111 / 140
111、過ぎゆく時に(3)
しおりを挟む
不意に空気が重く感じられて、リルはこっそり深呼吸した。
名前の通り、今日の森はなんだかとても静かで……厳かな雰囲気だ。
「ノワゼアよ」
地竜は硬くひび割れた岩のような顔を黒狐に向けた。
「そなたら宵朱狐一族は儂の良き友だった。儂はそなたらがこの森に来た最初の番から知っている。そなたらが子を増やし群れを成し、野を駆け戯れまわる姿に、どれほど心癒されてきたことか」
グラウンは懐かしげに目を細める。
「そして、そなたの父が亡くなり、そなたがこの森最後の宵朱狐になるのも見てきた」
尖った嘴が、わずかに震える。
「ノワゼアよ、そなたは立派な男に育った。かつて孤独に震え蹲っていたそなたの姿は今はない。大切なものを見つけ、それを護る力を身につけた。……儂の庇護など無用なほどに」
「おう、そんな改まって褒めなくても、我がいい男なのは知っているぞ」
無邪気に胸を張るノワゼアの横で、リルは漠然とした不安を感じていた。
(グラウンさんは何の話をしているのだろう。これじゃあまるで……)
……別れの言葉みたいだ。
張り詰めた空気にチリチリと産毛が逆立つ。
グラウンはほうっと息をつくと、ノワゼアに「こちらへ」と呼びかけた。
「手を」
言われるがままにノワゼアが右手を差し出すと、グラウンは難儀そうに右前足を伸ばし、錐のような爪を少年の手のひらに乗せた。
「ノワゼア。宵朱狐一族の頭領であるそなたに、そなたの父から預かっていた”時”を返そう」
「は?」
ノワゼアが訝しげに眉を顰めた……瞬間。
ドクンッ!!
手のひらから広がる衝撃に、彼は顎をのけ反らせた。
「くぁ!? あ……?」
寒くもないのにガクガクと身体が痙攣し、その場に膝をつく。
「ノワ君、どうしたの!? 大丈夫!?」
リルは自分の肩を抱いて蹲るノワゼアの背を咄嗟に擦った。服越しの肌が燃えるように熱い。
「ぐ……ふぁ……」
黒い尻尾がボワボワに膨らみ、小刻みに震えている。血管の浮いた腕が軋むように質量を増していく。
「ちょっ、グラウンさん、何したの? ノワ君が……!」
狼狽えたリルが抗議しようと顔を上げて地竜を睨んだ瞬間、
「……お?」
ノワゼアの震えが止まった。彼は不思議そうに両手を握ったり開いたりしながらゆっくりと身体を起こす。
「ノワ君、大丈夫? 動かない方がいいんじゃ……え!?」
気遣わしげに背中を支えていたリルの手が驚愕に停止する。
だって……立ち上がったノワゼアの身長が、リルの頭一つ半ほど大きくなっていたのだから。
「の、の……ノワく、ん……なの?」
もつれる舌で確認する。
黒い耳とふさふさ尻尾はそのままだが、細くメリハリのなかった手足はしっかりしなやかな筋肉に包まれていて、あどけなかった頬は精悍に引き締まっている。でも悪戯っぽい赤い瞳はやっぱり幼獣のそれと変わらなくて……。
呆然とするリルの前で、ノワゼアは腕や足を振って身体の可動域を確認すると、くるりと彼女に向き直って、二カッと白い歯を見せた。
「ははっ、リルよりでっかくなったぞ」
上からぽんぽんっと頭を撫でられ、リルはピシリと石化した。
名前の通り、今日の森はなんだかとても静かで……厳かな雰囲気だ。
「ノワゼアよ」
地竜は硬くひび割れた岩のような顔を黒狐に向けた。
「そなたら宵朱狐一族は儂の良き友だった。儂はそなたらがこの森に来た最初の番から知っている。そなたらが子を増やし群れを成し、野を駆け戯れまわる姿に、どれほど心癒されてきたことか」
グラウンは懐かしげに目を細める。
「そして、そなたの父が亡くなり、そなたがこの森最後の宵朱狐になるのも見てきた」
尖った嘴が、わずかに震える。
「ノワゼアよ、そなたは立派な男に育った。かつて孤独に震え蹲っていたそなたの姿は今はない。大切なものを見つけ、それを護る力を身につけた。……儂の庇護など無用なほどに」
「おう、そんな改まって褒めなくても、我がいい男なのは知っているぞ」
無邪気に胸を張るノワゼアの横で、リルは漠然とした不安を感じていた。
(グラウンさんは何の話をしているのだろう。これじゃあまるで……)
……別れの言葉みたいだ。
張り詰めた空気にチリチリと産毛が逆立つ。
グラウンはほうっと息をつくと、ノワゼアに「こちらへ」と呼びかけた。
「手を」
言われるがままにノワゼアが右手を差し出すと、グラウンは難儀そうに右前足を伸ばし、錐のような爪を少年の手のひらに乗せた。
「ノワゼア。宵朱狐一族の頭領であるそなたに、そなたの父から預かっていた”時”を返そう」
「は?」
ノワゼアが訝しげに眉を顰めた……瞬間。
ドクンッ!!
