1 / 76
1、卒業パーティーと婚約破棄
しおりを挟む
――それは、ごくありきたりな場面から始まった。
「フルール・ブランジェ公爵令嬢。今、ここにおいて、君との婚約を破棄する」
国内の有力貴族の子女が多く通うクワント王国学園。その卒業パーティーの場で高らかに宣言したのはグレゴリー・クワント、この国の王太子だ。
出席者のコールが終わってすぐ、会場の全員が見守る中での出来事だった。
華やかな顔立ちの王太子グレゴリーは、悲壮感たっぷりに眉尻を下げた。
「フルール、君に落ち度はない。君は生まれた時から僕の許嫁として僕にもこの国にもよく尽くしてくれてきた。……しかし!」
毅然と顔を上げ、隣の女性を抱き寄せる。
「僕は真実の愛に目覚めてしまった! メロディ・スペック男爵令嬢。彼女こそが、僕の運命の相手だったんだ!」
メロディは、王太子の腕の中でうっとり彼を見上げている。小柄でピンクのフリルたっぷりのドレスを着た、とても可愛らしい女性だ。
一方、宣言されたフルールはというと、すらりと背が高く、繊細に結い上げた金髪に青い光沢のあるマーメイドラインのドレスが映える気品溢れる女性。
彼女は美術館の精霊像もかくやという均整の取れた綺麗な顔を上げ、優美に微笑んだ。花が咲くように、薔薇色の唇が開かれる。
「はい、承知いたしました」
……フルールの返事に、会場内の時が止まる。
三秒ほどフリーズした後、初めに動き出したのは、グレゴリーだった。
「え? いいの?」
間抜けに聞き返されても、フルールは笑顔を崩さない。
「ええ。結婚は好き合っている方同士でするのが一番ですわ。グレゴリー殿下とメロディ様の門出を祝して、喜んで身を引きます。あ、後ほど、わたくしに落ち度がないことは書面にしてお渡しくださいね。国王陛下へのご説明もよろしくお願いいたします」
「あ、ああ。うん……」
グレゴリーはコクコク頷く。
てっきり泣いて縋られると思っていたのに、あまりにあっさり承諾されて拍子抜けだ。
「さて、愉快な余興も終わったことですし、パーティーを始めましょう」
フルールは給仕のトレイからシャンパングラスを取ると、硬直したままの出席者に向けてグラスを掲げた。
「卒業おめでとう!」
よく通る澄んだ声を合図に、皆が緊張を解き一斉に乾杯する。
オーケストラが音楽を奏で出すと、会場の男性の大半がフルールの元へと押しかけた。
「フルール嬢、踊っていただけますか?」
「俺が先だ! フルール嬢、俺とダンスを!」
「フルール様、どうぞお手を」
「抜け駆けするな。俺もずっとフルール嬢を……」
夜会服の同期生が公爵令嬢を取り囲み、次々と手を伸ばす。
社交界の華と謳われ、成績は常にトップ。おまけに王家の血筋で国内一の資産家であるブランジェ公爵令嬢のフルールは、学園のあこがれの君だった。
しかし、彼女は国王の長男である王太子の婚約者。大きすぎる障害に誰もが挑めず手をこまねいていたのだ。それがなくなった今、彼らの箍は外れた。
「フルール嬢、どうか俺と!」
「いいや、私と!」
「僕の手を取って! フルール様!」
突然始まった公爵令嬢争奪戦に、会場は大騒ぎだ。
「おい、どけよ」
「お前、肩が当たったぞ!」
そこかしこで男同士の小競り合いが起こり出す。会場の空気が不穏になりかけた……その時。
「皆様、お静かに」
またも騒ぎを鎮めたのはフルールだ。
「一曲目はパートナーと踊るのがパーティーのマナー。わたくしは不躾な殿方の手を取ることはありません」
毅然と言われて、男達はたじろぐ。卒業パーティーとはいえ、ここは列記とした社交の場。皆、パートナー同伴で出席しているのだ。婚約破棄されたばかりの彼女が、女性を蔑ろにする男性を快く思うはずがない。
筋の通ったフルールの言い分に、男達はすごすご引き下がる。
そして潮が引いた後に残ったのは……一人の紳士だった。
きっちりと整えられた黒髪にフロッグコートがよく似合う背の高い彼は、恭しくお辞儀をし、フルールに手を差し伸べた。
「私と踊っていただけますか? フルール嬢」
「……セロー侯爵閣下」
