森の大樹の魔法使い茶寮

灯倉日鈴(合歓鈴)

文字の大きさ
上 下
53 / 140

53、シルウァの街へ(4)

しおりを挟む
 オレンジの太陽が西に傾き、夕暮れが近づいてくる。
 街の中央広場の一番高い建物、『刻告ときつげの鐘』の下で、スイウは独り佇んでいた。
 帰宅や買い物で人通りの多い時間帯だが、行き交う人々はスイウに見向きもしない。風に靡く銀糸の髪も、スラリとした痩身を包む深緑のローブも。都会には似合わない前時代的な出で立ちの彼の存在を、誰も認識できないのだ。
 自分が人と違うのは、今に始まったことではない。
 望んで存在を消しているのだから、無視されたところで痛痒も感じない。
 ゴーン、ゴォーン……。
 鐘が鳴り出すと、鐘楼にとまっていた鳩が一斉に飛び立つ。
 スイウは安堵とも落胆ともつかぬため息を小さく吐き出すと、足早な雑踏の中に紛れ――

「待ってください!」

 ――る前に、腕を取られた。

「まだ鐘は鳴ってますよ。置いてくなんて酷いじゃないですか」

 頬を膨らませて憤慨しているのは、大荷物を抱えたリルだ。臙脂色のエプロンドレスや、赤毛を結んだ白いリボンは街によく馴染んでいて、他人に姿の見えないスイウよりも自然に背景に溶け込んでいる。
 魔法使いは黄昏色の瞳を少しだけ見開いて、

「……戻って来たのか」

「来るに決まってるでしょ」

 少女は当然! とふんぞり返る。

「色々買ってたら重くなっちゃいました。運ぶの手伝ってもらえません?」

 へらりと眉尻を下げるリルの腕にはいくつもの手提げ袋がぶら下がっている。足元には一抱えもある小麦粉の麻袋まで。

「随分と荷物が多いな」

「だって、大樹に私の持ち物はトランク一個分しかなかったんですよ。もっと自分の物を増やして、快適な私の部屋を作らなきゃ」

 呆れるスイウに、リルは開き直る。

「あと、小麦粉。これ重要。森のお客様は主菜の食材は持ってきてくれるけど、主食は持ってきてくれないんだもん」

 碧謐の森に麦は自生していない。パンが食べたければ、街で買うか原料を仕入れておかなければならないのだ。

「それと、数種類の野菜の種も買いました。大樹は家の周りを開墾しても怒りませんかね?」

 心配そうに見上げてくる少女に、魔法使いは堪らず笑みを零した。

「どうだろう。根を傷つけなければ、土を掘り返しても平気ではないかな」

 クスクス笑いながら、スイウは小麦粉の袋を拾い上げた。
 ――なんてことはない。リルは最初から、街に戻る気なんてなかったんだ。
 スイウはほっと肩の力を抜いて……ほっとした自分に、何故か酷く驚いた。
 しかし、そんな動揺をおくびにも出さず、飄々と体を起こすとローブの袂に麻袋を入れた。

「……その服、どうなってるんですか?」

 明らかに容量オーバーの荷物を次々とローブに仕舞っていくスイウにリルは怪訝な目を向ける。

「質量変化魔法の応用だ。帰ってから教えよう」

 二人は並んで街の外へと歩き出す。行きよりも帰りの方が断然荷物が増えたはずなのに……。
 足取りは行きよりも軽かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄の甘さ〜一晩の過ちを見逃さない王子様〜

岡暁舟
恋愛
それはちょっとした遊びでした

【完結】離縁ですか…では、私が出掛けている間に出ていって下さいね♪

山葵
恋愛
突然、カイルから離縁して欲しいと言われ、戸惑いながらも理由を聞いた。 「俺は真実の愛に目覚めたのだ。マリアこそ俺の運命の相手!」 そうですか…。 私は離婚届にサインをする。 私は、直ぐに役所に届ける様に使用人に渡した。 使用人が出掛けるのを確認してから 「私とアスベスが旅行に行っている間に荷物を纏めて出ていって下さいね♪」

義理姉がかわいそうと言われましても、私には関係の無い事です

渡辺 佐倉
恋愛
マーガレットは政略で伯爵家に嫁いだ。 愛の無い結婚であったがお互いに尊重し合って結婚生活をおくっていければいいと思っていたが、伯爵である夫はことあるごとに、離婚して実家である伯爵家に帰ってきているマーガレットにとっての義姉達を優先ばかりする。 そんな生活に耐えかねたマーガレットは… 結末は見方によって色々系だと思います。 なろうにも同じものを掲載しています。

追放された悪役令嬢はシングルマザー

ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。 断罪回避に奮闘するも失敗。 国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。 この子は私の子よ!守ってみせるわ。 1人、子を育てる決心をする。 そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。 さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥ ーーーー 完結確約 9話完結です。 短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!

古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。 そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は? *カクヨム様で先行掲載しております

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

魅了の魔法を使っているのは義妹のほうでした・完

瀬名 翠
恋愛
”魅了の魔法”を使っている悪女として国外追放されるアンネリーゼ。実際は義妹・ビアンカのしわざであり、アンネリーゼは潔白であった。断罪後、親しくしていた、隣国・魔法王国出身の後輩に、声をかけられ、連れ去られ。 夢も叶えて恋も叶える、絶世の美女の話。 *五話でさくっと読めます。

処理中です...