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 その後、僕は第二の性を調べた。この店での出来事、コマンドという言葉に引っかかりがあったからだ。確か保健体育の授業でやった第二の性、Dom/Sub。
 第二の性とはダイナミクスとも呼ばれ、男女の性とは別に人口の各5%に現れる特異体質のことをさす。Domという性はDominant(支配的な)の略。相手を支配したい、お世話したい、という性質をもち、Subという性はSubmissive(従順な)の略。Domとは反対に支配されたい、お世話されたいという性質を持つ。
 SMと混同され特殊性癖として、奇異の目で見られがちな性ではあるが、この性の一番厄介なところは、Dom性の者が放つコマンドと言われる指令を、Sub性を持つ者が本人の意志とは関係なく従ってしまうことにある。その指令にSubが抵抗を示せば、具合が悪くなったり、最悪の場合、サブドロップと言って、強い精神不安を引き起こすことがあるという。SMとは似て非なるものなのだ。
 そして、Subの人は特に街中で不意にコマンドに従ったりしないように、薬で調整したり、定期的に欲求を発散するためのプレイが推奨されている。

 今まで第二の性を調べたことはなかった。公共の場でコマンドを出すことは禁止されているから、気づかなかった。
 加えてこの第二の性は差別にも繋がる内容なので、学校では正しい知識を学ぶが、検査自体は任意だった。僕のように街中でふいにコマンドに従いそうな恐怖を感じたり、別の検査のついでに発覚することも多い。

 結果、不安は的中した。僕はSubだった。ショックがなかったわけではない。だが、自分の要領の悪さはこの性別のせいだったのだと腑に落ちた。むしろこの劣位性と言われる性を抱えて、よく頑張っているじゃないか、とさえ思った。今まで「Domじゃないか?」と言われたことはあっても、Subだと疑う人はいなかった。この要領の悪さを努力でカバーしてきたのだ。
 だが、人には言えない。
 Subであるということは、その性質からマゾだと思われ、周りから高圧的な態度を取られることもあるからだ。昔からいじめや差別の対象となる可能性もある性別だった。明らかにいじめなのに、喜んでいると思われる。逆にDomだと、少々口調が乱暴でも「あの人はDomだから」で済むこともある。
 様々な法案で保護されても、そんな偏見と思い込みは払拭されない。人の見る目はなかなか変わらない。
 後ろの席にいた二人も、もしかしたらただのプレイの一貫だったのかもしれない。たまたま自分がそこに居合わせてしまっただけで。自分が無自覚なSubだったから不快感を感じただけで。
 
 自分のSubレベルや今後について医者に確認すれば、今のところ幸い抑制剤で抑えられる程度だというから、そのアドバイスに従うことにした。
 色々調べてみれば、Domのパートナーが必須というわけでもなく、そのレベルは人それぞれだった。薬で完全に抑えられる者から薬が合わなくてプレイ必須の者まで様々いるという。人によっては、Normalの人と結婚し、プレイのみ第二の性を持つ者としたりすることもあるという。
 病院からもらったパンフレットを見ながら、(恋人や配偶者がいるのに別に第二の性専用のパートナーを作るのは浮気のようだな)と、この性にますます嫌悪感を感じた。
 自分は薬で抑えて、みんなと変わらぬ普通の生活を送ろう。今まで大丈夫だったのだから、きっとこれからも大丈夫。そう思っていた。

 その日は体調が悪かった。彼女と会う予定を断り、早くアパートに帰って寝ようと思っていた。
 あの洋食屋さんの前を通って、ふと、あの日以来来ていないな、と思った。体調は相変わらず良くなかったけれど、無性にあのシェフの作った料理が食べたいと思った。
 どうせ家に帰っても何も食べるものはない。ならば食べてから帰ろう。
 具合が悪くて何も食べられる気はしないのに、あのシェフが作ったものだけは食べられるような気がした。

 昼とは異なり、夜は照明を落とし、落ち着いた雰囲気が漂っていた。平日夜だったからか、ディナータイムが始まったばかりの時間帯だったせいか、他に客はいなかった。
 少しためらいが生まれた。やっぱりやめようかと思った瞬間、カウンター内にいたシェフと目があった。
「あの時の……」
 向こうがすぐに僕に気づいた。あんな一瞬の、しかも当事者ではない自分の顔を覚えていたのだろうか。
 僕は条件反射でおじぎをすると、帰るわけにもいかなくなって、スタッフに促されるまま、カウンターの一番奥の席に座った。あの時と同じ席。
 だが、メニューを見て再び後悔した。夜はコース料理しかなかったのだ。値段もだが、この体調で食べれる気がしない。戸惑っていると、シェフが言った。
「単品でも大丈夫だけど?」
 とっさに何も思い浮かばなくて、あの時食べていたビーフシチューを頼んだ。
 シェフが厨房へ消えてしばらくしてビーフシチューが出てきた。やはり美味しい。一口食べるごとに、体調が良くなっていく気がした。
 奥の厨房からシェフが出てきて、コップに氷を入れていた。僕は無意識で口にしていた。
「……Dom……なんですか?」
 シェフの動きがピタリと止まって、冷たい瞳で僕を見た。今までの無表情とは異なる、敵を見るような目。
 そりゃそうだ。人のセンティブな部分に初対面の人間が土足で踏み込もうとしたのだ。逆に自分が言われたら激怒する。背中に冷たいものが流れた。
 だが(そっちはDomだからいいじゃないか。こっちなんかSubなんだ。ハズレの方の性だぞ!)という気持ちがあったのも事実。こんなことで同情をかいたくないと思いつつ、ヤケになっている気持ちもあった。
「……だったら?」
 相変わらず冷たい。
「すみ、ません……どうしたらよいのか、わからなくて……」
 客が誰もいなくてよかった。誰にも言っていない、第二の性についての不安を僕はそこで初めて、ほぼ初対面の人間に話した。ずっと抱えてきた体調の悪さは、もしかしからこのSub性のせいかもしれない。だが、Subだったのなら一生知りたくなかった。ここに来なければ、そんなことに気づかず、今まで通り不調をごまかして頑張っていられたのに。話始めた途端、ぽろぽろと涙が出てきた。
 今まで積み上げてきたものが一瞬にして崩された、そんな気分だった。
 
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