25 / 140
25、リル、落ち込む(2)
しおりを挟む
それから二日ほど、リルは何事もなく過ごした。
朝起きて、瓶の水がなかったら井戸から汲んできて、一人で茶の試飲会。食事は近隣で見つけた野草や芋を煮炊きしたり、適当に。スイウは自室に籠もっていることが多いので、基本的に別行動だ。
あの日以来、頼まれた時はアトリ亭のレシピで茶を淹れている。
新しく知った茶葉も単品で抽出して味を確かめたので、扱えないわけではないのだが……まだ自分でブレンドして人に提供する気にはなれない。
どんなに美味しいレシピを作ったとしても、スイウの味には敵わないのを知っているから。
大好きな物ほど、理想と現実の隔たりが重くのしかかる。思い通りにできない自分がもどかしい。
「出ていって構わないって、言ってたよなー……」
いっそ逃げてしまおうかと思うけど、行く宛もない。以前住んでいた家は、とっくに借金の返済に当てられている。
それに……いじけているのは自分の心の問題で、現在の生活には特に不満はない。ただ勝手に劣等感を膨らませて落ち込んでいるだけ。
「はぁ……」
リルは大きく息を吐き出して、まだ昼なのに窓の向こうの空が暗くなっているのに気づいた。
「いけない、洗濯物!」
雨が来るのを察知して、大急ぎで外に干していた衣類を取り込む。洗濯物を抱えて家に飛び込んだ瞬間。
ドドーーーン!!
眩い光の後、地面を揺るがす雷鳴が轟いた。
「きゃー!」
リルは思わず、耳を塞いで床にしゃがみこんだ。
黒い雲であっという間に日差しが遮られ、室内は闇に閉ざされる。時折稲光が窓から差し込むが、刹那の閃光は逆に不安を煽る。風が枝葉を揺らし、大粒の雨が幹に打ちつける音がする。
家全体から軋む音がして、大樹が倒れてしまうのではないかと気が気でない。
しばらく蹲ったまま動けずにいると――
「何をしている?」
――淡白な声が背中から掛けられた。リルが振り返った、その時!
空を割く稲妻が走り、室内を白銀に染め上げた。
光に同化した長い銀髪と、彫りの深い顔の陰影が如実に浮かび上がり……、
「ひいぃぃぃぃ!!」
枯れ木のようなシルエットがまるで幽霊のようで、けたたましい叫びを上げてしまう。
「すすすスイウさんっ。いきなり現れないでください。驚いたじゃないですか!」
「それはこっちの台詞だ」
涙目で抗議するリルに、スイウは冷静に返した。
「突然、嵐が来たから怖くなっちゃって。この家、大丈夫なんですか?」
風の音がうるさくて、つい大声を出す少女に、魔法使いは事もなげに頷く。
「問題ない。この家は強い。雨漏り一つしてないだろう?」
見上げると、大樹は複雑に枝を組み合わせて天井をぴったりと閉じ、内部に雨粒一つの侵入も許していない。晴れた日は木洩れ日が眩しいほどなのに。
「そうなんだ。ありがとう」
リルはほっと肩の力を抜き、感謝を込めて床を撫でる。
「この雨、夜まで止みそうもないな」
幹が格子のように伸びた窓の隙間から外を覗いて、スイウが呟く。
「こんなに暗いんじゃメモを取りながらお茶の勉強もできないし、どうしよう?」
項垂れるリルに、スイウは一言。
「灯りをつければいい」
「灯り?」
リルは鸚鵡返しする。蝋燭やランタンがあれば助かるが、この家は室内で火を使うと激怒するのに。
「どうやってつけるんですか?」
尋ねてみると、スイウは「こうやって」とテーブルに手を置いた。すると、手のひらの当たっている木肌がほわっと光った。
「わっ、明るい!」
「この大樹は昼間に陽の光を溜めていて、必要な時に放出してくれる」
「へぇ」
リルは日が暮れるとすぐに寝てしまっていたが、夜も活動するスイウはいつもこうして灯りをつけていたのだ。
「私にもできますか?」
「家次第だな」
言われたリルは、そっとテーブルを触ってみるが――
「……明るくなりません」
――まだまだ好感度が足りないようだ。
しょんぼりするリルに口の端だけで微笑んでから、スイウはテーブルや椅子、近くの壁を触って、リルの周りに灯りをつける。
「暗いのが苦手なら、ここにいるといい。日暮れくらいまでは灯りが保つはずだから」
わざわざリルのために部屋を明るくしてくれたスイウに……リルの心にも灯がともる。
「あ、あの……っ」
自室に戻ろうと踵を返すスイウを、勇気を出して呼び止めた。
