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45、父娘の語らい(2)
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「失礼します」
ティーセットと焼き菓子の載ったワゴンを押して、エリックが書斎に入ってくる。ローテーブルにお茶の支度を始めた執事をそのままに、アルフォンスは話し始めた。
「フルール、お前はとても賢い子だ。だから、ブランジェ家の現状はよく解っているだろう」
娘は黙って父の声に耳を傾けている。その傍らで、エリックは石のように気配を殺してカップに紅茶を注いでいる。
「お前が誰と結婚すれば、ブランジェ家にとって最も利があるか。一つ目の選択肢は、セドリック殿下。彼はじきに王太子となり王となる。彼と結婚すれば、お前は生まれた時から約束されていた王妃の座に就くことができるだろう」
……それは、フルールがした約束ではないけれど。
「二つ目は、シンクレア辺境伯。ネイサン卿はなかなかの知恵者のようだ。ブランジェ家は中央に顔が利くが、地方との繋がりが薄い。反対に、シンクレア家は地方貴族からの支持が厚いが、中央……特に王家とは牽制し合う仲だ。もし、ブランジェとシンクレアが手を組めば……王家よりも強い権力を持つかもしれない」
ごくっとフルールは我知らず唾を飲んだ。
「それに、ヴィンセントだ。あれを振ったら、フルールは実家に帰りづらくなるな」
……確かに由々しき事態だ。
「後は家が埋もれるほど花やら貢物を贈ってくる輩が大勢おるが……まあ、いいだろう」
アルフォンスはどっかりと背もたれに体を預け、淹れたての紅茶を一口啜った。そして、ほっと息をつくのと同時に、
「それらの事情は、全部忘れてしまえ」
何気なく爆弾を落とした。
「……え!?」
フルールの驚きの声に、ガチャッと陶器の擦れる音が響く。
「し、失礼しました……」
動揺したエリックが、危うくティーポットをひっくり返しかけたのだ。テーブルに零れた紅茶を拭く執事を置いて、ブランジェ家当主は続ける。
「ワシはもう、子供の人生を縛ることはしたくない。ありがたいことにヴィンセントはワシの跡を継ぐことに誇りを持っているから、すべてを教え、すべてを譲ろうと思っておる。だが……フルールは違うであろう?」
戸惑った表情の娘を、父は落ち着いた目で見据える。
「お前は昔から、何でもできる子だった。与えられた物はすべて吸収し、自分の糧にできる子だった。しかし……自分から何一つ望む子ではなかった」
言葉に悔恨が滲む。
「なまじ優秀な故、得手不得手さえないものと思っていた。ワシはお前に自分の考えを押し付けるばかりで、お前の希望を聞いたことがなかった」
項垂れる父に、
「……いいえ、違いますわ。お父様」
娘は小さく首を振る。
「何も希望しなかったのは、わたくしの怠惰。与えられるだけで自ら考えない生き方が楽だったからです」
「……あの厳しい王太子妃教育を楽と申すか」
学園での授業の他に、政治経済軍事法律作法地理外国語……。大人でも過労死しそうなスケジュールだったのに。我が娘ながら、とんでもない化け物だとアルフォンスは冷や汗する。
公爵は咳払いして、
「とにかく。『王太子の婚約者』という足枷が外れた以上、ワシはもう二度とお前に枷は嵌めぬ。だからフルール、ネイサン卿には、お前の口からお前の言葉でお前の意思を伝えなさい。ブランジェの立場は考えずに」
「お父様……」
そうは言っても、迂闊に返事してはブランジェ公爵家の地位が危うくなるのではないか。不安げな娘に、父は鷹揚に笑う。
「なあに、心配することはない。お前が思うよりこの国での父の権力は大きい。王家とも辺境伯とも渡り合える程度にはな」
何があっても、娘のために戦ってくれるというのだ。
「ワシの罪滅ぼしはここまでだ。後は自分で決めるがいい」
「わたくしが……」
呟くフルールに、アルフォンスは大きく頷く。
「選択には責任が伴う。悔いのない道を進みなさい、フルール」
「……はい」
娘は父の同じ青い瞳をまっすぐ見つめて微笑んだ。
ティーセットと焼き菓子の載ったワゴンを押して、エリックが書斎に入ってくる。ローテーブルにお茶の支度を始めた執事をそのままに、アルフォンスは話し始めた。
「フルール、お前はとても賢い子だ。だから、ブランジェ家の現状はよく解っているだろう」
娘は黙って父の声に耳を傾けている。その傍らで、エリックは石のように気配を殺してカップに紅茶を注いでいる。
「お前が誰と結婚すれば、ブランジェ家にとって最も利があるか。一つ目の選択肢は、セドリック殿下。彼はじきに王太子となり王となる。彼と結婚すれば、お前は生まれた時から約束されていた王妃の座に就くことができるだろう」
……それは、フルールがした約束ではないけれど。
「二つ目は、シンクレア辺境伯。ネイサン卿はなかなかの知恵者のようだ。ブランジェ家は中央に顔が利くが、地方との繋がりが薄い。反対に、シンクレア家は地方貴族からの支持が厚いが、中央……特に王家とは牽制し合う仲だ。もし、ブランジェとシンクレアが手を組めば……王家よりも強い権力を持つかもしれない」
ごくっとフルールは我知らず唾を飲んだ。
「それに、ヴィンセントだ。あれを振ったら、フルールは実家に帰りづらくなるな」
……確かに由々しき事態だ。
「後は家が埋もれるほど花やら貢物を贈ってくる輩が大勢おるが……まあ、いいだろう」
アルフォンスはどっかりと背もたれに体を預け、淹れたての紅茶を一口啜った。そして、ほっと息をつくのと同時に、
「それらの事情は、全部忘れてしまえ」
何気なく爆弾を落とした。
「……え!?」
フルールの驚きの声に、ガチャッと陶器の擦れる音が響く。
「し、失礼しました……」
動揺したエリックが、危うくティーポットをひっくり返しかけたのだ。テーブルに零れた紅茶を拭く執事を置いて、ブランジェ家当主は続ける。
「ワシはもう、子供の人生を縛ることはしたくない。ありがたいことにヴィンセントはワシの跡を継ぐことに誇りを持っているから、すべてを教え、すべてを譲ろうと思っておる。だが……フルールは違うであろう?」
戸惑った表情の娘を、父は落ち着いた目で見据える。
「お前は昔から、何でもできる子だった。与えられた物はすべて吸収し、自分の糧にできる子だった。しかし……自分から何一つ望む子ではなかった」
言葉に悔恨が滲む。
「なまじ優秀な故、得手不得手さえないものと思っていた。ワシはお前に自分の考えを押し付けるばかりで、お前の希望を聞いたことがなかった」
項垂れる父に、
「……いいえ、違いますわ。お父様」
娘は小さく首を振る。
「何も希望しなかったのは、わたくしの怠惰。与えられるだけで自ら考えない生き方が楽だったからです」
「……あの厳しい王太子妃教育を楽と申すか」
学園での授業の他に、政治経済軍事法律作法地理外国語……。大人でも過労死しそうなスケジュールだったのに。我が娘ながら、とんでもない化け物だとアルフォンスは冷や汗する。
公爵は咳払いして、
「とにかく。『王太子の婚約者』という足枷が外れた以上、ワシはもう二度とお前に枷は嵌めぬ。だからフルール、ネイサン卿には、お前の口からお前の言葉でお前の意思を伝えなさい。ブランジェの立場は考えずに」
「お父様……」
そうは言っても、迂闊に返事してはブランジェ公爵家の地位が危うくなるのではないか。不安げな娘に、父は鷹揚に笑う。
「なあに、心配することはない。お前が思うよりこの国での父の権力は大きい。王家とも辺境伯とも渡り合える程度にはな」
何があっても、娘のために戦ってくれるというのだ。
「ワシの罪滅ぼしはここまでだ。後は自分で決めるがいい」
「わたくしが……」
呟くフルールに、アルフォンスは大きく頷く。
「選択には責任が伴う。悔いのない道を進みなさい、フルール」
「……はい」
娘は父の同じ青い瞳をまっすぐ見つめて微笑んだ。
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