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73、旅立ち

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 出発の朝は、雲一つない青空だった。

「気をつけてね、フルール。これが頭痛薬、これは虫刺されの薬、こっちは腹痛の薬よ。あと貴女の好きなお菓子を……」

「お、お母様。大丈夫よ」

 ドサドサと腕いっぱいに選別を載せてくるミランダに、フルールは苦笑する。

「くれぐれも無理しないでね、フルール」

「ありがとう、お母様。エリックもいるから安心して」

 抱き締めあって別れを惜しむ母娘の傍らで、令嬢専属執事がうんうん頷いている。

「ワシはお前を誇りに思うぞ、フルール。責務を果たしてきなさい」

「はい、お父様」

 フルールは片腕で抱き寄せてくるアルフォンスの胸に頬を寄せ、にっこり微笑んだ。
 そして……。

「息災で、フルール」

 ヴィンセントが手を差し出してくる。

「離れていても、家族は常にお前の心と共にある」

「はい」

 フルールは兄と握手を交わす。

「お父様とお母様のことをよろしくお願いします。ヴィンセントお兄様」

 家族との別れが済むと、団員はそれぞれ割り振られた馬車に向かう。
 王城正門前に集まった使節団の馬車は十七台。かなりの大所帯だ。
 彼女が馬車に乗り込もうとタラップに足をかけた……その時。

「フルール」

 聞き知った声に呼び止められた。
 振り返ると、そこにはセドリックがいた。
 いつも自信満々な笑顔の第二王子は、今日はトレードマークのふわふわの巻毛を萎れさせ、愛らしいさくらんぼの唇をきつく噛み締めている。

「僕、今まで頑張ってきたんだ。どうしたらフルールを止められるかって。色々策を練って、色々根回しして。でも……どうにもならなかったんだ。だから……」

 泣きはらしたであろう真っ赤な目を上げて、必死で訴えかける。

「お願いフルール、いかないで! 僕は君が好きなんだ。子供の頃からずっと、君だけが好きだった。離れたくないよ。お願いだから、僕の傍にいてよ!!」

 それは、恥も外聞もかなぐり捨てた、セドリックの本音だ。

「セドリック殿下……」

 取り縋って泣きじゃくる背の低い少年の頭を、フルールは優しく撫でた。

「ありがとうございます、セディ様。貴方はいつもわたくしの味方でいてくださいましたね」

 王子の肩に手を置き、少しだけ体を離す。

「王家の臣下として、わたくしはセディ様を大切に思っております。しかし、これだけは譲れません。どうか、わたくしの新しい旅路を祝ってくださいまし」

 それは、この上なく真っ直ぐな別離宣告だった。

 セドリックは紫の目を零れ落ちそうなほど見開いて……、ぷいっと横を向いて、ゴシゴシと服の袖で涙に濡れた顔を擦った。

「解った。もう知らない。どこへでも行っちゃえ!」

 頬を膨らませ、精一杯強気な言葉を吐き続ける。

「僕は待たないよ。僕を選ばないフルールなんて、いらない。僕は次代の王様だよ? クワントをどこにも負けない大国にして、フルールより美人で知的で優しい王妃を娶って、名君としてクワントの歴史に燦然と語り継がれるんだ。後悔してももう遅いんだからね!」

 涙目の年下王子に、フルールは微笑する。

「ええ、後悔させてください」

 セドリックならきっと、自分の言葉を実現させるだろう。

「立派な王におなりください。我が君」

 セドリックの秀でた額に忠誠のキスをしてから、フルールは貴婦人のお辞儀をして馬車に乗り込んだ。
 手綱を引く御者に、馬が嘶き、車輪が動き出す。
 フルールは窓から身を乗り出し、見送る人々に手を振った。

 ――この瞬間が、フルールの今までの終わりと、これからの始まり。

 はちきれんばかりの期待と不安を胸に、フルールは慣れ親しんだ土地を旅立った。

◆ ◇ ◆ ◇

 走り去る馬車に視線を釘付けにしたまま、セドリックは動けない。
 瞬きもせず涙を流す王子の横に、音もなく秘書官が並んだ。
 傷心のセドリックに、マティアスは「えーと……」と上目遣いに思案して、

「……ハグしましょうか?」

「したら極刑!」

 秒で却下された。
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