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55、セドリックの邂逅

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 その日、セドリック・クワントはご機嫌だった。
 シンクレア辺境伯がブランジェ公爵令嬢に振られたことは諜報員からの報告で当日には知っていたし、兄グレゴリーも弟の思惑通り穏便に王宮を去った。
 王家の茶番に元老院を巻き込んだことは父からお小言を食らったが……。ブランジェ公爵には逆に関心されて株が上がったので良しとしよう。
 政敵と恋敵を排除した第二王子は、今や無敵だ。
 後は、王太子として相応しい妃を手に入れるだけ……。

「あっ」

 王宮の居館の廊下奥に意中の人を発見し、セドリックは跳ねるように駆け出した。

「やあ、フルール!」

「あら、セドリック殿下、ごきげんよう」

 ブランジェ公爵令嬢は、スカートの端を摘んでお辞儀する。外出用のラベンダー色のシンプルなドレスが、彼女の金髪によく映えている。姿勢正しく物腰柔らか。今日もフルールは完璧な淑女だ。

「どこに行くの? もしかして、エリカおば様に挨拶に来たの?」

「まあ! よく解りましたね。ええ、エリカ殿下に会いに来ました」

 セドリックの無邪気な問いに、フルールは笑顔で返す。

「最近、うちの領で採れる鉱石からパステルを作ってますの。絵画のお好きなエリカ殿下にぜひ使っていただきたくて」

 パステルは顔料を粘着剤で固めた画材だ。材料の顔料には鉱物の粉を用いることもある。
 ブランジェ公爵領は王都からほど近い場所にあるが、多彩な鉱石の出る鉱山を有している。これがブランジェ家繁栄の要因だ。
 普段王都で暮らしている貴族も、日々の領地の売り込みは欠かさない。

「へえ。ブランジェ領は画材も作ってるんだ。僕も美術の授業で使おうかな?」

「では、一式お持ちしましょうか?」

「うん! おねが……」

 セドリックが頷きかけた……その時。

「それはやめた方がいいでしょう」

 音もなく王子の背後に秘書官が現れた。ビクッと振り返るセドリックに、マティアスは淡々と続ける。

「セドリック殿下のお描きになる絵はとても斬新で前衛的で抽象的で超現実的で、美術の教師にも点数がつけられません。なので、お高い着彩道具を使うのはもったい……ゴホン。既成の枠に囚われた画材では作品を表現しきれないかと。裏庭の雑草を絞った染料で十分です」

「……そろそろ君を不敬罪で打首にするからね? マティアス」

 第二王子の秘書官は、今日も慇懃に無礼過ぎだ。

「じゃあ、従叔母様のご用が済んだらサンルームでお茶しよう。お菓子用意して待ってるよ」

「ええ、お時間がありましたら」

 にこやかに頭を下げて廊下の先へ向かうフルールに、セドリックも鼻歌混じりに踵を返す。

「マティアス、サンルームを飾り付けてお茶の支度を。パティシエにフルールは桃が好きだって伝えてね。ああ、フルールとお茶会なんて楽しみだな!」

 今にもスキップし出しそうな王子を、秘書官はじっと見つめる。

「? なに?」

「いえ。セドリック殿下は何故、フルール様を自室に誘わないのかと不思議でして」

 前回会った時も、裏庭の散歩に誘っていた。王宮の居館にはセドリックの私室が三つもあるのに。
 マティアスの疑問に、セドリックは白皙の頬をゆでダコにして、

「だ……っ。だって、フルールと密室で二人きりなんて、緊張しちゃうじゃないか……っ」

 拗ねたように語尾をかすれさせる少年に、年上の青年は思わず……。
 淡い栗毛頭をくしゃくしゃっと撫でた。

「わっ! なにすんの、マティアス!」

「髪に糸くずが付いてましたので、取って差し上げました」

「嘘だ! そんな感じの触り方じゃなかった!」

 しれっと誤魔化す秘書官に、王子は頬をパンパンに膨らませて抗議する。

「あーもー! 髪が乱れたじゃないか! メイドを呼んで!」

 怒鳴り散らすセドリックに奥歯で笑みを噛み殺し、マティアスは淡々と主の指示を遂行した。
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