「お茶、飲んでいきませんか?」
おずおずと誘うリルに、スイウは少しだけ金の目を見開いて、
「いただこうか」
長いローブを捌き、席についた。
「はい!」
リルは久しぶりに明るい気分で想織茶をブレンドした。
薄明かりの中、ティーカップに唇を寄せるスイウの横顔は、アトリ亭の常連さんと同じに見えて……なんだかちょっぴりドキドキした。
朝起きて、瓶の水がなかったら井戸から汲んできて、一人で茶の試飲会。食事は近隣で見つけた野草や芋を煮炊きしたり、適当に。スイウは自室に籠もっていることが多いので、基本的に別行動だ。
あの日以来、頼まれた時はアトリ亭のレシピで茶を淹れている。
新しく知った茶葉も単品で抽出して味を確かめたので、扱えないわけではないのだが……まだ自分でブレンドして人に提供する気にはなれない。
どんなに美味しいレシピを作ったとしても、スイウの味には敵わないのを知っているから。
大好きな物ほど、理想と現実の隔たりが重くのしかかる。思い通りにできない自分がもどかしい。
「出ていって構わないって、言ってたよなー……」
いっそ逃げてしまおうかと思うけど、行く宛もない。以前住んでいた家は、とっくに借金の返済に当てられている。
それに……いじけているのは自分の心の問題で、現在の生活には特に不満はない。ただ勝手に劣等感を膨らませて落ち込んでいるだけ。
「はぁ……」
リルは大きく息を吐き出して、まだ昼なのに窓の向こうの空が暗くなっているのに気づいた。
「いけない、洗濯物!」
雨が来るのを察知して、大急ぎで外に干していた衣類を取り込む。洗濯物を抱えて家に飛び込んだ瞬間。
ドドーーーン!!
眩い光の後、地面を揺るがす雷鳴が轟いた。
「きゃー!」
リルは思わず、耳を塞いで床にしゃがみこんだ。
黒い雲であっという間に日差しが遮られ、室内は闇に閉ざされる。時折稲光が窓から差し込むが、刹那の閃光は逆に不安を煽る。風が枝葉を揺らし、大粒の雨が幹に打ちつける音がする。
家全体から軋む音がして、大樹が倒れてしまうのではないかと気が気でない。
しばらく蹲ったまま動けずにいると――
「何をしている?」
――淡白な声が背中から掛けられた。リルが振り返った、その時!
空を割く稲妻が走り、室内を白銀に染め上げた。
光に同化した長い銀髪と、彫りの深い顔の陰影が如実に浮かび上がり……、
「ひいぃぃぃぃ!!」
枯れ木のようなシルエットがまるで幽霊のようで、けたたましい叫びを上げてしまう。
「すすすスイウさんっ。いきなり現れないでください。驚いたじゃないですか!」
「それはこっちの台詞だ」
涙目で抗議するリルに、スイウは冷静に返した。
「突然、嵐が来たから怖くなっちゃって。この家、大丈夫なんですか?」
風の音がうるさくて、つい大声を出す少女に、魔法使いは事もなげに頷く。
「問題ない。この家は強い。雨漏り一つしてないだろう?」
見上げると、大樹は複雑に枝を組み合わせて天井をぴったりと閉じ、内部に雨粒一つの侵入も許していない。晴れた日は木洩れ日が眩しいほどなのに。
「そうなんだ。ありがとう」
リルはほっと肩の力を抜き、感謝を込めて床を撫でる。
「この雨、夜まで止みそうもないな」
幹が格子のように伸びた窓の隙間から外を覗いて、スイウが呟く。
「こんなに暗いんじゃメモを取りながらお茶の勉強もできないし、どうしよう?」
項垂れるリルに、スイウは一言。
「灯りをつければいい」
「灯り?」
リルは鸚鵡返しする。蝋燭やランタンがあれば助かるが、この家は室内で火を使うと激怒するのに。
「どうやってつけるんですか?」
尋ねてみると、スイウは「こうやって」とテーブルに手を置いた。すると、手のひらの当たっている木肌がほわっと光った。
「わっ、明るい!」
「この大樹は昼間に陽の光を溜めていて、必要な時に放出してくれる」
「へぇ」
リルは日が暮れるとすぐに寝てしまっていたが、夜も活動するスイウはいつもこうして灯りをつけていたのだ。
「私にもできますか?」
「家次第だな」
言われたリルは、そっとテーブルを触ってみるが――
「……明るくなりません」
――まだまだ好感度が足りないようだ。
しょんぼりするリルに口の端だけで微笑んでから、スイウはテーブルや椅子、近くの壁を触って、リルの周りに灯りをつける。