フルールは彼を知っていた。
ユージーン・セロー。彼女の同級生で、二年前に父親が他界したことで十代で家督を継いだ若き侯爵。容姿に優れ地位も資産もある彼は、女性から絶大な人気があったにも拘らず浮いた噂がなく、夜会にも学園の行事にも一度もパートナーを連れてきたことがなかった。
「そんな堅苦しい呼び名でなく、どうかユージーンと」
普段あまり表情を変えない彼が、少しだけ目を細める。
「憐れな一人身男にお慈悲を」
真摯な口調に、フルールは思わず吹き出した。彼なら選び放題のはずなのに。
「奇遇ですね、ユージーン様。わたくしも一人身ですの」
クスクス笑いながら、彼女は彼の手を取った。
しっとりとした音楽に合わせて踊り出した二人に、会場がどよめく。一度も公の場でダンスをしたことがない堅物侯爵と元王太子妃候補があんなに優雅に踊っているなんて。
「リードがお上手ですわね、ユージーン様」
男の腕に身を預けながら、フルールが囁く。
「こんなにお上手なら、いつも色々な方と踊ればいいのに」
「すべては今宵のためです、フルール嬢」
令嬢をターンさせてから、腰を引き寄せる。
「入学式で一目見たその日から、ずっとお慕いしていました。他の女性など目に入らぬほどに。卒業パーティーを以て諦めようと決めていたのに、状況が変わった。傷心に浸け込むのは卑怯だが、もう形振り構っていられない」
耳に熱い吐息がかかる。
「俺は貴女を裏切らない。次の恋の相手は俺に決めて欲しい」
驚きに目を見開くフルールに唇の端だけで微笑み、ユージーンは手を離した。いつの間にか、一曲目が終わっていた。
「また近くお会いしましょう」
彼女にだけ聞こえる音量で言い残し、侯爵は踵を返した。
「フルール嬢、踊ってください!」
「いいや、私と!」
呼び止める前にフルールは人波に飲まれ、ユージーンの後ろ姿を見失った。
それから、フルールはたくさんの男性と踊り、ご馳走をつまみながら友人達と談笑し、学生生活最後の充実した時を過ごした。
あまりにも楽しすぎて……。
……王太子とメロディ嬢が壁際でぽつんとしているのにも気づかなかった。
「フルール・ブランジェ公爵令嬢。今、ここにおいて、君との婚約を破棄する」
国内の有力貴族の子女が多く通うクワント王国学園。その卒業パーティーの場で高らかに宣言したのはグレゴリー・クワント、この国の王太子だ。
出席者のコールが終わってすぐ、会場の全員が見守る中での出来事だった。
華やかな顔立ちの王太子グレゴリーは、悲壮感たっぷりに眉尻を下げた。
「フルール、君に落ち度はない。君は生まれた時から僕の許嫁として僕にもこの国にもよく尽くしてくれてきた。……しかし!」
毅然と顔を上げ、隣の女性を抱き寄せる。
「僕は真実の愛に目覚めてしまった! メロディ・スペック男爵令嬢。彼女こそが、僕の運命の相手だったんだ!」
メロディは、王太子の腕の中でうっとり彼を見上げている。小柄でピンクのフリルたっぷりのドレスを着た、とても可愛らしい女性だ。
一方、宣言されたフルールはというと、すらりと背が高く、繊細に結い上げた金髪に青い光沢のあるマーメイドラインのドレスが映える気品溢れる女性。
彼女は美術館の精霊像もかくやという均整の取れた綺麗な顔を上げ、優美に微笑んだ。花が咲くように、薔薇色の唇が開かれる。
「はい、承知いたしました」
……フルールの返事に、会場内の時が止まる。
三秒ほどフリーズした後、初めに動き出したのは、グレゴリーだった。
「え? いいの?」
間抜けに聞き返されても、フルールは笑顔を崩さない。
「ええ。結婚は好き合っている方同士でするのが一番ですわ。グレゴリー殿下とメロディ様の門出を祝して、喜んで身を引きます。あ、後ほど、わたくしに落ち度がないことは書面にしてお渡しくださいね。国王陛下へのご説明もよろしくお願いいたします」
「あ、ああ。うん……」
グレゴリーはコクコク頷く。
てっきり泣いて縋られると思っていたのに、あまりにあっさり承諾されて拍子抜けだ。
「さて、愉快な余興も終わったことですし、パーティーを始めましょう」
フルールは給仕のトレイからシャンパングラスを取ると、硬直したままの出席者に向けてグラスを掲げた。
「卒業おめでとう!」
よく通る澄んだ声を合図に、皆が緊張を解き一斉に乾杯する。
オーケストラが音楽を奏で出すと、会場の男性の大半がフルールの元へと押しかけた。
「フルール嬢、踊っていただけますか?」
「俺が先だ! フルール嬢、俺とダンスを!」
「フルール様、どうぞお手を」
「抜け駆けするな。俺もずっとフルール嬢を……」
夜会服の同期生が公爵令嬢を取り囲み、次々と手を伸ばす。
社交界の華と謳われ、成績は常にトップ。おまけに王家の血筋で国内一の資産家であるブランジェ公爵令嬢のフルールは、学園のあこがれの君だった。
しかし、彼女は国王の長男である王太子の婚約者。大きすぎる障害に誰もが挑めず手をこまねいていたのだ。それがなくなった今、彼らの箍は外れた。
「フルール嬢、どうか俺と!」
「いいや、私と!」
「僕の手を取って! フルール様!」
突然始まった公爵令嬢争奪戦に、会場は大騒ぎだ。
「おい、どけよ」
「お前、肩が当たったぞ!」
そこかしこで男同士の小競り合いが起こり出す。会場の空気が不穏になりかけた……その時。
「皆様、お静かに」
またも騒ぎを鎮めたのはフルールだ。
「一曲目はパートナーと踊るのがパーティーのマナー。わたくしは不躾な殿方の手を取ることはありません」
毅然と言われて、男達はたじろぐ。卒業パーティーとはいえ、ここは列記とした社交の場。皆、パートナー同伴で出席しているのだ。婚約破棄されたばかりの彼女が、女性を蔑ろにする男性を快く思うはずがない。
筋の通ったフルールの言い分に、男達はすごすご引き下がる。
そして潮が引いた後に残ったのは……一人の紳士だった。
きっちりと整えられた黒髪にフロッグコートがよく似合う背の高い彼は、恭しくお辞儀をし、フルールに手を差し伸べた。
「私と踊っていただけますか? フルール嬢」
「……セロー侯爵閣下」
フルールは彼を知っていた。
ユージーン・セロー。彼女の同級生で、二年前に父親が他界したことで十代で家督を継いだ若き侯爵。容姿に優れ地位も資産もある彼は、女性から絶大な人気があったにも拘らず浮いた噂がなく、夜会にも学園の行事にも一度もパートナーを連れてきたことがなかった。
「そんな堅苦しい呼び名でなく、どうかユージーンと」
普段あまり表情を変えない彼が、少しだけ目を細める。
「憐れな一人身男にお慈悲を」
真摯な口調に、フルールは思わず吹き出した。彼なら選び放題のはずなのに。
「奇遇ですね、ユージーン様。わたくしも一人身ですの」
クスクス笑いながら、彼女は彼の手を取った。
しっとりとした音楽に合わせて踊り出した二人に、会場がどよめく。一度も公の場でダンスをしたことがない堅物侯爵と元王太子妃候補があんなに優雅に踊っているなんて。
「リードがお上手ですわね、ユージーン様」
男の腕に身を預けながら、フルールが囁く。
「こんなにお上手なら、いつも色々な方と踊ればいいのに」
「すべては今宵のためです、フルール嬢」
令嬢をターンさせてから、腰を引き寄せる。
「入学式で一目見たその日から、ずっとお慕いしていました。他の女性など目に入らぬほどに。卒業パーティーを以て諦めようと決めていたのに、状況が変わった。傷心に浸け込むのは卑怯だが、もう形振り構っていられない」
耳に熱い吐息がかかる。
「俺は貴女を裏切らない。次の恋の相手は俺に決めて欲しい」
驚きに目を見開くフルールに唇の端だけで微笑み、ユージーンは手を離した。いつの間にか、一曲目が終わっていた。
「また近くお会いしましょう」
彼女にだけ聞こえる音量で言い残し、侯爵は踵を返した。
「フルール嬢、踊ってください!」
「いいや、私と!」
呼び止める前にフルールは人波に飲まれ、ユージーンの後ろ姿を見失った。
それから、フルールはたくさんの男性と踊り、ご馳走をつまみながら友人達と談笑し、学生生活最後の充実した時を過ごした。
あまりにも楽しすぎて……。
……王太子とメロディ嬢が壁際でぽつんとしているのにも気づかなかった。
