上 下
2 / 34

1、魔法使いの家

しおりを挟む
 緑のローブの青年は、上も下も区別のつかない毒々しい粘液の塊――レナロッテ――を抱え上げた。拍子にびしゃりと紫の飛沫が散って、彼の秀麗な頬に張りつく。

「うへー! キモっ!」

 狐の尻尾をぼわぼわに膨らませて、子供が震え上がる。

「お師様、そんなばっちいモン触っちゃダメです。お師様までけがれちゃいますよ」

 思い切り距離を取って木の陰から呼びかける狐の子に、青年は困った風に眉を下げた。

「ノノ。そんな言い方をしたら、彼女に失礼でしょう」

「へ? それ、女の人なんですか!?」

 子供は縦長の瞳孔の目をぱちくりさせる。

「どう見ても女性でしょう」

「どう見てもヘドロです」

「……すみません、弟子の口が悪くて」

 青年は腕の中の粘体に頭を下げる。彼には巨大な蛭のようなレナロッテの全体像が把握できているようで、ちゃんと顔を見て話してくれている。それだけで……泣くほど嬉しい。
 でも、零れる涙はやっぱり紫色で、ぼたぼたと皮膚の粘液を巻き込んで彼のローブを濡らしていく。

「ごめ……な、さ……。ょご…し…て」

 上手く舌が回らない。もどかしくてもがくレナロッテに、青年は穏やかに微笑んだ。

「こんな状態で私の服の心配をするなんて、貴女は優しい人ですね」

「……!」

 途端に心拍数が跳ね上がり……、体中から粘液がぶしゃっと噴き出した!

「ぎゃー! お師様、それ、ヤバい! 今すぐ捨てて! 燃やして!!」

 全力で後退りながら大絶叫する子供に、彼女も居た堪れなくなる。穴があったら入りたい。むしろ埋めてもらいたい。
 それでも青年は気にする素振りもなく、羽でも抱いているかのような軽やかさで成人女性の重さのレナロッテを運んでいく。
 深い森をしばらく進んでいくと、少し拓けた場所に建つ一軒の丸太小屋の前に出た。

(あれ……?)

 彼女はその小屋をどこかで見たことがある気がした。
 ドアの前で立ち止まると、青年は子供を振り返った。

「ノノ、行水用のたらいを部屋に運んでください」

「は? そのブニョブニョを家の中に入れる気ですか? 正気ですか? 家まで汚染されますよ!?」

 ギャンギャン騒ぐ子供に、青年はため息をつく。

「野ざらしでは可哀想でしょう。暖かい場所で休ませてあげないと」

「バケモノよりもボクに気を遣ってくださいよ、お師様!」

 子供は断固抗議する。

「そいつの粘液、絶対体に良くないでしょう!」

「まあ、人体にはかなりの悪影響ですね」

 あっさり肯定した。

「やっぱり!」

「でも、私達は呪詛に抵抗力があるので、しばらくは大丈夫かと」

「呪詛! マジヤバなやつじゃないですか! 嫌ですよ、ボク。安寧なスローライフが脅かされるのは!」

 腕を振り回して暴れる子供に、青年はすっと緑の目を細めた。そして顔をしっかり見つめ、静かに口を開く。

たらいを持ってきてください、ノノ」

 低い声のトーンに、ピタリと子供が動きを止めた。

「……はぁい」

 唇を尖らせ、狐耳をしゅんと下げて、子供が納屋へと歩いていく。どうやら確固たる上下関係があるようだ。
 玄関ドアを抜けた先、ダイニングルームの床に盥が置かれ、その中に巨大な蛭レナロッテが入れられる。

「なにするんですか?」

「薬浴ですよ」

 子供か覗き込む傍で、青年は桶でゆっくりと盥に水を満たし、それから小瓶の液体を注いだ。

「まずは聖水で表面の穢れを取り除きます。濃いと内部までけてしまう可能性があるので、最初はうんと希釈して」

「聖水を薄めて使うなんて、初めて聞きました。洗濯の漂白剤みたいですね」

 浅い盥で半分水に沈んで横たわるレナロッテ。その皮膚から小さな気泡が湧いている。

「なんかいつもの実験みたいですね。培養瓶のボクもこんな感じでした?」

「そうですねぇ……もっと細胞分裂が活発でしたよ」

 二人に見守られる中、顔を覆っていた粘液の一部が崩れた。赤黒く爛れた皮膚の間から、青い瞳が覗く。じっと視線を合わせるレナロッテに、青年は微笑んだ。

「自己紹介が遅くなりました。私はフォリウム、この森に棲む魔法使いです。こっちは弟子のノノ」

「ども」

 三角耳をピンと立て、子供が軽すぎる挨拶をする。

「貴女のお名前を教えていただけますか?」

「……レ……ロっ、テ」

 全然満足に発音できていなかったが、

「レナロッテさんですね」

 フォリウムにはちゃんと伝わっていた。

「お疲れでしょう。今日はゆっくり休んでください。詳しい事情は、また後日に。何か食べられそうですか?」

 レナロッテはふるふると首(らしき部位)を振る。この身体になってから、食欲がない。

「そうですか。では、おやすみなさい」

 魔法使いは自然な仕草でレナロッテの頭を撫でた。背後では、粘液まみれの師匠の手に弟子が露骨に嫌そうな顔をして尻尾を膨らませている。

 ……もうずっと、自分が寝ているかも起きているのかも判らなかったのに……。

 今は、とても眠い。
 聖水の海に漂いながら、彼女は久し振りに穏やかな気持ちで目を閉じた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

転生したらチートすぎて逆に怖い

至宝里清
ファンタジー
前世は苦労性のお姉ちゃん 愛されることを望んでいた… 神様のミスで刺されて転生! 運命の番と出会って…? 貰った能力は努力次第でスーパーチート! 番と幸せになるために無双します! 溺愛する家族もだいすき! 恋愛です! 無事1章完結しました!

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

魔法使いと彼女を慕う3匹の黒竜~魔法は最強だけど溺愛してくる竜には勝てる気がしません~

村雨 妖
恋愛
 森で1人のんびり自由気ままな生活をしながら、たまに王都の冒険者のギルドで依頼を受け、魔物討伐をして過ごしていた”最強の魔法使い”の女の子、リーシャ。  ある依頼の際に彼女は3匹の小さな黒竜と出会い、一緒に生活するようになった。黒竜の名前は、ノア、ルシア、エリアル。毎日可愛がっていたのに、ある日突然黒竜たちは姿を消してしまった。代わりに3人の人間の男が家に現れ、彼らは自分たちがその黒竜だと言い張り、リーシャに自分たちの”番”にするとか言ってきて。  半信半疑で彼らを受け入れたリーシャだが、一緒に過ごすうちにそれが本当の事だと思い始めた。彼らはリーシャの気持ちなど関係なく自分たちの好きにふるまってくる。リーシャは彼らの好意に鈍感ではあるけど、ちょっとした言動にドキッとしたり、モヤモヤしてみたりて……お互いに振り回し、振り回されの毎日に。のんびり自由気ままな生活をしていたはずなのに、急に慌ただしい生活になってしまって⁉ 3人との出会いを境にいろんな竜とも出会うことになり、関わりたくない竜と人間のいざこざにも巻き込まれていくことに!※”小説家になろう”でも公開しています。※表紙絵自作の作品です。

精霊に転生した少女は周りに溺愛される

紅葉
恋愛
ある日親の喧嘩に巻き込まれてしまい、刺されて人生を終わらせてしまった少女がいた 。 それを見た神様は新たな人生を与える 親のことで嫌気を指していた少女は人以外で転生させてくれるようにお願いした。神様はそれを了承して精霊に転生させることにした。 果たしてその少女は新たな精霊としての人生の中で幸せをつかめることができるのか‼️ 初めて書いてみました。気に入ってくれると嬉しいです!!ぜひ気楽に感想書いてください!

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

替え玉の王女と天界の王子は密やかに恋をする

ルカ(聖夜月ルカ)
恋愛
ごく平凡な毎日を過ごしていた紗季… それが、何の前触れもなく見知らぬ場所へ飛ばされて… そこで紗季は、今まで考えたこともなかったような自分の『運命』に翻弄される… ※表紙画はck2様に描いていただきました。

処理中です...