発せられていたものなのだな、とふと思った。口元は笑っているのに、目の奥が笑っていない。何を考えているのかよくわからないのだ。
「ここの生活にはもう慣れましたか?」
「お陰様で……」
 何かを探るような声に聞こえるのは、俺にやましいところがあるからか。
 俺は会話を終えようと、自転車をまたいだ。その時、ふと兎崎が言った。
「あ、小泉さん。夜、楽器演奏はしていないですよね?」
 どきりとした。近所の人か大家さんからクレームが入ったのだろうか?
「え……っと、してないッスけど……」
 俺はとっさに嘘をついてしまった。問い詰められればすぐに白状し、謝罪しただろうが、兎崎はそれ以上追求してこなかった。
「ならば良かったです。ついつい弾きたくなってしまうような環境ですが……絶対に駄目ですよ?」
 俺は目を合わせられず、じっと自転車のハンドルを見つめた。だが、やはり正直に謝るべきだと意を決して顔を上げた。
 俺と目が合った兎崎は、こてりと首を傾げ、ニッコリ笑って手を振ってきた。
「お仕事、お疲れ様です。いってらっしゃいませ」
「い、行ってきます……」
 言葉尻が小さくなる。俺はなんとなく謝るタイミングを逃し、苦い感情を抱えたままアパートを後にした。

 その日の夜、俺はいつものように現れたトモにその事を伝えた。
「やっぱ、夜に演奏するのはまずいみたいで……」そういうと、「ならば今度うちに来ませんか? うちでしたら誰も文句言うものはおりませんし、むしろ大歓迎ですよ?」と返してきた。
「……いいんッスか?」
「えぇ、貴方でしたら大歓迎でしょう。何より私が貴方をご招待したいのです」
 そう言ってトモは美しい顔をほころばせて笑った。
『皆』という言葉がちくりと気にならなかったわけではないのだが、この地域に他の人は住んでいない、と以前トモが言っていた。きっと動物でも飼っているのだろう、と深く追求しなかった。
  
 そんな約束をした翌日、バイト先のレストランに慧源が食事をしに来た。
 つるつるに剃り上げた頭に、普通のポロシャツとジーパンという姿。
「やぁ。芳一ほういち、久しぶりだね。はい、これ手土産」
「『ほういち』じゃねぇ、『よしかず』だバカ。てか、マジで来たのかよ」
 バイト先の同僚が『ほういち』という言葉に首を傾げたので、一応聞こえるように訂正した。そして俺達の地元の銘菓である焼菓子――白餡をバターの香り高い甘い生地で包んだもの――を渡された。
「今日は前泊で一人だからね。君と飲もうと思ったのに、バイト入ってるっていうからわざわざ来てやったんだよ」
 数日前に慧源から『若手僧侶の集まりがあって近くへ行くから飲まないか?』と誘いが来ていたのだ。
 慧源は高校を卒業した後、僧侶になるべく仏教系の大学へと進学した。卒業した今、どうやら寺の跡取りとしての道を順調に歩んでいるらしい。俺とは大違いのまともな人生。
 気まずさが少し表情に出た。
「芳一、君……大丈夫かい?」
 俺が注文された烏龍茶を運ぶと慧源が言った。
「あ? ……まぁ色々合ったけど、元気にやってるぜ?」
 少し声が震えたが、努めて明るく振る舞った。
「いや、そうじゃなくて……なんか……いや、今付き合っている女性……なのかな?」
 慧源の言葉が妙に歯切れが悪い。俺も仕事中で、のんびり話しているわけにもいかない。
「はは、あいにく今はフリーだよ。……あ、悪い。呼ばれた。まぁ、ゆっくりしてけ」
 こんな場所であまり突っ込まれても困る。俺はテーブルを離れた。
 その後慧源のテーブルにハンバーグセットを運んでいった時、意を決したように慧源が言った。
「芳一、話があるからバイトが終わったら付き合ってくれないか?」
 俺はどきりとした。
 実は慧源は俺に気があるのではないかと、思ったことがあるのだ。

 だが慧源はバイト上がりの俺の姿を見るなり言った。
「……芳一、君、何かに取り憑かれてやしないかい?」
 俺は自転車を押しながら、慧源と共にアパートへと帰る。
「は? お前オカルトそっち系のヤツだったっけ?」
 寺の坊主がなに言ってんだ、と思う。そして告白とかでもないのか、と少しホッとしたような、がっかりしたような気持ちになった。
「いや、これでも一応僧侶の端くれだからね。なにか嫌な感じがするんだよ。家を見せてくれたら帰るから」
 慧源とトモが鉢合わせしたら嫌だな、となんとなく思った。
 昨日の今日だ。トモが現れたら「今日は行けない」と断らなくてはいけないのが申し訳なかった。折角俺が遊びに行くのを楽しみにしてくれている様子だったのに。
「……見るだけだぞ? 泊めてはあげられないからな?」
 俺は念を押す。
「それはご心配なく。ちゃんとホテルを取っているし、明日は朝早くから研修だからね。部屋を確認したらすぐに帰るよ」

 他愛もない近況を話しながら、暗い夜道を歩いていく。
「遠いな。タクシーに乗ればよかった」
 慧源が言った。
「馬鹿、そうしたら俺が明日バイト行くのに困るだろ?」
「馬鹿は君の方だよ。タクシーに自転車を積めるのを知らないのかい? ……って、芳一、このトンネルを抜けるのかい? なんか不気味だね」
 俺のアパートの手前に、車一台が通れる程度の暗いトンネルがある。
「ここを抜ければすぐだ。ほらもう見えてるだろ?」
 慧源は首を傾げたが、何も言わず俺の隣を歩いていた。そしてトンネルを通っている間中ずっと、ブツブツとなにか言っていた。耳をそばだててみれば、どうやらお経を唱えているらしい。
 意外とビビりなんだな、と思ったが黙っていた。
 それよりも俺は、ふと、トモの家はどこなのだろうと、気になりはじめた。
 今まで自転車で一気に走り抜け、気にもしてこなかったが、この周辺には本当に人の気配のする建物がない。
 どこの家も真っ暗で、酷いところは雨風にさらされ、放置され、崩れ始めている建物もあった。
 俺の歌声が聞こえる程、近くの家。だが周囲は墓や草ばかりで家なんて見たことがない。それとも背丈ほどに伸びた草の向こう側にトモの家はあるのだろうか?
「ここだよ」
 俺は慧源を自分の部屋に案内した。
 慧源は相変わらず口の中でぶつぶつとお経を唱えていたが、玄関の扉が閉まった瞬間に低い声で言った。
「間違いない。君、なにかに取り憑かれているよ。……この部屋、僕以外の誰かが入ったことない?」
 脱いだ自分の靴につまづきそうになるくらい俺は驚いた。
「え?」
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