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25、リル、落ち込む(2)
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それから二日ほど、リルは何事もなく過ごした。
朝起きて、瓶の水がなかったら井戸から汲んできて、一人で茶の試飲会。食事は近隣で見つけた野草や芋を煮炊きしたり、適当に。スイウは自室に籠もっていることが多いので、基本的に別行動だ。
あの日以来、頼まれた時はアトリ亭のレシピで茶を淹れている。
新しく知った茶葉も単品で抽出して味を確かめたので、扱えないわけではないのだが……まだ自分でブレンドして人に提供する気にはなれない。
どんなに美味しいレシピを作ったとしても、スイウの味には敵わないのを知っているから。
大好きな物ほど、理想と現実の隔たりが重くのしかかる。思い通りにできない自分がもどかしい。
「出ていって構わないって、言ってたよなー……」
いっそ逃げてしまおうかと思うけど、行く宛もない。以前住んでいた家は、とっくに借金の返済に当てられている。
それに……いじけているのは自分の心の問題で、現在の生活には特に不満はない。ただ勝手に劣等感を膨らませて落ち込んでいるだけ。
「はぁ……」
リルは大きく息を吐き出して、まだ昼なのに窓の向こうの空が暗くなっているのに気づいた。
「いけない、洗濯物!」
雨が来るのを察知して、大急ぎで外に干していた衣類を取り込む。洗濯物を抱えて家に飛び込んだ瞬間。
ドドーーーン!!
眩い光の後、地面を揺るがす雷鳴が轟いた。
「きゃー!」
リルは思わず、耳を塞いで床にしゃがみこんだ。
黒い雲であっという間に日差しが遮られ、室内は闇に閉ざされる。時折稲光が窓から差し込むが、刹那の閃光は逆に不安を煽る。風が枝葉を揺らし、大粒の雨が幹に打ちつける音がする。
家全体から軋む音がして、大樹が倒れてしまうのではないかと気が気でない。
しばらく蹲ったまま動けずにいると――
「何をしている?」
――淡白な声が背中から掛けられた。リルが振り返った、その時!
空を割く稲妻が走り、室内を白銀に染め上げた。
光に同化した長い銀髪と、彫りの深い顔の陰影が如実に浮かび上がり……、
「ひいぃぃぃぃ!!」
枯れ木のようなシルエットがまるで幽霊のようで、けたたましい叫びを上げてしまう。
「すすすスイウさんっ。いきなり現れないでください。驚いたじゃないですか!」
「それはこっちの台詞だ」
涙目で抗議するリルに、スイウは冷静に返した。
「突然、嵐が来たから怖くなっちゃって。この家、大丈夫なんですか?」
風の音がうるさくて、つい大声を出す少女に、魔法使いは事もなげに頷く。
「問題ない。この家は強い。雨漏り一つしてないだろう?」
見上げると、大樹は複雑に枝を組み合わせて天井をぴったりと閉じ、内部に雨粒一つの侵入も許していない。晴れた日は木洩れ日が眩しいほどなのに。
「そうなんだ。ありがとう」
リルはほっと肩の力を抜き、感謝を込めて床を撫でる。
「この雨、夜まで止みそうもないな」
幹が格子のように伸びた窓の隙間から外を覗いて、スイウが呟く。
「こんなに暗いんじゃメモを取りながらお茶の勉強もできないし、どうしよう?」
項垂れるリルに、スイウは一言。
「灯りをつければいい」
「灯り?」
リルは鸚鵡返しする。蝋燭やランタンがあれば助かるが、この家は室内で火を使うと激怒するのに。
「どうやってつけるんですか?」
尋ねてみると、スイウは「こうやって」とテーブルに手を置いた。すると、手のひらの当たっている木肌がほわっと光った。
「わっ、明るい!」
「この大樹は昼間に陽の光を溜めていて、必要な時に放出してくれる」
「へぇ」
リルは日が暮れるとすぐに寝てしまっていたが、夜も活動するスイウはいつもこうして灯りをつけていたのだ。
「私にもできますか?」
「家次第だな」
言われたリルは、そっとテーブルを触ってみるが――
「……明るくなりません」
――まだまだ好感度が足りないようだ。
しょんぼりするリルに口の端だけで微笑んでから、スイウはテーブルや椅子、近くの壁を触って、リルの周りに灯りをつける。
「暗いのが苦手なら、ここにいるといい。日暮れくらいまでは灯りが保つはずだから」
わざわざリルのために部屋を明るくしてくれたスイウに……リルの心にも灯がともる。
「あ、あの……っ」
自室に戻ろうと踵を返すスイウを、勇気を出して呼び止めた。
「お茶、飲んでいきませんか?」
おずおずと誘うリルに、スイウは少しだけ金の目を見開いて、
「いただこうか」
長いローブを捌き、席についた。
「はい!」
リルは久しぶりに明るい気分で想織茶をブレンドした。
薄明かりの中、ティーカップに唇を寄せるスイウの横顔は、アトリ亭の常連さんと同じに見えて……なんだかちょっぴりドキドキした。
朝起きて、瓶の水がなかったら井戸から汲んできて、一人で茶の試飲会。食事は近隣で見つけた野草や芋を煮炊きしたり、適当に。スイウは自室に籠もっていることが多いので、基本的に別行動だ。
あの日以来、頼まれた時はアトリ亭のレシピで茶を淹れている。
新しく知った茶葉も単品で抽出して味を確かめたので、扱えないわけではないのだが……まだ自分でブレンドして人に提供する気にはなれない。
どんなに美味しいレシピを作ったとしても、スイウの味には敵わないのを知っているから。
大好きな物ほど、理想と現実の隔たりが重くのしかかる。思い通りにできない自分がもどかしい。
「出ていって構わないって、言ってたよなー……」
いっそ逃げてしまおうかと思うけど、行く宛もない。以前住んでいた家は、とっくに借金の返済に当てられている。
それに……いじけているのは自分の心の問題で、現在の生活には特に不満はない。ただ勝手に劣等感を膨らませて落ち込んでいるだけ。
「はぁ……」
リルは大きく息を吐き出して、まだ昼なのに窓の向こうの空が暗くなっているのに気づいた。
「いけない、洗濯物!」
雨が来るのを察知して、大急ぎで外に干していた衣類を取り込む。洗濯物を抱えて家に飛び込んだ瞬間。
ドドーーーン!!
眩い光の後、地面を揺るがす雷鳴が轟いた。
「きゃー!」
リルは思わず、耳を塞いで床にしゃがみこんだ。
黒い雲であっという間に日差しが遮られ、室内は闇に閉ざされる。時折稲光が窓から差し込むが、刹那の閃光は逆に不安を煽る。風が枝葉を揺らし、大粒の雨が幹に打ちつける音がする。
家全体から軋む音がして、大樹が倒れてしまうのではないかと気が気でない。
しばらく蹲ったまま動けずにいると――
「何をしている?」
――淡白な声が背中から掛けられた。リルが振り返った、その時!
空を割く稲妻が走り、室内を白銀に染め上げた。
光に同化した長い銀髪と、彫りの深い顔の陰影が如実に浮かび上がり……、
「ひいぃぃぃぃ!!」
枯れ木のようなシルエットがまるで幽霊のようで、けたたましい叫びを上げてしまう。
「すすすスイウさんっ。いきなり現れないでください。驚いたじゃないですか!」
「それはこっちの台詞だ」
涙目で抗議するリルに、スイウは冷静に返した。
「突然、嵐が来たから怖くなっちゃって。この家、大丈夫なんですか?」
風の音がうるさくて、つい大声を出す少女に、魔法使いは事もなげに頷く。
「問題ない。この家は強い。雨漏り一つしてないだろう?」
見上げると、大樹は複雑に枝を組み合わせて天井をぴったりと閉じ、内部に雨粒一つの侵入も許していない。晴れた日は木洩れ日が眩しいほどなのに。
「そうなんだ。ありがとう」
リルはほっと肩の力を抜き、感謝を込めて床を撫でる。
「この雨、夜まで止みそうもないな」
幹が格子のように伸びた窓の隙間から外を覗いて、スイウが呟く。
「こんなに暗いんじゃメモを取りながらお茶の勉強もできないし、どうしよう?」
項垂れるリルに、スイウは一言。
「灯りをつければいい」
「灯り?」
リルは鸚鵡返しする。蝋燭やランタンがあれば助かるが、この家は室内で火を使うと激怒するのに。
「どうやってつけるんですか?」
尋ねてみると、スイウは「こうやって」とテーブルに手を置いた。すると、手のひらの当たっている木肌がほわっと光った。
「わっ、明るい!」
「この大樹は昼間に陽の光を溜めていて、必要な時に放出してくれる」
「へぇ」
リルは日が暮れるとすぐに寝てしまっていたが、夜も活動するスイウはいつもこうして灯りをつけていたのだ。
「私にもできますか?」
「家次第だな」
言われたリルは、そっとテーブルを触ってみるが――
「……明るくなりません」
――まだまだ好感度が足りないようだ。
しょんぼりするリルに口の端だけで微笑んでから、スイウはテーブルや椅子、近くの壁を触って、リルの周りに灯りをつける。
「暗いのが苦手なら、ここにいるといい。日暮れくらいまでは灯りが保つはずだから」
わざわざリルのために部屋を明るくしてくれたスイウに……リルの心にも灯がともる。
「あ、あの……っ」
自室に戻ろうと踵を返すスイウを、勇気を出して呼び止めた。
「お茶、飲んでいきませんか?」
おずおずと誘うリルに、スイウは少しだけ金の目を見開いて、
「いただこうか」
長いローブを捌き、席についた。
「はい!」
リルは久しぶりに明るい気分で想織茶をブレンドした。
薄明かりの中、ティーカップに唇を寄せるスイウの横顔は、アトリ亭の常連さんと同じに見えて……なんだかちょっぴりドキドキした。
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