森の大樹の魔法使い茶寮

灯倉日鈴(合歓鈴)

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111、過ぎゆく時に(3)

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 不意に空気が重く感じられて、リルはこっそり深呼吸した。
 名前の通り、今日の森はなんだかとても静かで……厳かな雰囲気だ。

「ノワゼアよ」

 地竜は硬くひび割れた岩のような顔を黒狐に向けた。

「そなたら宵朱狐一族は儂の良き友だった。儂はそなたらがこの森に来た最初の番から知っている。そなたらが子を増やし群れを成し、野を駆けじゃれまわる姿に、どれほど心癒されてきたことか」

 グラウンは懐かしげに目を細める。

「そして、そなたの父が亡くなり、そなたがこの森最後の宵朱狐になるのも見てきた」

 尖った嘴が、わずかに震える。

「ノワゼアよ、そなたは立派なおのこに育った。かつて孤独に震え蹲っていたそなたの姿は今はない。大切なものを見つけ、それを護る力を身につけた。……儂の庇護など無用なほどに」

「おう、そんな改まって褒めなくても、我がいい男なのは知っているぞ」

 無邪気に胸を張るノワゼアの横で、リルは漠然とした不安を感じていた。

(グラウンさんは何の話をしているのだろう。これじゃあまるで……)

 ……別れの言葉みたいだ。
 張り詰めた空気にチリチリと産毛が逆立つ。
 グラウンはほうっと息をつくと、ノワゼアに「こちらへ」と呼びかけた。

「手を」

 言われるがままにノワゼアが右手を差し出すと、グラウンは難儀そうに右前足を伸ばし、錐のような爪を少年の手のひらに乗せた。

「ノワゼア。宵朱狐一族の頭領であるそなたに、そなたの父から預かっていた”時”を返そう」

「は?」

 ノワゼアが訝しげに眉を顰めた……瞬間。
 ドクンッ!!
 手のひらから広がる衝撃に、彼は顎をのけ反らせた。

「くぁ!? あ……?」

 寒くもないのにガクガクと身体が痙攣し、その場に膝をつく。

「ノワ君、どうしたの!? 大丈夫!?」

 リルは自分の肩を抱いて蹲るノワゼアの背を咄嗟に擦った。服越しの肌が燃えるように熱い。

「ぐ……ふぁ……」

 黒い尻尾がボワボワに膨らみ、小刻みに震えている。血管の浮いた腕が軋むように質量を増していく。

「ちょっ、グラウンさん、何したの? ノワ君が……!」

 狼狽えたリルが抗議しようと顔を上げて地竜を睨んだ瞬間、

「……お?」

 ノワゼアの震えが止まった。彼は不思議そうに両手を握ったり開いたりしながらゆっくりと身体を起こす。

「ノワ君、大丈夫? 動かない方がいいんじゃ……え!?」

 気遣わしげに背中を支えていたリルの手が驚愕に停止する。
 だって……立ち上がったノワゼアの身長が、リルの頭一つ半ほど大きくなっていたのだから。

「の、の……ノワく、ん……なの?」

 もつれる舌で確認する。
 黒い耳とふさふさ尻尾はそのままだが、細くメリハリのなかった手足はしっかりしなやかな筋肉に包まれていて、あどけなかった頬は精悍に引き締まっている。でも悪戯っぽい赤い瞳はやっぱり幼獣のそれと変わらなくて……。
 呆然とするリルの前で、ノワゼアは腕や足を振って身体の可動域を確認すると、くるりと彼女に向き直って、二カッと白い歯を見せた。

「ははっ、リルよりでっかくなったぞ」

 上からぽんぽんっと頭を撫でられ、リルはピシリと石化した。
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