43
お気に入りに追加
4,099
あなたにおすすめの小説

就活婚活に大敗した私が溺愛される話
Ruhuna
恋愛
学生時代の就活、婚活に大敗してしまったメリッサ・ウィーラン
そんな彼女を待っていたのは年上夫からの超溺愛だった
*ゆるふわ設定です
*誤字脱字あるかと思います。ご了承ください。

未来の記憶を手に入れて~婚約破棄された瞬間に未来を知った私は、受け入れて逃げ出したのだが~
キョウキョウ
恋愛
リムピンゼル公爵家の令嬢であるコルネリアはある日突然、ヘルベルト王子から婚約を破棄すると告げられた。
その瞬間にコルネリアは、処刑されてしまった数々の未来を見る。
絶対に死にたくないと思った彼女は、婚約破棄を快く受け入れた。
今後は彼らに目をつけられないよう、田舎に引きこもって地味に暮らすことを決意する。
それなのに、王子の周りに居た人達が次々と私に求婚してきた!?
※カクヨムにも掲載中の作品です。

天才少女は旅に出る~婚約破棄されて、色々と面倒そうなので逃げることにします~
キョウキョウ
恋愛
ユリアンカは第一王子アーベルトに婚約破棄を告げられた。理由はイジメを行ったから。
事実を確認するためにユリアンカは質問を繰り返すが、イジメられたと証言するニアミーナの言葉だけ信じるアーベルト。
イジメは事実だとして、ユリアンカは捕まりそうになる
どうやら、問答無用で処刑するつもりのようだ。
当然、ユリアンカは逃げ出す。そして彼女は、急いで創造主のもとへ向かった。
どうやら私は、婚約破棄を告げられたらしい。しかも、婚約相手の愛人をイジメていたそうだ。
そんな嘘で貶めようとしてくる彼ら。
報告を聞いた私は、王国から出ていくことに決めた。
こんな時のために用意しておいた天空の楽園を動かして、好き勝手に生きる。

王太子が悪役令嬢ののろけ話ばかりするのでヒロインは困惑した
葉柚
恋愛
とある乙女ゲームの世界に転生してしまった乙女ゲームのヒロイン、アリーチェ。
メインヒーローの王太子を攻略しようとするんだけど………。
なんかこの王太子おかしい。
婚約者である悪役令嬢ののろけ話しかしないんだけど。

石塔に幽閉って、私、石の聖女ですけど
ハツカ
恋愛
私はある日、王子から役立たずだからと、石塔に閉じ込められた。
でも私は石の聖女。
石でできた塔に閉じ込められても何も困らない。
幼馴染の従者も一緒だし。
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
冒険あり商売あり。
さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。
(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!
たぬきち25番
恋愛
気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡
※マルチエンディングです!!
コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m
2024.11.14アイク(誰?)ルートをスタートいたしました。
楽しんで頂けると幸いです。

【完結】冤罪で殺された王太子の婚約者は100年後に生まれ変わりました。今世では愛し愛される相手を見つけたいと思っています。
金峯蓮華
恋愛
どうやら私は階段から突き落とされ落下する間に前世の記憶を思い出していたらしい。
前世は冤罪を着せられて殺害されたのだった。それにしても酷い。その後あの国はどうなったのだろう?
私の願い通り滅びたのだろうか?
前世で冤罪を着せられ殺害された王太子の婚約者だった令嬢が生まれ変わった今世で愛し愛される相手とめぐりあい幸せになるお話。
緩い世界観の緩いお話しです。
ご都合主義です。
*タイトル変更しました。すみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる