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70、二回目のデート、のはず(10)
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壁に打ち付けられた細い鉄の梯子を、おっかなびっくり下りていく。
狭かったのは入口だけ。進むにつれて、音の反響具合から地下は思ったより広い空間なのだと気づく。スノーが落とした光球は梯子の根本しか照らしていない。
硬い地面に降り立った瞬間、私はえずきそうになった。
なにこれ。湿って淀んだ空気の中に漂う異臭。あらゆる腐った物を煮詰めて部屋中にぶちまけたような匂い。
「うげっ、嫌な場所来ちゃったな」
暗闇の中でスノーのうんざり声がする。彼は梯子を使わずに魔法で下りてきたらしい。すぐ隣にいるのに、顔も見えない暗さだ。
「スノー、灯りをくれ」
先に下りていたフィルアートの声に、スノーは「人使い荒いなぁ」とブツクサ言いながら呪文を唱える。両手の中に生み出された先程の三倍はある光の玉を投げると、それはふよふよと浮かんで天井付近に留まった。黄色みがかった光が、薄ぼんやりと室内を照らす。
闇から浮かび上がった光景に、私は「ひっ」と悲鳴を上げた。
冷たい石壁に掛けられた太い鎖や、棘の付いた鞭や首輪。床には大小の檻が並んでいる。どの檻も空だが、ところどころに骨や腐った肉片がこびりついている。天井と床と壁に蛇が這ったような奇怪な模様が刻まれているのも不気味だ。
一歩踏み出そうとした私は、床に乾いた血溜まりの跡を見つけて慌てて足を引っ込めた。
「なに? ここ……拷問部屋?」
鎖や棘付きの器具は最悪な想像を掻き立てるけど――
「いや」
――現実はいつだって想像を越えてくる。
「魔獣の密売施設だな」
檻に転がっていた角のある頭蓋骨を眺めながら、フィルアートが淡々と断言する。
「国が規制している獰猛な魔獣を闇で取引していたのだろう。そこの床に召喚の魔法陣の跡がある。最大期で魔界から暗晦の森に渡る魔獣を網にかけてこの場に引きずり込んでいたんだ。部屋全体を結界で覆って逃げられなくして」
壁や床にある模様は結界の魔法陣か。
病院が潰れたのは約十年前。放置された建物を隠れ蓑に、魔獣密売業者が地下で商売を始めていたってこと?
「でも、誰にも知られず魔獣を飼育するなんて難しくないですか? エサ代だって……」
言いながら、私は檻に引っかかっている布の切れ端に気づいた。あの花柄の布地は……。
「っ!」
勢いよく振り返った私に、フィルアートは静かに頷く。
「行方不明になった者達は、魔獣のエサにされたのだろう。その為に意図的に心霊スポットの噂を流したのかもな」
肝試しに来て、自分も幽霊にされたなんて。なにそれ笑えない。それに、
「じゃあ……私が斬った霊は、殺された人達なの? 私、なにも知らなかった」
勝手に震え出す肩を自分で抱きしめる。もしかしたら、言いたいことがあったのかもしれない。もっとできることがあったかもしれない。それなのに、私はなにも考えずにあの人達を……、
「エレノアが気に病むことじゃないよ」
場違いに朗らかにスノーが言い切る。
「悪霊になった霊は自我を失い永遠に彷徨い続ける。消滅させた方が親切だよ」
歌うような口調で励まされても、心は軽くならない。私は自分が戦う意味を、振るう剣の重さを全然理解していなかった。
涙が出そうになるのを、歯を食いしばって堪える。落ち込むのは後回しだ。
「それじゃあ、今は魔獣はどこにいるんですか? 密売業者は?」
今は檻は空で、魔獣はおろか人の姿もない。
みんな、どこへいったのだろう?
「それは、解らな……」
フィルアートが眉間にシワを寄せて答えようとした、その時。
「……たすけて」
幾多の檻の向こうから、か細い声が響いた。
狭かったのは入口だけ。進むにつれて、音の反響具合から地下は思ったより広い空間なのだと気づく。スノーが落とした光球は梯子の根本しか照らしていない。
硬い地面に降り立った瞬間、私はえずきそうになった。
なにこれ。湿って淀んだ空気の中に漂う異臭。あらゆる腐った物を煮詰めて部屋中にぶちまけたような匂い。
「うげっ、嫌な場所来ちゃったな」
暗闇の中でスノーのうんざり声がする。彼は梯子を使わずに魔法で下りてきたらしい。すぐ隣にいるのに、顔も見えない暗さだ。
「スノー、灯りをくれ」
先に下りていたフィルアートの声に、スノーは「人使い荒いなぁ」とブツクサ言いながら呪文を唱える。両手の中に生み出された先程の三倍はある光の玉を投げると、それはふよふよと浮かんで天井付近に留まった。黄色みがかった光が、薄ぼんやりと室内を照らす。
闇から浮かび上がった光景に、私は「ひっ」と悲鳴を上げた。
冷たい石壁に掛けられた太い鎖や、棘の付いた鞭や首輪。床には大小の檻が並んでいる。どの檻も空だが、ところどころに骨や腐った肉片がこびりついている。天井と床と壁に蛇が這ったような奇怪な模様が刻まれているのも不気味だ。
一歩踏み出そうとした私は、床に乾いた血溜まりの跡を見つけて慌てて足を引っ込めた。
「なに? ここ……拷問部屋?」
鎖や棘付きの器具は最悪な想像を掻き立てるけど――
「いや」
――現実はいつだって想像を越えてくる。
「魔獣の密売施設だな」
檻に転がっていた角のある頭蓋骨を眺めながら、フィルアートが淡々と断言する。
「国が規制している獰猛な魔獣を闇で取引していたのだろう。そこの床に召喚の魔法陣の跡がある。最大期で魔界から暗晦の森に渡る魔獣を網にかけてこの場に引きずり込んでいたんだ。部屋全体を結界で覆って逃げられなくして」
壁や床にある模様は結界の魔法陣か。
病院が潰れたのは約十年前。放置された建物を隠れ蓑に、魔獣密売業者が地下で商売を始めていたってこと?
「でも、誰にも知られず魔獣を飼育するなんて難しくないですか? エサ代だって……」
言いながら、私は檻に引っかかっている布の切れ端に気づいた。あの花柄の布地は……。
「っ!」
勢いよく振り返った私に、フィルアートは静かに頷く。
「行方不明になった者達は、魔獣のエサにされたのだろう。その為に意図的に心霊スポットの噂を流したのかもな」
肝試しに来て、自分も幽霊にされたなんて。なにそれ笑えない。それに、
「じゃあ……私が斬った霊は、殺された人達なの? 私、なにも知らなかった」
勝手に震え出す肩を自分で抱きしめる。もしかしたら、言いたいことがあったのかもしれない。もっとできることがあったかもしれない。それなのに、私はなにも考えずにあの人達を……、
「エレノアが気に病むことじゃないよ」
場違いに朗らかにスノーが言い切る。
「悪霊になった霊は自我を失い永遠に彷徨い続ける。消滅させた方が親切だよ」
歌うような口調で励まされても、心は軽くならない。私は自分が戦う意味を、振るう剣の重さを全然理解していなかった。
涙が出そうになるのを、歯を食いしばって堪える。落ち込むのは後回しだ。
「それじゃあ、今は魔獣はどこにいるんですか? 密売業者は?」
今は檻は空で、魔獣はおろか人の姿もない。
みんな、どこへいったのだろう?
「それは、解らな……」
フィルアートが眉間にシワを寄せて答えようとした、その時。
「……たすけて」
幾多の檻の向こうから、か細い声が響いた。
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