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4、ときめき

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 クッションを背もたれに、天井の花模様を数える。
 ヴィンセントが王宮へ戻った後、フルールは寝室のベッドへ急行させられた。
 単に義兄の突然の告白に驚いて腰を抜かしただけなのに……。過保護な執事のエリックは昨日からの心労が祟ったと思い込み、令嬢に安静を言い渡したのだ。

「もう。わたくし、どこも悪くないのに」

 拗ねるフルールを、ネグリジェに着替えさせたメイドのカトリーナが苦笑する。

「エリックはお嬢様のことが心配なのですよ」

 カトリーナは執事のエリックと幼馴染で同い年の二十歳。年の近いフルールの良き相談相手だ。

「でも、わたくしが床に臥せっていると周りに知れたら、婚約破棄のショックで寝込んだと思われるのではなくて?」

「それでいいじゃありませんか。フルールお嬢様には非のない婚約破棄です、存分に傷ついたアピールして相手に罪悪感を持たせましょうよ」

「……それはちょっと腹黒くない?」

 二人は目を見合わせてクスクス笑う。

「それにしても、とうとうヴィンセント様も想いを打ち明けられたのですね」

 カトリーナは夢見るようにうっとりとため息をつく。使用人の口に戸は立てられない。先程の一件は、屋敷中に筒抜けだった。

「……カトリーナは、お兄様がわたくしを……す……きって、知ってたの?」

 真っ赤になって小声で伺うと、

「そりゃあ、お屋敷の全員が知ってましたよ」

 けろりと返される。

「ヴィンセント様は立派な方ですから、ブランジェの家名に傷がつくようなことはなさりません。だからこそ、フルールお嬢様を見守るヴィンセント様の視線が切なかったです」

「……そう」

 俯いてしまった令嬢に、メイドはさり気なく話題を変える。

「贈り物の中に水蜜桃がありました。皮を剥きましょうか?」

「ええ、お願い」

 水蜜桃はフルールの大好物だ。小さなテーブルを置いて、ベッドに入ったまま切り分けた桃を食べる。一口齧ると、瑞々しい甘さが口いっぱいに広がる。

「美味しいわ。誰からの贈り物かしら?」

「セロー侯爵様です」

 カトリーナの答えに、フルールは果実を喉に詰まらせかけた。

「……ユージーン様が?」

「はい。お手紙もついていましたよ」

 差し出された封筒を開ける。

『学園の食堂で貴女が美味しそうに食べている姿をお見かけしたことがあります。お口に合えばいいのですが』

 ユージーンらしい几帳面な文字に胸が熱くなる。
 フルールは手紙を畳んで膝に置いた。

「……ねえ、カトリーナ」

「なんですか? お嬢様」

「貴女は……好きな人がいる?」

「え!?」

 今度はメイドが真っ赤になる番だ。

「い……います。片思いですけど」

 視線を泳がせもじもじ手遊びするカトリーナは、年上だけれどとても可愛い。恋する乙女というのは、こういう反応をするものなのか。

「あのね、カトリーナ。わたくし、グレゴリー殿下に婚約破棄を告げられても、何も感じなかったの」

 令嬢はぽつりぽつりと話し出す。

「グレゴリー殿下とは生まれた時から結婚が決まっていて、そのことにわたくしは何の疑問も持っていなかった。ただ、殿下と結婚して、後に王妃となって世継ぎを産み、国をたすける。それがわたくしの生まれた意味であり義務であると思っていたの」

 フルールは幼い頃から、ちゃんとグレゴリーが生涯の伴侶だと認識していた。だから他の異性にもまったく興味がなかった。

「でも、殿下に他に運命の人がいるといわれて……気づいたの」

 ――その事実に。

「わたくし、グレゴリー殿下に恋してなかったんだって」

 ため息とともに吐き出す。

「子供の頃から行事の度に一緒に過ごして、学園では毎日顔を合わせて。好きな食べ物も好きな音楽も服の好みも知っているのに、わたくしは彼が他の方と恋をしていることに気づかなかった。わたくしはグレゴリー殿下を『知識』として知っているのに、何の感情も抱いていなかったの」

 ぎゅっとシーツを握る。

「それって、相手にとってとても失礼なことじゃない?」

 青い目を不安に潤ませ訊いてくるフルールに、カトリーナは穏やかに眉尻を下げた。

「貴族の結婚は庶民のそれとは違いますから。お嬢様はブランジェ家の令嬢として立派にお役目を果たされていたと思います」

「そうね……」

 公爵令嬢としては百点満点な生き方だ。でも……。

「……わたくし、ちょっぴりグレゴリー殿下が羨ましいの。ちゃんと自分で好きな人を見つけて、自分で選んで。わたくしにはできなかったことだわ」

 だから元婚約者を恨む気持ちはまったくない。
 淋しげな令嬢の手を、メイドが握る。

「これから選べばいいじゃありませんか、お嬢様」

「え?」

「フルールお嬢様はまだお若いのですよ。ようやく足枷がなくなったのです。王太子殿下のように自由に恋してもいいんじゃありませんか?」

「……恋?」

 していいのだろうか?

「手っ取り早く、ヴィンセント様のことをお考えになったらいかがでしょう?」

「お、お兄様を⁉」

 お勧めされて、フルールは飛び上がる。

「とても素敵な方じゃないですか。あたし、応援しちゃいますよ」

 わくわくと期待の目を向けられ、フルールは両頬を手で挟んで視線を逸らす。

「あのね、わたくしね……」

 はにかみながら囁く。

「ヴィンセントお兄様に好きだって言われて、とてもドキドキしたの。グレゴリー殿下と居た時には感じなかった気持ちよ?」

「では……!」

 メイドは思わず前のめりになるが、

「でも……、ユージーン様にお慕いしているって言われた時も、同じようにドキドキしたの」

「……はい?」

 フルールの衝撃の発言に、目をまんまるにする。

「セロー侯爵に……あのどんな美女のアプローチも跳ね除けると噂の鉄壁侯爵に告白されたんですか!?」

 すごいあだ名だ。

「ええ。入学式の時から好きだったと……」

「うわっ、なにそれ、すごっ! 鉄壁って、お嬢様のためじゃないですか!」

 年頃のメイドは大興奮だ。

「くはーっ! ヴィンセント様もいいけど、セロー侯爵も捨てがたい!」

 ジタバタするメイドに、ご令嬢は戸惑い気味だ。

「でも、二人の殿方にドキドキしてしまうなんて、不実ではないかしら?」

 真剣に困ってしまうフルールに、カトリーナはさっぱりと笑う。

「お嬢様、そのドキドキは『ときめき』です。自分で操作できるものではありません」

「……ときめき?」

 そうです、とメイドは頷く。

「勝手に心が動くのがときめきです。同じ人にたくさんときめくと、それが恋になります。伴侶がいるのに他の人になびいたら不実ですが、今のお嬢様は自由です。たくさんときめいて素敵な恋をして、フルール様の運命の人を見つけてください」

「わたくしが……恋を……」

 高鳴る胸に手を当てる。
 フルールの恋愛経験値はやっと1になったばかり。
 自分に心を寄せてくれる人達に、これからどうやって向き合っていけばいいかまだ解らないけれど……。

 少しだけ、気持ちが軽くなった。 
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