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一階に戻ると陽はもう暮れかけていて、大樹の家は黄昏色に染まっていた。
魔法使いは強い西日の中で、背後のリルを振り返る。
「それでは、あとは好きにしていてくれ。家にあるものは何を食べても何を使っても構わない」
彼の声はよく通る綺麗な低音だが、無機質でまるで鉱物と喋っているような冷たさだ。
「他に何か質問はあるか?」
訊かれてリルは漸く重要な言葉を口にした。
「……名前が知りたいです」
「ん?」
「私の名前はリルです。魔法使いさんの名前は?」
彼は少しだけ驚いたように目を見開き、すぐに戻した。
「スイウと呼ばれている」
「スイウ……様?」
「私に認識できる呼び方なら、名前でも『魔法使い』でも何でもいい。敬称も敬語もいらない」
魔法使いに拘りはないようだが、一般人はそうもいかない。
「でも私、借金のカタなわけですから、上下関係ははっきりさせておかないと……」
言い募るリルにスイウはつまらなそうに鼻を鳴らすと、ローブの袂から彼女の署名入り借用書を取り出した。
「これが君を縛るモノか?」
確認するが否や羊皮紙は端からメラメラと燃え始めた!
リルが「あっ!」と声を上げた時には、既に文字の書かれた部分は火に包まれていた。スイウが指に炎が届く前に手を離すと、小さくなった羊皮紙は宙に舞い、灰も残さず燃え尽きてしまった。
「これで自由だな」
言われたリルは呆然とする。
「自由って?」
「好きな時に出ていって構わないということだ」
そこまで突き放されてしまうと逆に困る。
「あなたが私を連れてきたのに、出ていっていいんですか? 茶葉の管理は?」
「また別の者を見つける」
「そんな……」
リルが複雑な思いで口を開きかけた、瞬間。ザワッと天井の梢が大きく揺れた。
「な、なに? 嵐!?」
外で突風でも吹いたのかと身を縮こませるリルに、スイウは罰が悪そうに頭を掻いた。
「いや、今のは狭い廊下で火を使ったから家が怒っただけだ」
魔法使いの台詞に、街の一般人は目をぱちくりさせる。
「家が……怒る……?」
「こいつは気難しいから」
事もなげに頷かれて目眩がする。ここにいると、リルが十七年間積み上げてきた常識が一瞬で崩れてしまう。
「あの、今日はもう休んでいいですか? 疲れてしまって」
「ああ」
簡単に許可する家主に会釈して、リルは自分に宛てがわれた部屋に向かった。色々ありすぎて頭の中がぐちゃぐちゃだ。不幸中の幸いというか、借金取りに連行される予定だったので身の回りの物はトランクに詰めてきた。部屋着に着替えて一晩ゆっくり寝れば、気分も落ち着くだろう。そう思ってアコーディオンカーテンのように折り重なった木の幹のドアを捲って……リルは絶句した。
「すみません、ちょっと相談が」
廊下に戻ると、リビングにいたスイウに声を掛ける。
「どうした?」
「部屋に何もないのですが……」
「何もない?」
鸚鵡返ししながらスイウはリルの部屋を覗き込む。そこにはただ床と壁しかない空間が広がっていた。
「どこかに余っている家具はありますか?」
これでは寝起きもままならないと訴える新入居者に、以前からの住人は口元に手を当てて考えて、
「何が必要だ?」
「とりあえず、ベッドとクローゼットがあれば」
自分と荷物の置き場が欲しいというリルに頷くと、スイウは平常のトーンで呼び掛けた。
「ベッドとクローゼットを作ってくれ」
――その途端、家が軋んだ。
魔法使いの声に呼応し、床と壁から這い出した根と幹がニョロニョロと複雑に絡み合い、形を造っていく。
リルが驚きに硬直しているものの数秒の間に、部屋には真新しいベッドとクローゼットが完成していた。
「……すごい」
緑の瞳を輝かせて、少女は飛び跳ねる。
「すごい、すごい! これって魔法ですか!?」
「似たようなものだ」
適当に答えるスイウに、リルの興奮は治まらない。
「どうやるんですか? ここに暮らしていれば、私もできるようになりますか!?」
浮かれる素人に、玄人は淡々と頷く。
「家と仲良くなれば」
「……家と?」
それはちょっと難しそうだ。
リルは今度こそスイウと別れ、自室に入った。
「今日は変なことがいっぱいだったなぁ」
一人になるとどっと疲労感が押し寄せ、荷物の片付けも後回しでベッドに身を投げ出してしまう。
「森の魔法使い、か」
声に出して呟いてみる。
今日は信じられない出来事が次々に起きてまるで夢の中にいるようだけど……借金地獄から解放されて、新しい棲家が見つかったのは事実だ。
スイウはいつでも出ていっていいといっていたが、恩返しの為にもしばらくここにいようと思う。
(想織茶にも携われるしね)
それが一番嬉しい。
(でも、なんで魔法使いが私なんかを連れてきたんだろ?)
一人で首を捻るが、答えは出るはずもない。
リルはひとつため息をついて、気持ちを切り換える。
新しい部屋はどこも緑の香りがして、とても清々しい。でもちょっと……閉塞的だ。
天井を仰ぎ、リルは期待を込めておねだりしてみる。
「部屋に窓が欲しいな~」
…………。
しかし、声は侘びしく反響するだけで、室内には一向に変化がない。
「……ちぇっ」
リルは唇を尖らせて寝返りを打った。
――まだまだ家の好感度が足りないようだ。
魔法使いは強い西日の中で、背後のリルを振り返る。
「それでは、あとは好きにしていてくれ。家にあるものは何を食べても何を使っても構わない」
彼の声はよく通る綺麗な低音だが、無機質でまるで鉱物と喋っているような冷たさだ。
「他に何か質問はあるか?」
訊かれてリルは漸く重要な言葉を口にした。
「……名前が知りたいです」
「ん?」
「私の名前はリルです。魔法使いさんの名前は?」
彼は少しだけ驚いたように目を見開き、すぐに戻した。
「スイウと呼ばれている」
「スイウ……様?」
「私に認識できる呼び方なら、名前でも『魔法使い』でも何でもいい。敬称も敬語もいらない」
魔法使いに拘りはないようだが、一般人はそうもいかない。
「でも私、借金のカタなわけですから、上下関係ははっきりさせておかないと……」
言い募るリルにスイウはつまらなそうに鼻を鳴らすと、ローブの袂から彼女の署名入り借用書を取り出した。
「これが君を縛るモノか?」
確認するが否や羊皮紙は端からメラメラと燃え始めた!
リルが「あっ!」と声を上げた時には、既に文字の書かれた部分は火に包まれていた。スイウが指に炎が届く前に手を離すと、小さくなった羊皮紙は宙に舞い、灰も残さず燃え尽きてしまった。
「これで自由だな」
言われたリルは呆然とする。
「自由って?」
「好きな時に出ていって構わないということだ」
そこまで突き放されてしまうと逆に困る。
「あなたが私を連れてきたのに、出ていっていいんですか? 茶葉の管理は?」
「また別の者を見つける」
「そんな……」
リルが複雑な思いで口を開きかけた、瞬間。ザワッと天井の梢が大きく揺れた。
「な、なに? 嵐!?」
外で突風でも吹いたのかと身を縮こませるリルに、スイウは罰が悪そうに頭を掻いた。
「いや、今のは狭い廊下で火を使ったから家が怒っただけだ」
魔法使いの台詞に、街の一般人は目をぱちくりさせる。
「家が……怒る……?」
「こいつは気難しいから」
事もなげに頷かれて目眩がする。ここにいると、リルが十七年間積み上げてきた常識が一瞬で崩れてしまう。
「あの、今日はもう休んでいいですか? 疲れてしまって」
「ああ」
簡単に許可する家主に会釈して、リルは自分に宛てがわれた部屋に向かった。色々ありすぎて頭の中がぐちゃぐちゃだ。不幸中の幸いというか、借金取りに連行される予定だったので身の回りの物はトランクに詰めてきた。部屋着に着替えて一晩ゆっくり寝れば、気分も落ち着くだろう。そう思ってアコーディオンカーテンのように折り重なった木の幹のドアを捲って……リルは絶句した。
「すみません、ちょっと相談が」
廊下に戻ると、リビングにいたスイウに声を掛ける。
「どうした?」
「部屋に何もないのですが……」
「何もない?」
鸚鵡返ししながらスイウはリルの部屋を覗き込む。そこにはただ床と壁しかない空間が広がっていた。
「どこかに余っている家具はありますか?」
これでは寝起きもままならないと訴える新入居者に、以前からの住人は口元に手を当てて考えて、
「何が必要だ?」
「とりあえず、ベッドとクローゼットがあれば」
自分と荷物の置き場が欲しいというリルに頷くと、スイウは平常のトーンで呼び掛けた。
「ベッドとクローゼットを作ってくれ」
――その途端、家が軋んだ。
魔法使いの声に呼応し、床と壁から這い出した根と幹がニョロニョロと複雑に絡み合い、形を造っていく。
リルが驚きに硬直しているものの数秒の間に、部屋には真新しいベッドとクローゼットが完成していた。
「……すごい」
緑の瞳を輝かせて、少女は飛び跳ねる。
「すごい、すごい! これって魔法ですか!?」
「似たようなものだ」
適当に答えるスイウに、リルの興奮は治まらない。
「どうやるんですか? ここに暮らしていれば、私もできるようになりますか!?」
浮かれる素人に、玄人は淡々と頷く。
「家と仲良くなれば」
「……家と?」
それはちょっと難しそうだ。
リルは今度こそスイウと別れ、自室に入った。
「今日は変なことがいっぱいだったなぁ」
一人になるとどっと疲労感が押し寄せ、荷物の片付けも後回しでベッドに身を投げ出してしまう。
「森の魔法使い、か」
声に出して呟いてみる。
今日は信じられない出来事が次々に起きてまるで夢の中にいるようだけど……借金地獄から解放されて、新しい棲家が見つかったのは事実だ。
スイウはいつでも出ていっていいといっていたが、恩返しの為にもしばらくここにいようと思う。
(想織茶にも携われるしね)
それが一番嬉しい。
(でも、なんで魔法使いが私なんかを連れてきたんだろ?)
一人で首を捻るが、答えは出るはずもない。
リルはひとつため息をついて、気持ちを切り換える。
新しい部屋はどこも緑の香りがして、とても清々しい。でもちょっと……閉塞的だ。
天井を仰ぎ、リルは期待を込めておねだりしてみる。
「部屋に窓が欲しいな~」
…………。
しかし、声は侘びしく反響するだけで、室内には一向に変化がない。
「……ちぇっ」
リルは唇を尖らせて寝返りを打った。
――まだまだ家の好感度が足りないようだ。
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