手のひらから広がる衝撃に、彼は顎をのけ反らせた。
「くぁ!? あ……?」
寒くもないのにガクガクと身体が痙攣し、その場に膝をつく。
「ノワ君、どうしたの!? 大丈夫!?」
リルは自分の肩を抱いて蹲るノワゼアの背を咄嗟に擦った。服越しの肌が燃えるように熱い。
「ぐ……ふぁ……」
黒い尻尾がボワボワに膨らみ、小刻みに震えている。血管の浮いた腕が軋むように質量を増していく。
「ちょっ、グラウンさん、何したの? ノワ君が……!」
狼狽えたリルが抗議しようと顔を上げて地竜を睨んだ瞬間、
「……お?」
ノワゼアの震えが止まった。彼は不思議そうに両手を握ったり開いたりしながらゆっくりと身体を起こす。
「ノワ君、大丈夫? 動かない方がいいんじゃ……え!?」
気遣わしげに背中を支えていたリルの手が驚愕に停止する。
だって……立ち上がったノワゼアの身長が、リルの頭一つ半ほど大きくなっていたのだから。
「の、の……ノワく、ん……なの?」
もつれる舌で確認する。
黒い耳とふさふさ尻尾はそのままだが、細くメリハリのなかった手足はしっかりしなやかな筋肉に包まれていて、あどけなかった頬は精悍に引き締まっている。でも悪戯っぽい赤い瞳はやっぱり幼獣のそれと変わらなくて……。
呆然とするリルの前で、ノワゼアは腕や足を振って身体の可動域を確認すると、くるりと彼女に向き直って、二カッと白い歯を見せた。
「ははっ、リルよりでっかくなったぞ」
上からぽんぽんっと頭を撫でられ、リルはピシリと石化した。
11
お気に入りに追加
114
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
義理姉がかわいそうと言われましても、私には関係の無い事です
渡辺 佐倉
恋愛
マーガレットは政略で伯爵家に嫁いだ。
愛の無い結婚であったがお互いに尊重し合って結婚生活をおくっていければいいと思っていたが、伯爵である夫はことあるごとに、離婚して実家である伯爵家に帰ってきているマーガレットにとっての義姉達を優先ばかりする。
そんな生活に耐えかねたマーガレットは…
結末は見方によって色々系だと思います。
なろうにも同じものを掲載しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
不貞の子を身籠ったと夫に追い出されました。生まれた子供は『精霊のいとし子』のようです。
桧山 紗綺
恋愛
【完結】嫁いで5年。子供を身籠ったら追い出されました。不貞なんてしていないと言っても聞く耳をもちません。生まれた子は間違いなく夫の子です。夫の子……ですが。 私、離婚された方が良いのではないでしょうか。
戻ってきた実家で子供たちと幸せに暮らしていきます。
『精霊のいとし子』と呼ばれる存在を授かった主人公の、可愛い子供たちとの暮らしと新しい恋とか愛とかのお話です。
※※番外編も完結しました。番外編は色々な視点で書いてます。
時系列も結構バラバラに本編の間の話や本編後の色々な出来事を書きました。
一通り主人公の周りの視点で書けたかな、と。
番外編の方が本編よりも長いです。
気がついたら10万文字を超えていました。
随分と長くなりましたが、お付き合いくださってありがとうございました!
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
久しぶりに会った婚約者は「明日、婚約破棄するから」と私に言った
五珠 izumi
恋愛
「明日、婚約破棄するから」
8年もの婚約者、マリス王子にそう言われた私は泣き出しそうになるのを堪えてその場を後にした。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
侍女から第2夫人、そして……
しゃーりん
恋愛
公爵家の2歳のお嬢様の侍女をしているルイーズは、酔って夢だと思い込んでお嬢様の父親であるガレントと関係を持ってしまう。
翌朝、現実だったと知った2人は親たちの話し合いの結果、ガレントの第2夫人になることに決まった。
ガレントの正妻セルフィが病弱でもう子供を望めないからだった。
一日で侍女から第2夫人になってしまったルイーズ。
正妻セルフィからは、娘を義母として可愛がり、夫を好きになってほしいと頼まれる。
セルフィの残り時間は少なく、ルイーズがやがて正妻になるというお話です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
魅了の魔法を使っているのは義妹のほうでした・完
瀬名 翠
恋愛
”魅了の魔法”を使っている悪女として国外追放されるアンネリーゼ。実際は義妹・ビアンカのしわざであり、アンネリーゼは潔白であった。断罪後、親しくしていた、隣国・魔法王国出身の後輩に、声をかけられ、連れ去られ。
夢も叶えて恋も叶える、絶世の美女の話。
*五話でさくっと読めます。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる