森の大樹の魔法使い茶寮

灯倉日鈴(合歓鈴)

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68、ジェレマイヤーの受難

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 ――それは、ジェレマイヤーにとって簡単な任務……のだった。

 玻璃神殿の守護騎士である彼は聖女の命を受け、一月ひとつきも掛けてケーラ王国の碧謐の森まで遥々やってきた。

(森の魔法使いに会えとのことだが……)

 会って何をするのかまでは聞かされていない。聖女の神託は断片的で抽象的だが、実行すれば常に正しい結果に導かれる。だからジェレマイヤーは、今回も任務に何の疑いも抱いていなかった。
 踏み入った森はその名の通り緑深く静かで、密やかな精霊の息吹を感じられた。

(いままで派遣されたどの魔境より穏やかで管理が行き届いているな)

 全身を金の甲冑に覆われた彼は、兜のバイザーを上げて一息つく。
 木陰を渡る涼しい風は、故郷の清浄の都の空気を思い出させる。
 ……かの暴挙から五百余年、碧謐の森は聖域との協定を粛々と守ってきた。今では数ある魔境の中でも一番平和で安全な場所と言えるだろう。

(早く用事を済ませて神殿に帰ろう。近くに大きな街があったから、仲間に土産を買っていくのもいいな。聖女様には流行りの髪飾りなどどうだろう?)

 十四歳で騎士に取り立てられてから五年、何度も禍物まがもの討伐に参加したジェレマイヤーにとっては、この森の穏やかさは生ぬるすぎてつい気が緩んでしまっていた。

 そんな油断が……命取りになった。

 白樺の群生地を抜けた直後、不意にゾクッと右後方に気配を感じて振り返る。その動作がいつもより半秒遅かっただけで、事態は最悪の方向へ転がり出す。
 ジェレマイヤーの背後にいたのは、巨大なまだら模様の蛇だった。その体長は頭だけでジェレマイヤーの身長を優に超えている。ほぼ垂直に開いた蛇の口からは、錐のように尖った毒牙と先端が二股の真っ赤な舌が覗いている。それを認知する前に、彼は反射的に飛び退った。……次の瞬間。
 バクッ! とジェレマイヤーの居た空間に蛇が食らいつく。すんでのところで攻撃を回避した彼は、たたらを踏みながらも腰の剣を引き抜いた。状況は理解できていないが、この大木のような蛇が自分の敵だということは判る。空振った蛇の顎が閉じている間に反撃を試みるが、
 ズッ!
 踏み込んだ踵がぬかるみに滑った。
 僅かに体勢を崩した刹那、鞭のようにしなった蛇の尻尾が彼を掬い上げるように薙いだ。

「ぐぁっ」

 ジェレマイヤーの体は宙を舞い、ブナの木にしたたか打ち付けられて落下する。衝撃に兜が外れ、白皙の頬に鮮血が伝う。それでも剣だけは離さなかった自分を褒めてやりたい。

(このままではマズい。一旦離脱しよう)

 これみよがしにチロチロと舌を蠢かす大蛇を睨みつけ、剣を構えて牽制しながら後退る。遮蔽物の多いこの場所では、ジェレマイヤーは満足に戦えない。優位な場所まで逃げてから反撃する。
 頭を打ったせいか目眩がして、体中が軋んでいる。それでも彼は腰を低くして藪に入ると、全力で駆け出した。
 シュルシュルと地面を滑って追いかける蛇の音が真後ろに迫る中、彼は必死で走った。もう少し拓けた場所に出れば勝機はある。もう少し……。
 掻き分ける藪が途切れる。
 視界が拓けた……瞬間。
 彼の目に飛び込んだのは、成人間際の少女と幼い少年だった。
 何故ここに人間が!?
 驚愕するジェレマイヤーに、少女が何かを叫びながら駆け寄ってくる。
 ……人々を守ることこそ、神殿騎士の役目。
 長年培った使命が、反射的に彼の口を開かせた。

「逃げてくだ……っ」

 言い終わる前に――

 ゴウッ!!

 ――彼の意識は途切れた。
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