「暗いのが苦手なら、ここにいるといい。日暮れくらいまでは灯りが保つはずだから」
わざわざリルのために部屋を明るくしてくれたスイウに……リルの心にも灯がともる。
「あ、あの……っ」
自室に戻ろうと踵を返すスイウを、勇気を出して呼び止めた。
「お茶、飲んでいきませんか?」
おずおずと誘うリルに、スイウは少しだけ金の目を見開いて、
「いただこうか」
長いローブを捌き、席についた。
「はい!」
リルは久しぶりに明るい気分で想織茶をブレンドした。
薄明かりの中、ティーカップに唇を寄せるスイウの横顔は、アトリ亭の常連さんと同じに見えて……なんだかちょっぴりドキドキした。
44
お気に入りに追加
114
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
義理姉がかわいそうと言われましても、私には関係の無い事です
渡辺 佐倉
恋愛
マーガレットは政略で伯爵家に嫁いだ。
愛の無い結婚であったがお互いに尊重し合って結婚生活をおくっていければいいと思っていたが、伯爵である夫はことあるごとに、離婚して実家である伯爵家に帰ってきているマーガレットにとっての義姉達を優先ばかりする。
そんな生活に耐えかねたマーガレットは…
結末は見方によって色々系だと思います。
なろうにも同じものを掲載しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
追放された悪役令嬢はシングルマザー
ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。
断罪回避に奮闘するも失敗。
国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。
この子は私の子よ!守ってみせるわ。
1人、子を育てる決心をする。
そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。
さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥
ーーーー
完結確約 9話完結です。
短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
(完結)元お義姉様に麗しの王太子殿下を取られたけれど・・・・・・(5話完結)
青空一夏
恋愛
私(エメリーン・リトラー侯爵令嬢)は義理のお姉様、マルガレータ様が大好きだった。彼女は4歳年上でお兄様とは同じ歳。二人はとても仲のいい夫婦だった。
けれどお兄様が病気であっけなく他界し、結婚期間わずか半年で子供もいなかったマルガレータ様は、実家ノット公爵家に戻られる。
マルガレータ様は実家に帰られる際、
「エメリーン、あなたを本当の妹のように思っているわ。この思いはずっと変わらない。あなたの幸せをずっと願っていましょう」と、おっしゃった。
信頼していたし、とても可愛がってくれた。私はマルガレータが本当に大好きだったの!!
でも、それは見事に裏切られて・・・・・・
ヒロインは、マルガレータ。シリアス。ざまぁはないかも。バッドエンド。バッドエンドはもやっとくる結末です。異世界ヨーロッパ風。現代的表現。ゆるふわ設定ご都合主義。時代考証ほとんどありません。
エメリーンの回も書いてダブルヒロインのはずでしたが、別作品として書いていきます。申し訳ありません。
元お姉様に麗しの王太子殿下を取られたけれどーエメリーン編に続きます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
魅了の魔法を使っているのは義妹のほうでした・完
瀬名 翠
恋愛
”魅了の魔法”を使っている悪女として国外追放されるアンネリーゼ。実際は義妹・ビアンカのしわざであり、アンネリーゼは潔白であった。断罪後、親しくしていた、隣国・魔法王国出身の後輩に、声をかけられ、連れ去られ。
夢も叶えて恋も叶える、絶世の美女の話。
*五話でさくっと読めます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる